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名前

 名前をもらってはにかむ魔王の姿を、ジンゴは複雑な表情で見つめる。目の前にいる少年は、ジンゴの記憶の中にある魔王の禍々しい気配を確かに身に宿しているのだ。ハルは魔王であることに間違いないが、魔王としての力はもはやない。無害なら魔王は滅ぼさなくて良いのか、無害であっても魔王は滅ぼさないといけないのか。その答えはハルのこれからの行動が教えてくれるのだろう。


「考えてみれば」


 シェスカさんがハルを見つめながらぽつりと言った。


「三十年前のあの戦いでも、魔王は私たちを攻撃したりはしなかったわ」


 三十年前、魔王はシェスカさんたちの攻撃をまるで無防備に受け続けた。それは力の差ゆえの、ノーダメージなら避ける必要も防ぐ必要もない、ということの現れだとシェスカさんたちは思っていたようだが、実はそうではなかったのかもしれない。本当に戦う気はなくて、だから攻撃が止むまで、攻撃に疲れて話を聞いてくれる時が来るまで、じっと待っていたのかもしれない。あるいは、攻撃を受けるということでさえ、魔王にとっては喜びであったのかもしれない。誰かがいる、そのことは、「さみしい」よりもはるかにマシだったのかもしれない。

 ミラがハルの手を握って立たせ、リスギツネがハルの頭に乗る。まるで姉弟みたいで非常に微笑ましい。ミラと手をつないだまま、ハルはジンゴを見つめた。


「魔王は、やめる。僕はハルだから」


 ジンゴは首を横に振り、疲労を吐き出すように言った。


「その言葉を素直に信じられる人生じゃなかった。もしおかしな素振りを見せたら、すぐにでも封じてやる」


 プァン、とトラックが割って入り、ミラがハルとつないだ手に少し力を込めた。ふんっと鼻を鳴らし、ジンゴはトラックをにらむ。しかしその目からは、先ほどにはあった強い怒りや憤りが消えていた。


「言葉じゃなく行動で証明しな、ヒヨッコども」


 ジンゴはそう言うとベッドに移動して腰を下ろし、アゴで玄関を示した。話は終わり、もう帰れ、ということだろう。トラックが先導して外に向かい、ミラとハルとリスギツネ、そして剣士とセシリアが続いた。部屋を出る間際、セシリアは振り返ってもう一度ジンゴに頭を下げた。ジンゴは面倒そうに、さっさと行けとばかりに手を振った。シェスカさんは残るつもりなのか、トラック達と一緒には来なかった。


 ジンゴの家を出ると、いつの間にか太陽はすっかり高い位置まで登っていた。【ダウンサイジング】で小さくなっていたトラックが元の大きさに戻り、ミラを運転席、ハルを助手席、剣士とセシリアを荷台に乗せて走り始めた。リスギツネはずっとハルの頭上に乗っている。ハルも別に嫌じゃないらしく、リスギツネのシッポを撫でていた。ジンゴの家の屋根に止まっていたらしい一羽のフクロウが森の方へ飛び去って行くのが見える。トラックのエンジン音に驚いたのかな。あれ、でもフクロウって夜行性じゃなかったっけ? こんな真昼間から活動するような鳥だっけ? それともアレか、異世界だから?




 ギルドに戻って来たトラック達を出迎えるように教会の鐘が鳴る。時刻はちょうど正午になっていた。ちなみに教会は中央広場にほど近い場所にあり、建物もそれなりに大きい。鐘の音がケテル全体に行き渡るように設計されているらしく、ギルドで鐘の音を聞くと結構な音量、というか、有体に言ってかなりうるさい。慣れていないハルが不快そうに顔をしかめた。ミラがハルを見て小さく笑う。ちょっとお姉さんぶっているようだ。

 セシリアたちを降ろし、トラックはギルドの中に入る。マスターには経緯を報告しないといけないだろう、ということで執務室に向かおうとしていたのだが、マスターはロビーにいて、先にこちらの姿を見つけて声を掛けてきた。


「おう、トラック。戻ったか――」


 軽く手を挙げてそう言ったマスターは、ハルに目を留めて絶句した。忘れようにも忘れられない気配をハルに感じ取ったのだろう。顔色は急速に青ざめ、そしてマスターは絞り出すようにトラックに問う。


「……ジンゴは、どうなった?」


 トラックは短くクラクションを返す。セシリアが「詳しい話は向こうで」と言って執務室を指した。ぎこちなくうなずき、マスターは早足に執務室へと入った。




「そう、か……」


 事の顛末を聞いて、マスターは椅子の上で深く息を吐いて全身の力を抜いた。ジンゴは生きていたと聞いてまず安心したということなのだろう。ハルに魔王の気配を感じ取ったなら、マスターの脳裏に最初によぎったのはジンゴの腹を食い破って魔王が飛び出してきたイメージだったろうから。しかし安心して終わり、というわけにもいかない。ジンゴは助かったが、目の前に魔王がいるのだ。マスターの立場上見ないフリもできまい。


「お前さんたちは魔王を、どうするつもりだ?」


 腕を組み、難しい表情を作ってマスターは問うた。魔王を保護するなんて、通常の人間の発想にはない。ならば何らかの意図を疑うのは当然だろうし、トラック達はこの先も、ハルが魔王だと知られるたびに、意図を疑われることになるだろう。さらにはもし何か、他者にとって都合の悪いことが起これば、「それ見たことか」と言わんばかりに糾弾されることになる。マスターの問いにはおそらくそういうことも含まれているのだ。


「魔力を失えば普通の子と変わりはありません。普通に育てればいい」


 セシリアは動じることなくそう答えた。ハルが緊張の面持ちでミラとつないだ手に力を込める。ミラはぎゅっと手を握り返した。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。マスターは目を閉じ、深いため息を吐いた。


「『普通に育てる』なんて簡単に言うが、お前さんたちに子育ての経験はねぇだろ? 俺も偉そうに言えた義理じゃねぇが、子供の世話は甘くねぇぞ? 無理でしたっつって山に捨てるわけにもいかねぇ。覚悟は、あるんだろうな?」


――プァン!


 思いのほか強く、トラックはクラクションを返した。皆が驚いたようにトラックを見る。ハルとミラは目を丸くして、口の中で小さく「……家族」とつぶやいた。微笑みを浮かべたセシリアがマスターに言った。


「マスターは以前、おっしゃってくださったでしょう? 頼れと。ひとりで万能になる必要はないと。私たちは未熟です。どうかお力をお貸しください」


 意表を突かれたようにマスターは口を開け、そして苦笑いを浮かべて「……そういうつもりで言ったんじゃねぇんだがな」と頭を掻いた。ふっと場の空気が和む。軽く伸びをして、マスターは覚悟を決めたように顔を引き締めた。


「正直に言うとな、魔王が生きてたってことが世間に知れたら三十年前のウソがばれる。そいつは評議会にとってもギルドにとっても都合が悪いんだ。だからハルは魔王であっちゃ困る。そのために必要な支援はいくらでもしよう。滅ぼすことも封じることもしないなら、他に選択肢はねぇからな」


 セシリアたちはほっとしたように息を吐いた。とりあえずマスターを味方に付けることはできたようだ。マスターは椅子から立ち上がり、ハルの前に立つと、膝を床に突いて目線の高さを合わせた。


「……三十年前のことを、覚えているか?」


 ハルは小さくうなずく。マスターは言葉を続けた。


「恨んで、いるか?」


 ハルは首を横に振った。「そうか」と目を伏せ、マスターは独り言ちる。


「魔王と話す、なんて、思いつきもしなかった。魔王は世界を滅ぼす、復活の前に滅ぼせと、神託を疑いもしなかった。あの時、復活したお前さんと話をしていたら、互いにもっといい未来があったのか?」


 ハルはじっとマスターを見つめ、そして言った。


「わからない、けど、きっと、何もかもうまくいく方法なんて、ない」


 顔を上げ、少し苦笑いを浮かべて、マスターはハルの頭を撫でた。


「三十年前のことを話していただけますか? 認識を合わせておきたいのです」


 セシリアの言葉に、マスターは『魔王殺し』の英雄譚の真実を語った。




 マスターが語った真実は以前にシェスカさんがトラックに語った事とほとんど変わらなかった。教会の神官によってもたらされた魔王復活の託宣、その解釈を巡る他種族間の対立、魔王の復活、戦い。ジンゴのユニークスキル【うわばみ】による魔王の封印。託宣の内容の市中への流出。託宣に動揺する人々を静めるため、ケテル上層部やエルフ、ドワーフを始めとする諸族の長はマスター達三人が魔王を滅ぼしたことにして、ジンゴがスキルで魔王を封じたに過ぎないという事実を隠ぺいした。そしてその嘘を糊塗するためにマスターはシェスカさんと共にSランクの称号を授けられ、その『功績』によってギルドマスターの地位に就いた。


「嘘に嘘を重ねて辿り着いたのがこの椅子だ。笑えねぇだろ?」


 おどけた表情を作って肩をすくめるマスターに、セシリアは首を横に振る。


「ただ過去の功績のみで膝を折るほど、ギルドの方々は素直ではないでしょう。あなたがその地位にふさわしいと認めればこそ、皆があなたに従う」


 ありがとよ、と言ってマスターは笑う。しかしその顔には、普段には見せない深い疲労のような色が見て取れた。シェスカさんは偽りの英雄を演じることに疲れ、結婚を機に冒険者を引退したと言っていた。マスターは独り残り、偽りの英雄を演じ続ける道を選んだ。それはたぶん私利私欲ではなくて、魔王後のこの町に英雄が必要だったからだろう。託宣に動揺した住民たち、魔王への対処を巡り対立した諸部族、ケテルにおける冒険者ギルドの地位、評議会との関係、それらすべてが英雄を望んでいた。自ら望んだわけではない英雄の名を、マスターは背負ったのだ。

 ハルはじっとマスターの話を聞いていた。自分にも関係のある話であるにもかかわらず、話の最中にハルの表情はあまり動かなかった。話を終え、力なく笑うマスターにハルはそっと手を差し出す。いぶかしげな表情になったマスターの目の前で、ハルの差し出した手のひらの上に、出来立てのバタピーが湧いて出た。


「おまえ……」


 驚きを顔に表したマスターを、ハルはじっと見つめる。バタピーを受け取り、マスターはその一粒を口にする。カリッと小気味いい音が部屋に響いた。


「……うまいな」


 そう言ったマスターに、ハルは嬉しそうな顔を向けた。




 こうしてハルは晴れてトラック一家の一員となった。ハルが魔王であることは一部の人間を除いて秘密にすることとし、対外的にはハルはトラックの遠戚の子と説明することで皆の口裏を合わせた。いったい何親等離れたらトラックと美少年が繋がるのか激しく疑問だが、まあ人間以外の種族が豊富なこの世界なら何となく「ふぅん」で済んでしまうのだろう。そういえばミラがトラックといても特に疑問を投げかけられたことはない。そもそも冒険者ギルドはメンバーの私的な事情をあまり詮索しないのが不文律になっていることもあり、ハルは案外あっさりとケテルでの生活を始め――そして、数日が経った。




 西部街区の路地でハルがしゃがみ込み、野良猫の子供に話しかけている。


「おまえ、名前は?」


 仔猫はにゃーと返事をした。ハルはとても自慢げに、満面の笑みでさらに話しかける。


「なんだ。名前がないのか。僕にはあるんだぞ。僕は、ハルっていうんだ」


 仔猫は興味の無さそうにあくびをして、ふいっと身を翻し、路地の奥に歩いて行った。「あっ」と声を上げてハルは不満そうに頬を膨らませ、仔猫の後ろ姿を見送る。


「ハル! 行くよ!」


 ミラが少し離れた場所から声を掛けた。荷物の受け渡しを終え、次のお届け先に行くのだ。トラックがぶぉんとエンジン音を鳴らす。


「待って!」


 ハルはこぼれるような笑顔でミラに駆け寄る。トラックが助手席の扉を開いた。

ハルが話しかけていた野良猫の仔は、ハルがジンゴの家で唱えた二番目の魔法で召喚した仔です。

可愛いけれど魔獣ですネ。

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[一言] >「わからない、けど、きっと、何もかもうまくいく方法なんて、ない」 何て含蓄のある言葉( ˘ω˘ )
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