式典
春はすでに遠く、新緑が力強い陽光を受けてまぶしく輝いている。生命力が満ちる季節に、しかしトラック達の笑顔はない。喪失の記憶は心の深いところにわだかまり、降り積もっている。
魔王を退けた日の翌日、トラックはケテル評議会の議長室に呼ばれた。そこには議長ルゼが一人でトラックを待っていた。人払いをしているのだろう、警備の姿はなく、コメルもその場にはいない。最高権力者にしては無防備な気がするが、いいのだろうか?
「此度の働き、ご苦労だった。ケテルの評議会はお前の献身に満足している」
ルゼはひどく冷淡な声音でトラックに告げた。心外そうにトラックがクラクションを返す。ケテルのためにしたことなどひとつもないと、そう言っているのだろう。ルゼはわずかに表情を緩めると、軽く手を挙げてトラックを制した。
「わかっている。事情は把握しているつもりだ。さまざま思うところはあろうが――」
一度言葉を切り、ルゼは再び冷淡な無表情に戻った。
「ケテルの評議会は今回の功績に報いる用意がある。魔王を退けた英雄の名は永くケテルに語り継がれることとなろう。その歴史の重みに相応しい褒賞を――」
――プァン!
トラックの怒りを帯びたクラクションがルゼの言葉を遮る。ルゼは小さくため息をついた。
「以前に言ったはずだ。たとえお前の内心がどうであろうと、何かを為したなら金か地位を望んでおけとな。人は異質なものを受け入れぬ。魔王を退けるほどの力を持ちながら見返りを求めぬ者は、やがて恐怖され排斥されよう。お前は人々の理解の範疇に身を置かねばならぬ」
納得できないと言うようにトラックは再びクラクションを鳴らした。褒賞をもらってしまったら、トラックはハルを『売って』名誉と金を手に入れるようなものだ。それはトラックにとって絶対に受け入れられないことだろう。ルゼは厳しい視線でトラックを見つめる。
「英雄の名を負うとはそういうことだ。お前はもう英雄でなかった時に戻ることはできぬ。望まぬ名声、望まぬ金、望まぬ期待、その全てをお前は背負うのだ。かつてグレゴリ殿がそうしたようにな。そしてそれは、ハル君の望みでもあるのだろう?」
トラックは言葉に詰まるようにハザードを焚く。昨夜、トラックはマスターたちから、ハルがどうしてあんなことをしたのかを聞いている。ハルはトラックがケテルに、セシリアたちと共にいることを望んだ。それが世界の未来を左右するカギなのだと。正直意味は分からないのだが、ハルがそのために自分を犠牲にしたのだとすると、その願いもまた、トラックにとって無視しえぬものだろう。迷うトラックに、畳み掛けるようにルゼは言った。
「冒険者ギルドと合同で、祝賀の式典を開催する。式には出てもらうぞ。これはケテルを鎮めるための儀式と心得よ」
不服を示すようにトラックは無言で停車している。ルゼは目を閉じた。その声のトーンが少しだけ変わる。
「……家族を失うことがどういうことかは理解している。だが敢えて言おう。お前は幸運だ、トラック。ハル君は生きている。二度と会えぬわけではない」
ルゼは目を開け、静かにトラックを見つめる。議長としての冷酷な顔でも、イーリィに見せる父親としての顔でもない、ルゼという一人の男の顔で。
「私はかつて、最愛の人を失った。その人がもうこの世におらぬと、二度と会えぬのだと知って、後を追うことばかりを考えていたよ」
コメルに怒られたがね、とルゼは苦笑いを浮かべた。どう答えていいかわからないのだろう、トラックは黙ってルゼの話を聞いている。
「生きてさえいれば必ず会えよう。諦めぬことだ。諦めねば必ず、可能性はお前と共に在るだろう」
ルゼが議長の立場を離れてトラックに言葉を掛けたのはおそらく初めてだろう。きっとそれを言うために、ルゼは議長室の周囲から人を遠ざけたんだな。トラックはプァンと、固い決意のようなクラクションを返した。ルゼは柔らかい表情を浮かべ、
「余計な口出しだったな。忘れてくれ」
と言い、トラックに退出を促した。
ハルが大きな声でついた嘘は人々に受け入れられ、冒険者ギルドはその名誉を回復した。ギルドへの依頼も以前のとおり、あるいはむしろ増えているほどで、ギルド内に生まれていた下位ランカーたちの不満と困窮も解消されている。マスターは評議会への報告や根回しに忙殺され、休む暇もないようだ。
ジンゴとシェスカさんは、ハルの願いを叶えたことが本当に正しかったのか、苦悩する日々を送っているようだ。トラックがケテルに留まりながらハルとも別れることのない方法は本当になかったのだろうか? ジンゴは瓶で酒をあおり、シェスカさんは夫の形見の指輪をじっと見つめていた。
セシリアは自分を責めてひどく落ち込んでいたが、しばらくして、少なくとも表面上は元気を取り戻し、施療院でのバイトを再開している。しかしその姿はまるで、他者に尽くすことで己の罪を贖おうとしているような痛々しさがあった。
剣士もまた、淡々とギルドの仕事をこなして日常を送っている。セシリアの様子を気遣いながらも、特に声を掛けたりはしていないようだ。何を言えばよいのか迷っているようでもある。彼自身も答えを持ってはいないのだろう。
ルーグやイヌカはやはり、ギルドの仕事を忙しくこなしている。特にイヌカは頻繁にケテル外に出歩いているようで、最近はあまりトラック達と顔を合わせることがない。ひとり残されることが多くなったルーグは、Eランクの仕事をこなしながら、時折苛立ったように地面を蹴っていた。
アネットを始めとする青空教室のみんなは、ハルが魔王だったことを信じられないようで、動揺し、ハルが去ってしまったことをひどく悲しんでくれていた。フィーナちゃんは目に涙をいっぱいに溜めて、悔しそうにつぶやく。
「ハル君は、やさしいよ。魔王なんて、絶対ウソだよ!」
ありがとうね、フィーナちゃん。でもさ、ハルは魔王だったんだ。魔王だったけど、優しい子だったんだよ。魔王だってことと優しいってことは矛盾しないんだ。もしもう一度ハルに会ったら、魔王だとか何だとか関係なくハルに接してくれたらうれしいなって、おじさんは思うんだよ。
本来ならば子供たちをフォローするはずの先生は、ハルの背負う運命に気付くことができなかったことを恥じ、ハルに孤独な決断をさせてしまったことを恥じてうつむいている。トラックは先生には真実を伝えていた。先生はうめくように言葉を絞り出した。
「……私たちはハル君と共に学び、共に時間を過ごしました。彼を知らない人々が彼をどんなふうに呼ぼうとも、私たちは私たちの知るハル君を信じましょう」
子供たちは沈んだ声で「はい」と返事をする。沈鬱な空気はその日、授業が終わるまで青空教室を支配した。
そしてトラックは、今はひたすらに配送の仕事に勤しんでいる。皮肉なことに、魔王を退けた英雄の名はトラックへの仕事の依頼を大きく増やすことに貢献していた。その仕事の中には魔物退治も数多くあったが、トラックはそういった仕事はすべて断り、荷物の配送のみを引き受けている。今まではほとんどやってこなかったケテル外への配送を積極的に引き受け、届け先の町の周辺を巡って、トラックはハルを捜しているようだった。しかし今のところハルの姿どころか痕跡も、気配すら見つかってはいない。トラックは黙々と配送とハルの捜索を続けている。
ハルの喪失はトラックに濃い影を投げかけていた。守ることができなかった。それはトラックの弱さの証明だった。トラックは強くならなければならない。そしてその強さとは、決して暴力の事ではない。
そんなこんなでおよそ半月があっという間に過ぎ、ルゼの言っていた式典とやらが催されることになった。ケテルの中央広場にイベントステージが設営され、周辺に出店が並ぶ。魔王の逃走以後、魔物の咆哮と真昼に飛ぶフクロウの姿はピタリとなくなり、北東街区を騒がせていた通り魔も新たな事件を起こしていない。通り魔が捕まっていないのは気掛かりだが、得体の知れない恐怖から解放されたケテルの住民たちは皆、一様に安堵の表情を浮かべていた。人がごった返して身動きが取れないほどに混雑した広場の様子は、いかに人々が魔王に怯えていたのかを証明しているようだった。
式典の前座として吟遊詩人が英雄を讃える歌を歌い、踊り子が歌に合わせて舞う。会場は大いに盛り上がり、人々は喜びを謳歌している。時刻は午後一時を回り、いよいよメインイベントである祝賀式典が始まった。
「先般、ケテルは未曽有の危機に見舞われた。神話の時代に封じられた魔王が復活するという、予想だにしなかった危機に」
式典会場の中央に設えられた演壇の前に立ち、ルゼが聴衆に語り掛ける。ざわついていた広場がシンと静まったのは、ルゼの演説の力だろうか。ルゼは魔王の脅威を、かなりの誇張と共に語る。恐怖を思い出したのだろうか、聴衆の中に自らの肩を抱いたり、涙ぐむ者もいた。
「しかし! 魔王は我がケテルに傷の一つも残すことができなかった! なぜならこのケテルには、魔王の力をものともせぬ英雄がいたからだ! その英雄の存在によって、魔王は自らの敗北を悟り、逃げ去った! 皆もすでにご存じだろう! その英雄の名を!!」
問いのようにルゼが叫ぶ。間髪を入れずに聴衆たちは答えた。
『トラック!!』
ルゼは満足そうにうなずき、舞台袖を指し示した。
「それでは当代無双の英雄にご登場いただこう! トラック! こちらへ!!」
トラックが舞台袖から現れ、ゆっくりと中央に進み出る。敢えてゆっくりと進むのは余裕を演出するためだろう。おどおどと余裕のない素振りは英雄に相応しくない、といったところか。人々は興奮と共にトラックの名を連呼する。ルゼが演壇を譲り、サッと手を挙げて聴衆を制した。聴衆が静まり、期待と高揚に満ちた沈黙が降る。
「未曽有の危機を退けた英雄には、その功績に相応しい財が与えられるべきだ。ケテルは英雄トラックに対し、その生涯の生活を保証し、あらゆる願いを叶えることを約束しよう!」
ルゼの言葉を受け、広場は万雷の拍手に包まれる。しばらくの間拍手を聞き、ルゼは再び手を上げた。拍手が鳴りやみ、再び広場を静寂が包む。
「そしてもう一つ! 英雄には英雄に相応しい名が必要だ。トラックは冒険者ギルドのメンバーゆえに、その最大の栄誉はSランクとされている。しかし! このケテル消滅の危機を、一人の犠牲者も出さずに退けた英雄の名は、Sランクですら足らぬ! そうではないか?」
そうだ! と人々は答える。より特別な名を、我らの英雄に与えよ! 人々の熱気を充分に煽り、ルゼは大きくうなずいた。
「皆の気持ちはよく分かった! 我らの英雄にありきたりな名などいらぬ! ギルドマスターグレゴリよ! 我らの願いに相応しい名を示せ!」
ルゼが、トラックが出てきた方とは逆の舞台袖を指し示す。そちらからはマスターが現れ、トラックに並んで聴衆に言った。
「冒険者ギルドの長い歴史において、Sランクよりもさらに格の高い称号が、一つだけ存在する。その称号はかつて、この世に降り立った地獄の六王の一柱、冥王にたった一人で立ち向かい、利き腕を失いながらそれを退けた男に、ギルドの最大の敬意と感謝を込めて創設された。その男の他にこの称号を得たものはいない。それほどの名誉、それほどの敬意がこの称号にはある。しかし今、古の英雄の栄誉を継ぎ、この称号に相応しい者が現れた! 冒険者ギルドは最大の敬意を以てここに認定する! トラックが、歴史上二人目の――」
一度言葉を切り、マスターが大きく息を吸う。人々が期待と共に次の言葉を待つ。マスターはトラックを右手で示し、そして叫んだ。
「――特級厨師であることを!!」
……とっきゅう、ちゅうし?
――うおおおぉぉぉーーーー!!!
人々の興奮が頂点に達し、広場の大気を震わせる。「英雄万歳!」「特級厨師万歳!」という、声を枯らさんばかりの叫びがあちこちから上がった。人々は涙を流し、抱き合って英雄を讃える。讃えているんだけども……
……みんな、意味わかって喜んでる? 特級厨師ってさ、いや、もしかしたら俺の勘違いかもしれないんだけど、中華料理人の最高位の資格だよね? 違ったっけ? 違わないよね? 俺の知識は料理漫画から得たヤツだから、実は違うって言われたら反論できないんだけど、っていうかさ、俺の知識じゃ判断に迷うような微妙なボケはやめてーーーっ!!
トラックは演壇の前で人々をじっと見つめる。人々の称賛の雨の中で、トラックはどこか虚ろに立ち尽くしていた。
ちなみに初代特級厨師はキッチンカーのおかみさんのダンナさんです。




