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英雄と呼ばれなかった男

 いつの間にか暦は四月に入り、心なしかケテルの町も華やいでいる。この世界に桜はないが、咲く花を愛でる気持ちは同じらしく、春の花で一杯、という粋人も少なくないようだ。中央広場を行き交う人々の表情も明るい。重い冬服を脱ぎ捨てた解放感、というところだろうか。


「はやくはやく!」


 冒険者ギルドの入り口で、ハルはその場で足をバタバタさせながら急かすようにギルドの中に向かって叫ぶ。プァンと返事を鳴らし、トラックがセシリア、リスギツネを抱いたミラと共に外に出てきた。待ちきれない、というようにハルが運転席に乗り込む。ミラは席の後ろの仮眠スペースに、セシリアは助手席に乗り、トラックがぶぉんとエンジン音を立てる。

 ギルドの、広場を挟んだ向かい側には教会があり、暖かくなったからだろうか、入り口の前に簡素な説教壇を置いて、神官が道行く人に教えを説いていた。それなりの数の人が足を止めて神官の声に耳を傾けている。もっとも教えの内容は教会の教義ではなく、どうやら三十年前の魔王復活を教会の神官が言い当てた、そのことを誇示するような話らしかった。託宣が無ければ世界は滅んでいた、魔王復活の阻止に教会は大きな役割を果たしたのだ、と人々にアピールするのが狙いなのだろう。冒険者ギルドのみが英雄なのではない、ということがことあるごとに強調されている。しかし三十年も前のネタが未だに一定数の人間にウケている、ということはちょっと驚きだ。それだけみんな、『魔王』という存在を怖れているのだろうか? 滅んだと言われている今でさえも。


「はやくいこう!」


 動かないトラックにしびれを切らし、ハルが再び声を上げた。教会の前に集まる人々の後ろを、トラックは西部街区を目指して発進した。教会の大鐘楼の屋根のてっぺんから、一羽のフクロウがトラック達を見下ろしていた。




 トラックはどこかのんびりと西部街区の道を走る。もはや西部街区にトラックの姿は馴染んでいるようで、行き交う人が結構な割合で手を振ってくれていた。地道に荷物を運び続けた甲斐があったなぁ。なんかちょっとこみ上げるものがあるよ。

 トラック達が向かっているのは西部街区の外れ、未開発地域にほど近い、ジンゴの家だ。ハルをジンゴの腹から取り出してしばらくが経った後、ハルは急に「ジンゴの家に行く」と言い出し、それ以来ちょくちょくトラック達はジンゴを訪ねている。魔王の封印という役目から解放されたジンゴはみるみる元気を取り戻し、とはいかないようで、体調はそれなりに回復したものの、糸が切れたようにぼんやりと過ごしていた。ハルはジンゴの家の床に散乱していた酒瓶を片付けたり、掃除をしたり、ジンゴの近くで遊んだりして、日暮れ前に帰路に就く。ジンゴは迷惑そうな顔を作りながら、しかしハルを拒むこともなかった。




――コンコン


 粗末な家の扉をハルが叩く。トラックのエンジン音は聞こえているはずだから、誰が来たのかはもうわかっているのだろう。けだるげな、面倒そうな声の返事が聞こえる。


「……まぁた来やがったか。何が楽しくてこんなジジィの家に――」

「どーーーんっ!」


 扉を開けて顔をしかめたジンゴの台詞を遮って、ハルが元気よくジンゴの腹めがけてフライング頭突きをかました。思わぬ奇襲攻撃に元Aランク冒険者は「ぐへぇ」とうめいて床に倒れた。けだるさも吹き飛んだのか、上半身を起こしてジンゴは叫ぶ。


「いきなりなにしやがんだこのガキぁ!」


 きゃっきゃと笑いながら、ハルは走って家の中に入っていった。セシリアが申し訳なさそうに頭を下げる。


「申し訳ありません。どうにもやんちゃで」


 ジンゴは大きくため息を吐くと、諦めたようにセシリアたちを家に招きいれた。




 ジンゴが部屋に戻ると、ハルが待ち構えていたように立ちはだかり、頬を膨らませて手に持っていたものを突き付ける。


「また飲んでる!」


 琥珀色の酒瓶を犯罪の証拠のように掲げられ、ジンゴは困ったように頭を掻いた。


「三十年飲めなかったんだ。ちっとぐらい見逃してくれよ」

「ダメ!」


 きっぱりと否定され、ジンゴは軽くうなだれる。ハルは後から入って来たセシリアに酒瓶を手渡した。セシリアは酒瓶を受け取り、にこやかに言った。


「では、没収します」

「ぼっしゅーだー!」


 ぼっしゅう、という言葉が気に入ったのか、ハルは何度も「ぼっしゅう、ぼっしゅう」と言いながら、隠されている酒瓶がないか捜索を始めた。ジンゴは「あぁ」と憐れな声を上げる。ミラがジンゴの傍に寄り、袖をちょいちょいと引っ張った。


「ハルは、心配なの」


 ジンゴは苦笑いを浮かべ、


「わかってるよ」


とミラの頭を撫でた。ミラはホッとしたように笑って、リスギツネがクルルと鳴いた。


 ジンゴの家を占拠していた無数の聖水瓶はすべてきれいに片付けられ、家は生活の場としての機能を取り戻している。壁に染み付いた、聖水のハッカのような清涼な香りも幾分和らいできているようだ。その隙間を埋めるように、聖水の香りに交じってかすかに酒の匂いがする。ジンゴは、どうやら毎日のようにかなりの量を飲んでいるらしい。まともな食事はあまり取っていないようで、なんだか前よりもさらに痩せている気がする。シェスカさんも気にしてちょくちょくここを訪れているようだが、ジンゴはまるで日常を取り戻すことを拒むように、酒を飲む以外は何もしないような日々を送っている。


「セシリアちゃんはねぇ、おりょうりがじょうずなんだよ!」


 部屋の探索に飽きたのか、ハルはベッドの端に座るジンゴに駆け寄って唐突にそう言った。急に話を振られて戸惑いながら、ジンゴは「そうかい」と答える。セシリアはやや恥ずかしそうに「卵サンド限定ですが」と言った。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、セシリアが少し顔を赤らめる。どうやら照れているらしい。何言ったんだトラック。


「ジンゴも食べたらいいよ」


 自慢げなお勧めを受けてジンゴはセシリアに顔を向ける。セシリアは微笑み、「今度持ってきましょう」と言った。ジンゴは遠慮すると言いたげに軽く手を上げると、ハルに向き直った。


「サンドウィッチもいいが、俺はつまみのほうがいいなぁ」

「つまみが欲しいの?」


 ハルが小さく首を傾げる。ダメ、と言われなかったことに勢いづいたか、ジンゴは前のめりにうなずいた。ふぅん、とハルは両手を差し出す。ハルの小さな両手のひらに、みるみるうちにバタピーが盛り上がった。


「はい、どうぞ」


 ちょっとだけセシリアの口調をまねた感じで、ハルはジンゴにバタピーを渡した。「お、ありがてぇ」と言ってジンゴは受け取り、そして期待に満ちた目でハルの目を覗き込む。ハルは純粋な目でジンゴを見つめ返した。二人が見つめ合ったまま、沈黙の時間が過ぎる。


「……これだけ?」


 ウソだろ、とジンゴはおそるおそるハルに尋ねる。ハルは不思議そうに首を傾げた。


「もっとほしいの?」

「いや、そうじゃなくて、つまみだけ? 酒は?」


 物欲しそうなジンゴの声音にハルはうーんと考える表情を作り、にぱっと笑顔で元気よく答えた。


「ぼっしゅう!」

「そりゃねぇよ~~。バタピーだけじゃ口ん中カラッカラになっちまうよ」


 ばっさりと否定され、ジンゴが情けない声を上げた。セシリアが笑いながら「お茶を淹れてきますね」と台所に向かった。


「い、いや、そうじゃなくて――」


 セシリアの背を見送り、ジンゴは今日何度目かの深いため息を吐いた。




 紅茶のいい香りが酒の残り香を消し、部屋は和やかな雰囲気に包まれる。みんなで遠足に行ったこと、おやつは銅貨三枚というルール、イヌカは最弱だった事実、お昼のサンドウィッチ、そして、丘の上から見たケテルの風景。ハルは拙い言葉で一生懸命にジンゴに話をしている。それらにいちいちうなずいているジンゴの姿はまるで、離れた場所に住む孫に久しぶりに会ったおじいちゃん、という風情だった。


「あまくないバナナはねぇ、おかずなんだよ」

「いや、バナナはデザートだろ」

「ちがうの! おかずなの!」


 否定され、頬を膨らませて厳重に抗議するハルをジンゴはからかい、「デザートですぅ」と譲らない。ハルはポカポカとジンゴを拳で叩いた。「痛い痛い」と言いながらまるで平気な顔で笑うジンゴを見て、ハルはますますむくれた。セシリアはミラと紅茶をたしなみながら二人の様子を微笑ましく見ている。トラックも、たぶん同じなのだろう、車体を二人のほうに向けていた。

 てい、てい、と気合の声を上げながら、ハルはジンゴに拳を繰り出している。どうやら趣旨が変わったらしく、ジンゴとバトルを始めたようだ。ジンゴは余裕の表情で攻撃を受け止め、「どうした、お前の実力はそんなものか」などと芝居がかったセリフを吐いた。ハルは余計にムキになってパンチやキックを繰り出している。ぺちぺちと緊張感のない音が部屋に響く。

 やがて、攻撃を受け続けているジンゴの表情が、徐々にぼんやりとし始めた。ハルは攻撃に一生懸命でその変化に気付いていないようだ。ぺちぺち、攻撃の音を聞きながら、ジンゴは少しずつ表情を失っていく。セシリアがかすかに眉を寄せた。ジンゴの様子の変化に気付いたようだ。


「たぁっ!」


 必殺の気合と共にハルが正拳を繰り出す。しかしジンゴは受けなかった。受け止められるはずだった攻撃が空を切り、ハルは前につんのめる。ジンゴはハルの肩を両手でがっちりと掴んだ。


「……本当に、子供じゃないか」


 表情のない顔でジンゴがつぶやく。ようやく様子のおかしさに気付き、ハルは少し怯えたような声で「いたいよ」と言った。ジンゴは強くハルの肩を握っている。セシリアが何事かと席を立った。


「お前は、本当に、世界を滅ぼさないのか?」


 震えるジンゴの声に、セシリアの動きが止まった。ハルも目を見開いてジンゴを見上げる。ジンゴは苦しさを吐き出すように言葉を続けた。


「お前は、本当に、無害なのか? 本当に、誰も殺さず、何も壊さないのか? 教えてくれ! 俺は、俺の三十年は――」


 ジンゴの目から、光るものが溢れる。


「何の罪もないお前を、ただ苦しめていただけだったのか!?」


 ハルがハッと息を飲み、


「ごめんなさい――」


とかすれた声で答える。ハルもまた泣いていた。その涙に呪縛を解かれたように、セシリアはハルに駆け寄り、


「やめてください!」


 その身体をジンゴから奪った。セシリアはハルを抱きしめ、ジンゴを強くにらむ。ハルはうつむき、ぎゅっと目をつむって声を押し殺している。泣いていいのは自分じゃない、そう言うように。


 神話の時代、創世の神に逆らい、魔王は世界を滅ぼそうとしたという。魔王は神に破れ、名を奪われて地中深くに封じられた。魔王は生きとし生ける者の敵、世界を滅ぼす絶対悪。その復活を許せば世界は今度こそ滅ぶだろう。三十年前に告げられた神託はそんな内容だった。ジンゴはそれを疑うことなく、世界のために、人々のために、その身に魔王を封じた。そして三十年間、その封印が綻ぶことの無いよう、ずっと戦ってきたのだ。若き日に思い描いていた未来も、人生の望みも全て捨てて、世界を守る、その一心で。しかし今、その魔王が繰り出す拳はジンゴに傷一つ付けることができない。遠足に行ったことを喜び、持って行ったお弁当のことをうれしそうに話す。それは、ジンゴが今まで信じてきた価値観をすべて否定するものだった。魔王を封じる必要はなかった。世界が滅ぶことはなかった。ジンゴの三十年は世界を救うどころか、一人の幼子を苦しめていただけだった。無意味どころか有害だった。そのことをジンゴは今、はっきりと自覚したのだ。


「……すまなかった。すまなかった――」


 両手で顔を覆い、ジンゴは何度もそう言った。英雄と呼ばれることの無かった一人の男の嗚咽を、トラック達は言葉もなく見つめていた。

どんまいっ!

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[一言] >どんまいっ! 軽ぅい!!www
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