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逃走

 ちょうどよいというか、まるで見計らったように、というか、セシリアたちが酒場から出てきたのと同じタイミングでトラックたちがギルドに戻って来た。ハルもミラも小さな袋にいっぱいお菓子を詰めてほくほく顔だ。そしてそれとは別に、ハルはバナナをひと房抱えていた。お、おお、ハル君チャレンジャー。バナナの糖度を読み切る自信があったということなんでしょうかねぇ。


「おかえりなさい」


 そう言ってトラック達を迎えたセシリアにハルが駆け寄ってお菓子の袋を掲げる。ちょっと自慢げな顔が生意気カワイイ。袋を覗き込み、セシリアは少し大げさに驚いてみせた。


「たくさん買ったのね」


 ハルは嬉しそうに「えへへ」と笑った。もうセシリアさんったらすっかり立ち位置お母さんね。ハルは袋からお菓子を取り出してセシリアに説明を始めた。


「あのね、これはね、かりんとう!」


 ハルは包み紙を開いてみせる。ふわっと甘い香りが広がった。おいしそう、だけど子供にしては渋いチョイスだねぇ。


「おいしそうね。私にひとつくださいな」

「ダメー」

「ダメかぁ。残念」


 ちょっと意地悪な顔をしてハルが包みを閉じ、セシリアは笑ってハルの頭を撫でる。ハルはごそごそと袋に手を突っ込み、別のお菓子をセシリアに見せびらかしていった。


「こっちは、ひとくちまんじゅう。これはしおだいふく。こんぺいとうでしょ、それからねぇ、うめこんぶ!」


 ……ケテルにそんなもん売ってんの? 全部煎茶に合いそうなのばっかりなんですけど。食の好みが老練なんですけど。もしかしてハル君、おばあちゃん子?


「こんなにたくさん買って大丈夫? おやつは銅貨三枚までなのでしょう?」


 セシリアの問いに、ハルは少し胸を張る。


「だいじょうぶ! これ全部で、ぴったり銅貨三枚だよ!」

「ずるいのよ、ハル。お店の人にいっぱいオマケしてもらって」


 ミラが若干不満そうにハルを見る。確かにミラの持つお菓子の袋はハルほどには中身が詰まっていないようだ。なるほど、ハルはどうやら幼い外見と自分の愛嬌をフルに使いこなしているらしい。ミラもオマケしてって言えばいいんだよ、とハルは勝ち誇った顔をした。


「でも、それでぴったりだったら、バナナは持って行かないほうがいいのではないの? バナナが甘かったらお菓子を没収されるかも」


 セシリアが人差し指を立ててアゴに当て、思案顔を作る。ハルはふと、急に大人びた顔になっていった。


「セシリアちゃん。僕はね、何もあきらめるつもりはないよ」


 ……急に名言っぽいもの出てきた。遠足のおやつを巡って何を繰り出してんだ。イーリィが思わずといった風情で吹き出した。


「どこで覚えたのそんなセリフ」


 笑われたのが心外だったのだろう、ハルは不満そうに頬を膨らませる。ハルの様子をおかしそうに笑った後、ミラはセシリアに視線を向けた。


「おべんとうは、大丈夫?」


 セシリアは余裕の笑みでそれに答えた。


「もちろん。期待してくれて構いませんよ」


 そこまでの自信を得られるほどの実力はまだないんじゃないかという気がするけど、セシリアは何の問題もないと平然としていて、見ていると何だか大丈夫そうな気になってくるから不思議だ。本当に自信があるのか、ビッグマウスで自分を追い込んでいるのか、相手を安心させるために敢えて装っているのか、外見から判断することは難しいんだけど、何となくセシリアは不安や迷いを人に見せないタイプのような気はする、んだけど、単に天然かも、という気もするんだよね。まあ今回はとりあえずおいしい卵サンドを作ってください。

 ハルとミラが顔を見合わせ、うれしそうに笑っている。おべんとうへの期待値は高い。セシリアは泰然と微笑み、イーリィは若干心配そうな顔でセシリアを見る。そしてトラックは、セシリアたちのほうを向いて、どこを見ているのかはよく分からない。他の冒険者たちは、トラック達の様子にほのぼのしながら、あるいは苦笑いしながら脇を通り過ぎていく。春の冒険者ギルドは穏やかな空気に包まれてた。




 そして一週間が経ち、いよいよ遠足の日がやって来た。セシリアは密かに毎日卵サンド作りを繰り返し、その品質を高めているようだった。毎日大量に生産される卵サンドの消費を託された剣士は三食卵サンドの日々を送っていたが、やっとその役目から解放されてぐったりとしていた。セシリアは事前にかわいいランチボックスを調達し、早朝から一切の妥協なく、己の為しうる最高の卵サンドを作り上げた。食べやすいようにひと口大の正方形に切り分け、犬猫が飾り彫りされたつまようじで固定して型崩れを防ぐ。ウサギのリンゴとさくらんぼをデザートに、パンとデザートの間には水気を切ったサラダ菜の仕切りを入れて味が移らないよう配慮して。開けて楽しい、食べて嬉しい、そんなおべんとうを目指したのだということが一目でわかる。ちなみにバナナはおべんとうとは別に、ひと房丸ごと持って行くらしい。ランチボックスの上にドカッと鎮座している。

 真新しいランチボックスにハルは目を輝かせる。新品のリュックにおべんとうを入れ、水筒にお茶を入れて、もう待ち切れないと言うようにハルは、


「いってきまーす!」


と言って駆け出した。


「あっ、こら! ハル!」


 置いて行かれたミラが振り返り、ハルの背に向かって怒鳴る。しかしハルは振り返りもせず、走って行ってしまった。


「もう!」


 机の上に残されたハルのハンカチに目をやり、ミラが呆れたようなため息を吐く。セシリアはハルのハンカチとミラのハンカチを重ねてミラに渡して言った。


「ハルを、お願いね」


 トラックもまたプォンと、ちょっぴり残念そうなクラクションを鳴らす。おそらく遠足に同行できないことをガッカリしているのだろう。遠足は青空教室の行事で、保護者の同行は認められていないのだ。リスギツネもまた、ミラの足元でクルルと鳴いた。ミラはリスギツネを撫でると、


「うん。まかせて」


とセシリアに返事して、二人分のハンカチをリュックに入れ、ハルを追いかけていった。そして――


「ハルが、いなくなった!」


 真っ青な顔をしてミラがギルドに駆けこんできたのは、それからしばらく経ってからのことだった。




 ミラがギルドを出た時、すでにハルの姿は見えなかったらしい。もっとも行き先は決まっているため、ミラは特に慌てることもなく集合場所――先生の家に向かった。途中で会えればそれでいいし、最悪集合場所で落ち合えばいい。西部街区は下町だがそれほど治安が悪いわけでもないし、危険にほいほい巻き込まれるほどハルは馬鹿じゃない。そう思っていたのだが――


「ハル君? いや、まだ来ていないよ」


 集合場所に着いたミラを待っていたのは先生のそんな言葉だった。ここに至り、ミラは事の重大さに気が付いた。事故? 事件? 様々な想像が頭を巡り、ミラの白い肌がますます白くなった。ミラの様子をいぶかり、先生が軽く眉を寄せる。


「どうしたの? はぐれた?」


 先生の真剣な声音にハッとして、そしてミラは笑って首を横に振った。


「いいえ。あの子、もしかしたら来られないかもって言っていたから、どうかなって」


 とっさに吐いたその嘘はなんとか先生をごまかしたようだ。続々と集まる生徒たちに気を取られ、先生はミラの細かな変化に気付けなかったのだろう。ミラは少し申し訳なさそうな表情を作って先生に言った。


「実は私もトラックのお仕事を手伝うことになって、遠足には行けなくなりました。ごめんなさい、先生」


 頭を下げるミラに、先生は戸惑い気味に答える。


「それは、謝らなくてもいいけど、それを言うためにわざわざ?」


 直接謝りたくて、とミラは言うと、それ以上の会話を打ち切ってその場を離れた。先生が何か言いたそうに「あっ」と声を上げる。これ以上話を続ければ嘘がほころぶ。リュックと水筒を提げて「遠足に行けなくなりました」なんて、説得力は皆無だったろうから。

 ミラは来た道を逆にたどり、ハルの気配を探した。ハルが魔王の力を失っていることが、今は恨めしい。魔王の力を宿したままならその気配はどれほど離れていたって探せるはずなのに。ギルドから先生の家の前までのルートに迷うほどの複雑な分岐はない。ミラは懸命にハルの姿を捜し、


「……見つからない――」


 あふれそうになる涙を必死にこらえ、そしてミラは決断する。自分ひとりでどうにかなる問題じゃない。トラック達に助けを求めるため、ミラはギルドへと向かって走った。




「……ハルのこと、お願いって、言われたのに――!」


 経緯の説明を終え、堪えていたものが切れたのだろう、ミラの目から大粒の涙がこぼれた。責任を感じているのだ。ハルをすぐに追いかけなかったことに。ハルを見失ってしまったことに。


「大丈夫。みんなで捜せばすぐに見つかる」


 泣いているミラを抱きしめ、セシリアは自分に言い聞かせるように言った。剣士がトラックに声をかけ、トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ミラは涙をぬぐうと、「私も行く」と言ってトラックを見据えた。「手分けして捜しましょう」とセシリアが言葉を継ぎ、トラックが了承のクラクションを返す。


「手の空いているギルドメンバーに声をかけてみるわ。人捜しが得意なメンバーもいるから」


 そう言ってくれたイーリィに感謝を伝え、トラック達はギルドを飛び出していった。




 トラック、セシリア、ミラ、剣士はそれぞれ手分けして、ギルドのある中央広場から西部街区に至る道を、ハルを捜して駆け回った。イーリィから話を聞いたイヌカやルーグ、それから何人かのギルドメンバーが手伝ってくれているようだ。しかし、ハルがいなくなった時間帯が早朝だったこともあり目撃者さえ見つからない。俺も空から捜してるんだけど、それらしい人影を見つけられないでいる。まあ俺が見つけたところで俺が安心するだけであんまり意味はないんだけど。

 セシリアが急に立ち止まり、呼吸を整える。ふっ、と短く強い息を吐き、目を閉じると、口の中で小さく何かつぶやきながら集中を始めた。腰まである栗色の髪が風もないのに踊り始める。え、ちょっと、道の真ん中ですよ? 朝とはいえそれなりの人通りはある。行き交う人々が不審げな視線をセシリアに向けた。


「はっ!」


 目を開き、気合と共にセシリアは両手のひらを突き出した。セシリアを中心に光が広がる。その光はケテル全体を覆い、そして一瞬で消えた。スキルウィンドウが揺らめきながら姿を現す。


『アクティブスキル(ベリーウェルダン) 【アクティブソナー】

 発動者を中心に探針音を発し、その反射で相手の位置を特定する。

 探針音に反応する相手を任意に設定することが可能。

 消費MPに応じて効果範囲が拡大する』


 スキルのレアリティはセシリアの焦りを表しているのだろうか。セシリアは再び目を閉じ、じっと耳を澄ませる。十秒ほどして目を開け、


「……見つけた」


 セシリアはそうつぶやき、駆け出――そうとしてよろけ、道を歩いていたおっちゃんとぶつかった。顔色が明らかに悪い。アクティブソナーをケテル全体に向けて放つのは、セシリアがいくら優秀な魔法使いだったとしても無茶な話だったのだ。


「申し訳、ありません」

「い、いや、こっちはいいが……あんた、大丈夫かね?」


 心配してくれたおっちゃんに礼を言って、セシリアは再び走り出した。アクティブソナーは発動した時点での相手の位置しか教えてくれない。急がなければ、移動されてしまうと困るのだ。祈りの言葉をつぶやきながら、セシリアは西部街区の細い路地へと飛び込んだ。




「ハル!」


 視界にその姿を捉え、セシリアはハルの背に向かって叫んだ。西部街区の裏路地、水路沿いの道を、ハルはトボトボと歩いていた。セシリアの声にハルはビクリと身体を震わせ、おそるおそる振り返った。


「……セシリアちゃん」


 か細い声でハルがつぶやく。何かを怖れるように、ハルは忙しなく視線をさまよわせる。ハルに駆け寄り、セシリアは辛そうに肩で息をしながら、それでも強い安堵をその顔に浮かべた。


「よかった、無事で。みんな、心配、してたよ。どうして、こんな、ところに?」


 荒ぶる呼吸のまま、途切れ途切れにセシリアは問う。ハルはひどくためらった様子でうつむき、何かを言いかけて、何も言わずに口を閉ざした。ぜぇぜぇと言っていた呼吸が徐々に落ち着き、セシリアはふと、何かに気付いたような顔をした。


「……リュックは、どうしたの?」


 ハルは再び、弾かれたように身体を震わせた。朝、おべんとうとおやつを詰めた真新しいリュックサックを、ハルは今、背負っていなかった。


「それは……」


 それだけ言って言い淀み、ハルはぎゅっと自分の服の裾を握った。言えない、言いたくないことがある、そんな沈黙が流れ、やがてハルは顔を上げると、キッとセシリアをにらんだ。


「す、捨てちゃったよ、あんなもの!」


 え? と声を漏らし、セシリアが目を見開いた。ハルの顔に強い恐怖が浮かぶ。唇を噛み、ハルはセシリアに背を向けて走り出した。セシリアはぼうぜんと立ち尽くしている。ハルが路地の角を曲がり、その姿が見えなくなった。セシリアは――


 ハルを、追いかけることができなかった。

いや、かわいいおべんとうじゃなくてカッコいいおべんとうがよかった、とか、そういう話ではない。

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[一言] 子育てって難しい( ˘ω˘ )
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