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解放

 病的に痩せ、頬はこけて、目だけがぎょろりと鋭いその男――ジンゴは、苦しげに息をしながら奥歯を噛んで痛みに耐えているようだ。ときおり顔をしかめ、呻き声が口から洩れる。


「ジンゴ!」


 シェスカさんの悲鳴に似た呼びかけを無視して、ジンゴは手首を掴んだ手を離し、コップに並々と注がれた透明な液体を一気にあおった。口の端から液体がこぼれ、シャツに染みを作る。タン、と乱暴にコップを置き、ジンゴは手の甲で口を拭った。


「ジンゴ、というと、もしや『千鳥足』のジンゴ?」

「マスターと共に魔王を倒したという、あの!?」


 セシリアと剣士が驚きと、そして若干の落胆を見せる。魔王殺しの英雄譚の登場人物が見るも無残な飲んだくれになっていることにガッカリしたのだろう。セシリアたちは魔王殺しの真実を知らないのだ。魔王は滅ぼされたのではなく、ジンゴのユニークスキル『うわばみ』によって彼の体内に封じられただけだということを。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。大きく息を吐き、ジンゴは再びトラックをにらんだ。


「黙ってろ若造が! てめぇに指図される覚えはねぇよ!」


 そう吐き捨てると同時に、ジンゴは苦しげに咳き込んだ。シェスカさんがジンゴの背をさすりながらトラックに言った。


「彼はお酒なんて飲んでいないわ。彼が飲んでいるのは――」

「シェスカ!」


 シェスカさんの言葉を声を荒らげて遮り、ジンゴは再び咳き込んだ。シェスカさんは唇を噛む。周囲に集まっていたやじ馬たちがざわめいた。かつては魔王殺しのグレゴリ、シェスカとパーティを組み、今は落ちぶれて飲んだくれになった、というのが今のジンゴの世評なのだが、『酒を飲んでいない』というシェスカさんの言葉が真実だとするとつじつまが合わなくなる。勘のいいヤツなら気が付くかもしれない。魔王殺しの英雄譚の嘘に。セシリアはじっとジンゴを見つめている。ジンゴは鼻にシワを寄せ、小さく舌打ちをすると、トラックにイヤそうな顔で言った。


「おい、若造。俺を運べ。このおしゃべり婆さんが妙なことを口走る前にな」


 シェスカさん、セシリア、剣士の三人がトラックを見る。トラックは少しの間ハザードを焚くと、【念動力】でジンゴの身体を浮かせ、運転席に座らせた。助手席にいたミラがジンゴを見上げて顔を強張らせ、「この気配は……」とつぶやいた。

 トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ミラが助手席から後ろの仮眠スペースに移動し、助手席にシェスカさんを招いた。ウィングが開き、セシリアと剣士が荷台に乗り込む。トラックはゆっくりと旋回し、クラクションを鳴らしてやじ馬を散らすと、ギルドを出て外に向かった。




 ジンゴは運転席に背を預け、指さえ動かすのがおっくうだという様子で浅く呼吸を繰り返している。シェスカさんは心配そうにジンゴの横顔を見つめていた。ジンゴはか細い声でトラックに行き先を指示し、やがてトラックは西部街区の奥、シェスカさんやエバラ一家の家がある場所の更に先にある、一軒の粗末な家に辿り着いた。ここが今のジンゴの住まいなのだろう。シェスカさんもそうだけど、かつて魔王と戦った英雄とは思えないほど、ジンゴの生活は慎ましいようだ。


「……降ろせ」


 ジンゴがそう言い、トラックはシートベルトを外してジンゴを【念動力】で運転席から降ろした。剣士とセシリアがジンゴの肩を支え、家の中に運ぶ。シェスカさんが済まなさそうに頭を下げ、後に付いて家に入った。ミラもリスギツネを抱えて続き、最後に【ダウンサイジング】を使ったトラックが玄関を閉めた。

 家は四畳半くらいの部屋が二部屋とトイレくらいしかなく、隙間風が吹くような安普請の壁で肌寒い。踏むとギシギシと鳴る床には空の酒瓶が転がり足の踏み場もない。部屋は一つが台所でもう一つが寝室のようだが、台所が台所として使われている形跡はなく、ただの酒瓶置き場になっていた。寝室も床は酒瓶置き場だが、ベッドまでの動線は辛うじて確保されており、ベッドの上には酒瓶はなかった。飲むか寝るか、それしかないような荒んだ生活が想像される、寒々しい家だ。

 剣士が酒瓶を足でどけ、床を広げる。ガラス瓶がぶつかり倒れるガチャンという音がやけに大きく響いた。ベッド脇までジンゴを運ぶと、ジンゴは剣士たちを振り払い、ベッドに倒れ込んだ。ごろりと仰向けになり、大きく息を吐く。顔色は相当に悪い。


「世話を掛けたな、ヒヨッコども。だがもう帰れ。お前たちに用はねぇ」

「そんな言い方!」


 シェスカさんが怒った顔を向けても、ジンゴはそれに応えようともしない、というより応えられないのだろう。横になったジンゴは目を閉じ、口を閉ざした。


「ここにあるのはすべて、聖水ですね?」


 セシリアは静かな口調で言った。え、そうなの? ジンゴって聖水で酔っちゃうタイプ? いや、そんなタイプいるのか知らんけど。ジンゴは何も答えない。代わりにシェスカさんが口を開いた。


「その通りよ。ジンゴは三十年前からずっと、聖水を飲み続けている」


 どうして、とセシリアが問う前に、じっとジンゴを見つめていたミラが答えを口にする。


「魔王を、封じているのね」


 セシリアと剣士が驚きに目を見開く。まあ驚いて当然だろう。滅ぼされたと聞いていた魔王が実は、今目の前にいる男に封じられていたと聞けば誰でもそうなる。シェスカさんも驚きを示し、「どうして?」とミラを見つめた。


「三十年前の魔王の波動は私も感じていた。あの禍々しい魔力は忘れようもない」


 こらこら、ミラさんや。私も感じていたって、そんな当時その場にいたみたいなこと言って。そんなわけないでしょや、君が生まれる前の話よ。

 トラックが不思議そうにクラクションを鳴らす。ミラはトラックを振り返って言った。


「……八十二歳」


 すんませんっしたーーー!!

 年下だと思ってましたすんませんっしたーーー!!

 呼び捨てとかしてほんとすんませんっしたーーー!!


 そうだそうだ、ミラさんは元々ハイエルフなんだから、人間基準で見た目から判断できないんじゃん。いや、見た目七、八歳くらいだからさぁ。何となくそういう年齢の子の扱いになっちゃうんだって。俺が悪いわけじゃないって。人間は視覚情報に頼る生き物なんだって。

 ちっ、と忌々しそうにジンゴが舌打ちをする。知られなくていいことを知られてしまった、そう言いたいような感じ。


「そう、だとして、ヒヨッコどもにゃ、関係、ねぇだろ」


 ジンゴは浅い呼吸のまま、途切れ途切れに憎まれ口を叩いた。なんかさっきより辛そうだな。悪くなってない? 症状悪くなってない? シェスカさんがベッド脇に座ってジンゴの手を取る。振り払う気力も無いのか、ジンゴはされるがままだった。


「ジンゴは三十年間ずっと聖水を飲み続けて、少しずつ魔王の力を削っていったの。魔王はどんどん力を失っていって、もうすぐ消えるんじゃないかって、そう言っていたのに……」


 もし魔王を本当に滅ぼすことができれば、ジンゴは魔王の封印という重い荷を下ろすことができる。長い義務からようやく解放される。自分の人生を取り戻せる。しかしこの正月のあたりから、ジンゴの中の魔王は急に『暴れだした』のだという。それが滅びに抗う最期のあがきなのか、何らかの理由で力を取り戻しつつあるのか、それは分からない。分かるのは外へ出ようとする魔王の気配がジンゴの内側を蝕んでいるということだ。年明けから体調は急激に悪化し、ついに今日、動けなくなるほどの激痛がジンゴを襲った。


「……魔王は、滅んだ。それ、が、世間の、真実、だ。誰も、魔王に、怯え、る、必要のない、世界だ。それが、正し、い、世界、の、姿だ」


 あえぐように声を絞り出し、ジンゴは激しくせき込む。シェスカさんがジンゴの手を強く握った。トラック達はジンゴの言葉にじっと耳を傾けている。


「魔王、は、俺が、連れて、いく。魔王、が、解き、放たれたら、世界は、終わる。大勢が、死ぬ。そんな、ことは、絶対、に、させねぇ。これは――」


 閉じた目を開き、血走った目で、ジンゴはトラックを強くにらみ据えた。


「――冒険者としての、俺の矜持だ!」


 三十年前、冒険者として頂点の位置にいた一人の男は、魔王を身の内に封じたことで力の全てを失い、冒険者を退いた。自らの持てる全ての力を注がねば、封印を維持できなかったからだ。だが彼は、ずっと冒険者だったのだ。落ちぶれたと言われても、憐みの目で見られても、彼はずっと戦っていた。世界を守るために、人々を守るために、独りで魔王と戦っていたのだ。それが冒険者というものの真の姿だと、己の矜持だけを支えにして。


――プァン


 トラックが静かに、しかし確かな意志を持ったクラクションを鳴らす。セシリアが微笑み、剣士が苦笑いを浮かべた。ミラがトラックを振り返り、こくんとうなずく。シェスカさんが驚きの声を上げた。


「取り、出す?」


 トラックが前に進み出る。何をしようとしているか、その回答を示すように、軽薄な効果音と共にスキルウィンドウが姿を現す。


『スキルゲット!

 アクティブスキル(VR(ベリーレア)) 【心霊手術】

 患者の身体を物理的に傷付けることなく病変のみを切り取る

 神秘の霊的手術を施す』


 ……なんかオカルティックなスキル覚えちゃったなぁ。えーっと、てことは、今回のジンゴの不調の原因は魔王だから、ジンゴから魔王を切り離して取り出そうってこと? 魔王ってそんな、おできみたいな扱いなの?


「やめろ! 安い同情で、世界を滅ぼす気か!?」


 トラックの意図を理解し、ジンゴは激しい怒りを叫び、そして身体をくの字に曲げて咳き込んだ。セシリアが託宣のように告げる。


「これは安い同情ではない。たった一人が己を犠牲にして世界を守る、それは世界の正しい在り方ではない」


 剣士がうなずき、


「確かに俺たちは、あんたから見りゃヒヨッコだけどな」


 にやりと不敵な笑みを浮かべた。


「魔王ぐらい、倒せるさ」


 【心霊手術】が発動し、ジンゴの腹の辺りの空間が切り開かれる。そこにはジンゴのユニークスキル【うわばみ】が作り出す異空間が広がっていた。ジンゴが悲鳴のような叫びを上げる。トラックは異空間の奥にある『それ』を引きずり出した。禍々しい魔力をまとい、『それ』が口の端を上げる。


「よくぞ我を解き放ってくれたな、愚かな人間どもよ! まずは貴様らの血肉を生贄として、世界廃滅の始まりを言祝ぐ祝祭としてくれようぞ!」


 姿を現した『それ』を目の当たりにして誰もが言葉を失い、目を丸くする。驚きを以て迎えられたことに、『それ』はご満悦の様子だった。仔猫のように首の後ろを掴まれた感じで、『それ』はぷらんと空中に浮かんでいる。トラックの【念動力】が支えているのだろう。『それ』は腕を組み、満足そうに何度もうなずいた。


「……魔王?」


 シェスカさんがかすれた声で問いかける。『それ』は大きくうなずき、


「いかにも」


と答えた。部屋の中に戸惑いの空気が満ちる。何か、期待していたのと違う雰囲気を察したのか、魔王は軽く首を傾げた。その姿は――六歳くらいの男の子にしか見えなかった。

 セシリアが荷物から手鏡を取り出し、そっと魔王に差し出す。怪訝そうな顔で手鏡を覗き込み、一度目を逸らし、二度見して、


「な、なんじゃこりゃぁぁぁーーーーーっっ!!!」


 魔王の驚愕の叫びが部屋の薄い壁を震わせて響いた。

ジンゴの初登場はいつ? 正解は――

第二十話『英雄譚』の冒頭シーンで「カウンターの一番奥で昼間っから飲んだくれているおっさん」が、実はジンゴでした。分かったかな?

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[一言] >第二十話『英雄譚』の冒頭シーンで「カウンターの一番奥で昼間っから飲んだくれているおっさん」が、実はジンゴでした。分かったかな? 分かるかああああ!!!!!wwww
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