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 イーリィの結婚話はすぐにギルド内に伝わり、ギルドメンバーをざわつかせている。密かにイーリィを憎からず思っていた独身男も多いのだ。まあそいつらは直接声を掛けることもできないチキンなので、イーリィは歯牙にもかけていないのだが。

 一番ショックを受けているのはジュイチで、ぶもーぶもーと鳴いてイーリィに縋っている。イーリィは「ごめんね」と言ってジュイチの頭を撫でていた。次いで動揺しているのはルーグで、視線をさまよわせ、何か言おうとしては何も言えずにいるようだった。ちなみにギルドの他のメンバーは、イーリィがいなくなった後に受付を仕切るのはジュイチなのではないかと恐々としているようだ。

 セシリアはイーリィの意思を無視して進む縁談に納得がいかないようで、イーリィに対して翻意を促すべく説得を続けている。しかしイーリィは、どこか投げやりというか、もう疲れたのだと言うように、首を横に振るばかりだった。何か張りつめたものが切れてしまったというか、無力感のようなものが彼女を覆っている。セシリアとしてはじれったいのだろう、「ひとこと、嫌と言ってくれたら」と唇を噛んでいた。


 うーん、ルゼの今回の行動は、そりゃひどいと思うけど、何というか違和感がある気がするんだよね。こんなことしたらイーリィに嫌われることは理解できないはずもないし、そもそも商売上の利益のために娘を嫁がせるような男なら、もっと早くやってると思うんだ。なぜこのタイミングなのかが釈然としない。それに――この間、トラックを議長室に呼んだとき、ルゼは言ってたんだよね。『最愛の人を亡くして、後を追うことばかりを考えていた』って。それってたぶん、イーリィの母親、ルゼの妻のことだと思うんだよ。だとしたら、イーリィの言うルゼと、俺たちの見聞きするルゼの人物像がいまいち一致しなくなってくるんだよね。なにかこう、誤解と言うか、すれ違いみたいなものが二人の間に……はっ!? まさか、実はルゼの言う『最愛の人』が妻の事じゃないとか!? 妻以外に愛人が!? ルゼ、ゲスの極み説! たしかにそれならイーリィのルゼの評価は正しいことになるが……いやだわそんな救いのない展開。


 ふぅ、とため息をつき、イーリィは受付からぼんやりとギルド内を見ている。イヌカが外から入ってくるのが見えた。調査部は今日も忙しいのだろう、イヌカは受付に目もくれず、ギルドマスターの執務室に向かう。イーリィはその姿を、なんとなく目で追っているようだった。




 今日の配送が終わり、トラックはミラと一緒にギルドに戻ってくる。ハルがいなくなってから、ミラはより積極的にトラックの手伝いをしてくれている。ミラなりにトラックを気遣っているのだろう。そしてきっと、それはミラ自身の寂しさを紛らわせているのだと思う。

 ロビーに向かうトラック達の前に珍しい男の姿が現れ、トラックはプァンとクラクションを鳴らした。その男――ヘルワーズは軽く手を挙げてそれに応える。トラックの横にいたミラが小さく頭を下げた。


「こんにちは」

「こんにちは、お嬢さん」


 不愛想だったヘルワーズがわずかに表情を緩める。おお、この男が、こんな顔をするようになったか。生まれを、境遇を、自分自身を呪っていたこの男が示す変化が、ちょっと嬉しい。ノブロの許で働くことは、マスターの目論見通りにこの男を良い方向に導いているようだ。


「この子は?」


 そう問うヘルワーズに、トラックはプァンと即答する。ヘルワーズが目を丸くし、ミラが照れたように目を伏せた。詮索する趣味はないのだろう、ヘルワーズは「そうか」と言っただけだったが、その目にはどこか優しい光が宿っていた。

 トラックは再びクラクションを鳴らす。ヘルワーズの表情が再び不愛想なものに戻った。


「ノブロたちの活動の報告と、必要な物資の要請をな。南東街区はまだまだ、自立には程遠い」


 マフィアの支配を脱し、南東街区は未来に向けて歩み始めている。それは可能性を信じられる世界、生まれによって人生が閉ざされることのない社会、手を取り合うことが嘲笑されない共同体を目指す道程であり、ノブロたちは言葉ではなく行動によってそれを実現しようとしている。今日、食べる物のない人々に未来を語っても響かない。奪うことによってかろうじて生きてきた人々に「そうすることは誤っている」と言うなら、「ではどうすればいいのか」という問いに答えなければならないのだ。短期的には食糧経済支援、中期的には教育、長期的には産業の育成が必要になるのだが、それらには膨大な資金がいる。南東街区には自らそれらを為す資金をねん出する力がまだないのだ。

 ヘルワーズはノブロたちの理想を具体化し、実際に必要な資金や物資を数値で示してギルドや評議会から援助を引き出すという、地味で非常に重要な役目を担っているようだ。言葉にすると簡単だが、あのルゼから資金を引き出すのは言うほど容易くはないだろう。ケテルにとって利益である、と説得できる証拠と弁舌は、おそらくノブロたちに期待できるものではない。ヘルワーズはマスターの期待に十二分に応えているんだな。

 プァン、とトラックはすまなさそうなクラクションを鳴らす。ヘルワーズは少し笑った。


「お前が謝ることではない。事情は、聞いている。お前はお前の大切な者のために動くべきだ」


 ヘルワーズのリアクションから察するに、トラックは最近南東街区にあまり関わることができていないことを謝ったのだろう。ミラが寂しげに視線を落とした。トラックが再びクラクションを鳴らす。やや湿っぽい雰囲気になったことを嫌ったのか、軽く息を吐くと、ヘルワーズは「ではな」と別れを告げた。トラックはまたプァンとクラクションを鳴らす。ヘルワーズは振り返り、首を横に振った。


「いや、いい。これから……ボスの顔を見に、な」


 ヘルワーズの顔に複雑な色が浮かぶ。ヘルワーズ自身、南東街区での作業に忙殺されてボスの世話ができていない、そのことに思うところがあるのだろう。トラックはやや遠慮がちにクラクションを鳴らす。ヘルワーズは驚きを示し、少し考えるような仕草を見せたが、すぐにうなずいて言った。


「……構わない。では、行こうか」




 トラックはヘルワーズとミラを乗せ、ギルドにほど近いアパートへと向かった。そこは冒険者ギルドが一棟丸ごと借り上げているらしく、住人は全員ギルド関係者のようだ。一見どこにでもある普通のアパートだが、よく見ると壁がぶ厚かったり、窓に格子が嵌められていたりと、不穏な雰囲気を纏っている。襲撃を想定された建物、ということなのだ。

 トラック達はアパートに入ると、三階の一番奥の部屋に向かう。ちなみにトラックは階段なんか昇れないので、【ダウンサイジング】で小さくなってミラのポケットに入れられている。便利なスキルだなー。まあ、戦闘力が皆無になるリスクを負ってはいるのだけども。

 奥の部屋の前に立ち、ヘルワーズがコンコンと扉を叩く。内側からコンコンと返事が来た。「ヘルワーズです」と言いながら再びコンコンと扉を叩く。コンコンコン、と返事が来た。これは、あれかな? 扉を叩く回数か何かが合言葉みたいになっていて、適切に対応しないと開けてくれないとか、そういうヤツかな? ボスは『商人ギルドの幹部を名乗る男』、おそらくトランジ商会の関係者であろう人間を直接知っている、今のところ唯一の人間だから、警戒も厳重なのだろう。

 ヘルワーズがコンココン、とリズミカルに扉を叩く。中からココンコンコン。ヘルワーズがココンココンコン。コココココンコン。コンココンコンコココココーン。叩くリズムは呼応し、セッションのように加速していく。ヘルワーズの手が目まぐるしく動き、鼓動を思わせる振動が大気を震わせていく。ヘルワーズの額に汗が光る。内と外のリズムがうねり、ぶつかり、調和し、音楽になっていく――


――タタンッ


 永遠とも思われた時間にも終わりは訪れ、ヘルワーズはすべてをやりきった、と言うように目を閉じた。心地よい余韻が広がる。穏やかな静寂は、幸福な時間の名残であるのだろう。そして、軋みを上げながら扉は開かれた。扉の向こうには、やはり満足げな表情の一人の戦士の姿がある。


「さすがだな」

「いや、お前がいてこそ、だ」


 戦士はヘルワーズとがっちりと握手を交わし、部屋の中へと招き入れた。ミラもやや戸惑いながら後に続く。周囲を見回し、異変が無いことを確認して戦士は扉を閉めた。


 ……長いわっ! 部屋に入るまでにどんだけ時間かかんの!? そして後半趣旨変わっとるやないかい! 何を爽やかな汗かいた風な感じだしとんねん! そういえば、この戦士って、中央広場でトラック達が石を投げられた時に庇ってくれたヤツじゃん。ってことはAランカーか。Aランカーがボスを護衛してるってことか。ということは、ギルドはボスがトランジ商会に狙われる可能性をかなり本気で考えているんだな。


 戦士はミラの姿に少し驚いたようだが、何も言わずに通してくれた。狭いアパートは部屋が二つだけで、奥の部屋がボスのいる寝室らしい。ヘルワーズたちは寝室の扉を開ける。戦士は玄関脇に戻っていった。

 寝室のベッドには十八そこそこの青年――ボスが横たわり、傍らに看護師らしき女性が待機していた。ヘルワーズたちが部屋に入ると、女性は入れ替わりに外へ出た。すれ違いざまにヘルワーズは頭を下げる。女性は小さく首を横に振った。

 ボスは穏やかな寝息を立てて眠っている。苦しそうでないのは救いだが、倒れてすぐのときよりも明らかに痩せていた。このまま目を覚まさずに、いつまで――ヘルワーズの目が痛ましげに揺れる。ミラがポケットからトラックを取り出して床に置いた。ぽふん、と気の抜けた音を立てて、トラックの車体が大きくなった。


「……ノブロたちと仕事をしていて、思ったことがある」


 ボスの額を撫でながら、ヘルワーズは独り言のように言った。トラック達は黙ってそれを聞いている。


「ボスは、子供のころから気が小さくてな。よく泣いては俺の後ろに隠れていた。荒事は苦手で、誰かが泣いていたらつられて自分も泣く。俺はそれを弱さだと思っていた。だからオヤジが『この子を頼む』と言った時、俺はこの弱い子供を『強く』しなければと思った。南東街区で生き抜くことができるように、他者を踏みつけ、喉笛を噛み千切ることができるように」


 ヘルワーズの声に懐かしさと、そして少しだけ苦いものが混じる。遠くなった時間を見つめながら、ヘルワーズは言葉を続ける。


「だが、違ったのかもしれない。オヤジが望んだのは、この子をマフィアのボスにすることではなく、この子の望む生き方ができるよう見守ることだったのかもしれない。ノブロたちは誰も踏みつけにしないし、誰も殺さない。だが、彼らは、強い。そういう強さがあるのだと、俺は知らなかった」


 ヘルワーズは膝をつき、ボスの手を取った。両手でボスの手を包み、祈るように額に付けて、押し込めた願いがその口から溢れ出す。


「……目を、覚ましてくれ。俺にやり直させてくれ。あなたが優しいままでいられる世界がきっと来るから。俺たちが、作ってみせるから――!!」


 かすれた声と共に、固く閉じたヘルワーズの目から涙がこぼれる。不器用な男の悔恨と祈りが、小さな部屋に静かに広がっていった。




 ヘルワーズを南東街区に送り、トラック達がギルドの前まで戻ってきた時にはすでに日が暮れかけていた。空は藍色に染まり、雲が多く星は少ない。月は薄雲に覆われて弱々しい光を放っている。トラックはミラを助手席から降ろした。湿気を含んだ生温い風が吹き、ミラは少し顔をしかめた。


「トラックさん」


 不意に声を掛けられ、トラックは向きを変えた。薄暮の中に一人の男が立っている。それは衛士隊副長のリェフだった。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。リェフは軽く肩をすくめた。


「通り魔はここしばらく姿を見せていない。それは結構なことなんですが、新たな事件が起こらないってことは新たな手掛かりも見つからないってことでね。正直、手詰まりです」


 どこか乾いた笑い声をあげてリェフはそう言った。何か、どこか普段と雰囲気が違う、気がする。普段のリェフを知っているかと言われると自信はないんだけど、どこか空々しい空気を、今日のリェフからは感じる。トラックもそれを感じたのだろう、いぶかるようなクラクションを鳴らした。リェフはそれに答えず、まったく別のことを口にした。


「冒険者ギルドの受付嬢、縁談が進んでいるとか。二週間後に正式な使者が来ると聞きましたよ」


 もう衛士隊にまで噂が広まっているのか。まあ、議長の娘と領主の息子の縁談なら、政治的にもエンタメ的にも話題になるだろうけど、リェフがそういうものに興味を示すなんて意外だ。やっぱりなんか違和感がある。トラックは不可解そうなクラクションを鳴らした。リェフはやはり、トラックの疑問には答えない。


「余計なこととは思いますがね、トラックさん。その縁談、たぶん破談になりますよ。だから安心していい。受付嬢は乗り気じゃないんでしょう?」


 どういうこと? 破談になるって、どうしてそんなことをリェフが知ってるの? トラックはますます混乱したようにクラクションを鳴らした。リェフは小さく笑みを浮かべる。


「俺はあんたを買ってる。たとえ世界が壊れても、あんたは皆を守るでしょう?」


 世界が、壊れても? いったい何を言ってる? トラックはプァン、と強くクラクションを鳴らした。リェフは何も答えない。風が吹き、葉擦れの音が聞こえる。深まる闇に沈むように、リェフは身を翻して姿を消した。




 日が変わって朝となり、トラックはギルドで今日の配送予定をチェックしている。昨日のリェフの不可解な言動は引っかかるが、まあでも、リェフは良識的な男だ、と思う。きっとあれだ、通り魔の捜査で、ちょっと疲れてるとか、そういうヤツだよ。

 配送ルートを確認し、トラックが荷を受け取ろうと移動を始める。荷物はギルドの裏手にある倉庫に集められているのだ。入り口に向かうトラックに、バタバタと慌てたような足音が聞こえた。トラックがブレーキを踏む。横開きの扉を力任せに引き、息を切らせてギルドに飛び込んできたのは、今までに見たこともないほどに憔悴し、動揺した様子のイャートだった。イャートは目の前にトラックの姿を認めると、駆け寄って膝をつき、額を床につけて叫んだ。


「頼む! 副長を、リェフを、止めてくれ!」


 そこには普段の、人の好さを装った狡猾さも、全てを利用しようとする冷徹さもなく、トラック達に向けていた憎悪さえ消えて、ただ恐怖に打ち震える男の姿がある。頭を上げようとしないイャートを、トラックは半ば呆然と見つめていた。

イャートは声を嗄らして叫びました。

「止めてくれ! 六十分餃子百皿チャレンジに挑もうとしているリェフを!」

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― 新着の感想 ―
[一言] 私は高校生の時に六十分餃子六十個チャレンジに挑んで、三十三個でギブアップしました( ˘ω˘ )
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