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約束

 春は和やかに時を刻み、トラック達はずいぶんと落ち着いた毎日を送っている。春になる前はいろいろ大変だったから、なんかこう、すっかりいい感じだよねぇ。トラックが毎日荷物の配送をこなしているということは、つまり平和だということだ。

 まあ、リェフが言っていたみたいに、通り魔だの魔物の声だので問題が全くないわけではないんだけど、トラックの生活圏内は少なくとも平和で、それはそれでめでたいと思っていいんじゃなかろうか。トラックが荷物を積んで西部街区を走り、ミラとハルが荷運びを手伝って、お客さんからおやつとかもらって、笑ってる。クリフォトだか何だかがケテルを狙ってるとか物騒な話も前にあったけど、そんな気配はみじんもなく、もしかしたら杞憂だったんじゃないかって、そう思えてくる春の陽気だ。

 今日も配送を終え、トラック達がギルドに戻ってくる。セシリアが三人を出迎え、「お帰りなさい」と微笑んだ。ハルがセシリアに駆け寄って抱き着く。幸せな家庭そのものの様子に、周囲の冒険者は苦笑いを浮かべ、あるいは羨ましそうな視線を向けた。


「トラさんは幸せよね。こんなにかわいい子たちに囲まれて」


 カウンター越しに頬杖をついてイーリィが言った。ジュイチが「ぶもー」と同意するように鳴く。セシリアはハルを抱き上げると、顔を赤くしてもじもじと身体を揺らした。


「そ、そんな、可愛い奥さんだなんて……」


 いや、誰もそんなこと言ってませんから。かわいい子たちって言っただけですから。明らかに対象はミラとハルですから。っていうかそういう照れ方? ……トラックに!?


「セシリアちゃん、かおまっか~~」


 ハルが楽しそうに笑う。「こぉら!」と怒ったふうな顔を作り、セシリアはこつんとハルのおでこに自分のおでこを当てて、こらえきれずに破顔した。


「ほらほらトラさん。黙ってないで、何か言うことあるでしょ?」


 からかうような口調でイーリィがトラックを促す。近所のおせっかいなおばちゃんみたいになっとる。セシリアがちらちらとトラックを見た。トラックはプォン? とどこかぼんやりしたクラクションを返し、イーリィがガクッとコケた。


「……聞いてなかったって、アナタねぇ」


 心底呆れたイーリィに同調するように、ジュイチがトラックに冷めた視線を送る。セシリアはちょっと残念そうに目を伏せた。ってか、今までの流れの中でどうやったらあの会話を『聞いてない』ことができるんだよ。ラブコメの鈍感系主人公かお前は。


「トラックは、そういうとこ、ダメよね」


 妙に大人びた表情で、ミラが冷静にトラックを評価する。なんだか所在なさげにトラックはプォンと申し訳なさそうなクラクションを鳴らした。




 セシリアには何というか、おそらく『理想のお母さん』像のようなものがあるようで、ミラとハルの面倒を一生懸命に見ている。施療院でのバイトの時間も減らし、できるだけ子供たちと一緒にいるように心を砕いているようだった。手をつないでお散歩をしたり、一緒に歌を歌ったり、お絵描きをしたりヒーローごっこをしたり。元々は家事などほとんとしたことがなかっただろう綺麗な手を傷だらけにして、イーリィに料理を習い、服を繕い、掃除に洗濯と、ちょっと見ていてオーバーワークなんじゃないの、という奮闘ぶりだった。トラックがしばしばプァンと声を掛けても「大丈夫です」としか言わず、どうにも気負い過ぎな感じ。初めての子育て、しかも赤ちゃんからではなく急に六歳だの八歳だのの子供を育てることになったことで、「きちんと育てなければ」という気持ちが強すぎるようだ。


「こら、ハル。ごはんを手で食べないの。きちんとお箸をお使いなさい」


 今日も夕飯の席でセシリアはハルを窘める。ハルはちょっと不満げに「はぁい」と答えた。セシリアは成長著しく、本日の夕飯は純和食。白米に豆腐とワカメの味噌汁、カレイの煮つけにセリのおひたしである。誰に習ったんだこの渋い献立。そして全然子供向けじゃねぇ。ってか、この世界の人って箸でごはん食べるのな。まあ白米もあるし、そういうもんだと言われりゃそういうもんなのか? セシリアとハルとミラがちゃぶだいを囲んで正座している絵面は若干のコント感があるけど。おまけにトラックは、トラックだし。

 案の定、というか、ハルはこの渋い献立がお気に召さなかったようで、半分くらいしか食べていないカレイの煮つけを箸でいじって遊び始めた。身を剥がし、骨を適当な長さにぽきぽき折って皿に並べ、何かを造形しようとしているようだ。ちょっと楽しくなってきたのか、身を乗り出して制作に励もうとした矢先、再びセシリアが少し強い調子で言った。


「ハル。食べ物で遊んではダメ」


 興が削がれたのか、ハルはぷぅっと頬を膨らませて作りかけた骨の城を壊し、


「おなかいっぱい」


と言って席を立ち、部屋を出て行った。半分ほど残ったハルのお皿を見て、セシリアが「もう」とため息を吐く。トラックが労わるようなクラクションを鳴らした。




 最近のセシリアはこんな調子で、微妙にこの、うまくいってない感がある。まあ、気持ちはちょっと分からんでもないよ。お母さんが若いから子供のしつけがなってないのね、なんて言われないように、ウチの嫁もピリピリしてた時があったからさ。初めてだから何が正解かもわからないし、必死で子育て本読んだりネットで情報集めたりして、でも書いてあることはバラバラで、結局余計に混乱したりさ。そんなとき、嫁のお母さん、俺の義理の母が、こんなこと言ったの。


「添い寝をするとかしないとか、抱き癖がどうとか、そんなことは大した問題じゃない。子育てに大事なのは、親が機嫌のいい姿を見せられるかどうか。子供に安心できる居場所を与えられるかどうかよ」


 子育て本なんか読んだことないけどあんたはこうして育ったじゃないの、と豪快に笑う義母を見て、嫁はちょっと肩の力が抜けたようで、まあできる範囲でいいか、という開き直りを手に入れたようだ。おかげで家の中の雰囲気はちょっと軽くなり、うちの子もご機嫌さんな日が多くなって、俺もコンビニでビールとおつまみを買って帰っても怒られなくなった。お義母さんには本当、感謝してもしきれません。

 セシリアの周囲には、そういうことを言ってくれる大人がいないんだよね。イーリィは頼れるお姉さん的存在だけど子育ての経験はないしなぁ。マスターは既婚者のはずだけど、そう言えば家庭の話を聞いたことがないな。シェスカさんなら適任だけど、最近はあまりギルドに顔を出さない。ジンゴの様子はちょくちょく見に行っているようだけど。

 結局何が言いたいかって、子育て大変ってことなんですよ。いや、あんまり携わってない俺が言うのもなんだけど、完璧なんて無理ですから。気負って背負って潰れる前に、助けを求めるなり手を抜くなりしましょうよ。ニンジン食べてくれなくたって、リンゴ食べてくれるならいいじゃない。そういう発想の転換をね、してほしいとおっさんは切に願うものであります。だって子供ってどんどん変わっていくんだから。昨日できなかったことが、明日にはあっさりできるようになったりするんだから、さ。




 日付変わって本日、トラックの配送は午前で終わり、久々に午後が丸々オフの日となった。あんまり遠出はできないものの、ちょっとおでかけしましょうか、ということになり、トラック達はギルドを出る。西部街区にはちょっとした屋台が並ぶ通りがあるそうですよ、じゃあそこに行こうよ、なんてことを話しながら、四人は並んで歩いていた。とりあえず屋台を目指すけど、別に辿り着かなくたっていいし、途中で行き先を変えたっていい。四人でいることが大事、という、この散歩はそういうものなのだろう。


「はやくいこうよ!」


 ゆっくりとしたペースのお散歩を、しかしハルはあまりお気に召さないようだ。目新しい物のない道の風景よりも、初めて行く屋台というものを早く見たいと、三人を急かすように一人で先に行く。トラック達から先行すること数メートル、たまりかねたようにセシリアが声を掛けた。


「ハル! 一人で先に行ったら危ないでしょう!」

「へーきだよ!」


 心配するセシリアを振り返り、ハルは後ろ向きに歩く。道は西部街区の中央通りに接続する十字路に差し掛かっていた。昼下がりの中央通りはそれなりの人が行き交っている。ああ、後ろ向きに歩いてたら誰かとぶつかるよ。


「こら、ハル! 待ちなさい!」


 セシリアの声が怒りの色を帯びる。ハルはべぇっと舌を出すと、セシリアに背を向け、中央通りの真ん中に駆けていった。セシリアが慌てて後を追う。トラックとミラもそれに続いた。すると――


「脇によけろ! 危ないぞ!!」


 誰かの警告、そして怒声と悲鳴が聞こえる。どこのどいつか、中央通りを馬に乗った男が疾走しているのが見えた。馬の後方からは衛士隊と思しき数人が走って追いかけている。警告を叫んだのは彼らだろう。中央通りを行き交う人々が海を割るように道を空ける。事態を把握できていない一つの小さな影を除いて。


「ハル!!」


 血の気の引いた顔でセシリアが叫ぶ。ハルは呆然と迫りくる馬を見つめた。馬に乗った男はハルのことなど眼中にない様子で、止まる気配も避ける気配もない。いや気配がないとか言ってる場合じゃねぇ! バカなのか!? 子供を馬で引っかけたら死んじゃうだろうがっ!!


――プァン!!


 トラックが鋭いクラクションを鳴らし、一気にアクセルを踏み込む。クラクションの音とトラックのプレッシャーに驚いたのか、馬は大きないななきと共に前足を上げた。背に乗っていた男が馬から転がり落ちる。トラックが【念動力】でハルをかっさらうと、馬は主不在のまま走り去っていった。落馬した男は見事に気を失っている。怖いとかよりもただびっくりした感じで、ハルは目を丸くしていた。


「ハル!」


 セシリアがハルに駆け寄り、地面に膝をついて、その両肩を強く掴む。その鬼気迫る様子にハルの顔が怯えるように歪んだ。


「言ったでしょう! 危ないって! どうしてわからないの!?」


 もし怪我をしたら、もし、死んでしまったら、その恐怖がセシリアの言葉に強い怒りを与える。しかしそれを察し、理解しろというには、まだ足りない(・・・・)ようだった。


「……セシリアちゃんは、僕がきらいなの?」


 虚を突かれたようにセシリアが目を見開く。そんなこと考えたこともなかった、精一杯愛してきた、愛している、そんな顔だ。


「そんなこと、あるわけないでしょう?」

「だって!」


 少しかすれたセシリアの声を、ハルは大きな声で否定する。その目尻に涙が浮かんだ。


「セシリアちゃん、いつも、おこる」


 ハッと息を飲み、セシリアが硬直する。ハルの目から涙がこぼれた。


「僕、いらないんでしょ? いなくなったらいいんでしょ? だって僕、ほんとうのかぞくじゃ――」

「ハル!」


 黙って聞いていたミラが、鋭くハルの言葉を遮った。ハルはびくりと肩を震わせる。


「……それ以上、言ってはいけない。それは言っちゃいけない」


 ハルはミラに顔を向ける。ミラは静かにハルを見つめた。ハルは目を逸らし、うつむいて唇をかむと、セシリアの手を振り切って駆け出し――いや、逃げ出した。中央通りの人波にハルの背中が消える。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、ミラがハルを追って走った。セシリアは、動くことができずに、その場にへたりと座り込む。トラックは追うべきか迷うようにハザードを焚いていたが、覚悟を決めたのか、セシリアの隣に移動し、エンジンを止めた。





 しょんぼりと川辺に座るハルの隣に、ミラは寄り添うように座る。ハルはぐすぐすと鼻をすすっている。


「……私たちは」


 ミラはハルの顔を見るでもなく、前を向いたまま、ぽつりとつぶやくように言った。


「約束で、つながってる」


 ハルもじっと川面を見つめ、ミラの言葉を聞いている。


「私とあなたは家族です。お互いにそう約束をして、私たちは家族でいられる。私たちにあるのはそれだけなの。血の繋がりも、共有する時間の蓄積も、私たちにはない。私とあなたの関係を証明できるものは何もない」


 ミラは淡々と言葉を紡ぐ。確かにトラック、セシリア、ミラ、ハルの四人は血縁ではない。ハルと出会ってまだひと月足らずで、互いの関係を証明できるほどに一緒に過ごした時間もない。それはそうなんだけど、でもちょっとそれ、寂しい言い方じゃない?


「だから」


 ミラはハルに顔を向けた。静かに、透明な瞳で見つめるミラを、ハルは顔を上げて見つめ返した。


「『家族じゃない』なんて、絶対に言わないで。それは私たちの約束を壊す言葉よ。その一言だけで、私たちは簡単に他人になる」


 か細い声で「うん」とうなずき、ハルは再び鼻をすすった。ミラは安心したように微笑むと、立ち上がり、ハルに手を差し出した。


「セシリアお姉ちゃんに謝りましょう。私も一緒に謝ってあげる」


 ハルは両手で涙をぬぐい、ミラの手を借りて立ち上がった。手をつないだまま、二人はセシリアとトラックの待つ場所に向かって歩き始めた。




「ハル!」


 戻ってきた二人の姿を認め、セシリアは心から安堵した表情を浮かべて駆け寄った。ミラがハルに「さあ」と促す。ハルはうつむき、聞こえるか聞こえないかという小さな声で「ごめんなさい」と言った。セシリアは首を横に振る。


「私こそ、ごめんなさい。あなたの気持ちを、考えずに」


 ハルにとって怒られるということは、否定されるということと同義なのだろう。血の繋がりもない、出会ってまだ一ヶ月足らずの新米親子だ。怒られても見捨てられはしない、怒られるけど嫌いになったわけじゃない、その確信を得るだけの関係性はまだできてはいないのだ。きっとセシリアはハルを怒る時、その十倍の『大好き』を一緒に伝えなきゃいけない。「いつもおこる」と言われて、セシリアはそのことに気付いたのだ。

 セシリアはハルに手を伸ばし、引き寄せてぎゅっと抱きしめた。言葉よりも温度で伝わる『大好き』に、ハルは照れたように、うれしそうに笑った。

トラック無双は子育て中のお母さんを応援します!

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[一言] 子育てって大変(小並感)。
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