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変化

「来れば何かしら騒ぎを起こす男だからな。嫌でも覚える」


 あまり好ましく思っていない様子がヘルワーズから伝わってくる。でも、リェフってそうなの? あんまり騒ぎを起こすタイプの印象はないけど。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。ヘルワーズは首を横に振った。


「ここは過去を詮索されることを嫌う連中がいくらでもいる場所だ。だがあの男はそういう連中に近付き、話を聞かせろと言う。トラブルにならんわけがない」


 苦々しい顔をしているということは、リェフが起こした騒ぎの収拾にヘルワーズが駆り出されたことがあるのだろう。うんざりという風情でため息を吐いた。


「衛士という肩書は、ここでは警戒の対象にしかならん。ここにはここのルールがあると理解して欲しいものだ」


 ヘルワーズによると、リェフが南東街区に姿を見せ始めたのは、ガトリン一家がトラックに壊滅させられた直後だったようだ。もっともその頃は、ヘルワーズはギルド併設の酒場でひたすらジャガイモを剥いていたので、当時の事はあまり分からないらしい。ただ、リェフはどうやら一人の男を南東街区で捜しているようだった。その捜索の過程で、かなり強引な手段も使ったということなのだろう。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ヘルワーズは首を横に振った。


「誰を捜していたのかは知らん。そもそもここは他人に関心を持つ習慣のない土地柄だからな。明日にはいなくなるかもしれん隣人など気にしている余裕はない」


 ノブロが南東街区をまとめるようになってから、人々は徐々に他者を信じたり、協力したりすることを受け入れ始めている。とはいえそれはまだ端についたばかりの話で、ここの住人は、少しでも信用できないと思ったら急に心を閉ざしてしまう。野生動物を手懐けるような困難とノブロたちは戦っているのだ。さっきのサバみそ職人の男のように、自分の人生を変えることのできた者もいるが、そうできない者の方が圧倒的に多い。それでも着実にノブロたちは成果を上げている。それはきっとすごいことだ。ヘルワーズもノブロも、凡百の器ではない。

 リェフを捜しているのか、と問うヘルワーズにセシリアはうなずきを返すと、


「リェフが最後に南東街区を訪れたのがいつか、わかりますか?」


と問いかけた。ヘルワーズは「ふむ」と腕を組み、思案げに中空を見つめる。


「俺の知る限り、二日ほど前のことだ。もっとも、俺があの男の行動をすべて把握しているわけではない。騒ぎを起こしていないなら知りようがないからな」


 ありがとうございます、とセシリアは頭を下げ、ヘルワーズは軽く手を挙げて応える。ヘルワーズの言う通りリェフが最後に南東街区に来たのが二日前である確証はないが、もしそうだとすると、リェフはその時に十八年前の『何か』に辿り着いたのかもしれない。そしてなんらかの『決断』をして、昨日姿を消した。


――たとえ世界が壊れても、あんたは皆を守るでしょう?


 リェフが言った昨夜の言葉が妙に気になる。あれはもしかしたら、リェフが『世界を壊す』という宣言なのか? そしてリェフは、自分が世界を壊してもトラックが人々を守ってくれると期待している? トラックがいるから自分は安心して世界を壊せるのだと、そう言っているようにも思える。でも世界を壊すってどういうことなのだろう。文字通りの意味ではないと思うけど……ああ、わからん! 脳みそから湯気が出そうだよ!


「十八年前に起こったマフィア同士の大規模な抗争については、何か知っているか?」


 リェフについてヘルワーズが知っていることはもうないと踏んだのだろう、剣士が別の質問を投げかけた。そうそう、リェフが十八年前のことを調べてたんなら、そっち側から調べればリェフの足取りを追えるかもしれないもんね。


「十八年前、か。知っていると言えば知っているが……」


 ヘルワーズがわずかに目を伏せる。十八年前と言ったら、ヘルワーズはたぶん十歳前後なんじゃないかな。それじゃ当時の事情なんて知るわけないよねぇ。あまり話したくはない、という様子で、ヘルワーズは口を開いた。


「当時、あの抗争が始まる前までは、南東街区は穏やかだった。長く続いていた抗争がボス同士の会談で手打ちになり、ようやく怯え暮らす日が終わったと、ホッとした空気が流れていたんだが」


 きっかけは一発の銃声だったのだという。どこからか放たれた呪銃の凶弾が、当時の南東街区最大のマフィアの、まだ幼い息子を襲った。息子は命を落とし、怒り狂ったボスは犯人を必ず殺せとファミリーに命じた。疑いの目は対立するマフィアに向けられ、思い込みやすれ違いから末端の構成員のいざこざが起き、それはすぐに刃傷沙汰になって、対立は先鋭化して一気に炎上した。さらに両者の対立を見た別のマフィアが漁夫の利を狙って抗争に参入し、事態は収拾の機会を完全に失って暴走する。一般住民を巻き込んだその抗争は数か月にも及び、大量の死者と、強い不信と猜疑を残した。抗争も各マフィアが人的、金銭的に続けられなくなって沈静化しただけで、その後断続的に繰り返されることになる。その状況はガトリン一家が勢力を伸ばし、南東街区の大半を支配するまで続いた。


「あの抗争で養親だった祖父が死に、路頭に迷っていた俺を拾ってくれたのがオヤジだった。あの日、オヤジに会わなければ、俺はここにはいない」


 ヘルワーズが目を細める。その恩をずっと抱いて、ヘルワーズは生きてきたのだろう。善悪を越えた忠誠がこの男の中心にある。


「誰が、どうしてボスの子供を暗殺したんだ? 過去の抗争が手打ちになったばかりだったんだろう?」


 剣士が素朴な疑問を口にする。ヘルワーズは「さぁな」と首を振った。


「その時はまだ、俺はファミリーに属していなかったからその辺の事情は知らん。起こった抗争の原因を調べる酔狂な奴もここにはいない。抗争が起きた経緯も、事後にオヤジから聞いたものだ」


 そこまで言って、ヘルワーズはふと、何かを思い出したように視線を上げた。


「そういえば、オヤジが妙なことを言っていたな。その時は気にしていなかったが」

「妙なこと?」


 皆の興味の視線がヘルワーズに集まる。記憶の糸を辿るように口を閉ざし、しばしの沈黙の後、ヘルワーズは再び口を開いた。


「確か……『よそ者に引っかき回されちゃあ、おもしろくねぇやな』」


 一言一句そのままではないかもしれないが、とヘルワーズは補足した。いや、別にいいよそこは。真面目か。


「よそ者、というのは?」

「わからん。オヤジはそれ以上は何も」


 セシリアの問いにヘルワーズはややすまなさそうに答えた。いやいや、すまなさそうにしなくていいよ。十八年前の事件のことを突然聞かれてスラスラ答えられるわけないし。真面目か。


「よそ者ってんなら、リェフの父親のことかもな。彼が介入してボス同士を和解させたんだろう? 当時、そのことに不満を持っていた奴らがいたってことじゃないか?」


 ああ、なるほど。ボス同士が和解したとしても、全員が和解を歓迎していたとは限らない。抗争で培われた恨みや憎しみ、あるいは欲や功名心から、和解を疎ましく思う連中がいたとしても不思議ではないということか。そういう連中が、確実に和解を破棄させるためにボスの息子を狙い、そして見事にその企みは成功した。

 ……もしそうだとしたら、救われねぇなぁ。恨みや憎しみでようやく訪れた平穏を壊してしまえば、待っているのは更なる恨みと憎しみしかないじゃないか。それはきっと、自分も他人も不幸にする道じゃないか。忘れろ、なんて言えないけどさ。それでも、別の道を、見つけられなかったのかなぁ。あ、欲とか功名心の場合は論外ね。そんな理由で子供を銃撃する変態は最初から議論の対象になりません。


「十八年前のことが知りたいなら、俺よりも詳しい人間を紹介しよう。俺が初めて会った時から爺だった、南東街区の生き字引みたいな男だ」


 少々クセが強いが、と苦笑いし、ヘルワーズは生き字引の爺さんの住む場所を教えてくれた。あまり役に立てなかったことを気に病んで、代替案として爺さんを紹介してくれたんだろう。いや……うん、そうだな。もう確定でいいな。ヘルワーズは、真面目です。

 トラックがプァンと礼を言い、セシリアたちを乗せるべくドアとウィングを開いた。ヘルワーズは一瞬、ためらいを顔に浮かべると、トラックに話しかける。


「どうしてリェフを追っている?」


 トラックは短くクラクションを返した。ヘルワーズはわずかに目を見開き、視線をさまよわせると、息を吐いてトラックをまっすぐに見つめた。


「俺は、お前に出会えてよかったと、今は思っている。リェフもきっとそうなるだろう。必ず」


 ヘルワーズはリェフの事情なんて知らないけど、トラックの短い返答で何か感じるものがあったのだろうか。ヘルワーズのこの言葉には何か祈りのようなものを感じる。ヘルワーズとリェフは、過去に、父親に囚われているという点でよく似ているのかもしれない。それを絆と呼ぶのか鎖と呼ぶのかは分からないが、それは二人の心の中心にあって彼らの行動を規定している。だが、ヘルワーズはたぶん、今まさにそれを越えようとしているのだ。断ち切るのではなく大事に心にしまって、世界を広げ、大切なものを増やそうとしている。トラックはリェフを止めようとしているが、たとえ今、リェフがそれを望んでいなくても、いつか理解する日が必ず来るのだと、ヘルワーズはそう言ってくれたのだろう。


――ムカつくぜスーパーヒーロー。お前の目に留まった者だけが救われるのか?


 かつて暗く澱んだ瞳でそう言った男が、今は人々のために奔走している。殺し、壊して生きてきたのだと、そう血を吐くように叫んだこの男が、自らの生を肯定し始めている。その変化が、何だか嬉しかった。

 ヘルワーズの真剣な眼差しに、トラックに乗り込もうとしていたセシリアたちが微笑みを浮かべた。セシリアと剣士もまた、ヘルワーズの変化を喜んでくれているのだろう。セシリアが軽く頭を下げ、ミラも含めた三人はトラックに乗り込む。いつの間にか日は暮れ、空には星が瞬き始めていた。さすがに今から家に押し掛けるわけにも行くまい。生き字引の爺さんに会うのは明日になるだろう。

 礼を言うようにクラクションを鳴らし、トラック達は南東街区を後にした。

ヘルワーズは生き字引の爺さんを「クセが強い」って言ったけど、考えてみればトラック無双にクセのないキャラなんてそうそう出てこないよね。

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[一言] >ヘルワーズは生き字引の爺さんを「クセが強い」って言ったけど、考えてみればトラック無双にクセのないキャラなんてそうそう出てこないよね。 それな( ˘ω˘ )
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