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運命

 痛いほどの静寂が広場を支配している。預言者の通訳をしていたおっさん司祭が、自分の翻訳を信じられないようにハルと預言者の顔を交互に見た。人々の視線がハルに突き刺さる。ハルは震えながら首を横に振った。


「ち、ちが――」

「見た目に惑わされてはならぬ! あやつこそが神話の時代、神に挑みし邪悪の化身! あらゆる禍事の元凶! このケテルに災いをもたらす、討ち滅ぼすべき『魔王』なのだ!」


 従者から受け取った入れ歯を装着し、預言者はどこか陶酔したような表情で叫んだ。人々の不安が膨れ上がり、やがてその不安は怒りへと変質していく。


「魔王を許すな! 魔王を滅ぼせ!」


 預言者が人々の怒りの行く先を導き、正義の仮面を与える。誰かが叫んだ。


「魔王を許すな! 魔王を滅ぼせ!」


 ハルの身体がびくりと跳ねる。一人の叫びに呼応し、周囲がスローガンを唱和するように声を上げた。


『魔王を許すな! 魔王を滅ぼせ!』


 異様な義憤が広場に渦巻く。正気を失ったように人々は腕を振り上げ、嗄れるほどの大声で叫び続けた。預言者は満足そうにうなずいている。トラックがクラクションを鳴らすが、人々の怒号にかき消されて何の効果もなかった。


「いたっ」


 どこからか飛んできた石がハルの額を打ち、その傷痕に血が滲む。ハルは両手で傷口を押さえた。人々から歓声が上がる。トラックが慌てて窓を閉めた。


『魔王を許すな! 魔王を滅ぼせ!』


 大地を揺るがす熱狂と共に、人々は次々にトラックへと石を投げつけた。彼らの抱いていた漠然とした不安が今、明確な形を与えられた。定かならぬものは怖い。遠く響く魔物の声、正体の分からぬ通り魔、昼に飛ぶフクロウが意味するもの。だがそれらはすべて『魔王』のせいだった、その分かり易い回答に人々は身を委ねたのだ。自ら考えて恐怖を克服する道を捨て、与えられた『真実』を受け入れた。人々は魔王を許せないと思っているわけでも滅ぼさなければならないと思っているわけでもない。ただただ怯える自分をなぐさめるために抵抗しない『魔王』を糾弾する姿は、背筋が凍るほどに醜かった。人はこれほどまでに醜くなることができるのかと、慄然とするほどに。

 キャビンのフレームを打つ金属音、フロントガラスや窓ガラスが石を弾く音、アルミバンをへこませる音が絶え間なくハルを苛む。ミラが助手席から身を乗り出してハルの肩を抱いた。やめろ、と言うようにトラックは何度もクラクションを鳴らす。しかし興奮し目を血走らせた人々には何も届いていないようだった。


『魔王を許すな! 魔王を滅ぼせ!』


 壊れたおもちゃのように同じフレーズを繰り返しながら、人々は手当たり次第にトラックに物を投げつける。ハルが身体を縮め、小さく「やめて――」とつぶやいた。それを聞いたトラックが、いい加減にしろと言わんばかりの激しい怒りを込めたクラクションを鳴らす。人々は罵声と投石を止めない。そして――


――トラックは、強くアクセルを踏んだ。




「ダメだ、トラック!!」


 ハルの鋭い声に、トラックは慌ててブレーキを踏む。ギャリギャリギャリ! と地面を削る不快な音がして、トラックの車体は前にいた人のわずか十センチの距離で止まった。腰が抜けたのか、トラックの目の前の男がへたりと地面に尻をついた。波が引くように周囲の人々はトラックから距離を取る。尻もちをついた男も隣の人に脇を抱えられ、引きずられながら後ろに下がった。

 トラックは自分のしようとしたことの意味に気付いたのか、呆然とハザードを焚いている。普段ならそこにいるはずの手加減の姿はない。トラックは手加減を使わなかった。トラックは――殺すつもりでアクセルを踏んだのだ。


「見よ! 今、あの男は我らを殺そうとしたぞ! 魔王を庇う者は悪魔なのだ! その存在を許すな!! 魔王ともども、我らを害する悪魔を滅ぼせ!!」


 目を血走らせて預言者がわめく。その声に後押しされるように人々が雄たけびを上げ、再びトラックに物を投げつけ始めた。トラックは、動かない。人々に恐怖を与えた責任を感じているのだろうか。ハルがぎゅっと目をつむり、両手で耳を塞いだ。ミラは覆いかぶさるようにハルを抱きしめている。

 投げつけられた石がトラックを打つ。許すな、滅ぼせと気勢を上げながら、人々はトラックに近付くことなく、距離を取って安全な場所から石を投げている。

 トラックの車体が傷付き、金属が抉れる音を立てた。

 サイドミラーが割れる。人々が再び歓声を上げた。

 フロントガラスにヒビが入る。無抵抗なトラックの様子に、人々の禍々しい熱狂が加速する。悪魔は怯んでいるぞ、畳み掛けろ、滅ぼせ、殺せ――これは、正義の行いだ!

 人々の『正義』が最高潮に達したとき、トラックと人々の間に、一つの影が割り込んだ。


――ガキンッ


 鈍い音を立て、投げつけられた石が空中で砕ける。トラックの側面、教会がある方向から投げつけられた無数の石を剣の一振りで迎撃したのは、ひどく痩せた初老の男。手には仕込み杖を持ち、振るった剣を素早く収めて居合の姿勢を取っている。その佇まいに隙はなく、歴戦の強者の風格を備えていた。眼光鋭く人々をにらみ、威圧しているその人は、かつて冒険者ギルドの頂点に君臨し、世界を守るために己を犠牲にして、英雄と呼ばれることのなかった男――ジンゴだった。


「な、なんだお前は!? お前も魔王を庇う悪魔か!?」


 うわずった声でそう叫んだジンゴの正面にいた男は、しかしジンゴの視線に射すくめられて口を閉ざした。ジンゴは何も言わず、剣の柄に手をかけていつでも抜けるようにした状態でいる。無言の重圧に人々が動きを止める。


「ひ、怯むな! 神は必ず我らにお味方くださる!」


 預言者が動揺を隠せぬ声で叫ぶ。その声に呪縛を解かれ、ジンゴがいる以外の方向にいる人々がまた投石を始めた。すると、人々をかき分けて、今度は複数の人影がトラックとの間に割り込む。ジンゴと同様自分たちの得物を振り回し、見事に飛んできた石を破壊したのは、冒険者ギルドに所属するギルドメンバー。マスターが執務室でトラックに「頼れ」と言った時に部屋にいたAランカーたちだった。石を打ち砕き、彼らはトラックを背に庇い、無言で人々をにらみ据える。ギルドメンバーは続々と集まり、やがてトラックを隙間なく囲む壁となった。


「攻撃の手を緩めてはならん! 魔王を庇う者は皆、悪魔ぞ! もろともに打ち滅ぼし、ケテルを守るのだ! 我ら自身の手で世界を守るのだ!!」

「おうっ!」


 預言者の命令に応え、忠実な下僕のように人々は投石を再開する。ジンゴの仕込み杖が、Aランカーたちの剣が斧が槍が閃き、飛来する石の全てを砕いて塵に変えた。風が吹き塵を洗い流す。小石の一つさえトラックに届くことはない。


「もう一度だ! 正義は我らにある!」

「お、おうっ!」


 預言者に鼓舞され、人々はもう一度石を投げつける。しかし結果は変わらない。太刀筋を追うことさえ難しいほどの速さで繰り出されたジンゴたちの攻撃は、わずかの隙も無く全ての石を破砕する。ジンゴたちはやはり無言。その代わり、ということだろうか、中空にゆっくりとスキルウィンドウが浮かび上がった。


『集団スキル【絶対防壁】

 複数人で円形に対象を囲み、あらゆる攻撃から対象を守る』


 それはジンゴたちの明確な意思表明だった。これ以上、トラック達にわずかなかすり傷さえ与えることは許さない。傷付けさせはしない。冒険者の圧倒的な実力と意思を見せつけられ、人々は気圧されたように沈黙する。預言者は何か言おうとして、しかし言葉にならないようで、口をパクパクと無意味に動かしている。


「俺たちは」


 Aランカーの中の一人、がっしりした体つきの大剣を持った戦士が、まるで世間話をするように言った。


「今じゃそうでもねぇんだが、昔はよく、ならず者だの犯罪者予備軍だの言われたモンだ。そいつはなぜか――」


 戦士は気安げに笑う。


「――知りたいかい?」


 戦士の目はまるで笑っていない。冷たい風が広場の熱を急速に奪っていく。


「あたしらはケテルの皆さんといい関係でいたいと思ってきたし、これからもそうであればいいと思ってる。それなりに役に立ってきた自負もある」


 短槍使いの女が、やはり穏やかな口調で言った。


「けど、冒険者稼業は命を張ってやるもんでね。信頼できる仲間ってのは何よりも大切だって、骨身に沁みてわかってるんだよ。だからあたしらは、仲間の危機を見過ごせないのさ。まして――」


 短槍使いの女は短槍の柄尻でトン、と地面を叩いた。


「――仲間を苛む理由が理不尽なら、なおさらだ」


 短槍使いの女は静かに人々を見据えている。敵意も殺意もない、しかし揺るがぬ意思がその瞳に宿っていた。人々は息を飲む。もはや熱狂は跡形もなく消えていた。人々の熱狂はハルが、トラックが無抵抗であるからこそ育ち、膨れ上がったのだ。『正義』に酔い『悪』を屈服させる力があるという妄想は今、冒険者の力を見せつけられて瓦解した。自分たちは『狩る側』ではない、人々はそれに気付いたのだ。


「な、何が理不尽だ! 魔王を庇うお前たちこそが、神に背き秩序を乱す元凶ではないか! 我らは世に正義をもたらそうとしているのだ! それを邪魔するというのなら冒険者ギルドはもはや悪魔の巣窟、魔王と共に滅ぶべき堕落者の集団なるぞ!!」


 預言者だけが変わらずに妄想を維持している。いや、それこそが彼の現実なのだろう。もはや妄執とでも言うべきその言葉は、しかし人々に響きはしなかったようだ。人々はどうすればよいのか分からないというように、ただそこに立っている。ジンゴが居合の構えを解き、預言者を鋭くにらみ据えた。


「……お前の言う『魔王』はどこにいる」


 預言者は眉を寄せ、不快そうに顔をゆがませた。


「そこの男が匿うそれ(・・)こそが、蘇った魔王に――」

「お前たちの言葉に怯え、震えて抗うこともできない幼子が『魔王』か」


 預言者の言葉を遮り、ジンゴは奥歯を噛んで呻くように言った。それは自らを抉る言葉だっただろう。ジンゴもかつては『魔王』だというだけで魔王を身の内に封じたのだから。しかし今は違う。ジンゴはハルがハルであることを知っている。ハルが大切だということを、知っている。


「姿形に惑わされるなど愚か者よ! 我らを謀り、世界廃滅の機会を窺っているに相違あるまい! 魔王は神に背いた――」


 言葉の終わりを待つことなく、ジンゴはかつての己ごと切り伏せるように、激しい怒りを込めて叫んだ。


「己の不安と恐怖を幼子に押し付け、石で打ちすえて一時の安心を得る、その姿がどれほどに醜いか、気付かんのか!!」


 雷鳴の如きジンゴの一喝が人々を打つ。預言者は大きく目を見開き、屈辱に顔を紅潮させ、何かを言おうとして――そのまま気を失って倒れた。従者が慌てて預言者を助け起こす。息はあるようだ。九十近いじいさんだからなぁ。もう引退しなさいよ。

 ジンゴが人々をゆっくりと見渡す。ジンゴと目が合った者は一様に目を逸らし、もごもごと言い訳を口にした。「魔王だって言われたから」「神様の言葉だったし」などと言葉は様々だったが、彼らは皆「自分の責任ではない」と主張している点で共通していた。


「……覚悟なき者は去るがいい。もしこの中に己の意思で、覚悟を持ってこの幼子を『魔王』と呼び、なお石打つ者がいるなら、いいだろう――」


 ジンゴは再び仕込み杖に手をかけ、今までとは違う、敵意と殺意を以て人々を見据えた。


「――俺が、相手をしてやる」


 かつてAランク冒険者の頂点の位置にいた男の発する重圧に、人々は顔色を失った。まるで一気に氷点下まで気温が下がったように、人々は小さく震え始める。誰かが「ひっ」と悲鳴を上げた。ジンゴが人々に向かって一歩踏み出す。誰かが上げた「うわぁっ」という叫び声を合図に、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ散った。説教壇の周囲にいた教会関係者も、気絶した預言者のじいさんを抱えて教会の中に飛び込む。ご丁寧に鍵を掛けるガチャリという音が聞こえた。教会の大鐘楼に止まっていたフクロウが、つまらなさそうに一声鳴いて、飛び去って行くのが見えた。




 人々が去り、ほぼ無人になった広場から、トラックはギルドメンバーに守られたままギルドに帰ってきた。Aランカーたちは事情を聞くことも、恩を着せるようなことを言うこともなく、「じゃあな」とだけ言って解散していった。トラックがその背にプァンとクラクションを鳴らす。Aランカーの一人、大剣を持った戦士が振り返り、トラックに言った。


「お前たちが『家族』やってる姿を、俺たちはしょっちゅう見せられてる。遠足がどうの、バナナがどうの言ってるガキが魔王だなんぞ、考えるのもバカバカしいぜ」


 戦士は少し思案げな顔をして、じっとトラックを見つめると、真剣な表情で言った。


「この稼業で家族をもつことがどれほど覚悟の必要なことか、わかってるつもりだ。俺には、できなかった」


 助けが要る時は呼べよ、と言い残し、戦士は去っていった。その背に深く頭を下げるように、トラックは小さくクラクションを鳴らした。

 戦士と入れ替わりに、蒼白な顔のセシリアが駆けてくる。誰かから何が起こったのか聞いたのだろう。運転席のドアを開け、セシリアはハルを抱きしめる。


「ごめんなさい、そばにいなくて――!」


 セシリアがハルの額を撫でると、石で打たれた傷はきれいに消えた。もっとも、額の傷が消えたからと言って心が癒えるわけではない。人々がハルに向けた敵意が、憎悪が付けた傷は、おそらくずっと血を流し続けている。ハルはうつむき、ぽろぽろと涙を流した。


「……魔王、いらない――!」


 逃れようもない『魔王』という運命を否定するハルの言葉が重く響く。セシリアはハルを抱く腕に力を込めた。ミラがやりきれない思いを閉じ込めるように目をつむる。リスギツネがミラにそっと身を寄せた。


「大丈夫だ。お前のことは必ず守る。必ず――!!」


 セシリアの横に立ち、ジンゴはハルにそう話しかけた。義務と決意がその瞳に同居している。ハルのすすり泣く声が、ギルドのロビーに静かに、広がった。

ケテルの中央広場、どんだけ手頃な石転がっとんねん。

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