切迫
三月もいよいよ終わり、ケテルは本格的な春を迎える。この世界に桜がないのは残念だけど、木々は芽吹き、道端の名前も知らない小さな花が風に揺れていた。日差しも力強さを取り戻しつつあり、人々は心なしか新たな季節に浮足立っている。そんな、新たな始まりを予感させる朝に不似合いな慌ただしさが、冒険者ギルドを覆っていた。
「トラック!」
どこか気の抜けた様子でギルドに入ってきたトラックを、焦りを隠しきれない表情のイヌカが出迎える。え、寝坊じゃないよね? という感じでトラックがハザードを焚く。寝ぼけてる場合じゃねぇと言いたげにイヌカは早口でまくし立てた。
「マスターの部屋に行ってくれ! お前にも知っておいてもらわなきゃならん話だ!」
戸惑うトラックを追い立ててイヌカはギルドマスターの執務室へと向かわせる。扉を開けるとそこにはギルドの主だったメンバー――ギルドの幹部、及びギルドの顔であるAランク冒険者、そしてBランクの中でも実力者とされている者たち――がすでに揃っていて、剣士とセシリアの姿もある。呼び集められた事情をある程度知っている者もまったく知らない者もいるらしく、不安と緊張が部屋の中に渦巻いていた。どうやらトラックは最後のひとりだったようで、トラックが部屋に入るとイヌカは後ろ手に扉を閉めた。全員の顔を見渡し、マスターは重苦しく口を開いた。
「……始めるぞ」
先日トラック達が捕縛した人形師の魔法使いに対する尋問は、衛士隊と冒険者ギルドの主導権争いが原因で一向に進む気配がなかった。しかし奴の背後にいるであろうトランジ商会についてはケテル評議会が大いに興味を持つところであり、事態の膠着に業を煮やした評議会長ルゼは、イャートとマスターを呼びつけて対処を迫った。
「これ以上尋問が進まぬようなら商人ギルドが人形師の身柄を引き取る。今日中に方針を定めて報告せよ」
衛士隊は建前上独立した組織ではあるものの評議会の後ろ盾なくして活動は難しい。冒険者ギルドも評議会に従属する組織ではないが、現在良好なケテルとの関係をわざわざこじれさせるリスクは負いたくない。イャートとマスターの利害が一致し、結局事態は衛士隊とギルドの調査部が合同で尋問を行うことで決着した。大人ってめんどくさいよね。最初からそうしてればよかったのに。
尋問が始まり、イャートはトランジ商会との繋がりを人形師に問い質した。しかし人形師は「トランジ商会など知らん」との一点張りで、何もしゃべる様子がない。というより、本当にトランジ商会など知らない様子だった。あの男は基本的にゴーレムの研究にしか興味が無く、資金を提供してくれるなら相手が誰であろうが何も気にしなかったようだ。だが資金源に何の興味もないとはいえ、その名前さえ知らないなどありえるだろうか? だったらお前の雇い主は誰なんだ、と半ば投げやりなイャートの問いに、人形師は嬉々として答えた。
「私のスポンサーは、クリフォトだ」
その名を聞いたとき、部屋の中の空気が一瞬で凍り付いた。
クリフォト――それは、六年ほど前に起こったクーデターによって誕生した新しい国の名だ。ケテルの南に位置し、縦長の六角形のような形に突き出た半島のほぼ全域をその領土としている。クーデターが起こる前の国の名はセフィロト王国と言い、当時セフィロト王国の宰相であった男が一部の貴族と共に武装蜂起して王城を占拠、王とその家族を処刑し、自ら王位に就くことを宣言した。しかしそのような暴挙に反発する者は多く、クリフォトはその成立当初から内乱が続いている。
「あの人形師の証言が事実なら、クリフォトはケテルにも食指を伸ばした、ということになる」
マスターが苦々しい表情で言った。人形師がまったくのでたらめを言っている可能性もゼロではないが、あの男が嘘をつく理由はあまりないように思える。だとすると、クリフォトは何らかの意図を持ってケテルにあの男を送り込み、ゴーレムの研究をさせていたということだ。クリフォトの名にざわつく室内で、剣士が妙に冷静にマスターに問う。
「あの人形師に、クリフォトは何をさせようとしていたんだ?」
マスターは小さく首を横に振る。
「それは、よく分からん。あの男が言うには、『セフィロトの娘』を造るんだそうだが」
人形師はそう言うと、理解できていない尋問者たちを嘲笑い、口を閉ざしたのだそうだ。『セフィロトの娘』とは何か、造るとはどういうことか、それらを聞いても見下したように笑うだけで、何も答えようとはしなかったという。セシリアの顔がピクリと動き、そしてすぐに無表情に戻った。剣士も、少なくとも見かけ上は何も変わらない。
「今回の件は今までの事件とは別、ということですか?」
セシリアも剣士と同じく、クリフォトの名に動揺した様子はない。マスターはまたも首を横に振った。
「直接両者を結びつける具体的な証拠はねぇが、俺たちも衛士隊も、それらが無関係だとは考えてねぇよ」
トラックがこの世界に来て最初に関わった事件は獣人売買。そして詐欺事件と人身売買と続いたわけだが、それらの実行役は南東街区を拠点とするマフィア、ガトリン一家だった。ガトリン一家はトラック達によって壊滅させられ、若頭だったヘルワーズの証言で背後に黒幕がいることが明らかになっている。その黒幕は『商人ギルドの幹部を名乗る男』で、『評議会議員を総辞職に追い込むため』に一連の事件を企てたらしい。しかしその正体はボスしか知らず、未だ昏睡状態にあるボスからは証言が取れないため、黒幕がいったいどこの誰なのかは結局分からずじまいになっている。
イーリィがジュイチとお見合いをした件では、リーガ商会という架空の商会をでっち上げて評議会議長の娘と結婚話を進めようとした謎の組織、トランジ商会の存在が明らかとなった。しかしトランジ商会の実態は謎のまま、イーリィを狙った動機も不明である。関係する家や事務所にコメルが乗り込んだ時にはすでに中身はもぬけの殻だった。
そして今回の人形師の件。ミラをケテルに連れてきた灰マントたちはイヌカのスキルで所属がトランジ商会であったことが分かっている。まあ、彼らは単にトランジ商会に雇われたに過ぎず、トランジ商会が何者なのかは知らないらしいが。で、トランジ商会に雇われた灰マントたちがいた森の中の別邸に人形師がいて、人形師は自分の雇い主をクリフォトだと語った。となれば、トランジ商会とクリフォトが無関係だとは到底考えられない。
そうなると、問題の焦点は『商人ギルドの幹部を名乗る男』とクリフォトの関係だ。もし『商人ギルドの幹部を名乗る男』がクリフォトと繋がっていたら、すなわちそれは『評議会議員を総辞職に追い込むため』の工作をクリフォトがした、ということになる。現評議会議長ルゼは、ちょっと信じられないかもしれないが、『良識派』と呼ばれる商人ギルド内の派閥の長であり、そのスタンスは他種族融和、そしてクリフォトに対してはその関係を重視しつつも独立志向である。当然ケテル全体の方針も最高権力者たるルゼの考えが強く反映されるわけで、そのルゼ政権をクリフォトが工作によって退陣させようとしているのであれば、クリフォトの意図は明白だ。親クリフォト政権の樹立、そしてその先にあるケテル併合。クリフォトはケテルを呑み込もうとしているのだ。
ただ、現時点で『商人ギルドの幹部を名乗る男』とトランジ商会=クリフォトの関係を示すはっきりとした証拠はない。実は両者はまったく無関係、ということも、可能性としては低いがありうることではある。しかしその楽観は決してケテルに明るい未来をもたらしはしまい。冒険者ギルドも衛士隊も、クリフォトがケテル併合に向けて動いている、という前提でこれからのことを考えなければならないのだ。
「クリフォトが動いてるとなりゃ俺たちも相応の態勢を取らにゃならん。冒険者ギルドはトランジ商会を現時点における最大の脅威と認定し、トランジ商会に関わる可能性のある事案を最優先で処理する。今までは調査部のみがトランジ商会の探索に当たってたが、今日からはここにいる面子にも協力してもらう」
マスターの硬い声音に集まった面々は表情を引き締めた。冒険者ギルドはケテルにもクリフォトにも従属しているわけではないから、実はマスターはケテルから距離を置き、いざとなったら見捨てるという選択をすることも理屈の上では可能だ。しかしマスターはそれをよしとしないらしい。これはマスターによる、冒険者ギルドはケテルと共に歩むという意思表示なのだ。それはすなわち、ケテルの冒険者ギルドはクリフォトと事を構えるということでもある。それを理解しているからこそ、皆は表情を引き締めたのだ。
「……トラック」
マスターは居並ぶギルドの英雄たちを差し置いて、トラックに声を掛けた。皆がトラックを振り返る。トラックはこの部屋で唯一のCランク。どうしてこの場にいるのかと、訝る者もいるのだろう。まあ、どうしてここに呼ばれたのか一番分かっていないのはトラック自身かもしれないが。
「お前さんがこの町に来て関わった事件のほとんどが、今回の事態に繋がってる。こいつは偶然か? 俺は運命論者じゃねぇが、こうも重なれば誰かの意思を疑いたくなる」
セシリアと剣士がマスターを振り向き、表情を険しくした。答えないトラックに代わってセシリアが抗議の声を上げる。
「トラックさんをお疑いですか?」
「そうじゃねぇ」
マスターは小さく首を横に振る。セシリアが軽く眉を寄せた。
「トラック、お前さんが運命って奴の中心にいるんじゃねぇかと、そう言ってるのさ。だとすれば、お前さんはこれから何度も過酷な出来事を経験することになる。だから――」
マスターは真剣な眼差しをトラックに向けた。
「――俺たちを、頼れ」
セシリアと剣士は意外そうに目を見張った。トラックが戸惑ったようなクラクションを鳴らす。マスターは表情を変えないまま言葉を続ける。
「お前さんは強い。だが、個人の力でできることはそんなに多くねぇぞ。お前さんにできないことが、ここにいる誰かにはできるかもしれん。ひとりで万能になる必要はねぇんだ。互いに補い合うことで初めて成し遂げられることがある」
そしてマスターは皆を見渡し、力強い声で宣言した。
「俺はこれから先も、誰一人死なせるつもりはねぇぞ。相手が国家であったとしてもな。そして俺たちケテルの冒険者ギルドは、相手が誰であろうとも決して負けねぇと、信じている」
おう! と唱和し、その場にいた全員が互いの意思を確かめるようにうなずいた。これは言わば決起式のようなものなのだろう。ギルドメンバーの自覚と結束を促し、未来の脅威に備える。それをわざわざしなければならないほどに事態は切迫しているということだ。国家を敵に回すというのは、それほどのことなのだ。
マスターの話が終わり、執務室にいた面々がゾロゾロと退出していく。セシリアと剣士はトラックのところに集まり、互いに顔を見合わせた。その表情は強張ってぎこちなく、そしてトラックは何を考えているのか、無言のままだった。
トラック達は最後に連れ立って執務室を出た。イヌカは何か声を掛けようとしたようだったが、その前に別の誰かに呼ばれて行ってしまった。調査部所属のイヌカは今まで以上に忙しくなるのだろう。そうするとルーグはどうなるんだろうなぁ。危険に巻き込みたくはないけど、ほっとくのもダメだし。変に大人びてるし強がってるけど、まだ十歳そこそこの子供なんだよねぇ。トラックが面倒をって言っても、さっき『運命の中心にいる』とか言われちゃったしなぁ。むしろトラックと一緒にいると危険が増すような気がする。
セシリアと剣士は無言のまま、難しい顔をしてうつむき気味に歩いている。何か言うべきか、何を言うべきかを悩んでいるような顔だ。ギルドの建物内の空気もどこかピリピリしていて、せっかく春が来たというのに穏やかな雰囲気がまるでない。もうちょっとさぁ、こう、のんびりできませんか、春くらい。
無言のままトラック達はギルドのロビーを横切り、併設された酒場の前に来ていた。酒場に入りたいというよりは歩いていたら辿り着いた、という感じだった。別に飲んだくれたい気分になったわけではない。トラックは酒飲まんし。
酒場の入り口でトラックはブレーキを踏む。一拍遅れてセシリアと剣士も足を止め、顔を上げた。なんだが酒場の中がざわついて、ちょっとした人だかりができていた。それはさっきの、クリフォトうんぬんの話とは別の緊迫した空気を醸し出している。中から焦ったような、「早く施療院に!」という叫び声が聞こえた。あれ? この声は、もしかしてシェスカさん?
トラックがけたたましいクラクションを鳴らして酒場に突入する。人だかりが慌てたように左右に割れた。剣士とセシリアがトラックに続く。中に入ると、そこにはカウンターにつっぷして苦しそうにうめいている初老の男と、彼の隣で蒼白な顔をしているシェスカさんの姿があった。トラックが来たことに気付いたシェスカさんがすがるような目で言った。
「トラックさん! ジンゴを施療院に!」
しかし初老の男、シェスカさんにジンゴと呼ばれたその男は、制止するように乱暴にシェスカさんの手首を掴む。
「……やめろ! こいつは、病気でも何でもねぇ!」
関わるな、と言うように、ジンゴと呼ばれた男は苦しげに顔を上げ、血走った目でトラックをにらんだ。
問題!(ジャカジャン!)
実はジンゴはこれが初登場ではありません。ではいったいどこが彼の初登場でしょうか?
正解は、CMの後!




