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新居

 早春の午後の日差しは穏やかに降り注ぎ、風がどこからか鳥の鳴き声を運んでくる。西部街区を行き交う人々も少しだけ薄着になり、その足取りはどこか軽く感じる。ピリッとした冬の空気も嫌いではないけれど、やはり春の暖かさには心が自然と浮き立つのだろう。そんなのどかな風景の中にある巨大な鉄の塊には違和感しかねぇな。


――プァン


 トラックがドラムカンガー7号に呼びかける。


「ま゛っ」


 ドラムカンガー7号はトラックに答えた。


――プァン

「ま゛っ」

――プァン

「ま゛ま゛ま゛っ」


 ……会話が成立している、のだろうか? 何言ってるのかさっぱり分かんないけども。先生と子供たちはトラックから降り、ドラムカンガー7号を見上げた。フォローするようにエバラが声を上げる。


「うちのダンナが、猟の途中で見つけちまってさ」


 エバラの夫は猟師を生業としており、森に入ってはイノシシやシカを獲って生計を立てている。先日も彼はいつものように森に入ったわけだが、そこでイノシシならぬゴーレムを発見してしまった。本当は無視して帰ればいいだけなのだろうが、森の中で所在なさげに座っているドラムカンガー7号を見て、何となく放っておけなくなったのだという。


「まあ、仕込めば猟犬代わりになるかもしれんしな」


 そんな言い訳じみた独り言で自分を納得させ、夫はドラムカンガー7号たちを家に連れ帰った。……ん? たち?


「……ご迷惑をお掛けして」


 ドラムカンガー7号の影から、申し訳なさそうに四人の人影が現れる。それはトラックが人形師の魔法使いのアジトに乗り込んだ時にドラムカンガー7号と一緒にいた灰マントたちだった。ちなみにリスギツネを追いかけるミラを追ってルーグをボコボコにしたのは灰マントのリーダー格の男である。そのときとはうってかわって、男はどこか肩身の狭そうな顔をしていた。


「くだらない気を回すんじゃないよ。何があったか知らないが、こういうのはお互い様だ」


 エバラはカカカと豪快に笑った。リーダーは深く頭を下げる。なんでも、夫が連れ帰ったドラムカンガー7号はその腹の中に四人を隠しており、その中の一番若い男が熱を出して苦しんでいたのだそうだ。あ、その子が、トラックがドラムカンガー7号と戦った時に武器と間違えてまくらを持ってきた子ね。エバラは四人を家に入れ、その子を看病してあげたらしい。幸いただの風邪だったみたいで熱はすぐに下がったのだが、聞けば四人は行くあてもないという。礼を言って立ち去ろうとする四人と一体に、エバラは小さくため息を吐き、その背に声を掛けた。


「ウチで働いてみるかい?」


 エバラの夫も腕を組み、やや大仰にうなずく。


「まあ、仕込めば猟犬代わりになるかもしれんしな」


 そんなわけで灰マント四人とドラムカンガー7号は今、エバラ家の見習い猟師である。


 ……すげぇなエバラ家。仕込めば猟犬代わりになるかもしれん、って理由で巨大ゴーレムと裏家業の男たちを受け入れちまったよ。懐の深さが尋常じゃねぇ。一個人の範囲を超えてもはや一味だよ。エバラ一味。心の垣根みたいなもんがまるでないんだなぁ。灰マントたちもいい人に出会ったよ、ホント。


――プァン


 トラックがリーダーに呼びかける。リーダーは少々ばつの悪そうな顔で言った。


「敵対したあなた方に世話を掛けることを、申し訳なく思う」


 他の三人も神妙な面持ちでうつむいた。


「だが、頃合いだったのだ。弟たちを抱えてあの稼業を続けていくことには限界を感じていた。私はもう手遅れだが、この子らはまだ手を汚していない」


 そうなんだ。まあ、戦いの場にまくら持ってくるくらいだからねぇ。っていうか四人全員あのときナイトキャップ被ってたけどね。本当にプロだったのかかなり怪しいけどね。トラックは何となくお気楽なクラクションを鳴らした。


「……すまん」


 少しだけホッとしたように表情を緩め、四人は深く頭を下げた。




「それで、トラックさんにお願いというのはなんでしょう?」


 空気を変えるように先生がエバラに尋ねた。灰マントたちとトラックのやり取りの内容は先生もエバラも理解していないだろうけど、そこをサラッと流せる気遣いは大人である。「どゆこと?」って聞いちゃったら台無しなんですよ、こういうの。エバラは腕を組み、困ったように軽く眉を寄せる。


「さすがにこの人数にこの家じゃ手狭でねぇ。引っ越そうかと思うんだよ。だからトラックさん、悪いんだけど手伝ってくれないかい?」


 お、おお! 引っ越し! これアレだよ、腕の見せ所だよ! 戦いだの何だのはトラックの役割じゃないんだよ! こういうの、こういうのがトラックの本来業務なんです!

 トラックがやや食い気味にクラクションを返す。その音はどこか嬉しそうな響きを帯びていた。エバラはホッとした表情を浮かべ、トラックに礼を言った。

 大人たちの会話に飽きたのだろう、レアンとガートンはいつの間にかドラムカンガー7号を囲み、「おっきいなぁ」とか「なんかすごい」とか言いながらその姿を見上げている。ジンは興味深げに、ミラはその無事を安堵するような目でドラムカンガー7号を見ていた。


「ま゛っ!」


 ドラムカンガー7号がうなりを上げ、そっとレアンとガートンをつまむと、ふたりをその肩に乗せた。


「わぁっ!」


 遠くまで見渡せる視界の広さにふたりが感嘆の声を上げる。命令もなく動いたドラムカンガー7号を目の当たりにしたジンが目を丸くする。ミラは「変わってないね」と小さく微笑んだ。そんな子供たちの様子を大人が優しく見守る。その光景は、ドラムカンガー7号たちを受け入れたことが誤りでなかったことの証明のようだった。




 翌日、早朝から引っ越し作業は行われ、エバラ家から荷物の運び出しが行われた。剣士とセシリア、それに先生、ガートン、それからジンも手伝いに駆け付けてくれた。ジンはあんまり力仕事しないほうがいいんじゃないかと思うんだけど、ドラムカンガー7号のことが心配で駆けつけてくれたようだ。ちなみにミラとリスギツネはトラックの中に寝泊まりしているので当然いる。

 全ての荷物を積み終わり、丁寧に掃除をして、空っぽになった家をエバラとその夫が名残惜しそうに見上げた。ここは夫婦が長年共に過ごした場所であり、レアンを我が子として迎えた場所でもある。なにかしらこみ上げるものはあるだろう。二人はしばらく無言で並んでいたが、やがて何かを振り切るようにエバラが少し無理をした大声を出した。


「よしっ! 行こうかね!」


 住み慣れた家に背を向け、夫妻はトラックに乗り込んだ。他の面々も荷台に乗り込み、トラックに乗ることのできないドラムカンガー7号が問いかけるように「ま゛っ」とうなった。プァンとクラクションを返し、トラックがゆっくりと走り出す。地面を揺らしながらドラムカンガー7号がトラックの後を追った。




「これは……」


 新居を目の前にして、先生はその場に立ち尽くした。剣士とセシリアもなんとも言えない表情を浮かべる。灰マントたちが申し訳なさそうに身を小さくした。エバラが苦笑気味に言う。


「仕方ないさ。豪邸に住めるような身分じゃないんだ」


 トラック達の前にあるのは、確かに前の家よりも広い、面積としたら倍くらいは余裕である家、だったんだけど……


「……廃屋?」

「こ、こら、慎みなさい」


 思わずこぼれた感想を先生に咎められ、ジンはしまった、という顔をしてエバラに謝った。エバラは気にしていないというようにカラカラと笑う。


「誰が見たってそう思うだろうさ。その代わり家賃は格安、リフォームは勝手にしていいって言われてる。条件としちゃ悪くないだろ」


 屋根には大穴、柱は傾き、玄関扉は開きっぱなし。このぶんじゃおそらく床も抜けているだろう。ジンの『廃屋』というつぶやきを俺は責められない。だって俺も思ったもん。よくこれを金取って貸すとか言えたな大家。


「とりあえず雨風がしのげれば文句はないんだ。穴はほら、そこに置いた板でふさぐから大丈夫だよ」


 玄関わきには決して十分とは言えない厚さの木の板が数枚と角材が数本、言い訳のように置かれている。これをフル活用したところで、この家が心地の良い居住性を提供してくれることは無いだろう。でもエバラもエバラの夫もレアンも、そんなことはまるで気にしていないようだった。


「さて、それじゃあ始めるよ! 荷物を運び出しとくれ! あたしとダンナは屋根を塞ぐから、各々適当に頼むよ」

「ま、待ってください!」


 作業に取り掛かろうとする皆を、先生の声が阻んだ。皆が先生に注目する。先生は厳しい表情を作って言った。


「この家の傷み具合は、多少の補修でどうにかなるようなレベルを超えています。ちょっとした地震でもあれば倒壊しかねないほどだ。お願いです、もう少しまともな物件を探しませんか?」


 うっ、と小さく呻き、エバラは顔をしかめる。先生に言われるまでもなくそんなことは分かっているのだろう。先生の人柄を知っていれば、この発言が心からエバラ家を案じてのことだということも分かっているはずだ。だからエバラは怒るでもなく辛そうな表情になった。


「……先立つものが、ね」


 先生は「分かっています」とうなずくと、強い信念を宿した瞳ではっきりと言った。


「お金は、私が出します」

「何言ってんだい! そいつは筋が違う!」


 先生の提案を、エバラは色をなして否定する。下町人情は助け合い、でもそれは施しを受けることとは別のものだ。こっちにもプライドがある、と言わんばかりにエバラは怒りを顕わにした。しかし先生も信念の人、エバラの怒りを受け止めてなお反論する。


「私はレアンの先生です。彼の人生の責任の一端を担っている。明日にでも倒壊するかもしれない家に彼を置くなんて、容認できません!」


 レアンの安全を引き合いに出され、エバラが言葉に詰まる。エバラはしかし提案を受け入れるつもりはないと主張するように先生を激しくにらんでいた。エバラと先生を交互に見ながらレアンが「くぅーん」とか細い声を上げた。レアンはエバラも先生も好きだから、二人が衝突しているのが辛いのだろう。


「あ、あの!」


 一触即発の雰囲気に勇気を振り絞ってジンが割って入る。振り返ったエバラと先生の鋭い視線に若干委縮しながら、ジンはエバラに告げた。


「この家にドラムカンガー7号は入れませんよね? 野ざらし、ですか? そうすると、たぶん、錆びちゃうんじゃ……」


 ハッとした表情に変わり、エバラは慌てた様子でドラムカンガー7号を振り返った。ドラムカンガー7号はゆっくりとエバラに身体を向け、


「ま゛っ」


と言って両腕にちからこぶを作るようなポーズを取った。うん、リアクションを間違えてる。「当然錆びますよ?」ということだろうか? なんでちょっと自慢げだ。


「私はガートン君を預かっている関係で商人ギルドから援助を受けています。そのお金は子供たちのために使おうと、今までずっと貯めてきました。それを今使うだけです。私が身銭を切るわけではない」


 そっか。やっぱり先生は援助された資金を自分のためには使っていなかったのか。先生がガートンを預かることになった時、コメルの手配で商人ギルドからガートンの生活費とは別に、先生の青空教室の活動資金が援助されることになったんだけど、それは使途を限定されたお金ではなかったので、先生はもっといいものを食べることもいい服を着ることもできるし、それは別に不正でも何でもないのだけど、先生はそれをよしとしなかったんだな。もうちょっと自分に甘くてもいいんじゃない? 腕とか腹とかほっそいよ? 栄養摂ってもすこし太りなさいよ。

 先生の言葉にエバラの瞳が揺れる。この家が安全でないのは百も承知だろうし、ドラムカンガー7号のことについては完全に思いが至っていなかった。でもやっぱり先生に自分の家のリフォーム代を出してもらうのは受け入れがたい。エバラは葛藤に唇を噛む。今までじっと黙って話を聞いていたセシリアが口を開いた。


「先生は建築にお詳しいですか?」


 不意に話を振られ、先生は戸惑いながら答える。


「専門家ではありませんが、多少の知識は」

「設計図面を引くことは?」

「複雑なものでなければ」


 先生の回答に満足し、セシリアは今度はジンに顔を向けた。


「ドラムカンガー7号の格納倉庫の設計は可能ですか?」

「え? は、はい。できると思うけど……」


 セシリアはやはり満足そうにうなずくと、先生とエバラに言った。


「あるべき姿を描くことができれば、創ることができます。先生とジンに設計図を描いていただき、それを基に私がこの家をリフォームしましょう」

「お、おいっ!」


 剣士が慌てた声を上げてセシリアの手を掴む。振り返り、視線で剣士を黙らせてセシリアは言葉を続けた。


「ただし、材料は必要です。足らない木材などは先生が手配してください。材料だけならそれほど高額にはならないはずです」


 先生が「分かりました」と答え、対照的にエバラは「いや、しかし」と渋る。考える時間を与えないためか、セシリアは矢継ぎ早に言った。


「ならばエバラさんが先生から資金を借りてください。そして毎月定額を返済する。そうであれば先生に負い目を感じる必要もないでしょう?」


 それなら、まあ、と納得したようなしていないような顔でエバラが答える。話は決まったとばかり、セシリアはパチンと一度両手を打つと、みんなを見渡して言った。


「では、先生とエバラさんは契約書を交わしてください。その後、先生はジンと協力して設計図を作成、エバラさんたちはトラックさんから引っ越しの荷物を受け取って、整理してください。トラックさんは荷物を渡した後は資材の調達をお願いします」

「待ってください。設計書はそんなにすぐには――」


 先生が慌てたようにセシリアに言った。セシリアは分かっているとばかりにうなずく。


「ええ、ですから私は」


 セシリアは家を振り向くと、右手をかざして何事かつぶやいた。玄関わきの木板が淡く光り、ふわりと浮き上がる。すぐに木板は弾けて小さな白い光の粒となり、風に運ばれるように屋根に開いた穴に流れていく。光の粒は穴をふさぎ、一度まぶしいほどに輝くと、その次の瞬間には屋根の穴はきれいにふさがっていた。


「しばらく住んでも大丈夫なように応急処置を施します」


 おお、さすがはリフォームの匠。風と光の魔術師。屋根の穴くらい一瞬ですか。もうセシリアさんが全部直せば解決なんじゃないの? わざわざお金掛けんでも。


「あくまで応急処置です。穴をふさいだり柱をまっすぐにしたりはできますが、基礎や壁の中など、外から見ることのできない部分は手に負えません。設計図はなるべく早く、それから知識があれば当たり前すぎて書かないようなことでも省略せずに書いてください。私が正しくイメージできるように」


 あ、そうなんだ。そんなに簡単な話じゃないのね。セシリアは大きく息を吸うと、少し声を大きくした。


「それでは動きましょう。よろしくお願いします」


 セシリアの宣言を合図にみんなが動き始める。なんというか、お見事な仕切り。なんだろう、この妙な安定感。セシリアさん、命令慣れしている感じ?

 トラックがウィングを上げ、灰マントたちと剣士、そして子供たちが荷物を降ろす。細かい作業に向かないドラムカンガー7号が応援するように、あるいはちょっぴりさみしそうに「ま゛っ」と唸り声を上げた。

ちなみにエバラたちの引っ越し先は西部街区の奥、シェスカさんの家の近くです。

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