偉霊
引っ越しそのものは半日ほどで終わり、セシリアが屋根やら壁やら床やら柱やら、もうほぼ全面的に修復したおかげで当面住めそうな感じにはなった。もっとも補修に必要な資材は全然足らず、セシリア曰く「薄く延ばして広げた」ような状態だそうだ。つまり、たとえば壁に穴が開いていたとして、それを塞ぐために壁の厚さを減らしてピザ生地を伸ばすみたいに広げた、という感じ。へぇ。なんかいっつもデタラメな力で直してたのかと思ってたけど、意外にいろいろあるのねぇ。
灰マント四兄弟は意外にテキパキとよく働いて、元裏家業の人間とは思えない勤勉な様子だ。レアンやニヨとも関係は良好らしく、荷解きやら家具の配置なんかを協力してやっていた。もっともニヨ的序列ではエバラ>夫>ニヨ=レアン>>>四兄弟らしく、いろいろと至らない四兄弟を丁寧に指導したり、時に正座させて説教したり、上手にできたら思いっきり褒めたりしていた。まあきゅーきゅーとかギャオースとかしか言えないので、正確には何と言っているのか分からないが。
エバラは手伝ってくれたセシリアや剣士、ジン、先生、ガートンにささやかな食事を振舞い、その日は解散となった。食事をとらないトラックとミラにすまなさそうな顔を向けるエバラにプァンとクラクションを鳴らし、トラックたちはその場を後にした。そして一週間が過ぎ、皆は再びエバラ家に集合する。先生は新居の設計図を、ジンはドラムカンガー7号の格納庫の設計図を携え、そしてトラックは先生が調達した資材を積んで。
「……本当にすまないねぇ。恩に着るよ」
早春の晴天が清々しい朝、エバラはトラック達に深々と頭を下げた。それにならうように夫とレアン、ニヨに四兄弟も頭を下げる。ドラムカンガー7号は「ま゛っ」とうなりを上げた。気にするなというようにトラックがクラクションを返す。
「設計図を」
セシリアが先生とジンから設計図を受け取る。一週間で家やら格納庫やらの設計図を描き上げるってのもたいがいおかしい気がするけどね。設計スキルでもお持ちですか? ……自分で言っといてなんだけど、ありうるよね、この世界なら。
セシリアが真剣な表情で設計図に目を走らせる。トラックが少し心配そうなクラクションを鳴らした。顔を上げ、セシリアはトラックに微笑む。
「私の力では少し不安ですから、助けを借りようと思います」
そう言うと、セシリアは目を閉じ、集中を始める。風もないのにセシリアの長い髪が躍った。
「おうちを つくるは どなたに たのも
まっくろ もじゃもじゃ おひげの ながい
やさしい めをした こびとに たのも」
お、なんかいつもの呪文の詠唱と雰囲気が違う。セシリアは歌うように言葉を紡いでいく。すると天から一条の光が降り注ぎ、やがてひとりのドワーフを形作った。先生が身を乗り出し、メガネをクイッと指で上げながら興奮気味に言った。
「これは、偉霊召喚――!」
テンションの上がった先生と対照的に、周りは何のことやらと首を傾げる。先生は「伝われこの凄さ」と言わんばかりにまくしたてた。
「歴史に名を刻むほどの偉大な業績を残した人物の霊を呼び出す召喚魔法の一種です! ただ、誰でも使える魔法ではない! 術者が認められなければ相手は召喚に応じてくれないのです! 私も実際に召喚が成功したのを見るのは初めてです!!」
でも先生の興奮は皆の共感を得られなかったらしい。皆は「へぇ」と戸惑い気味に返事をするくらいで、いまいち何が起こっているのか理解していないようだった。先生が悔しそうにうなる。セシリアの、童謡のような歌声が続いた。
「おうちを つくるは どなたに たのも
あかしろ きれいな りぼんを つけた
おしゃれな おひげの こびとに たのも」
歌に応えて再び天から光が降り、ストレートの長いヒゲを紅白のリボンで飾ったドワーフが姿を現す。もっとも歌の内容とは違い、さっきのもじゃもじゃヒゲのドワーフもこちらのおしゃれドワーフも、筋骨たくましい屈強なドワーフ職人である。セシリアの歌に合わせてドワーフたちは次々と召喚され、最終的に七人のドワーフが地上に降り立った。
「あ、あれはもしや、『立柱の神様』!? こっちは『指物王』! すごいぞ、伝説に名を残す職人たちが今、一堂に会している!!」
先生はもう感無量な感じでドワーフたちを見つめている。もう、先生の知識がすごいなっていうよりは、ただのマニアにしか見えん。伝説の大工マニア。ひとりだけテンションマックスである。
「じょうぶな おうちを つくって おくれ
だいちが ゆれても たおれぬ ように
いとしい こらを まもって おくれ
おおかぜ ふいても ゆらがぬ ように」
セシリアから図面を渡された職人たちは円陣を組んで皆でそれを眺めると、目配せだけで各々の役割を決めたようだ。茶色の緩やかにウェーブがかかったヒゲを持つ眼光鋭い男が前に進み出る。先生がゴクリと唾を飲んだ。
「……『礎石皇帝』の技が、目の前に――!」
セシリアがパチンと指を鳴らすと、エバラの家は壁も柱も床も全て光の粒になり、ひとつところに集まる。そして一度ひときわ強い光を放つと、その姿を木材や石材に変じた。建物を原材料に戻した感じだろうか。セシリア工務店はリサイクル素材を積極的に採用する地球にやさしい工務店です。あ、ちなみに家財は前日にエバラたちが運び出しているので、中はカラでした、念のため。
礎石皇帝は用意された石材を一瞥すると、その内の一つをおもむろに掴み、空高く放り投げる。そして背に負っていた巨大な戦斧を構えると、裂ぱくの気合と共に横薙ぎに払った。斬撃は大気を引き裂き、宙を舞う石材をも打ち砕いた。ふぅと息を吐き、礎石皇帝は他のドワーフたちを振り返る。伝説のドワーフ職人たちは「さすがだ」と言わんばかりに大きくうなずいた。と、同時に、空中で砕かれた石が地上に落下し、全ての礎石が図面通りに、寸分違わぬ位置にピタリと収まった。
礎石皇帝と入れ替わりに、今度は最初に召喚された黒もじゃヒゲのドワーフが前に出る。このひとは確か、先生に『立柱の神様』って呼ばれてたんじゃなかったっけ? 立柱の神様は鋭い眼光で木材に目を向けると、その内の幾つかをポンポンと連続で空へと放り投げる。そして背に負っていた巨大なのこぎりを構えると、裂ぱくの気合と共に横薙ぎに払った。斬撃は逆巻く烈風となり、宙を舞う木材をガリガリと削っていく。にやりと満足そうな笑みを浮かべ、立柱の神様は他のドワーフたちを振り返る。伝説のドワーフ職人たちは畏敬を込めた拍手を送った。と、同時に、空中で繊細な加工を施された柱が地上に落下し、全て図面通り、寸分の狂いもなく礎石の真ん中に直立した。
「おおきな まどに あかいやね
だんろの へやに あつまって
みんなが えがおで くらせる ように
かなしい ことなど おこらぬ ように」
伝説のドワーフたちは入れ代わり立ち代わり、無駄なく正確に自分の仕事をこなしていく。まあ解せないのは、みんながみんな材料を空に放り投げて加工するところなんだけど。なに、ドワーフのプロフェッショナルってみんなこうなの? 仕事の流儀?
「きづちが うたうよ トンテンカン
すてきな リズムで トンテンカン
おうちが うたうよ トンテンカン
トンテンカンテン トンテンカン」
床張名人が床を、外壁魔人が壁を、屋根仙人が屋根を、指物王が建具と内装を、それぞれありえない速さで作り上げていく。二十倍速でご覧いただいております、って言われても納得してしまうわぁ。しかしだからといって仕事が雑ということは決してなく、打ち合わせもしていないのに職人間の連携も完璧だった。達人同士、言わずとも通じ合うということなのか。そして作業が佳境に差し掛かった時、今まで何もせずにじっと他の職人の様子を見守っていた最後のドワーフ職人が力強い声を上げた。
「これが終わったら宴会だぞ!」
おおっ! と歓喜の雄たけびを上げ、職人たちの作業スピードが一段上がった。先生の目に感動の涙が浮かぶ。
「……これが音に聞く、『宴会部長』の号令――!」
……ああ、最後のひとりは宴会部長だったのか。職人みんなドワーフだもんね。宴会とか酒とか聞くとテンション上がっちゃう方たちだもんね。きっといないと現場が回らないんだな、宴会部長。なにげに重要かも、宴会部長。
宴会と聞いてますます気合の入った職人たちは残りの作業をあっという間に仕上げ、開始から三時間、ついにエバラ家の新居が完成した。すげぇな伝説のドワーフ職人。三時間で一軒建てちゃったよ。そして職人たち七人は家をぐるりと囲み、小さな木づちを取り出してその手に握った。それはドワーフたちに伝わる一つの儀式。新しい家を『起こす』ために、職人たちは最後に木づちでこつんと家の壁を叩くのだそうだ。
「トンテンカンテン トンテンカン」
セシリアの歌も終わりを迎える。三時間もずっと歌ってたんだよね。ご苦労さん。ドワーフたちは一斉に木づちを振り上げた。そして――
「トンテンカンテン トンテンカン、どかーんっ!!」
セシリアの「どかーんっ!!」に応えるかのように、ドワーフたちは満身の力を込めて木づちを振り下ろした! その力は壁を穿ち、地面を砕き、たった今できた新居を崩壊させていく。もうもうと土煙が立ち込め、数十秒の後、爆破解体でもしたように新居は跡形もなくなっていた。
「……え?」
目を点にしてエバラがかすれた声を出した。何が起こったのか分からない。これは何か、家を建てるために必要な通過儀礼か何かなのだろうか? そんな疑問がエバラの顔に浮かんでいる。ハッと我に返った様子でセシリアはエバラを振り向いた。
「ご、ごめんなさい! 間違えました!」
セシリアはしどろもどろに弁解というか言い訳というか、をもごもごと口にした。
「この歌は幼い頃に母が歌ってくれたもので、その、最後に私が『どかーんっ!!』って言ったら、母が笑ってくれて、その、そのときのことを思い出してしまって、つい……」
口を開きかけたエバラを手で制し、セシリアは慌てた様子で言った。
「すぐ、すぐにやり直します! だからもう少し時間をください!」
振り返り、今度はドワーフ職人たちにセシリアは言う。
「すみません! もう一度お願いします!」
えーっ、と顔をしかめ、しかしドワーフ職人たちは「仕方ねぇなぁ」と再び作業に取り掛かった。あ、やってくれるんだ。セシリアは安堵に胸をなでおろし、歌い始める。作業は滞りなく進み、三時間後、新居は再びみんなの前に姿を現した。
「ありがとうございました」
セシリアはドワーフ職人たちに深々と頭を下げる。エバラたちも口々に謝意を述べて頭を下げた。ドワーフ職人たちは「なんのなんの」と豪快に笑った。
「ワシらも久しぶりにおひぃさまに会えて嬉しかった。またいつでも呼んでくれ。用があろうとなかろうとな」
ドワーフ職人たちの身体が淡い光に包まれ、徐々に形を失っていく。「よっしゃ、宴会だ!」という宴会部長の掛け声を残し、彼らは去って行った。
「わぁ」
真新しい家を玄関から覗き込み、レアンがキラキラと目を輝かせた。木材――何だろう、ヒノキ?――のいい香りがする。一部屋が大きく、面積の割に部屋数は少ない。窓も大きく取られ、採光の役目を果たしつつ開放感を演出していた。しかも二重窓。ガラスとガラスの間の空気の層が冷たい外気を遮断し、温かさを保つ。そしてそして、何と言うことでしょう。この家にはさらに驚くべきギミックが仕掛けられていた。
「これは?」
エバラが目ざとく床にある細い溝のようなものを見つけた。セシリアはああ、と言って説明を始める。
「これは、仕切り板をはめ込む溝です」
今、エバラ夫妻の部屋にはレアンのベッドも置かれており、三人で過ごす想定の造りになっている。しかしレアンもこれから大きくなれば、エバラ夫妻とは別の、プライベートな部屋が欲しくなる時が来る。その時のために、この部屋は後から壁を追加できるようになっているのだ。セシリアが壁のある部分を軽く押すと、カチリと音がして壁の表面が分離し、レールに沿って動かせるようになった。カラカラと軽快な音を立てて壁を動かすと、あっという間に壁で部屋が仕切られる。壁の端には引き戸が付いており、出入りはそこからするようだった。つまり、これで思春期のレアンのプライベート空間は確保されたのだ。すげぇなドワーフ職人。一級建築士?
家の隣では、ジンが格納庫に収容されたドラムカンガー7号を満足げに眺めている。格納庫と言っても、基本的には屋根と柱と壁があるだけのシンプルなものなのだが、自分のサイズにぴったりとあつらえられた自分用の家にドラムカンガー7号はご満悦のようだ。ジンと並んでいた灰マント四兄弟の末っ子がうれしそうにドラムカンガー7号を見上げる。ドラムカンガー7号もまた、うれしさを表現するように「ま゛っ」とうなった。
家財を運び終え、新しい家にそれぞれ希望やら喜びやらを示しながら、あっという間に時間は経ち、いつの間にか夕暮れも間近となった。そろそろお暇を、ということだろう、トラックはエバラにプァンとクラクションを鳴らす。エバラは改めてトラック達に礼を言った。
「本当に助かったよ。ありがとう、トラックさん。あんたに相談して良かった」
トラック、セシリア、剣士、先生、ガートン、ジン、ミラに、エバラは律義に一人ずつ頭を下げた。気にするな、と言うようにトラックがクラクションを返し、セシリアは優しく微笑む。他のみんなも一様に笑顔だった。灰マントたちもまた、トラック達に頭を下げる。ドラムカンガー7号が礼の代わりか「ま゛っ」とうなった。
エバラたちに別れを告げ、トラックが旋回する。ドアを開け、ウィングを広げるトラックに、規則的な靴音が聞こえてきた。靴音に気付いたセシリアたちはトラックに乗り込むのを止め、靴音のするほうに目を向ける。すると――
「ちょっと、失礼します」
まだ若い青年の声がトラック達に掛けられる。灰マントの長男の表情が凍り付いた。
この日から、ジンは医者とドラムカンガー7号のメカニックの二足の草鞋を履くことになったのでした。




