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伏兵

 南東街区は、文字通りケテルの町の南東にある区画で、北部街区とは別の意味で、普通の人間には縁のない場所だ。北部街区がこの町の夢なら、南東街区はこの町の影。商売に失敗してすべてを失った者たちが集まる、敗北者の墓場なのだ。ここにいる人間はみな、一様に死んだ目をして、どこか卑屈に背を丸めている。家とも呼べないような板切れとボロ布で作られた住居が並び、鼻をツンと刺激する異臭がどこからともなく漂ってくる。むき出しの地面のデコボコとした道は狭く、トラックが通るギリギリの幅しかない。おおよそ無計画に作ったであろうその道は、くねくねと曲がりくねって方向感覚を狂わせている。

 深夜だというのに、起きて活動している人の気配はあちこちにあった。トラックのヘッドライトに驚いたのか、道端でこそこそと話をしていた男たちが、慌てて家の中に消えた。トラックは散乱するごみを踏み潰し、あるいは道にはみ出した家財をなぎ倒しながら、まるで迷路のような住宅密集地を抜け、南東街区の東の端にある空地へと辿り着いた。




「じ、じぬがとおぼった。ぼうだべがどおぼった……!」

「でも、生きてる! 生きてるぞ、俺たちは!」


 目的地に到着して停車したトラックの前で、剣士と使いの男が地面に膝をつき、抱き合って泣いている。高速で移動するトラックのキャビンの上に乗せられるという過酷な体験を共に乗り越え、妙な友情が生まれたらしい。互いの無事を喜ぶように、二人は互いに相手の背中を軽く叩いた。

 トラック達が連れてこられたのは、ケテルを囲む外壁にほど近い空き地だった。誰も手入れをしていないようで、地面には足首程度の高さの雑草がはびこっている。ところどころに、ちょうど大人が身体を丸めて転がったくらいの大きさの岩がある以外に視界を大きく遮るものは周囲になく、ここが取引場所に指定されたのは、きっと人が隠れる余地がないからだろう。伏兵はいない、という、迎える側の意思表示ということだ。


「ロジン、てめぇ何やってやがる!」

「す、すみません、ヘルワーズさん!」


 ドスの効いた声に一喝された使いの男が慌てて剣士を突き飛ばし、立ち上がって声の主の許へと走った。剣士がゆっくりと立ち上がって、膝についた土を払う。セシリアがトラックを降り、剣士の隣に並んだ。トラックの正面には、ロジンと呼ばれた使いの男を怒鳴った男がいて、ヘッドライトの光のまぶしさに不快そうな表情を浮かべていた。ヘルワーズ、というのがその男の名前なのだろう。


「あんた、意外と下っ端だったのか?」


 剣士がヘルワーズに向かって声を掛ける。彼はウォルラス邸で会った使用人だった。もっとも今は使用人の服装ではなく、いかにもならず者っぽい恰好をしていた。筋肉自慢なのか、上半身は半裸と言って差し支えない姿をしている。おお、腹筋割れとる。


「人手が無くてな。使える部下がいないせいで、何でもかんでも俺が出張らにゃならん」


 妙に実感のこもった声音でヘルワーズが剣士に答え、彼の隣にいたロジンがばつの悪そうな表情に変わる。とんだ流れ弾に当たったという顔だ。年下の上司にさりげなく無能呼ばわりされ、言い返せもせずに言葉を飲み込むアラフォー男の悲哀よ。


「猫は?」

「は、はいっ! あのデカいのの腹の中に」


 ヘルワーズはロジンに、視線も向けないまま短く問い、ロジンは背筋を伸ばしてすぐに答える。ヘルワーズはその答えに一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに得心した様子で頷いた。


「つまり、あの野郎を潰して腹を掻っ捌けばいいってことか」


 ヘルワーズの声の大きさも、口調も、明らかに『つぶやいた』ではなく、剣士たちに聞かせることを意図している。言葉に反応した剣士が声を上げた。


「おいおい、物騒だな。俺たちは交渉に呼ばれたはずだが?」


 ヘルワーズは口の端を歪め、バカにしたように剣士を見て、


「めでたい野郎だ。本当にお前らが俺たちと対等に交渉できると思ってんだからな」


 そう言うと、周囲に向かって大きな声で怒鳴った。


「おい、もういいぞ!」


 怒鳴り声を受けて、トラック達の周囲を囲むようにチンピラ風の男たちが姿を現した。セシリアが素早く振り返り、状況を確認する。ずいぶん若い、たぶん十代後半の奴らばかり、総勢十名というところだろうか。チンピラたちは大型のナイフやら手斧やらを手に、にやにやと下卑た笑みを浮かべていた。チンピラたちはずっと待っていたのだ。もういいぞと言われるまでずっと、岩の模様が書かれた布を被り、地面に丸まったままで。

 ……ツラい! ツラいよその仕事! トラック達が来るまで、下手したら一時間以上、じーっと岩のふりして丸まってたの? 見合う時給もらってる? 転職考えた方がいいって、絶対!


「ガキがイキがった報いだ。せいぜい後悔しながら死んでいけ」


 ヘルワーズが余裕の笑みで剣士に死を宣告する。剣士はその言葉には答えず、隣にいるセシリアに目配せした。セシリアは軽く頷くと、杖を掲げ、すばやく呪文を唱えた。


「雷の民よ。雷雲を棲み処とする者よ。愚者を捕える鉄の檻を築け!」


 セシリアの掲げた杖から天に光の柱が伸びる。すると光の柱への返礼のように、空から巨大な鉄柱が次々と降り注ぎ、その場にいる全員をすっかり取り囲むように地面に突き刺さった。突き刺さった鉄柱からは隣り合う柱同士を結びつけるかのように鉄線が伸び、絡まり合って、鉄柱の囲いの内と外を完全に遮断した。時間にして十秒程度。チンピラたちはその突然の出来事に、あっけにとられたようにポカンとした表情を浮かべた。


「な、なんだこりゃ?」


 チンピラの一人が囲いに近付き、鉄線に手を伸ばす。


「むやみに触らない方がいいぜ?」


 剣士の忠告を無視して、チンピラは鉄線に触れる。


 ――バチバチバチっ!!!


 無数の白い火花が散り、「ぎやあぁぁぁーーーー」という叫び声を上げて、鉄線に触れたチンピラは地面に倒れた。口から黒い煙を吐き、白目をむいて完全に気絶している。そしてその髪は、一瞬にして見事なアフロヘアーへと姿を変えていた。


「ア、アフローっ!?」

「大丈夫かアフロ!?」

「しっかりしろアフロ! 死ぬなアフロ!」


 周囲のチンピラが倒れたチンピラに駆け寄り、声を掛ける。倒れたチンピラは今この時を以て『アフロ』と命名されたようだ。今までアフロじゃなかったのに、今も好きでアフロなわけじゃないのに、きっと彼はこの先もずっとアフロと呼ばれるのだろう。アフロという名の業を一生背負って生きなければならないのだろう。どうか、強く、生きろ。俺はそっと空に祈った。


「てめぇ、何のつもりだ」


 こわばった表情で、ヘルワーズが剣士をきつく睨む。手のひらで踊らせていたはずのバカなガキが、予想に反した行動をしたことに強く苛立っている。


「交渉する気が無いのはお互い様だってことさ」


 剣士は腰の剣を抜き、ヘルワーズに向かってその切っ先を突きつけた。目論見を完全に外されたことに気付いて、ヘルワーズは苛立ちを吐き出すように大声で叫んだ。


「殺せ!」


 アフロの周りに集まっていたチンピラたちが、血走った目でトラック達を睨む。そして、それぞれの得物を握り締め、ゆっくりと足を踏み出した。すると。


「お前ら、こんなおっさんと女と箱? になにマジになってんの? 恥ずかし」


 チンピラの中でひときわ背の高い男が、周囲に冷水を浴びせるようにそう声を上げた。その男はチンピラたちの中のリーダー格なのだろう。年齢は十八くらいだろうか。両手持ちの大きな戦斧を肩に担いでいる。チンピラたちは足を止め、戸惑ったようにリーダーの顔を伺う。


「で、でも、ノブ君」

「でもじゃねーよ。おっさんと女と箱? を囲んでボコったっつって自慢すんの? それで『きゃあカッコいいステキ抱いて』ってなんの? なんねーよバカ。なんねーと意味ねーよバカ」


 ノブ君と呼ばれたリーダー格の男は、口の中で何かをくちゃくちゃと噛みながらつまらなさそうにしゃべる。チンピラたちは互いに顔を見合わせ、渋い顔をした。『またノブ君が面倒なこと言いだしたよ』的な顔だ。チンピラの一人がノブ君に食い下がる。


「でも、アフロがやられちまったじゃんか」

「しょうがねぇだろ。アフロはアフロになっちまったんだから。アフロのアフロはアフロでアフロなんだよ。もうアフロうしかねぇんだ、アフロは」


 ノブ君の突き放した言葉に、チンピラたちは沈痛な面持ちで「それは、そうだけど」とうつむいた。アフロだって仲間じゃないか、と言いたいのに言えない、悔しそうな顔。まあ、何より驚きなのはさっきの会話で意味が伝わってるってことなんだが。アフロしか言ってないだろ。アフロうっていったい何をするときに使う言葉なんだよ。


「おい、そこの箱? てめぇ、こんなかじゃ一番つえぇだろ。オレとタイマンはっとけや。てめぇがオレに勝ったら、他の二人にゃてぇださねぇ」


 ノブ君が唐突に出してきた勝負の条件に、ヘルワーズが慌てて声を上げる。


「おいっ、なにを勝手に」

「うるせぇっ! オレのやり方に口出すんじゃねぇよ! てめぇから殺ッてやろうか、ああ!?」


 ノブ君はヘルワーズの言葉を怒声でさえぎり、殺気を帯びた目でぎろりと睨んだ。ヘルワーズは気圧されたように息を飲み、視線を逸らして地面に吐き捨てる。


「……狂犬がっ!」


 ノブ君はふんっと鼻を鳴らすと、興味を失ったのかヘルワーズから再びトラックに視線を移した。そして戦斧をトラックに向けて突き出し、挑発する。


「イヤっつんなら全員でボコるしかねーけど。そういうのつまんねっしょ。バトるならやっぱタイマンっしょ。でなきゃカッコわりーしモテねっしょ。じゃね? っつかいい加減こっち向け? ずっとてめぇのケツに向かってしゃべるとか何の罰ゲームよ?」


 現在の関係者の位置関係を整理すると、トラック達三人を挟んで東側にヘルワーズとロジンが、西側にノブ君とアフロとゆかいな仲間たちが固まっている。当初ノブ君一味はトラック達を包囲する形で配置されていたのだが、アフロ感電事件で全員がアフロに駆け寄った結果、ひとかたまりになってしまっていた。トラックは最初からずっとヘルワーズの方を向いて動いていないので、つまりノブ君はずっとトラックの背後からしゃべっているのだ。トラックはノブ君の話を聞いているのかいないのか、ずっと無反応を貫いている。セシリアが不安げにトラックを見上げた。


「どうしたよ? もしかしてビビってんの? がっかりだよ。でかいのは図体だけってか。覚悟も度胸もない半端モンが、夜更けに夜更かししてんじゃねーよ!」


 ノブ君の挑発に乗ったのか、トラックがぶぉんとエンジンを鳴らし、小さくクラクションを鳴らした。剣士はトラックに顔を向けて頷くと、セシリアを視線で促してトラックのそばを離れる。セシリアは何か言いたげにトラックを見て、無言のまま剣士の後を追った。トラックは旋回し、ノブ君を正面に対峙する。ノブ君は満足げに口の端を上げた。


「そうこなくちゃよ。楽しくねぇ」


 ノブ君の瞳が、狩りに向かう肉食獣のそれに変わる。楽しそうな笑みを浮かべ、トラックから目をそらさぬまま、ノブ君は左手を軽く払った。チンピラたちは気絶しているアフロを担ぎ、ノブ君の邪魔にならないよう離れた位置に移動する。夏の夜の湿気を帯びた生温い風が、不快さを伴って空地を吹き渡った。

 戦斧を担ぎなおし、少し長い犬歯をむき出しにして、ノブ君が笑った。トラックは、少なくとも表面上は平気な顔をしてノブ君を見ている、っぽい。ノブ君は弓を引き絞るように姿勢を低くすると、


「いっくぜぇ!」


 咆哮と共にトラックへ向けて駆け出したのだった。


金網電流爆破デスマッチ……言いたかっただけとです。

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[一言] 急に日本人みたいな名前のキャラ出てきたwww でも、ノブ君みたいなチンピラいますよねww 何言ってるかわかんないけど、何となく意味は伝わるっていうww
[良い点] とてもファンキーな回でしたね! [一言] >金網電流爆破デスマッチ……言いたかっただけとです。 ……わかります。
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