預言者
春の日差しは徐々に強まり、少しずつ初夏の気配が近付いて来る。四月の終わり、現代日本だとするとゴールデンウィークの始まりというところだろうか。木々が枝葉を伸ばし、山がその緑を鮮やかにしていく。ほんと、観光するならいい季節ですよ。それなのにセシリア達の表情は冴えない。春愁、と言うには問題が具体的過ぎるだろうか。
あの日、ヒーローごっこで魔法を使って以来、ハルはあまりお友達と遊びたがらなくなった。いつもセシリアかトラックの傍にいて決して離れようとはしない。ルーグの命を危うく奪いかけた、その記憶がハルを苦しめているようだ。もし、万が一にでもお友達を傷付けてしまったら――そんな恐怖に苛まれ、ハルは青空教室にも行かなくなってしまった。レアンやフィーナちゃんはときどきハルを誘いに来てくれているけど、ハルは頑なに彼らを拒んだ。しょんぼりと肩を落として帰るふたりの背を、トラックはどこか悲し気に見送った。
ただまあ、そんなに悪いことばかりでもない。ハルはセシリアから魔法の使い方、というか制御の仕方を一生懸命学んでおり、徐々にではあるが成果が出始めている。今日明日にでも魔法を完全に制御できる、という状況にはないものの、訓練を続けていればいつか自在に魔法を操ることもできるだろう。もっとも――ハルの魔力は日々増大し続けており、どこかでそれが頭打ちになってくれないと制御が追いつかない可能性もあるのだが。
トラックもセシリアも、ちょっと無理をしている感じはあるんだけど、外見上は前向きに過ごしている。ハルに訓練ばかりをさせるわけにもいかず、そこはメリハリをつけて、できるだけ日常を日常のままに暮らしていこうとしているようだった。魔法の訓練はセシリアの役目で、普段の生活の部分はトラックがハルの面倒を見る、そういう役割分担のようだ。トラックの配送を忙しく手伝うハルは、あまり余計なことを考えなくてすむということなのか、少し気持ちが安定しているようだった。
そんなわけで今日もトラックはハルとミラとリスギツネを連れて荷物のお届けに勤しんでいる。ミラもセシリアほどではないが魔法が使えるので、ハルが力を暴発させないようにさりげなく気を張っているようだ。リスギツネはハルに寄り添ってくれている。ハルの不安を感じ取っているのだろう。
季節が変わろうとしている今の時期、夏物の古着や薄布なんかの取り扱いが増えている。たとえ古着であっても服を買うということはちょっとした特別感があるのだろう。届いた服を手に取り、お客さんはみんな顔をほころばせていた。そして誰かを喜ばせることができたという事実は、ハルを安心させているようだった。
あっという間に時間は過ぎ、全ての荷物を届け終わったときにはもう夕方近くになっていた。予定より遅くなってしまったトラック達はギルドへの帰り道を急ぐ。中央広場に差し掛かると、そこはなぜかすごい数の人で埋め尽くされていた。なに? 有名アーティストのゲリラライブ? もしかしてナガヨシ兄弟? ちょっとちゃんと許可取ってんの? 交通規制とか聞いてませんけど。
人だかりは道にまであふれ、ギルドに向かうことも難しい。トラックがプァンとクラクションを鳴らしたが、人々の関心はただ一点――教会の入り口へと向けられており、トラックに応える人はいなかった。どうやらみんな教会の説教を聞きに来た人たちのようだ。でも今までこんなに人が集まることはなかったのに、今日はなにか特別なことでもあるのだろうか? 人々は不安と、そしてすがるような期待を宿した瞳で、どこか冷静さを失った不穏な雰囲気をまとっている。不吉な予感を助長するように、教会の鐘楼に止まるフクロウが鳴いた。
人々はどんどんと数を増し、あれよあれよという間にトラックは人だかりに囲まれて身動きが取れなくなってしまった。えぇー、教会の説教とか興味ありませんけど。どうせ三十年前の鉄板ネタを繰り返すだけでしょうに。一回聞けば充分ですよ。たぶん本人が思ってるほど鉄板じゃないからね。もうそろそろ飽きられ始めてるからね。
トラックが困ったようにハザードを焚いていると、周囲から「おおっ」というどよめきが上がった。教会の扉が開き、中から以前に見た説教師とは違う、位の高そうな司祭? 神官? まあなんかそんな感じのおっさんが出てきた。おっさんは集まった聴衆たちの数に満足そうにうなずくと、よく通る声でみんなに語り掛け始めた。
「今、このケテルはかつてないほどの不穏の中にある! 夜の闇に魔物の声がこだまし、正体の分からぬ通り魔が次々に人を襲う! 生物の歯車は狂い、フクロウが真昼の空を飛び交っている! みなもさぞ不安に思うところであろう!」
人々は大きくうなずきながら話を聞いている。恐怖をあおって相手を自分のペースに引きずりこんでいるな。だとすると、次にこのおっさんが言うのは――
「だが安心なさい! 神は我らを決してお見捨てにはならぬ! 神を信じ、正しく生きようとする者には必ず神の加護が与えられよう!」
――依存を求める言葉だ。恐怖から逃れる術を提示してそちらに誘導する。もちろん誘導する先は自分の懐だ。私にすがれば助けてやるぞ、そうでないなら知らないぞ。
人々は「神よ」「どうかお助けください」などと口々につぶやいている。なんだかすごく異様な雰囲気だ。確かに通り魔や魔物の出現はケテルに動揺を与えているようだけど、それにしたってここまで人々が不安を抱えるような切迫した事態だろうか? 元々信仰の深い人々だったというならともかく、ケテルの住人が信心深いなんて、今までまったく感じたことはなかったのに。
「そう言われても信じられぬ、という者もおろう。それはもっともなこと。ゆえに今から一つ、皆の不安を消してみせよう。各々抱える不安はあろうが、今から伝える言葉によって必ず、心軽くなるであろうよ」
おっさんは威厳のある笑顔を浮かべた。おっさんの言葉をわずかも聞き漏らすまいと人々が身を乗り出す。おっさんが大きくうなずいた。
「不安とは未知への恐怖だ。知ることさえできれば怖れることもない。神ならぬ身に知りえぬことを神は知っておられる。そして、憐れな我らに御言葉を与えたもう。それこそが預言。三十年前、魔王復活の預言を賜りし偉大な神の使徒が今日、再び神の御言葉を皆に伝える!」
その言葉を聞いて、運転席に座っていたハルが窓を開け、身を乗り出した。三十年前に魔王復活の預言を授かった男。魔王を完全復活する前に滅ぼせと言った男。ジンゴの人生を狂わせ、ハルの孤独に三十年を追加するきっかけを作った男が、従者と思しき男が開けた教会の扉から姿を現わした。年齢はもう八十とか九十とかそんなところだろうか。自分の足で立って歩いているが、金銀の刺繍で飾られた司祭服は重そうで、時折ふらついては従者に支えられていた。恨むべきなのか、ハルの瞳が複雑に揺れる。
おっさんが説教壇を譲る。預言者のじいさんは重々しい態度で聴衆を見渡した。広場に張りつめた空気が広がる。ハルはじいさんを凝視していた。じいさんは大きく息を吸い――
「ぱんぴゅーめんぱえ、ぱもーはぽもひふぇぴまぱっぱ!」
勢いよく開け放たれた口から総入れ歯が射出され、最前列にいた壮年の商人の頭に噛みついた。「ぐわっ!」と悲鳴を上げ商人の男はしゃがみ込む。いったい何が起きたのか理解できず、人々の戸惑いがざわめきとなって広場を渡る。預言者のじいさんの従者が慌てて商人の男に駆け寄り、入れ歯を回収して、唾液まみれの商人の男の頭を手拭いで拭きながら、
「神の御言葉を伝える入れ歯に噛まれるなんて、あなた幸運ですよ」
などと適当なことを言った。「え、そうなんですか!?」と商人の男は若干嬉しそうだ。騙されるのかよ。もうちょっと疑えよ。間違いなくおかしいだろうがよ。周りにいた人が口々に「よかったね」「うらやましい」と声を上げる。なんかアレだな。ゴリラにうんこ投げられた人をなぐさめてる感じだな。自分は絶対そうなりたくないけど、強く生きてね、みたいな。
「三十年前、魔王は滅びてはいなかった!」
最初に皆に話しかけていたおっさん司祭が、預言者のじいさんの言葉を通訳する。動揺する様子もなく堂々と通訳する姿は、まるで最初からそのつもりだったよ、とでも言いたげだ。すげぇメンタルだな。もうそれで押し通すつもりだな。
「ぽうぺんぱ! ぱおうまぴぽいふぉおおぱうぇうあうばふぁい!」
「当然だ! 魔王が人に滅ぼされるはずがない!」
「ぱおうあめうみみういあふぁふぇあっふぁ!」
「魔王は眠りについただけだった!」
まどろっこしいなおい。そして通訳が本当に正しい内容なのか判断がつかん。聴衆たちはもうそういうもんだと思ったのか、特に違和感を示すこともなく話を聞いている。順応力高すぎだろ。こっちは気になって仕方ないわ。もうめんどうだから、以後じいさんの台詞は割愛してお送りします。
「そして今、魔王は再び復活した! 魔物の出現、治安の悪化、自然現象の歪み、すべて魔王の復活の余波にすぎぬ! すべては魔王が引き起こしたこと! 魔王こそがすべての元凶なのだ!」
つばをまき散らし、鬼気迫る表情で訴える預言者のじいさんの言葉はさざ波のように広がり、広場は動揺のざわめきに包まれた。じいさんは何かに取り憑かれたようにヒートアップしていく。
「魔王は災いを呼ぶ! 魔王は不幸と悲劇を呼ぶ! 魔王は滅ぼさねばならん! 魔王は――!!」
そしてじいさんは狂気の光を湛えた瞳でハルを見据え、指さして叫んだ。
「――そこにいる!!」
海を割る如く群衆が左右に道を空け、恐怖に満ちた視線がハルに集まる。ハルは蒼白な顔をして預言者の顔を見つめ返した。
ナガヨシ兄弟のシークレットゲリラライブは諸事情により中止となりました。
悪しからずご了承ください。




