意味
誰もが言葉を発することができずにいる。演技というには切迫したイヌカの叫び、防御陣を展開したセシリアの焦燥、抉られた地面、そして呆然と立つハルの姿。レアンたちは大人を見つめる。しかし大人たちはその不安に応えられないほど動揺していた。
ルーグが【無敵防御】を発動したのは、いわば冒険者としての勘のようなものだろう。一歩間違えば、あるいは一瞬でも遅ければ、ルーグはハルの魔法の直撃を受けて、おそらく、死んでいた。それを理解している証拠に、イヌカもルーグも青ざめた顔をしている。そしてこの事態に一番ショックを受けているのはハルだった。自分のしたことの意味を悟り、ハルの顔は血の気を失い、小さく震える。ハルが決して自らの意思でこの事態を招いたわけではないことが一目で分かった。ハル自身も、どうしてこうなったのか理解できていないようだ。
不安と動揺を助長するような沈黙が広場に満ちる。耐え切れずにうつむき、泣きそうになるレアンたちはしかし、
「カァット!!」
場違いな大声に顔を上げた。大げさなほどの動きでけたたましい拍手を鳴らし、満面の笑みでルーグに近付いて労うように肩を叩いたのは、誰あろうアネット総監督である。
「ブラーヴォ!! さすが私が見込んだ名優たちだわ!」
興奮気味に何度もうなずきながら、アネットはレアン、ガートン、フィーナちゃんの順に近付き、その手を取ってぶんぶんと上下に振った。
「あなたたちも素晴らしかったわ! いい画が撮れた。撮れ高は充分よ!」
撮れ高ってアネゴ、どっかで撮影でもしてるんですか? うさんくさい自称ディレクターみたいになってますよアネゴ。しかしそのうさんくささはむしろこの深刻な事態を包み込み、すべてを嘘っぽく安っぽい印象に変えた。すべてアネットの計算の内だった、その安心感がレアンたちを笑顔に変える。「すごかったね」「びっくりしちゃった」と話すレアンたちにアネットは畳みかける。
「ご苦労さま。今日はここまでよ。あっちにお菓子があるから一緒に食べましょう」
フィーナちゃんの手を取り、アネットは監督席のほうにレアンたちを誘導する。お菓子と聞いてレアンたちは目を輝かせた。アネットとすれちがいざまにルーグが小さく「悪ぃ」とつぶやく。気にしないで、と目で応えたアネットは、レアンたちと共にジンが用意した小さな机に向かった。ジンはすでにお菓子と紅茶を机に並べていた。
「ハル君もおいでよ!」
フィーナちゃんが無邪気にハルを呼ぶ。しかしハルは強張った表情のまま首を横に振った。すかさずアネットのフォローが入る。
「ハル君はまだ少し打ち合わせがあるから。主役は大変なのよ」
ふぅん、と残念そうに納得して、フィーナちゃんはお菓子に手を伸ばした。
レアンたちがお菓子に目を奪われている隙に、セシリアたちはハルの許に集まる。ハルは泣きそうな顔でセシリアを見た。
「セシリアちゃん、僕……」
セシリアはハルの手を取り、「大丈夫」と言ってうなずいた。鼻をすすり、ハルはうなずきを返す。ルーグが不満げな視線を大人たちに向けた。
「説明してくれよ。おれだけ仲間外れはナシだぜ?」
一歩間違えば死んでいたのだ。ハルがどうしてこんな力を持っているのか、ハルは何者なのか、説明を求める権利くらいあるだろう、とルーグの目が語っている。イヌカは渋い顔を浮かべたが、さすがに黙っているわけにはいくまい。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは同意するようにうなずいた。
「一度、ギルドに戻りましょう。マスターにも話をしなければ」
ハルの瞳が心細げに揺れる。セシリアはハルを抱き上げ、頬を寄せた。
レアンたちのことをアネットとジンに任せ、魔法で広場を修復した後にトラック達は急いでギルドへと戻った。アネゴの機転とジンの落ち着きによってレアンたちの不安は払しょくされたようだ。アネットもジンもきっと聞きたいことはたくさんあるだろうに、黙ってトラック達を見送ってくれた。二人に大きな借りができたな。足向けて寝られませんよホント。足向けて寝るつもりもないんだけども。
マスターの執務室に直行したトラック達は、何事だと目を白黒させるマスターに端的に告げる。
「ハルが、力を取り戻しつつあります」
トラック達のまとう雰囲気から深刻さを見て取り、マスターは瞬時に表情を改めた。手に持っていたバタピーを一度に口に放り込み、ぼりぼりと咀嚼して飲み込む。……また仕事しながら飲んでたな。ギルドマスターとしていいのかそれは。
「聞こうか」
書類を脇にどけ、マスターは腕を組んでトラック達を見据えた。不安げにうつむくハルの手を、セシリアはぎゅっと握った。
「魔王!?」
簡単な説明を受け、ルーグが目を丸くする。にわかに信じられない、という顔だ。
「……おとぎ話だと思ってた」
まあルーグが生まれる二十年前の話だもんね。そりゃおとぎ話と同じレベルだろう。直接見たわけでも、直接見た人の話やそれにまつわる物を見たわけでもなければ、三十年前も百年前も千年前も大した違いはない。それにしたって今目の前にいる六歳児が魔王だなんて言われて信じられるかって言うとなかなかそうもなるまいが。
「なぜ急に力を取り戻した?」
マスターが固い声で問う。マスターがハルを、いや魔王を封じることも滅ぼすこともしないというトラック達の決断を支持したのは、もはや魔王はその力を失い人類の脅威ではなくなった、という前提があるからだ。ハルが力を取り戻すのであればその前提が崩れる。マスターは立場上、もう一度ハルの処遇を検討し直さなければならないのだ。
「これは推測に過ぎませんが……」
セシリアは若干のためらいと共にマスターの問いに答える。
「名前を得たからではないかと」
かつて神に敗れた魔王は、名を奪われて地下深くに封じられた。名とはただの識別名称ではなく、『私が何者であるか』を規定する。自分自身の意味を失い、魔王はその力の大半を失ったのだという。ジンゴはスキル【うわばみ】で魔王を身の内に封じ、三十年間聖水を飲み続けてその力の大半を奪ったが、それは名を失った状態の魔王の力に対して、ということだ。つまり、魔王本来の力はそのときすでに、名と共に失われていた。
「しかし今回、私たちはこの子に『ハル』と名付けました。それは魔王の本来の名ではないでしょうが、新たな名前を得たことでこの子は『自分が何者であるか』、その意味をも新たに得たのだと思います」
それはハルにとって『ハル』という名前が『自分自身』だと思えるようになったということであり、トラック達と共に生きていきたいという願いの現れでもある。ハルである、ということはつまり、その名を付けたトラック達の『家族』であるということと同義だからだ。ハルと向き合い、同じ時間を過ごしてきたトラック、セシリア、ミラの想いが、皆の絆が結実した。その結果が魔王の力を取り戻すことにつながってしまったのなら、それはあまりにも皮肉なことだった。
「別の名前に変えたらいい、てモンでもねぇよな?」
――プァン!
思い付きのようなマスターのつぶやきに、トラックが少し怒ったようなクラクションを鳴らした。マスターは軽く手を上げてトラックを制する。
「悪い。もう一度名を奪うようなマネをしろなんて言わねぇよ。俺たちにとってこいつはもう『ハル』以外にない」
マスターの言葉を聞いてトラックは安心したようなクラクションを返した。しかしマスターの表情は厳しい。
「力を取り戻しつつあると言ったが、今の状態で全部ってわけじゃねぇってことだな?」
マスターはセシリアに言葉を向けた。セシリアははっきりとうなずく。事実についてウソや隠ぺいに意味がないことを知っているのだ。
「本来の名でない『ハル』という名前がこの子にとってどこまで意味を持つのかによりますが、理屈の上では――」
わずかに言い淀み、そして意を決したようにセシリアは言葉を続けた。
「神に匹敵すると言われた神話の時代の力を取り戻すこともあり得る」
その声は静かに執務室に広がり、皆は気圧されたように沈黙した。神に匹敵する力、それはハルを止めることができる者がこの世に存在しないということを意味する。そして同時に、セシリアの言葉は一つの重要な事実を示している。ハルはルーグに魔法を放ったとき、自分自身の魔法の威力を誤認していた。おそらくはジンゴの腹から取り出された直後の、ほとんど何の害もない程度の力しか自分には無いと思っていたのだろう。つまりハルは自分の放つ魔法に関して出力を制御できていない。今のこの状態で力だけが取り戻されたとしたら、ハルの意思とは無関係に、事故によって世界が滅ぶことがあり得る。制御できない大きな力が暴発し、世界を呑み込んでしまう危険があるのだ。
「……僕は、ハルだよ」
ぎゅっと目をつむり、うつむいたまま、ハルがぽつりとつぶやいた。ハッとされられたように皆がハルに目を向ける。表情を緩め、マスターは言った。
「知ってるよ。お前さんはハルだ。いまさらお前さんをほっぽりだしたりなんぞしねぇから安心してくれ」
ハルは顔を上げてマスターを見る。安心させるように微笑んだ後、マスターは表情を引き締めた。
「だが、対策はせにゃならん。お前さんは力を制御し、誰も傷付けないようにしなきゃならん。そして」
マスターはトラック達を見渡した。
「俺たちはハルに、誰も傷付けさせねぇようにしなきゃならん。これは、俺たち大人の責任だ」
プァン、とトラックが真剣なクラクションを鳴らす。セシリアとイヌカもまた、真剣な表情でうなずきを返した。
とりあえずの対策として、セシリアとトラックはハルから目を離さないこと、ハルに力を制御する訓練をすること、そしてハルが強い力を持っていることを他人に決して知られないようにすることを申し合わせ、トラック達は執務室を出た。イヌカはすぐにトラック達と別れどこかへ向かったようだ。おそらく信頼できる者に事態を伝え、協力を求めに行ったのだろう。トラック達に任せて解決すると考えるのは無理がある。誰にでもというわけにはいかないが、信頼できる協力者は一人でも多く必要だった。
トボトボと歩くハルは、泣きそうになるのを必死で我慢しながら、隣で歩調を合わせるルーグにおそるおそる話しかける。
「……僕、こわい?」
ルーグは驚いた顔でハルを覗き込み、そして吹き出すように笑った。
「何言ってんだバカ。お前みたいななきむし、誰が怖がるかよ」
ルーグはハルの髪をくしゃくしゃに撫でる。むっとした顔をしてハルはルーグの手を払った。
「お前がハルだってことを、おれは知ってる。トラックのアニキもセシリア姉ちゃんも、お前を知ってるヤツはみんな、お前がハルだって知ってる。何にも心配することはねぇよ。だって、お前が大切なのは、お前が魔王じゃないからじゃないんだ」
ルーグの優しい眼差しを、ハルはじっと見つめ返した。照れたようにルーグが顔をゆがませ、こつんとハルの額に自分の額を合わせた。少しだけ安心したように、ハルが笑った。
えっとね、こんなこと言うのもなんなんだけど、正直なところさ、ハルが力を取り戻しているとか、神に匹敵するとか、そんなこと言われても全然ピンとこないんだよね。だってどう見ても六歳児じゃん。しょっちゅう泣くじゃん。めっちゃ甘えん坊じゃん。この子がどうやったら世界滅ぼすのさ。いや、確かに魔法で地面を抉ったけども、ルーグ無傷だったしさ、結構このまま普通に過ごしていけば、普通に過ごしていけるんじゃないの? 普通に過ごしてたらさ、力とかさ、いらんじゃん。あってもなくても使わんかったらいいじゃん。ハルが望んだんじゃないじゃん。なんでハルが、望んでもない自分の力に振り回されなきゃならんの? おかしいでしょうが!
……そうだ、こういうときこそステータスですよ! ステータスオープンですよ! ステータスを視ればハルがどのくらい力を持っているのか一目瞭然ですよ! 物事の正確な認識の第一歩は数値化、定量的に観測すれば過度の恐怖も無根拠な楽観も入り込む余地はないんですよ! ハルの戦闘力が5だって分かれば、誰も何も心配する必要はないんですよ! この世界のステータス、今まさにこのために存在したに違いない! よっし行くぞ! 今こそ役立て! ステータスウィンドウオープン!!
でんでろでんでろでんでろでんでろでーでん
呪われたジングルと共にステータスウィンドウが俺の前に現れる。
『四月一日に施行された改正個人情報保護法により、本人の許可なくステータスを視ることは禁止されました』
なんでじゃぁーーーーっ!!!
なんでそういうとこだけ現代的な法体系採用しとんじゃァーーーーっ!!!
そんで四月一日ってついこの間やないかぁーーーーっ!!!
このタイミングで視れなくなるって何の嫌がらせじゃァーーーーっ!!!
『敵のステータスに関しては今まで通り視ることが可能です。緊急時の例外条項(附則ア~エに該当する場合)を適用するには所定の様式に記入の上、ケテル個人情報保護委員会に許可を申請してください』
ケテルに個人情報保護委員会があんのかよ。先進的だな異世界ファンタジー。いや、大事よ個人情報保護。以前ガートンのステータスを視てしまった罪悪感がある俺としては文句を言える立場にもないんだけども。だって丸見えだものステータス。知られたくない情報まで見えちゃっていいはずないもんね。仲間だからって何でも知られていいってこともない……あっ。
そっか。敵じゃないんだ。ハルは、敵じゃないんだ。魔王だろうが、力があろうがなかろうか、ハルは敵じゃない。ステータスの中身は分からなくても、ステータスウィンドウはそのことを教えてくれた。そしてきっと、それで充分なのだ。俺が知らなければならないことは、それで充分。
ステータスウィンドウの輪郭が揺らぎ、徐々に大気に透けていく。よくできました、と言いたげに一度だけ大きく波打ち、ステータスウィンドウは姿を消した。
ケテル映画界の巨匠アネットによるファンタジー巨編、
『魔剣の勇者と聖剣の魔王』
近日公開!




