強襲
アパートの窓が吹き飛び、中から炎が噴き出している。ガス爆発でも起きたのか、という惨状に、やじ馬たちが集まり始めていた。人の群れをかき分け、トラック達はアパートに入る。といっても、階段を上れないトラックは小さくなってセシリアに運ばれているのだが。
「うおぉぉぉーーーっ!!」
自らを鼓舞するような叫び声と共に、甲高い金属音が聞こえる。これは――戦いの音、剣を打ち合う音だろうか? セシリアと剣士の表情が厳しさを増す。焦る気持ちを抑えながら階段を上るセシリアたちを出迎えたのは、廊下を塞ぐ巨大な火柱だった。肺を焼くような熱気が顔を打つ。セシリアは火柱をキッとにらむと、右手を掲げて呪を唱えた。
「かぎ裂きの羽根、破れ目のヴェール、惰眠の王の纏いし風よ! 荒ぶる愚者を怠惰に沈めよ!」
掲げた右手から凍える風が巻き起こり、目の前の火柱を切り裂く。切り裂かれた炎は、傷口から浸食されるように凍っていく。炎が凍る、なんてあるの!? あるんです。凍った炎にはすぐに細かいヒビが入り、次の瞬間には砕けて消えた。ミラが風を巻き起こし、残り火を吹き散らせる。肌を焼く熱気がシンとした冷気に変わった。セシリアと剣士が同時に走り出した。戦いの音はまだ続いている。
――プァン!
自らの存在を知らせるようにトラックがクラクションを鳴らす。吹き飛んでへしゃげた扉をまたぎ、セシリアたちが部屋に飛び込んだ。
――ヒュッ
風を切る刃が光を反射する。剣士が長剣を抜きざまに飛んできたそれを斬り払った。甲高い音と共に地面に落ちたのは一本の投げナイフ。部屋に入って来た直後を狙うあたりが戦い――というより暗殺の類か――に慣れている。
部屋に入ったセシリアたちの視界に飛び込んできたのは、無残に焦げた壁と天井、そして黒装束に身を包んだ三人の姿。そして黒装束たちの向こうには、奥の部屋の前で傷だらけになりながら扉を死守している戦士がいた。奥の部屋にはボスがいるはずだが、扉は閉まっていて中の様子はわからない。
剣士は部屋に飛び込んだままの勢いで黒装束に斬りかかった。トラックもまたセシリアの手を飛び出し、【ダウンサイジング】を緩めて三分の一スケールくらいになると、別の黒装束に向かって走る。セシリアは杖を掲げて集中を始めた。剣士の斬撃を防ぎ、黒装束は一瞬だけ逡巡を見せたが、次の瞬間には拍子抜けするほどあっさりと身を翻し、窓があった場所から外に身を躍らせて逃走した。他の二名も鮮やかなほどに戦いを諦め、最初の一人に続く。予想外だったのだろう、剣士もセシリアも追撃に移るのがわずかに遅れ、窓だった場所に駆け寄った時にはすでに、黒装束たちの姿はなくなっていた。
「……逃がしたか」
「冷静にこちらの戦力を見極め、勝てぬと判断したのでしょう。相当に訓練されている」
セシリアが忌々しそうに眉を寄せた。一人でも捕縛できれば襲撃の動機なども調べられたかもしれないのに、とか考えているのかな? トラックは戦士に近付き、プァンとクラクションを鳴らす。気が緩んだのだろう、戦士は崩れ落ちるように座り込み、大きく息を吐いた。
「……助かったよ。正直、ここまで強引な手段は予想外でな。完全に不意を突かれた」
戦士の手足や顔など、肌が露出している部分には痛々しい火傷の痕がある。セシリアが駆け寄り、回復魔法の淡い光が戦士を包んだ。光が晴れ、火傷の痕は消えていた。よかった、痕が残らなくて。戦士が軽く手を挙げて謝意を示した。
「何があった?」
剣士が戦士に声を掛ける。もう一度大きく息を吐き、戦士は襲撃を受けた様子を話し始めた。
人形師の魔法使いが「スポンサーはクリフォトだ」と証言して後、冒険者ギルドはトランジ商会に関わる事件の関係者のうちの幾人かに護衛を付けるよう手配した。ガトリン一家のボスもその一人で、それ以来戦士はずっとこの部屋で襲撃に備えていたようだ。だが実際には襲撃の気配すらなく、Aランク冒険者として危険な依頼をこなしてきた戦士にはむしろ平穏すぎるほどの日々が過ぎていった。襲撃など杞憂ではないか――そんな思いをくすぶらせていた戦士の意識を変えたのは、つい先ほどに起きた出来事。平穏を突如として破る、一つの爆発音だった。
「前触れもなく窓が吹き飛び、続いて法玉が放り込まれた。油断してたと言われちゃそれまでだが、すぐに反応できなくてな。爆発を許しちまった」
爆発の直前に、辛うじて部屋の扉を閉めてボスとその世話をしている看護師を守った戦士は、その背に爆発をもろに受けてしまったようだ。爆発をもろに受けて生きてること自体驚異だが、そこはAランク冒険者、ということなのだろう。防御力とかが高いんだよきっと。
あ、法玉って覚えてるかな? 前にヘルワーズがトラックと戦った時に使ったことがあるんだけど、魔法を込めた玉の事ね。理論的には呪銃の弾丸と同じ。ただ、こぶしほどの大きさがある法玉は呪銃の弾丸よりはるかに強力な魔法を込めることができる。今回は法玉に爆発系の魔法を込めたってことなんだろう。
もう一発法玉を放り込まれたら部屋の壁が崩れてヤバかったところだが、幸いそういうことはなく、代わりに窓から黒装束に身を包んだ三人の刺客が侵入してきた。三人の刺客のうちの一人が玄関から外の廊下に炎のトラップを仕掛け、残りの二人は戦士に襲い掛かって来たのだそうだ。
「情けねぇ話さ。たった三人に防戦一方だった」
Aランクの名が泣くぜ、と戦士は自虐的な笑みを浮かべる。いや、不意打ち喰らってもきちんとボスや看護師を守り切った時点で充分すごいと思うよ。役割をきちんと果たしたんだから胸を張ってください。もしボスに何かあったら、ヘルワーズはきっと立ち直れないくらいに自分を責めただろうから、あんたはボスだけじゃなくて関係する皆も守ったんだよ。
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。「ありがとよ」とつぶやき、戦士は自虐を収めた。
「だが、お前たちが来てくれなければ守り切ることはできなかった。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」
頭を下げる戦士にセシリアは小さく首を横に振った。
戦士の話を聞き終わり、セシリアたちはボスの様子を確認するために部屋の扉を開けた。するとそこには、恐怖に震えながらボスを守ろうとベッド脇に仁王立ちしている看護師の女性がおり、その職業意識の高さに感服したものだ。セシリアがもうだいじょうぶだと告げると、看護師の女性は魂が抜けたような顔でへたり込み、泣き出してしまった。うんうん、怖かったよね。部屋に爆弾放り込むような連中が壁一枚隔てた場所にいたんだから。
その後、駆けつけたギルドメンバーによってボスは別の場所へ移送されることになった。ボスは相変わらず、意識を取り戻すことなく眠り続けている。ただ、ときおり苦しそうに眉間にしわを寄せ、言葉にならない何かを呻いているようだった。移送されるボスを見送りながら、剣士は厳しい表情を浮かべる。
「リェフを追い、姿を見失って、ボスの襲撃現場に出くわした。偶然と思うか?」
セシリアは、やや迷いを含んだ様子で答える。
「私たちを誘導し、ボスを守らせるように仕向けた?」
「そうならば、吉」
剣士は残酷な眼差しでセシリアを見下ろした。
「リェフがこの襲撃に関わっていて、俺たちに姿を見られてしまった、ってのが凶だ」
プァン、とトラックが、信じられないというようにクラクションを鳴らした。剣士は首を横に振る。
「通り魔事件で、リェフが何度も現場付近で目撃されているって話があったろう。リェフがあっち側だって可能性は捨てられない」
トラックはなお納得できないようにクラクションを鳴らす。ミラがトラックに同意するように言った。
「そんなひとには、見えなかった」
「少し短絡では? リェフがガトリン一家のボスを襲う動機が不明です。十八年前の事件当時はガトリン一家はまだ先代がボスで、しかもリェフの父君とは協力関係にあったはず」
セシリアも剣士の見解に疑問を投げかける。しかし剣士の顔は険しいままだ。
「確かに動機は不明だが、十八年前の出来事と直接関わっているとは限らないぜ。たとえば十八年前の何かと引き換えにトランジ商会に手を貸している、とかな」
そう言われてしまうと、可能性がないではない。リェフが姿をくらましたのが『衛士隊の身分ではできないことをするため』なのだとしたら、そういうダーティな取引も視野に入ってくるのかもしれない。リェフが父親の死の真相を、そしてその原因となった男への復讐を求め、他の何者も犠牲にすることを厭わないのであれば、直接関係のないボスを狙ってもおかしくはない。んだけど、でもさぁ、そりゃないよって感じじゃない? だってそうだとしたら、もうリェフは引き返せないところまで来てるってことじゃない。誰かを、命を手段として扱うような、そんな人間に彼をしないために、イャートは信念も体面もかなぐり捨ててトラックに頭を下げたんじゃないの。もう手遅れだって、そんなことは今考えちゃダメなんじゃない? トラック達はリェフを信じなきゃダメなんじゃない?
トラックがプァンと静かなクラクションを鳴らす。セシリアとミラがうなずいた。剣士はわずかの間目を閉じ、小さくため息を吐いた。
「……リェフがこの襲撃を知っていたことは間違いないだろう。阻止したかったのか、成功させたかったのかはともかくな。奴がそれを知ることができたってことは、ちゃんと覚えておいた方がいい」
信じすぎれば見えなくなるものがある。信じることで思わぬ危機を招くことも。剣士はそう警告したいのだろう。剣士はリェフを疑っているわけではなく、トラック達が信じたいことと敢えて逆のことを言うことで、冷静な判断を促したのだ。リェフがこの襲撃を知りえたということは、知る手段を持っていたということ。そんな内部情報を知ることができるなら、リェフが襲撃者の内部にいる可能性は疑っておくべき、ということだ。
重苦しい沈黙が室内に流れる。ボスの移送のために来たギルドメンバーたちが部屋を片付け終わり、撤収を始めた。トラック達も追い出されるように部屋を出て、ギルドへと戻った。
ギルドに戻ると、ギルド内は慌ただしい雰囲気に包まれていた。ボスのいたアパートに住んでいるのはボスだけではなく、何らかの理由でギルドに保護、あるいは拘束されている人間が他にもいるわけで、そういう人たちの避難、移送も必要なのだ。移動先の手配のためだろうか、ギルド内を忙しなくメンバーが駆けまわっている。ボスはひとまずギルド内で預かることになったようだ。なるほど、冒険者がうじゃうじゃいるこの建物が一番安全、というのは正しい判断かもしれない。
それにしても、どうして今、このタイミングでボスは襲われたんだろう? しかも白昼堂々、窓を爆破して侵入なんて、相当に強引な手段を使って。ボスが目を覚ますような兆候があった、というのなら分からんでもないが、そんな様子もないしなぁ。こういっちゃなんだが、もっと前に襲撃していたら成功していたはずだ。ボスに護衛を付けたのは人形師が捕まった後なんだから。ボスがアパートに入ってから護衛が付くまでにはそれなりの期間があったのに、わざわざ護衛が付いた後に襲撃を行う意味がわからない。
それに、この襲撃とリェフの関係も不明だ。通り魔事件と何か関係があるのだろうか? それとも十八年前のほう? リェフが通り魔事件の犯人で、今回の襲撃も通り魔の一環? そんなバカな。実は黒装束の三人の中にリェフがいたとか? でもそれらしい感じはなかったんだけどなぁ。えぇい、分からんことだらけだ。もう謎の高校生探偵が脈絡なく登場して真相を解明してくんない? じっちゃんの名はいつも一つ! みたいな決め台詞で。
「トラさん!」
バタバタしているギルド内を見ていたトラックは、背後から呼びかけられて向きを変えた。トラさんって呼んだということは、イーリィさんですね。イーリィは、走り回っていたのか軽く息を弾ませている。「捜したわよ」と言いながら息を整え、イーリィは切迫した表情をトラックに向けた。
「すぐに衛士隊詰所に向かって。――人形師が、襲われたわ」
プァン!? とトラックがクラクションを鳴らす。人形師が襲われた、ということは、その世話をしているはずの79号は大丈夫なの? ミラの顔から血の気が引いた。
「急ぎましょう!」
セシリアが鋭く声を上げる。扉とウィングを開き、セシリアたちを乗せて、トラックは強くアクセルを踏み込んでギルドを飛び出していった。
戦士、再登場までして頑張っているのに未だ名無し。




