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突入

 星も月の光も届かぬ深夜の森はシンと冷たい空気に包まれていて、どこか荘厳な神殿を思わせる。木々の一本一本が神殿の柱であり、生い茂る枝葉は神殿の屋根だ。そして、木々は神殿であると同時に祀られるべき神霊でもある。森は厳粛で清澄なその空気で、訪れる者に警告する。


――森を乱すなかれ。乱せば相応の報いを受けよう。


 しかし今、森の静寂は不心得者たちによって破られている。深い森に埋もれた商家の別邸。そこに集まる獣人売買の首謀者たちは、赤々と灯りをともし、下卑た笑い声を上げて杯を交わしている。

 トラック達は息を潜め、身を隠しながら、敵のアジトの様子を伺っていた。




 ロジンが語った獣人売買の構図は、拍子抜けするほど単純なものだった。首謀者はナール・ウォルラス。ウォルラス家の現当主であり、セイウチ夫人の夫だ。ナールは男子のいなかったウォルラス家に婿養子として迎えられた男だったが、商売の才能はなかったようだ。様々な事業に手を出しては失敗を繰り返し、ウォルラス家が代々蓄えてきた財産をみるみるうちに食いつぶしていった。ついには仕入れの代金にも事欠くようになり、そしてナールは一線を越えた。ケテル商人の信用を利用して獣人を捕え、クリフォト南部の貴族に売る。そんな妄想を描き、そしてそれを実現しようと動き始めてしまった。ナールは古参の召使や執事、番頭から奉公人まですべてクビにして、怪しげな連中――つまりはヘルワーズやロジンのことだが――を迎え、着々と準備を整えていった。そして一週間前、ある獣人の村を襲い、一村丸ごとを捕獲することに成功したのだ。


「行くなら急いだほうがいい。今日は確か『初出荷』の日だ」


 そう言ってロジンはナールたちの潜伏先を告げた。ケテルからほど近い、東の森にある商家の別邸。使われなくなって久しく、今は半ば廃墟と化しているその建物にナールはいる。そして、囚われた獣人たちも。トラック達はケテルの町を出て、ロジンの案内を頼りに東の森に急ぎ、そして敵のアジトに辿り着いたのだった。

 ちなみに、夜は当然ケテルの外門は閉じられているので、トラック達は南東街区の外壁に穴を開けて外に出た。セシリアの劇的ビフォーアフターにかかれば、外壁に自動ドアを取り付けることなど造作もないのだ。空堀だってほら、セシリアの魔法にかかればあっという間に橋ができちゃう。トラックの往来も自由自在。なんということでしょう。


 ……


 魔法便利すぎだろうがぁ! 籠城戦の常識が覆るわ! 魔法使いって誰でもこんなこと簡単にできるのかな? ドロボウし放題じゃない? 何か対策してんのかな? そこんとこどうなってんだろ。




 ロジンに促され、剣士とセシリアは身を屈めたまま木陰から飛び出し、屋敷の裏手の壁にへばりつくように駆け寄った。幸いこの辺りに見張りはいないらしい。屋敷の中からはどんちゃん騒ぎの笑い声が聞こえてくる。大いに油断しているのだ。

 元々はかなりの有力者の別邸だったというこの屋敷は、今は壁一面に蔦がびっしりとはびこっており、放置された歳月の長さを物語っている。剣士は光の漏れる窓からそっと中を窺った。そこは元々かなり広めの客間だったようで、ボロボロの外観に不釣り合いな豪華なカーペットが敷かれ、テーブルには豪華な料理が大皿で盛り付けられている。十人を越えるガラの悪そうな男たちが思い思いに料理をつつき、あるいは酒を飲んで大笑いしていた。祝宴、ということなのだろう。悪人が祝宴を開いている、という事態は、すでに状況がかなり悪いところまで進んでいるということを示している。

 客間の一角には身体が沈み込むほどの高級ソファが置かれ、そこでは二人の男が祝杯を挙げていた。一人は線の細い、どこか頼りなげな男で、おそらくこいつがナールだろう。そしてナールの向かいには、体格のがっしりとした強面の男が座っていた。ヘルワーズに似た、つまりまともな人生を歩んでいない雰囲気の壮年の男だ。強い酒を水のように飲みながら、顔色一つ変えていない。逆にナールは顔を真っ赤にして、ゆらゆらと身体を揺らしながら焦点の定まらない目をしていた。


「……ボス!」


 ロジンが震える声で小さくつぶやいた。つまりあの強面が獣人売買ビジネスにおけるナールのパートナー、実働部隊の元締めということなのだろう。


「アレを!」


 剣士の袖を引っ張り、セシリアが視線で別の場所を指し示す。首謀者たちのいる場所の反対側、客間の入り口付近に目を転じると、そこには見覚えのある顔があった。


「……昼間の猫人か?」

「確か、ルルという名前でした」


 ルルは両手を後ろ手に縛られ、両足首も縛られた状態で床に転がされている。ルルの近くには二人の男が座っていて、ルルがおかしなことをしないように見張っているようだ。ルルの服はあちこちが破れ、手足には浅い刀傷がいくつもあるのが見える。そして何より、その顔に浮かんでいる青あざが痛々しい。ルルは激しい怒りを込めた金の瞳で見張りを睨んでいるが、見張りはニヤニヤとゲスな笑みでそれに応えていた。


「一人で突撃するなんて、無謀です」

「俺たちも似たようなもんだけどな」


 眉をひそめるセシリアに苦笑して剣士が言った。セシリアは心外そうに上目遣いで剣士を見上げた。ロジンは驚いたような呆れたような顔で二人を見る。


「猫人は強いと聞くが、ボスには勝てない。ボスの強さは異常だ。あのノブでさえボスには勝てないだろう。ボスは殺すことにためらいが無い。相手が敵であっても、味方であっても」


 真剣な表情に戻り、ロジンが警告のように言った。ルルが殺されなかったのは、ルルが『商品』だからだ。もし剣士たちがボスと戦えば、ボスは『商品』ではない剣士たちを殺すことを躊躇しない。少し緩んだ空気を引き締めて、剣士とセシリアが表情を改めた。

 ……でも、ノブ君を引き合いに出されると、急に強さが分からなくなるんだよなぁ。トラックに「ぐへぇっ」って吹っ飛ばされてアフロになったからなぁ。ボスも結局、ぐへぇ仲間になるんじゃないかなぁ。そうでもないのかなぁ。


 あれ? そういえば、トラックどこ行った? いつの間にか姿が見えないような……


 きょろきょろとトラックを探す俺の横で、剣士たちはどう動くべきかを小声で話し合っている。このまましばらく様子を見れば、おそらく中の連中は勝手に酔いつぶれてくれるだろう。そこで踏み込めば一網打尽。だが、ここには捕らえられているはずの獣人たちの姿がない。別の部屋に閉じ込められているならいいが、さっきロジンが言った『初出荷』が済んでいるなら、ここで時間を浪費するのは致命的だ。一刻も早く行き先を突き止めてケテルの支配領域から外に出る前に取り戻さなければ、もう打つ手はなくなる。ケテルの他種族からの信頼は地に落ちる。

 ロジンは慎重論を口にし、セシリアは強硬論を主張して、剣士は黙って腕を組んでいる。おそらく心情的には、剣士は慎重論だろう。セシリアを危険に晒したくはないだろうから。しかしもし、ためらっている間に獣人たちを救う機会を失ってしまうとしたら、そもそも危険を冒してここまで来た意味がなくなる。剣士は顔をしかめ、再度窓から中の様子を覗き込んだ。

 酒でいい感じに出来上がった手下の一人が、おぼつかない足取りでルルに近付く。見張りの制止も聞かず、その男はルルの前にしゃがみ込み、何か声を掛けたようだ。何を言っているかはここからでは分からないが、ゲスい顔で笑っているところを見ると、おそらくゲスいことを言っているのだろう。ルルはひどく冷めた目でゲス男を見ると、皮肉気に口を歪めて何か言ったようだ。ゲス男の顔色が変わる。ゲス男は立ち上がって大声で叫ぶと――


 えぇ!? 腰のナイフを抜きやがった! いやいや沸点低すぎだろ! 周りの男たちが止める間もなく、ゲス男はナイフを逆手に持ち替え、ルルに向けて大きく振りかぶった! いや、コレ本気でヤバいって! ちょっと誰か何とかして!


「踏み込むぞ!」


 剣士がそう言いつつ窓枠に手を掛ける。間に合うか!? 間に合って! ゲス男の顔が醜く歪み、そして、ナイフが振り下ろされようとした、まさにその時!


――ズガァーンっっっっ!!!!!


 すさまじい轟音と共に、屋敷全体が大きく揺れた。客間の扉が吹き飛び、まるで狙ったようにルルを襲おうとしていた男を直撃した。男は壁際まで吹っ飛ばされ、白目をむいて気を失った。まあ、自業自得だな。扉の周囲の壁も大きく抉れ、ガラガラと音を立てて崩れる。周りにいた見張りや他の男たちも、何が起きたのか理解できないという顔をして呆然とトラックを見つめている。


「おいしいところを持っていきやがって」


 剣士はそう言うと、窓を打ち破って中に飛び込んだ。窓の近くにいた二人の男が驚いたように振り返る。剣士はすばやく一人の男の懐に飛び込み、みぞおちに拳を叩きこむと、流れるような動きでもう一人の男の眼前に移動し、顎の先端を打ち抜いて床に沈めた。おお、鮮やかな手並み。もしかして剣士って、結構強いのかな?


「て、てめぇら、なにもんだ!?」


 手下の一人がうわずった声で叫んだ。結果的に挟み撃ちされた状態になり、動揺しているようだ。トラックと剣士とどちらに注意を向けるべきか、交互に視線を向けている。剣士を追ってセシリアも窓から中に入ってきた。ロジンは……窓の外からこっそり中を覗いている。


「お前たち……どうして……?」


 ルルが信じられないという顔でトラックを見上げた。トラックは念動力を発動してルルを縛る縄をほどくと、素っ気なくプァンとクラクションを鳴らした。


「確かにな。こいつらと同類と思われちゃ、気分が悪くてしょうがない」


 クラクションに同意するように、剣士はニヤッと笑って頷いた。セシリアも頷き、ルルをまっすぐに見つめていった。


「だから、助けに来ました。言葉だけでは信じてもらえないから」


 セシリアを見つめ返しながら、ルルはゆっくりと立ち上がった。その目にはまだ迷いが見える。数秒、セシリアと視線を交わした後、ルルは思いを定めたように口を開いた。


「もう何人か連れていかれた。力を、貸して!」

「おいおい。何勝手に盛り上がってやがる」


 ドスの効いた低い声がルルの言葉に被さるように客間に響く。その場にいる全員が、声の主のいる方向に顔を向けた。窓の外のロジンが「ボス……」と呟く。


「せっかくの宴のぶち壊してくれやがって。こんなふざけたマネして、生きて帰れると本当に思ってるんでちゅか?」


 ……ん? 聞き間違いかな? ボスの台詞がなんかおかしかったような。ボスは自分の指をゴキゴキと鳴らし、不敵な笑みを浮かべた。


「ガキがイキがってんじゃねぇでち。この俺がまとめて仲良く地獄に送ってやりまちゅ」


 やっぱ聞き間違いじゃなかった! どういうこと!? そういうキャラ付け? 個性の出し方間違ってますよ! ボスの手下たちは一様に顔を引きつらせている。手下の一人が近くの仲間に言った。


「やばいぞ。ボスが酔ってる」


 酔ってんのかーいっ! 酔うと赤ちゃん言葉になる人がいるって聞いたことあるけど、よりにもよってボスがそれ? このしっぶいバリトンボイスでそれ? 剣士とセシリアが、どうリアクションしたものかと戸惑ったような表情を浮かべた。


「ゆ、油断するな! 酔っていても強さは変わらん! いいかよく聞け。ボスはな……」


 窓の外から小さな声で、必死にロジンが剣士たちに呼びかける。何だろう。ボスは酔拳の使い手だ、とか言うのかな?


「ボスは、酔えば酔うほどゲロを吐く」


 ただの酔っぱらいじゃねぇか! むしろ酒に弱いタイプじゃねぇか! 真面目に聞いて損したわ! ボスは青い顔で「うぇっぷ」とえずき、右手で口元を覆った。剣士はハッと我に返ったようにトラックを振り向き、鋭く叫んだ。


「連れていかれた連中を追え! お前の足なら追いつけるかもしれん!」


 トラックは剣士の言葉にプァンと答える。そのクラクションは心配そうな響きを帯びていた。剣士は口の端を歪め、腰の剣を抜き放った。


「こんな赤ちゃん言葉のおっさんに負ける展開、せつねぇだろうが。とっとと行け! 獣人たちを救えるのはお前だ、トラック!」


 トラックはぶぉんとエンジンをふかす。剣士の言葉を意気に感じたのだろう。バックで外に出ようとするトラックに、


「私も連れていけ!」


 ルルがそう言って駆け寄った。トラックが助手席のドアを開ける。手下の一人がルルを逃がすまいと動き――


「構うな! 向こうにゃあの兄弟がいる、でちゅ」


 ボスの怒鳴り声で動きを止めた。ルルがトラックに飛び乗る。トラックは一言、プァンとクラクションを鳴らした後、一気にアクセルを踏み込んで屋敷を離れた。トラックの別れ際の一言に剣士が苦笑いを浮かべる。


「殺すな、ねぇ。難しいこと言ってくれるぜ」

「たった三人で、ここにいる全員を相手にするつもりでちか?」


 ボスが低く物騒な声で剣士に問う。手下たちもようやく動揺から立ち直り、剣士たちを睨みつける。自分も数に入れられていることに驚愕したロジンが「ひぃ」と小さく悲鳴を上げた。セシリアが杖を握る手に力を籠め、集中を始める。しかし剣士はセシリアを左手で制し、その集中をさえぎった。


「力を使い過ぎだ。これ以上はやめとけ」

「でも……!」

「心配するな。うまくやるさ。こいつら程度に勝てないようじゃ話にならん。そうだろう?」


 心配そうなセシリアに、剣士は自信ありげな笑顔で応える。セシリアはあまり納得していない表情で、しかし頷き、一歩後ろに下がった。剣士はボスに視線を向けると、いつもの軽口と同じ口調で言った。


「ま、やりすぎだったら止めてくれ。トラックの野郎に怒られたら嫌だしな」


 剣士の言葉にセシリアは何か言おうと口を開き、何も言わずに口を閉じる。何かを覚悟するように、セシリアは真剣な表情で杖を握る手に力を籠めた。


「調子に乗り過ぎだクソガキ。あんまり世の中なめんじゃねぇぞ、ばぶー」


 ボスが冷酷な瞳で剣士を射抜く。でも素敵なバリトンボイスでばぶーはやめて。どんなテンションでいればいいか分からなくなるから。手下も心なしか肩を落としている。緊張感を維持するのに苦労してるんだろうな。しかし剣士は弛緩しかけた場の雰囲気を引き締めるような不敵な笑みを浮かべた。


「どうかな? 案外イケると思ってるんだがね」


 ボスの額に青筋が浮かぶ。手下たちがカチン、ときた顔をして各々の持つ武器を構えた。おお、煽っとる。


「さて、それじゃ皆さんに質問だ」


 剣士はひゅん、と剣を振ると、挑発するようにボスと手下たちを見渡し、言った。


「悪魔を、見たことがあるかい?」


 剣士の瞳が紅く邪悪な輝きを帯びて、圧倒的な『何か』の気配が、一瞬で部屋の空気を支配した。


 ええっとね、でね、剣士たちのことも非常に気になるんだけども、やっぱり俺はトラックが気になるんだ。だから、ちょっと半端で申し訳ないんだけども、トラックの様子見てくる! だから頑張って! 帰ってきたら負けてたとか無しで! お願いします!


はい、それでは集計結果を発表します。

 見たことがある 三票

 見たことがない 十票

 妻が悪魔だ 一票

 ブランドを身に着けたやつなら観た 一票

となりました。皆さん、ご協力、ありがとうございまーす。

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[一言] プラダを着た悪魔ww メリル・ストリープの演技がよかったですよねえw
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