不穏
「ふっふっふ。よくぞここまでたどり着いた。まずはその執念を褒めてやろう」
妙に芝居がかった様子で腕を組み、玉座の傍らに立つハルは不敵な笑みを浮かべる。少し大きめの黒いマントが風にはためいている。ふてぶてしいその態度にルーグは武器を強く握りしめ、ごくりと唾を飲んだ。大きく両手を掲げ、ハルは天に向かって叫ぶ。
「お前のために最高の舞台を用意したぞ! さあ、存分に死合おうではないか! この世界の命運と、麗しき姫の未来を賭けて!」
ハルの哄笑が広場に響き渡る。その後ろではセシリアが不安げに佇んでいた。
ハルはずっと、過度に甘えたかと思えば何かの拍子に急に不機嫌になったりと、不安定な状態を振り子のように行ったり来たりしている。表面に現れない心の奥底で不安と不信は渦を巻いていて、それを否定するために『可愛い子供』を演じている。しかし演技をし続けるのは辛いから、演じるのを中断し、奥底が顔を出すのだろう。そしてまた演技に戻る。偽りの自分は裏切られても痛くないのだ。
セシリアもトラックも、そんなハルと辛抱強く付き合っている。「いつもおこる」と言われて以降、セシリアはハルを叱ることをピタリと止めた。叱って理解させることができるほどの信頼がまだ自分にないことを自覚したからだろう。代わりにセシリアは、ゆっくりと静かな声でハルを諭すようになった。視線を合わせ、穏やかに、そうしてはいけない理由、そうしなければいけない理由を聞かせる。一度で理解させようとすることを止め、何度も、何度でも言って聞かせる。反発され、あるいは無視され、一度は理解されたと思ったら今日にはまた元に戻る、そんな三歩進んで三歩下がるような日々を繰り返しながら、少しずつ少しずつ、本当の家族になっていく。ゴールが見えない、自分が本当に前に進んでいるかもわからないけれど、イージーな解決方法などない。他人が家族になるということは、決して容易いことではないのだ。
もうすっかり冬を忘れ、春はもう半ばとなった。この季節って時間が経つのが早いよね。いや、まあ年を取るごとにね、年々時間が経つのが早くなってくるんだけども。子供の頃は一日って結構長かった気がするんだけど、今はもうあっという間よ。あれ、今日俺なにしてたんだっけ、ってなるよね。……え、俺だけ? 違うよね?
そんな春の陽気の午後、西部街区の広場の一角で、ハルは青空教室のお友達数人と一緒に、只今絶賛ヒーローごっこ中である。場面としては最終決戦、魔王城での勇者VS魔王というクライマックスシーンなのだろう。ハルが一人、ルーグたち数人と対峙している構図で、ハルの後ろにはお姫様役のセシリア、その隣には侍女だろうか、ミラが冷静にセシリアを庇っている。リスギツネもナイトよろしくセシリアの前にいてちょっとかわいい。ルーグサイドのメンバーはレアン、ガートン、なぜかイヌカ、そして紅一点のフィーナちゃん。この子は青空教室の遠足の時にハルが自分のお弁当をあげた子だ。あの日以来フィーナちゃんはよくハルと遊んでくれる仲良しさんである。
「よーい、アクション!」
アネットの合図に全員の表情が引き締まる。アネゴは演者ではなく総監督としての参加なのだ。美術監督はジンなので、ヒーローごっこという名前に不似合いなほどみんなの身に着けた衣装や小道具は本格的。もはや子供劇団と言っていい風情である。ちなみにトラックは小道具と舞台装置の運搬係で、セットが終わった今の段階ではただの観客と化している。
「さあ、存分に死合おうではないか! この世界の命運と、麗しき姫の未来を賭けて!」
哄笑と共にハルはルーグに侮りの目を向けた。
「来るがよい、魔王よ!」
……ん?
「行くぞ勇者! 姫はこの魔王がもらい受ける!」
ルーグはハルにそう答えると、武器を握る手に力を込めて駆け出した。仲間たちがルーグに続く。ハルがゆっくりと腰の魔剣(模造)を抜いた。
ってか、ハルが勇者役? ルーグと仲間たちは魔王側? ってことは、ここは勇者の城で、魔王に玉座の間まで攻め込まれたってこと? その時点で人類ヤバくない? そして勇者の台詞がほぼ魔王なんですけど。「最高の舞台を用意したぞ」って言うヒーロー初めて見たんですけど。あと、魔王の目的は姫なんですか? もしかしてこれ、単なる三角関係のもつれなんですか?
「魔王様、まずはオレが!」
イヌカが足を速め、ルーグを追い越してハルに迫る。ハルはくだらないと言わんばかりに鼻を鳴らし、まっすぐに突っ込んでくるイヌカに無造作に剣を振るった。イヌカは何の策もなくハルの剣に斬り裂かれ――その身体が空気に溶けるように消える。ハルの背後に鋭い殺気をまとうイヌカの気配が現れた。スキルウィンドウが【隠形鬼】の発動を告げる。
……なんでヒーローごっこに虎の子のスキル使っとんじゃぁーーーっ!! 大人げないにもほどがあるわ! そんなに負けたくないのか! そしてここでお前がハルを倒したらみんなガッカリするだろうが!
イヌカがにやりと笑い、無防備なハルの背にカトラス(模造)を振るう。ハルが驚愕に目を開いて大きくのけぞり、そして――キリキリと軋んだ音を立て、首が百八十度後ろに向いた。ハルの、いや、ハルだったはずのもののガラスの瞳がイヌカを捉え、カタカタと笑う。
「これは――!?」
振るった剣の手応えのなさにイヌカの動きが止まる。次の瞬間、ハルだったはずのものが赤い炎を上げて爆発した! 爆風をまともに受けてイヌカの身体が宙を舞う! ルーグたちは唖然と足を止め、無数の歯車がパラパラと広場に散った。アネットの隣で見守っていたジンが小さくガッツポーズを取る。「そ、そんな……」という言葉を残し、イヌカはガクリと倒れた。空だった玉座にスッとハルが姿を現わす。
「面白い趣向だろう?」
クックック、とハルが喉を鳴らして嗤う。ルーグが鋭くハルをにらんだ。
ちなみにスキル【受け身】が発動しているのでイヌカにダメージはなさそうだ。とはいえ、一歩間違えばケガをしかねない危険なアクションである。まあイヌカだから大丈夫だろうってところもあるのかもしれんが、最近のヒーローごっこハンパねぇ。爆発したハルのカラクリはジンが造ったゴーレムということだろうか?
「おのれ!」
怒りに瞳を燃やし、レアンとガートンが左右から挟み込むようにハルへと迫る。フィーナちゃんが早口で呪文を唱え、杖を掲げた。すると杖から淡い光が溢れ、レアンとガートンを包む。フィーナちゃんがびっくりしたように杖を見て、きょろきょろと周囲を見渡す。セシリアと目が合うと、セシリアは優しく微笑んだ。あ、つまり、セシリアが魔法で、フィーナちゃんが魔法を使ったように演出したんだな。フィーナちゃんがうれしそうに笑顔を返した。
魔法の助力を得て勢いづいたふたりが武器――レアンが鉄の爪(模造)、ガートンが両手持ちの戦斧(模造)――を振り上げる。ハルは座ったまま、小さく呪文を唱えた。
「追憶の砂、怨嗟の旅路、三日月の杯を受けて太陽を呑む者よ。嘆きの声を響かせよ。高らかに大空を渡り、世を真白に染め上げよ!」
ハルの呼び声に応え、何もない空間から一体の雪だるまが姿を現わす。ハルとほぼ同じくらいの大きさの雪だるまは、大きく息を吸うと、迫りくるレアンとガートンに向かって吹雪を吐き出した! 「うわぁ!」と声を上げてふたりが倒れる。役割を果たした雪だるまが溶けるように消えた。な、なんかレアンとガートン、軽く凍ってるけど大丈夫? あ、そうか、それでさっきセシリアが魔法を掛けたのか。あれば演出だけじゃなく、吹雪からふたりを保護するためでもあったんだな。寒さそのものは防げないのか、レアンが小さくくしゃみをした。
三人の仲間が倒れ、ルーグとフィーナちゃんが焦燥をその顔に浮かべる。意外と演技上手ね君たち。ハルは二人の様子に楽しげな笑い声を上げると、再び呪文を唱えた。
「炎獄の鎖、幻日の揺らぎ、火炎樹の花を食み魔女の心臓を喰らう者よ。赤き牙を突き立てよ。赤熱する爪を以てすべてを引き裂け!」
力ある言葉にフィーナちゃんの前の空間が揺らぎ、一匹の仔猫が召喚されてスタッと地面に降り立った。仔猫はフィーナちゃんの足元に近付くと、「にゃー」と鳴いて身体を摺り寄せる。
「わあ、かわいい!」
フィーナちゃんは素に戻ってしゃがみ込み、仔猫の頭を撫でた。仔猫はにやりと笑い、必殺の猫ぱんちを繰り出す。「うっ」と呻き声を上げ、フィーナちゃんはその場に倒れた。油断大敵だぜ、と言わんばかりにニャーと鳴き、仔猫は去っていった。
「どうする? もうお前一人になってしまったぞ?」
玉座に座ったまま、ハルはバカにするようにルーグに言った。えっと、ハルは勇者役なんだよね? この堂に入った悪役セリフなんなの? すごく上手で違和感がないってところに違和感しかない。元魔王の面目躍如ということだろうか?
「くそっ! 仔猫の魅力でフィーナをだまし討ちにするなんて、卑怯だぞ!」
ギリリと歯噛みをしてルーグがハルをにらむ。ハルは鼻でせせら笑った。
「戦いに卑怯などあるまい。それを言うなら、私一人に四人で挑む貴様らは卑怯ではないのか?」
おう、正論が心に痛い。だいたい勇者って魔王一人に四人か八人で戦いを挑むイメージだよね。魔王が強いからってことなんだろうけど、正々堂々一対一で勝負だ! っていう勇者は見たことがない気がする。まあゲームの話だけど。それに今はハルが勇者だし。その意味じゃルーグは、勇者一人に複数人で挑む新しいタイプの魔王ってことになるのか。
「くっ、こうなったら正々堂々、一対一で勝負だ!」
ルーグが手の聖剣(模造)を正眼に構える。いや、今さら正々堂々はないでしょう。それじゃ今までは正々堂々じゃなかったって言ってるようなもんじゃない。
しかし、このヒーローごっこ、いまいち着地点が見えんな。魔王が勇者を倒して姫をさらう物語なのか、勇者が魔王を返り討ちにして姫を守るのか。ヒーローごっこなんだから勇者が勝つのが本道なんだろうけど、この悪役勇者が勝って果たして本当にいいものなのか。アネット総監督はどうするつもりなんだろう。もしや、ノープラン?
ルーグが玉座に向かって走る。ハルは立ち上がり魔剣を抜き放った。闇色のオーラが大気に散る。ガキィン! と鋭い金属音を立て、両雄の剣が火花を散らした。
「……本気じゃん」
わずかに押し込まれ、ハルが思わず役を離れてつぶやいた。ルーグはニッと生意気な笑みを浮かべる。
「当然だろ? ぼやっとしてたら、魔王が勇者を倒して姫を手に入れる話になっちまうぜ?」
挑発するルーグの瞳をにらみ、ハルはルーグを押し戻した。力に逆らわず二歩下がったルーグをハルの斬撃が追う。漆黒の光跡が空に刻まれ、ルーグはさらに後退した。ハルが踏み込んでルーグを追う。しかしそれはルーグの誘いだったようだ。後退していたルーグが足を止め、ハルの斬撃を聖剣で強くはじき返した。魔剣を落とすことはなかったものの、びりびりとした手の痛みにハルが顔を歪める。
「隙アリだ」
ルーグが聖剣を振り下ろす。かろうじて身を翻し、ハルは大きく後退して距離を取った。
「驚いた。よく避けたな」
ひゅん、と聖剣を振り、ルーグは感心したように言った。ハルは苦々しい表情を浮かべる。
「魔王は勇者にたおされるんだぞ」
「そろそろ魔王と勇者も新しいステージに昇っていい頃だ」
ハルは軽く息を切らしている。ルーグは十歳、おそらくもうすぐ十一歳になるくらいで、ハルが六歳だとすると、体力も筋力も比較にならないほど違う。まともに戦えばハルが勝てるはずもない。ここはハルに花を持たせてルーグは手を抜いてあげる場面だと思うが――いや、違うな。たぶんルーグは手を抜いているのだ。ハルに気付かれないギリギリのレベルで。手を抜かれたと気付けばハルのプライドが傷付く。ちゃんと本気でやって勝ったのだと、ハルが満足できるようにルーグは本気で遊んでくれているのだ。いいお兄ちゃんっぷりだなぁ。ええ子や、ほんま。
「降伏すれば命は助けてやるぞ?」
「誰が!」
ルーグの挑発に乗り、ハルがルーグに斬りかかる。右肩口を狙った斬撃をかわした動きのまま、ルーグは半回転して横薙ぎにハルの胴を払う。後ろに飛びずさって回避し、ハルは胴への突きを放った。ルーグは魔剣を右から打ちすえその軌道を変える。ハルの身体が流れ、そのままルーグに体当たりする。しかし六歳の体重は十一歳に簡単に受け止められてしまった。ルーグは剣を手放してハルの腰の辺りを両手で掴むと、高い高いをするように空中に放り投げた。
ハルの身体は放物線を描き、ぽすっとあつらえたように玉座に収まる。ハルがぽかんと目を丸くし、ルーグも狙ったわけではなかったのか、思わずといった感じで吹き出した。アネットやジン、セシリアとミラ、そして死体になっている他の連中からも笑いが漏れる。ハルが顔を赤くし、ぷぅっと頬を膨らませた。おお、大層怒っておられる。その様子に気付いたルーグが「ごめん」と謝ったが、ハルのお怒りに油を注いだだけだった。ハルは憤懣やるかたない様子で立ち上がり、呪文を唱え始める。
「虚無の右手、沈黙の声、星喰らう蛇の毒を杯に満たせ!」
背筋の凍るような悪寒が広場に満ちる。禍々しい魔力が凝集し、滅びの気配が広がっていく。セシリアとミラの顔から血の気が引いた。
「巨人の咆哮は始まりの鐘にして運命の予言」
春の陽気が霧散し、周囲の温度が急速に下がっていく。魔力の余波がビリビリと肌を刺した。不穏を感じ取ったか、ルーグの瞳が収縮する。イヌカが飛び起きてハルを見た。ハルの目が金色に輝く。
「歪み、閉ざし、崩れ、滅びよ! 我が求めるは終焉なり!」
――プァン!!
「避けろ、ルーグ!!」
トラックの焦燥を帯びたクラクションとイヌカの絶叫が重なる。ルーグが両腕で顔を庇った。滅びの光がルーグを貫く。一瞬遅れてセシリアとミラが防御陣を張り、皆と広場を守る。
「……え?」
魔法を放ったハルが、呆然と自分の手を見つめる。防御陣が間に合わなかったルーグの周囲の地面が抉れ、大量の土埃が舞った。イヌカが急いでルーグのいた場所に駆け寄る。土埃が晴れ、ルーグは蒼白な顔で、無傷で立っていた。スキルウィンドウが固く冷たい音を立てて【無敵防御】の発動を告げる。無事を確認したイヌカが大きく息を吐いた。
何が起こったのか、子供たちが不安そうに立ち上がる。自分がやったことが信じられない、ハルはそんな顔をしてルーグを見つめた。セシリアは震える声で小さくつぶやく。
「……力を、取り戻している?」
そのつぶやきは不吉な未来を暗示するような、春に相応しくない冷たい風にさらわれて消えた。
ジンがこの町に来てから、ケテルのヒーローごっこのレベルは跳ね上がったようですよ。




