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真相

 十八年前、すでにケテルの法の及ばぬ場所となって久しい南東街区は、一人の男がもたらした奇跡のような均衡の中にあった。南東街区の覇権を争っていたマフィアたちはその男の仲介によって抗争を停止し、小競り合いが抗争に発展しないための不文律ができつつあった。それは、法の正義とは程遠くとも、南東街区にある種の秩序をもたらすものだった。


「その、マフィアたちの間を取り持ったのがゼオ、あのリェフという青年の父親じゃった」


 ゼオの最終目的は南東街区に法の秩序を取り戻すこと。しかし彼はそれを、南東街区に法を押し付ける形で実現しようとはしなかった。まずは抗争を止め、治安を改善する。自分たちでルールを作らせ、それを守らせて秩序の意味を浸透させる。ゼオは相当に長いスパンで最終目的を果たそうとしていたようだ。


『正しいことをしようってのに人が死んでちゃ仕方ねぇだろ』


 ゼオは当時、そんなことを話していたらしい。まずは、誰も死なせない。優先順位を定めて一つずつ、現実的な選択をする。ゼオは理想を抱くリアリストだったということだ。

 ゼオの試みは奏功し、マフィアたちは自分たちのナワバリの明確化や小競り合いが起きたときの対処のルール化など、かなり踏み込んだ内容の協定を作ろうとしていたようだ。おそらくマフィアたち自身も、血で血を洗う抗争を続けることに疲れていたのではないかと、フェン爺さんは言った。


「南東街区が無法地帯となったのは、もう三十年以上も前の話じゃ。マフィアが台頭し、互いに縄張りを主張して争い始めたのはもう少し後じゃが、当時の時点ですでに三年も抗争が続いていた。誰もがうんざりしていたんじゃよ。だからゼオの言葉を受け入れた。終わらせるきっかけを求めていたんじゃ」


 南東街区の人々が倦み疲れていたことは、ゼオの言葉を受け入れる土壌になっていた。そしてそれはマフィアたちも例外ではなかった、ということか。マフィアのボス同士で手打ちの儀式が行われ、ボスの連名で抗争の停止が宣言された。まずは毎日のように誰かが死体になる日々が終わった。人々は安堵し、抗争の停止が抗争の終了に変わることを願った。しかし、そんなささやかな祈りはあっさりと吹き消された。一発の魔弾がもたらした一つの死によって。


「当時の南東街区最大のファミリーのボスが家族と共に外出する、ということがあってな」


 ボスには幼い息子がおり、ファミリー全体がまるで宝のようにその息子を守っていた。その日は南東街区全体で、抗争の停止を祝う宴が催されており、ボスは家族を連れてその宴に出席するために外出しようとしていた。それは南東街区がこれから変わっていくという意思表示であり、ゆえにボスは物々しい警護を遠ざけたのだという。もっとも、その内心はおそらく、抗争の停止を信じることができない臆病者と謗られるのを嫌ったのだろう、とフェン爺さんは言った。


「マフィアというのは面子で生きているような連中じゃからな。じゃが、本当に信じていないなら警備を遠ざけたりはせん。ある程度の確信はあったはずじゃよ。つまり、襲われる可能性は低いと思っておったのじゃ」


 しかし実際には、ボスは襲撃を受けることになる。屋敷から外に出て、息子と手を繋ぎ、道に出たその瞬間――乾いた破裂音と共に凶弾が放たれ、幼子を撃ち抜いた。


「誰が、なぜそのようなことを?」


 幼子が命を奪われたということに顔をしかめながら、セシリアが疑問を口にする。誰もが倦み疲れていたその状況で、ボスの息子を殺そうとする意図が分からない。そんなことをすればまた血みどろの抗争に逆戻りするだろうことは、想像に難くないだろうに。フェン爺さんは小さく首を横に振った。


「当時、実行犯は特定できなかった。ただ、凶器の呪銃は現場に残されておってな。その呪銃に刻まれた刻印が、南東街区で二番目に大きなファミリーのものじゃった」


 犯人が逃走しながら、犯人の所属を示す凶器は現場に残されている、という、客観的に見ればやや不自然な状況は、しかし子を失ったボスやそのファミリーの悲しみと怒りを押し止めるには不足だった。ボスは凶器に刻まれていた刻印からそのファミリーを名指しし、犯人を指し出せと迫った。しかし名指しされたファミリーは言いがかりだと突っぱね、両者の関係は一気に冷え込む。血の気の多い末端の構成員たちが互いのファミリーを襲撃する事態が頻発し、報復が報復を呼び、死者を出す事態に至って、ついには抗争停止の合意を破棄、南東街区は無法地帯に逆戻りとなった。


「ゼオがそのとき、ちょうど衛士隊本部に呼び出されていたことが仇になった。彼がいればここまで急激に事態が悪化することはなかったかもしれん」


 ボスの息子が命を奪われてから抗争停止の合意が破棄されるまで、わずか七日余りのことだったという。ゼオは事態を知って衛士隊の南東街区への派遣を評議会に打診したが許可は下りず、結局自分一人で南東街区に赴くことになった。ゼオは各ファミリーのボスに面会を求めたが、もはやゼオの言葉に耳を貸す者はおらず、むしろ「お前を信じた結果がこのザマだ!」となじられ、殺されかける有様だった。ゼオはやむなく対話を諦め、抗争によって被害を受ける人々を少しでも助けるべく、その事態を憂いていた者たち――フェン爺さんや、ガトリン一家の当時のボス(ヘルワーズの『オヤジ』)――に協力を仰いだ。マフィア同士の抗争に歯止めはかからず、無関係な者も巻き込んで被害は拡大していた。ゼオは抗争真っただ中の危険地帯に突っ込んで住民を救助する、という無謀な行為を繰り返し、たくさんの命を救って――最後は自分の命を落とした。


「ゼオは抗争に巻き込まれたある家族を救出しようとして死んだ。最期まで誰かのために動いておったよ。南東街区に縁もゆかりもないだろうにな。あんな男は二度と現れまい」


 フェン爺さんは長いため息を吐く。もし彼が生きていたら、南東街区の歴史は変わっていたかもしれない。そんな虚しい想像を、爺さんはもしかしたら何度も繰り返してきたのかもしれない。

 爺さんの話はこの前イャートと、それからヘルワーズに聞いた話と大筋で一致している。多少は詳しい話が聞けたが、ゼオが死んだ状況以外に目新しい情報はなかったなぁ。裏取りができたと思えばいいのかもしれんが。あれ、なんか刑事ものっぽくなってる?


「先ほど、『十八年前の抗争はあの青年の父親を殺すための舞台だった』と仰いました。あれはどういう意味ですか?」


 セシリアがフェン爺さんに問う。ああ、そういえばそんなこと言ってたな。ということは、爺さんはもっと詳しいことを知ってる?


「十八年前の抗争は南東街区全体を巻き込んで拡大し、多くの死傷者を出して、数か月後には各マフィアの人的、資金的な疲弊によってある程度沈静化した。ワシとガトリン一家の先代は、その時期に調べたのじゃよ。抗争の原因を作った、南東街区最大のファミリーのボスの息子を狙った犯人をな」


 調査は困難を極めた。なぜなら、当時の関係者がすべて死んでいたからだ。息子を殺されたファミリーのボスも、その家族も、現場にいた護衛も、犯人とされたファミリーの関係者も。まるで誰かが丁寧に痕跡を消したみたいに、関わりのあった人々が全員、抗争によって命を落としていた。だがその事実は、フェン爺さんたちにかえって疑念を持たせることになった。誰かが抗争を隠れ蓑にして関係者を消したのではないか? もしそうだとしたら、これは単なるマフィア同士の問題ではなく、第三者が絡んでいるのではないか?


「ワシらは調査を続け、ようやく生きている関係者に辿り着いた。それは南東街区に住んでいた細工職人崩れの男の情婦じゃった。男は消されておったが、男に情婦がおったことは知られておらんかったのじゃろう」


 情婦の女は怯えた様子でなかなか話をしてくれなかったが、ガトリン一家の先代が保護を約束してようやく口を開いた。細工職人崩れの男は、とある人物から呪銃に紋様を刻むことを頼まれたのだという。その紋様はとあるファミリーを示す刻印――幼子の命を奪った呪銃に刻まれたものと同じだった。


「その依頼人は当時三十そこそこの、ケテルの外から来た流れ者じゃった。灰色の髪をした、ひどく冷酷な目をした男だったそうじゃ。そやつはユリウス・トランジと名乗り――」

「トランジ!? その男はトランジ商会の関係者か!?」


 剣士が思わずといった様子でフェン爺さんの話を遮る。爺さんはピンとこない顔で言った。


「トランジ商会というのは知らんな。ユリウス・トランジはとても商人とは思えん、殺し屋と言ったほうが近い男じゃ」


 会ったことはないがな、とフェン爺さんはボソッと補足する。爺さんたちが調べ始めたときにはすでに、ユリウス・トランジなる人物は南東街区から姿を消していたのだそうだ。しかし名前と風体が分かったことで、調査は一気に進んだ。さすがにユリウス・トランジを知る全ての人間を消すようなマネはできなかったのだろう。


「ユリウス・トランジは南東街区でさまざまなファミリーを渡り歩いて、敵対するファミリーのボスや幹部を暗殺する役割を金で請け負っていたようじゃ。金さえ積めば昨日の依頼主でも殺すと評判で、信頼はされないが依頼は絶えない。そんな男じゃったらしい」


 ユリウスはしばしば、その時に最大勢力だったファミリーのボスをヒットし、南東街区の勢力図を変えたりしていたらしい。ここからは推測になるが、と前置きをして、フェン爺さんは言葉を続けた。


「ユリウスを洗うと、仕事の報酬では説明できないほどの大量の金を使っていた形跡があった。その資金の出どころは掴めなかったが、どうやらケテル外からもたらされたものであることは分かった。おそらくあやつはケテル外の、南東街区が混沌とした状態にあることを望む何者かによって送り込まれた工作員(エージェント)じゃ」


 つまりユリウスは、何者かの意向を受けて南東街区をケテルのコントロール外に置いておくために活動していた、というのがフェン爺さんたちの見立てだということか。セシリアが目を見開き驚きを表す。剣士が渋い顔で腕を組んだ。ミラは何かを考えているような表情を浮かべている。

 もしフェン爺さんの推測が正しいとするなら、『十八年前の抗争はゼオを殺すための舞台だった』という爺さんの言葉の意味が何となく分かってくる。つまり、南東街区を混沌の場所としておきたいユリウスにとってゼオは、それを邪魔する厄介者だったわけだ。だからゼオを亡き者にするために、南東街区で再び抗争が起こるように仕向けて――って、ずいぶん遠回りだな。直接ゼオを狙えばよかったんじゃないの? いや、別に推奨しているわけではないんだけども。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。お、俺の疑問を聞いてくれるのか? さすがトラック。たぶん俺の疑問がトラックに伝わっているわけではないんだろうけども。フェン爺さんは首を横に振った。


「これも推測に過ぎんが、真の目的を気取られることを警戒したのじゃろ」


 真の目的、すなわち南東街区をケテルのコントロール外に置くことが露見すれば、当然それを求めた、ユリウスの背後にいる者に話が及びかねない。それを隠蔽し、ゼオの死を『抗争に巻き込まれた偶然の死』とするために、ユリウスは偽造した刻印を施した呪銃で一つのファミリーのボスの子を殺した。ゼオが必ず抗争を止めるために来ると信じて。


「これが、ワシらが調べた十八年前の抗争についての結論じゃよ」


 少々長くしゃべり過ぎたわ、と言って、フェン爺さんはまた長いため息を吐いた。うーむ、なんか、なんか、ややっこしいな。なんというか、わかったようで、肝心なところがいまいちわからんと言うか。こう、モヤっとする。何だろうこのモヤモヤは。


「リェフにも同じ話を?」


 セシリアが難しい顔をしてフェン爺さんに尋ねた。フェン爺さんは首を縦に振る。


「様子はどうでしたか?」

「特に取り乱したりはしておらんかった。おそらくある程度知っておったのじゃろう」


 そうなんだ。ショックを受けたりはしなかったのか。だとしたら、リェフの目的は復讐とかではないのかなぁ? いや、それは希望的観測というものか。もう心が決まっているから取り乱さなかった、ということもあり得るもんね。そうであってほしくはないけど。


「リェフは誰か人を捜していたと聞いたが、それは爺さんのことだったのか?」


 今度は剣士がフェン爺さんに問う。爺さんは首を横に振った。


「彼が捜していたのは、ゼオの最期を看取った男じゃよ。必要ならお前たちにも居場所を教えよう」


 剣士は「頼む」と答え、男の居場所を聞き取った。おお、リェフの足取りがちょっとずつ分かってきた感じ? このまま辿って行ったら本人に出くわさないかな。リェフが何をしようとしているのか分からないけど、何かする前に追いつきたいよね。


「お前たちは――」


 ややためらいがちに、フェン爺さんは口を開く。


「――リェフが何をしようとしていると思っている?」


 プァン、とトラックはクラクションを返した。フェン爺さんは「そうか」と言って視線を落とした。


「ここに来た時、あの青年は思いつめた顔をしておった。どうか、彼を助けてやってくれ。恩人の子が不幸になる姿は見たくないでな」


 恩人? とセシリアがつぶやく。フェン爺さんは小さくうなずいて言った。


「ゼオが最後に助けた人間は、カズエちゃんなんじゃよ」

「ジジイ! 買ってきたぞ、どらやき!」


 まるで話に区切りがつくのを計っていたかのように、大きな声を上げてカズエちゃんが家に入って来た。いや、たぶん区切りがつくのを待っていたのだろう。フェン爺さんがうれしそうに笑った。


「ごくろうさん。ありがとうよ」


 爺さんに礼を言われ、照れているのだろう、カズエちゃんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。皆に一つずつどらやきを渡すと、カズエちゃんは足早に奥の台所へと向かった。お茶を沸かしに行ったのかな? ってか、茶菓子のチョイスがおじいちゃんっ子だねぇ。


「ワシはこのどらやきが好きでな」


 フェン爺さんがどらやきを見て目を細める。爺さんが好きなものを買ってきたってことか。カズエちゃん、おじいちゃんっ子。血の繋がりもない、客観的にはただの他人の二人にある絆が見えたような気がして、ちょっと微笑ましい。セシリアたちも表情を緩めている。台所から、やかんが蒸気を吹き出すピーッという音が聞こえた。

幼い頃、カズエちゃんはよく泣く子供でした。でもある日、フェン爺さんがたまたま持っていたどらやきをあげると、泣いていたカズエちゃんが笑いました。その日から、フェン爺さんの大好物はどらやきになったのでした。

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[一言] >幼い頃、カズエちゃんはよく泣く子供でした。でもある日、フェン爺さんがたまたま持っていたどらやきをあげると、泣いていたカズエちゃんが笑いました。その日から、フェン爺さんの大好物はどらやきにな…
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