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生き字引

 日付が変わって時刻は朝九時、トラック達は再び南東街区に足を踏み入れた。ヘルワーズが教えてくれた生き字引の爺さんがいる区画は、ノブロたちが活動している南東街区の中心部からは大きく外れた、いわば南東街区の未だ変わることのできない場所だ。道は狭く、ごちゃついていて、住民たちは他人に無関心で、そして息をひそめて暮らしている。ノブロたちがどれほど努力をしたとしても、こういう場所は簡単には変わらないのだろう。誰でも変わることができるわけではなく、そして人は慣れた不幸に安住するものなのだ。

 粗末な小屋が並ぶ道をトラックは進む。道に人影はないが、両脇にある建物からは警戒の視線が突き刺さってくる。獲物か、獣か、視線はトラック達を見極めようとしている。獲物と判断されれば一気に襲い掛かってきかねない、奇妙な緊張感がじっとりとまとわりついてくる。

 やがてトラック達の前に、ヘルワーズに教わった家と思しき小屋が姿を現わした。大きく右に傾いだ、今にも倒壊しそうな、まごうことなきボロ屋である。トラックが突っ込むと間違いなく跡形もなくなるだろうなぁ。まあ、この付近の小屋は全部そうなんだけど。


「失礼いたします」


 小屋の入り口に扉はなく、代わりに粗末なむしろがぶらさがっている。冬は厳しそうな環境に爺さんの健康が心配になるなぁ。セシリアがそっとむしろをずらし、中へと入った。セシリアの呼びかけには反応がないけど、大丈夫だよね? 熱中症で倒れたりしてないよね?

 剣士とミラもトラックから降り、セシリアに続く。トラックは【ダウンサイジング】を発動し、小さくなって最後尾に連なった。小屋の中は八畳くらいの広さで、壁際にベッドが置かれ、ベッドには一人の老人がボケっと座っていた。


「あの、フェンさん、ですか?」


 トラック達が小屋に入ってきたというのに、爺さんはまるで反応しない。セシリアと剣士、そしてミラも、戸惑いの表情を浮かべる。聞こえていないのか、気付いていないのか。爺さんは虚空を見つめたままだ。


「あの、もし?」


 セシリアが、フェンと呼ばれた爺さんの前に立ち、少し背を屈めて視線を合わせた。フェン爺さんはぼーっとセシリアを見つめ返し、ふと何かに気付いたように目を見開いた。


「おお、カズエちゃんか。久しぶりじゃのぅ。大きゅうなってまあ」

「え、いえ、私はカズエさんでは……」


 嬉しそうに顔をほころばせ、握手を求めるフェン爺さんの手を握り返しながら、セシリアの困惑は深まるばかりのようだ。やせて筋張った手が意外に強い力で上下に振られる。


「前に会ったときはこーんなに小さかったのに、立派になって。ワシが年を取るはずじゃわ」


 目尻のしわを深くして、フェン爺さんは感慨深げだ。否定するのもためらわしいのだろう、セシリアは対応に困ったように沈黙し、剣士を見る。剣士もまたどうしていいかわからないようで、困惑の視線を返すばかりだった。トラックとミラはやはり沈黙したままだが、それが何か考えあってのものなのかはよくわからない。

 これは、アレかなぁ。話を聞くのは無理なヤツかなぁ。でもだとしたら、爺さん独りでほっといちゃダメだよね。民生委員に相談? いや、この異世界にいるわけないな。ケアマネージャー? お客様の中にケアマネージャーの方はいらっしゃいませんか?


「さあさ、座って。狭いところで申し訳ないが、それ、お友達もこっちに来ておくれ。今、茶でも出すでな」


 よっこらしょ、と言いながらベッドから立ち上がり、フェン爺さんはうーんとうなって腰を伸ばした。お構いなく、と言うセシリアを手で制し、やや覚束ない足取りで台所へ向かう。こけそうな気配を感じたのか、剣士がフェン爺さんを追いかけてフォローできる位置に控える。案の定、フェン爺さんは何もないところでつまずき、剣士が素早くその身体を支えた。おお、剣士グッジョブ。年寄りがこけたら結構シャレにならんからね。骨折とかしたらそのまま寝たきりになったりってのもあながち大げさじゃないからね。


「すまんの。ありがとうよ」


 申し訳なさそうに謝る爺さんに剣士は「こけなくてよかったな」と笑いかける。フェン爺さんも笑顔を返し、剣士の手を借りて体勢を整えると、


「ところで――」


 流れるような動きでその背後に回り込み、剣士の利き腕を後ろに捻り上げつつ喉元にナイフの刃を当てた。


「お前ら、どこのファミリーのもんじゃ?」


 フェン爺さんの目が鋭くセシリアたちを射抜く。そこにさっきまでのぼんやりした様子はない。腕をひねられて動きを封じされている剣士が苦しげに呻いた。セシリアとミラは、おそらく魔法を使おうとしているのだろう、息を吸いこみ手を動かす。フェン爺さんの警告が飛んだ。


「動くな! この若造の首に大きな口ができることになるぞ」


 くっ、と悔しそうに息を吐き、セシリアとミラは動きを止めた。剣士が拘束を振りほどこうと隙を窺っていることに気付いたか、フェン爺さんは腕をさらに強くひねり上げる。剣士の顔が苦痛にゆがんだ。


 ……爺さんが急にきびきび動いたーーーっ!!

 なんかめっちゃ強いぃーーーっっ!!!

 えぇ、何この老師感!

 いつの間にナイフ出したの!?

 今までのヨボヨボぶりは演技だったんかいっ!

 ま、まあ、でも、認知機能に問題はなさそうでよかった。周囲のフォローも期待できない南東街区のこの場所で、独居老人の今後の生活とかどうすんだってちょっと心配だったんだよ。心配する必要なかったな。お陰で剣士が大ピンチだけども。


「油断じゃな若造。年寄りが常に弱者だと思わぬことじゃ」

「……次からは気を付けるよ」


 剣士が薄く苦笑いを浮かべる。トラックが落ち着いた様子でクラクションを鳴らした。フェン爺さんはふんっ、と不快そうに顔を歪める。


「ワシを訪ねる者は二種類しかおらん。ワシの知る情報を奪いに来たバカ者か、ワシを殺しに来た痴れ者かじゃ」


 フェン爺さんの目には昏い不信の影がある。ずっと裏の世界で生きてきた、その時間が他者に対する冷たい認識を培ったのだろう。信じず、利用するもの。フェン爺さんにとっての他者は、そういうものなのだ。


「お待ちください。敵対の意思はない」

「言葉に意味はない。今すぐに立ち去るがいい。さもなければ、この若造の命がここで消える」


 交渉する気はない、という意思表示か、爺さんはナイフの刃をわずかに動かし、剣士の喉に浅い傷を作る。傷口からじわりと血が滲んだ。びりびりとした緊張が部屋に満ちる。剣士がどこか緊張感のない顔で思案げに宙を見つめ、セシリアの目が翠に光った。そして――


「ああ!? こら、ジジイ! 性懲りもなくまた客を襲いやがって! ダメだっつってんだろうが! いい加減覚えろ!」


 ひどく場違いな声が響き、入り口から姿を現わしたのは二十歳そこそこの、ちょっとキツめの顔をした女だった。女はひどく怒った様子で、仁王立ちしてフェン爺さんをにらみつけている。皆の視線が女に集まり、フェン爺さんは慌てたように視線をさまよわせた。


「カ、カズエちゃん。買い物に行ったんじゃなかったんかい?」

「昼飯の材料買うのに何時間もかけてられっか! すぐ帰ってくるわそんなもん!」


 カズエちゃん実在したんかい。おそらくは食材が入っているであろう布袋を床に置き、カズエちゃんは足を踏み鳴らしてフェン爺さんに近付くと、その手からナイフを取り上げておでこをグーで殴った。


「あだっ!」


 思わず手で額を押さえ、フェン爺さんは剣士の拘束を解く。よろけるように二、三歩前に進み、剣士は息を吐いた。セシリアが剣士に近付き、少し怒ったように囁く。


「自力で抜けられなかったのですか?」

「……爺さんに怪我をさせない方法が思いつかなかったんだよ」


 言い訳めいた表情の剣士を、セシリアは咎めるようににらんだ。カズエちゃんはトラック達を振り返ると、すまなさそうに頭を下げる。


「悪いね、あんたら。このジジイは未だに、この町がどんぱちやってた時代を忘れらんないんだ。年寄りってのは今の事は覚えないくせに、昔のことはやたら覚えてんだよ。勘弁してやってくれ」


 祖父の素行を謝るよくできた孫みたいな雰囲気だな。フェン爺さんが不服そうな声を上げる。


「カズエちゃん! ワシはただ――」

「黙れ! こういう場合はだいたいジジイが悪い!」


 弁明も聞いてもらえず、フェン爺さんはしゅんと肩を落とした。なんかちょっとかわいそうね。もうちょっと優しくしたげてカズエちゃん。


「んで? あんたら、何しに来たんだ? まあここに来る連中はだいたい、ジジイに何か聞きたいって奴らばっかりだけどさ。なんかしらないけど、この町のことはやたら詳しいんだ、このジジイ」


 ニカッと笑ってカズエちゃんはセシリアに言った。セシリアも微笑みを返し、ようやくといった様子で話を切り出す。


「実は、私たちはヘルワーズさんの紹介で――」

「ヘルワーズ!? あんたら、ヘルワーズの知り合い!?」


 セシリアの言葉をいきなり遮り、カズエちゃんは大きく身を乗り出した。話が進まねぇなぁ。カズエちゃんは顔を上気させ、ちょっとはしゃいだような様子でまくしたてる。


「ヘルワーズってさ、いい男だよね。昔の、触れたら切れるような危険な感じもよかったけどさ、今の、ちょっと丸くなった感じが断然いいね」


 おお、ヘルワーズ、意外なところでモテてる。いや、別に意外でもないのか? カズエちゃんは頬に手を当ててため息を吐いた。


「私、ときどき炊き出しとか手伝ってんだけどさ。この間、見ちゃったんだよね。炊き出しに来てた親子がいてさ。母親と小さな男の子。二人があったかいスープ飲んで、おいしいねって言ってて。それをヘルワーズが見ててさ。笑ったの。ちょっとだけ。うれしそうに。もうね、最高。鼻血出るわ」


 その時のことを思い出したのだろう、カズエちゃんはニヘっとだらしない顔で虚空を見つめた。そして気を取り直したようにうなずくと、任せておけとばかりに胸を反らせる。


「ヘルワーズの知り合いを手ぶらで帰しちゃアタシの評判に関わる。なんでも言ってみな。アタシが何でもジジイに答えさせてやるよ」


 場合によっては力づくでね、とカズエちゃんは豪快に笑う。フェン爺さんの顔が引きつった。


「ワ、ワシは答えんぞ! ヘルワーズの小僧なんぞに借りも義理もない――」


 せめてもの反抗とばかりに上げた声は、しかしカズエちゃんが無言のまま繰り出したグーパンチで遮られた。ゴッ、という痛そうな音がして、フェン爺さんは額を押さえてうずくまる。老人をもうちょっと労わってカズエちゃん。

 さあ、と促すカズエちゃんに礼を言い、セシリアはようやくここに来た目的を話し始めた。


「私たちは今、ある一人の男性の行方を捜しています。その男性は、南東街区で十八年前に起きた大規模な抗争事件について調べているようです。彼の足取りを追うために、私たちも十八年前のことを知っておきたい。知っていることをお聞かせ願えますか?」


 十八年前、という言葉を聞いて、カズエちゃんの様子が変わる。血の気が引き、呼吸が浅くなった。それに気付いたフェン爺さんが、穏やかな声で言った。


「カズエちゃん。悪いが、適当な茶菓子でも買ってきてくれんか? お客に茶の一つも出さんわけにもいかんじゃろ?」


 ハッと現実に戻った感じでフェン爺さんを振り返り、カズエちゃんはぎこちなくうなずいた。


「そ、そうだな。行ってくるよ」


 カズエちゃんは少し震える声でそう言うと、逃げるように家を出て行った。セシリアたちがいぶかしげな表情を浮かべる。フェン爺さんは辛そうな顔で言った。


「悪いの。あの子は十八年前に、あの抗争で家族を亡くしとるんじゃ」


 十八年前と聞いて、当時の記憶が蘇ったのだろうとフェン爺さんは言った。当時、カズエちゃんは三、四歳くらいだったらしいが、辛い記憶はずっと消えずに残っているのだろう。申し訳ありません、と謝るセシリアに軽く手を挙げて応え、フェン爺さんはため息を吐いた。


「カズエちゃんを嘘つきにするわけにもいかん。聞きたいことがあれば聞いてくれ。じゃがその前に」


 フェン爺さんは一度言葉を切り、セシリアを見つめた。


「……お前たちが捜しているのは、リェフという青年か?」

「彼を知っているのですか!?」


 驚きと共に身を乗り出したセシリアに、フェン爺さんは大きくうなずいた。


「一週間ほど前か、ここを訪ねてきおった」

「何を聞きに来たんだ?」


 剣士が横から口を挟む。フェン爺さんは視線を剣士に遣った。


「父親の死の真相じゃよ。だから教えた。十八年前、一発の銃声で始まったあの抗争は、あの青年の父親を殺すための舞台だったのだと」


 セシリアたちがハッと息を飲む。苦く重いものを抱えた顔で、フェン爺さんは静かに、十八年前のことを語り始めた。

十八年前、家族を亡くしたカズエちゃんを拾った時、フェン爺さんはすでに爺さんだったようですよ。

何歳なんでしょうね?

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[一言] カズエちゃん最強説( ˘ω˘ )
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