微笑み
「お目通りが叶い光栄です、女王陛下」
ハイエルフの都『真緑の樹』の城、その謁見の間で、コメルとミラ、そしてトラックが女王に傅いている。といってもトラックは普通に停車しているだけだが。女王は高い位置にある玉座からコメルたちを見下ろしていた。女王の横には宰相が立ち、感情の読めぬ無表情を貫いている。
「よくぞ参られた、ケテルの使者殿。顔を上げられよ」
女王はそう言いながら、その目はミラを凝視し、声はかすかに震えていた。コメルとミラが顔を上げて女王を見る。女王の瞳にミラの顔が映った。
『核』の交換を終えたミラはその後ドワーフ村に留まり、異常や不具合がないか、『核』が順調に動作しているかの検証が村長とジンによって行われた。幸いにして経過はすこぶる順調で、最終的に村長は「もう暴走の心配はない」と太鼓判を押した。ジンが大きな安堵の息を吐く。「本当に大丈夫だろうか」と気が気ではなかったのだろう、どこか硬かったジンの表情がようやく和らいだ。
「それにしても、この『核』はすごいな」
ミラの手を取り、村長は感嘆のため息を吐いた。ミラの手はほのかに温かく、ほとんど生き物の手と変わらない。ミラをゴーレムだと知っていなければゴーレムだと見抜くことができる者はいないだろう。ゴーレム技師として、おそらく世界で初めて作製された霊王銀の『核』に感慨もひとしお、といったところだろうか。
ジンはミラから「ありがとう」と言われ、照れたように首を横に振った。どこか現実ではないような、自分が為したことが信じられないような戸惑いが見える。夢中で頑張ってきて一つの命を救った。それは充分に誇るべきことなのだけれど、実感が湧いてくるのはこれからなのかもしれない。
セシリアは倒れたあと三日ほど目を覚まさず、剣士がずっと付き添っていた。完全に力を使い果たしたということなのだろう。昏々と眠るセシリアに、ベッドの脇に座る剣士が「無茶をしてくれるな」と話しかけていた。
セテスはミラが助かったことを確信すると、村長たちに礼を言ってすぐにドワーフ村を発った。ミラがハイエルフの都『真緑の樹』に戻ることができるよう請願すると鼻息も荒い。霊王銀の『核』を得たことで『魂の樹』にも変化が出ているはず。ならばハイエルフたちがミラを受け入れる可能性は0ではないのだ。ミラを大切に思う者は自分以外にも必ずいるはずだと、セテスは強い決意を漲らせていた。
そしてあっという間に一週間が経ち、ようやくトラック達はミラを連れてケテルへと戻ることになった。
「見慣れぬ、顔じゃ。差し支えなければ、紹介、して、頂けるかな?」
平静を装い、女王はミラを見つめたままコメルに言った。コメルはにこやかに答える。
「このたび、縁あって私どもで引き取った子で、名をミラと申します。どうぞ、お見知りおきを」
ミラ、という名前に廷臣たちからどよめきが上がる。女王が何か言おうと口を開きかけ、何も言わずに閉じた。女王は以前にミラに会っているから「見慣れぬ顔」というのは白々しい嘘だろう。それはつまり、女王がミラと初めて会ったことにしたい、ということを意味していた。ミラはじっと女王を見つめると、再び頭を下げた。
「ミラ、と申します、陛下」
コメルが痛ましそうな表情を浮かべた。
寒さも和らぐ晴れた日の午後、トラック達はドワーフ村の入り口にいた。村長を始め数人のドワーフたちが見送りに集まる。村長以外のドワーフたちは事情を知らないはずだが、「なんか大変だったみたいだな」「ごくろうさま」と労ってくれた。深く詮索はしないが、気に掛けてくれていたのだろう。
「それじゃ」
そう言ってジンがトラックの助手席に乗り込もうとドアに手を掛ける。運転席にはミラが、セシリアと剣士は荷台に乗り込んだ。すると村長は
「ジン!」
と声を掛け、ジンがトラックに乗り込むのを制した。ジンは村長を振り返る。村長はためらいに視線をさまよわせ、そして意を決したようにジンを見据えた。
「……戻って、来てくれんか」
ジンは大きく目を見開く。村長は真剣な表情で言葉を続けた。
「お前には確かな才能がある。ゴーレム技師として、お前は良い職人になれるじゃろう。戻ってきてワシの技術を継いではくれまいか」
「おじいさま……」
今までにない村長の気弱な様子を見て、ジンは言葉に詰まる。公にはされていないものの半ば追放される形でドワーフ村を出たジンにとって、戻ってこいという村長の言葉は特別な意味を持つはずだ。『柔らかい鉄』と呼ばれた彼が、ドワーフとして迎えられる。それはきっと、ジンが幼い頃からずっと望んでいた自分自身を回復するということだ。
ジンはうつむき、逡巡し、そして首を横に振った。村長が身を乗り出し、追い縋るように叫ぶ。
「ワシの下で修行するのが嫌なら他の者にでも構わん! ゴーレム技師でなくとも――」
「そうではありません」
顔を上げ、ジンは村長を制した。その表情に暗いものはなく、自らの道を見定めた晴れやかさがあった。
「おじいさまの、ゴーレム技師の技術は素晴らしいと思います。その技を伝えていくことにも大きな価値がある。けれど、僕はやっぱり、医術の道を進みたい。命を助ける仕事がしたいんです」
村長は驚いたようにジンを見つめる。おそらく村長は、ジンが医学を学ぶのは村を出るための口実で、真に望んだことではないと思っていたのだろう。
「ゴーレムのことを学ぶのは楽しかった。けれど僕は知識より技術より、ミラが助かったことが一番嬉しかった。もっとたくさんのひとを救いたいと、思ったんです」
ジンは穏やかに諭すように言った。村長が複雑な表情を浮かべる。後悔、寂しさ、いつの間にか成長した孫に対する驚き、喜び。ジンは胸を張り、はっきりとした決意を込めて言った。
「ケテルに戻ります。医術を学んで、一人前になって、そしたら帰ってきます。必ず」
村長がハッと息を飲む。そしてジンに近付き、その右手を自らの両手で包んだ。ジンもまた左手を村長の手に添える。村長は言葉にならないように何度も何度もうなずいていた。
「……私の、娘も、ミラという、名だった」
痛みに耐えるように、女王は途切れ途切れにミラに言った。ミラはじっと女王を見つめる。その視線からわずかに目を逸らし、女王は不自然に笑った。
「偶然、というのは、あるものだな」
ミラは答えず、女王を見つめたまま。女王は視線を逸らせたまま。わずかな沈黙の後、ミラは微笑みと共に告げた。
「……本当に」
女王の身体が小さくびくりと震えた。今まで黙ってミラの隣にいたトラックがプァンとクラクションを鳴らす。ぎこちない動作で女王はトラックに顔を向けた。
「いいも悪いもない。私はハイエルフの女王で、そなたたちはケテルの使者だ」
そして女王は強引にコメルと今後の商売の話を始める。ミラはそっと目を伏せた。
ドワーフ村から戻ったトラックはジンを施療院に送った。院長やスタッフたちは総出でジンを出迎えてくれ、ミラが助かったことを知ると大いに喜んでくれた。みんなには詳しい事情を話してはいないのだが、ジンやセシリアが一生懸命に何かしていることは察していたらしい。心配してくれてたんだな。いい人たちだ。
心配をかけたお詫びとお礼を兼ねて、ジンは院長たちに今回の事の顛末を説明した。院長たちはジンの語るエピソードに逐一驚き、感心しながら話を聞いてくれた。ジンの語りは徐々に熱を帯びていく。そしてすべてを語り終わったとき、院長は優しく目を細めた。
「ワシの言った通りになったな」
ジンが小さく首を傾げる。院長はジンの頭に手を置き、ポンポンと撫でた。
「言ったろう? 君は必ず、誰かを救える」
ジンが小さく息を飲んだ。院長は微笑みを浮かべてうなずく。
「よく、頑張ったな」
ジンの顔が朱に染まる。じわじわと身体を満たす喜びに震えながら、ジンは小さな声で「はい」と言って、気恥ずかしそうにうつむいた。
その後トラック達はジンと別れ、冒険者ギルドに戻った。マスターやイヌカ、ナカヨシ兄弟に礼を言い、あの後大変だったんだぞ、なんて言われて、トラック達はようやく日常の中に帰っていく。数日が経ち、セテスから手紙が届いた。ミラを連れて『真緑の樹』に来てほしい。それを受けてトラックはコメルとミラと共にハイエルフの都へと向かった。
城を出て門へと向かう道の途中、トラックはゆっくりと道を走っている。コメルとミラ、そしてセテスがトラックと並んで歩いていた。皆、一様に黙っている。特にセテスは強い苦悩をその顔に浮かべていた。
「……すまぬ」
呻くようにセテスが声を上げた。トラック達が足を止める。セテスはうつむき、言葉を続けることができないようだった。ミラが気遣わしげに微笑む。
「謝らなくて、いい」
セテスは首を横に振る。おそらくミラを女王に会わせるために相当な交渉を重ねたに違いない。会えば、会いさえすれば、きっと受け入れてくれる。情愛を取り戻してくれる。そんな目論見は打ち砕かれ、結局ミラに辛い思いをさせてしまった。セテスはそんなことを考えているのだろう。
「……帰りましょうか」
沈黙を厭うようにコメルが皆に声を掛ける。ミラがうなずき、トラックがプァンとクラクションを返した。トラックが助手席側のドアを開ける。すると、
「待ってくれ!」
切迫した、どこか悲鳴のような声がトラック達の背に届く。皆が後ろを振り返った。息を切らせて駆けてくる女王の姿が見える。そこに女王の威厳も余裕もなく、走るその足は裸足だった。戸惑うトラック、コメル、セテスを完全に無視して、女王はミラの前で足を止めた。手を伸ばせば触れられる距離。必死で息を整えている女王をミラは見上げる。
「ミ、ミラ、とやら」
適切な言葉を探すように女王はぎこちなく言葉をつむぐ。
「そなたの、母は、どの、ような、者であった?」
口に出した後で女王は、自分は何を言っているのだというようにせわしなく視線をさまよわせた。軽くパニックになっているらしく、別の言葉も出てこないようだ。ミラは女王の問いに答える。
「強く、美しく、聡明で、優しい。私の母はそのような方です」
さまよっていた女王の視線がミラの瞳に注がれる。女王を落ち着かせるように、ミラは柔らかい笑みを浮かべた。
「今は離れて暮らしておりますが、その温もりを忘れることはございません」
女王は身を乗り出し、ミラに近付く。
「なぜ、離れて暮らさねばならぬ? 母娘ではないか!」
「それぞれに事情があり、その事情が共に暮らすことを許さなかった。それだけのことでございます」
女王は強い憤りを示し、大声を上げた。
「母娘が共に暮らして何が悪い!」
ミラは女王の苦しみを受け止め、なおも微笑む。
「お立場をお考えください」
ミラのその言葉が冷水となり、女王から激しい感情が洗い流された。元々白い肌から血の気が引き、白蝋のような顔で女王はつぶやく。
「……恨んで、いるか?」
ミラは首を横に振った。
「私は母が大好きです。これからも、ずっと」
女王の目が大きく見開かれ、涙の粒が浮かぶ。女王はミラの頬に手を伸ばした。
「ミラ、私は――!」
「陛下!」
その手がミラの頬に触れる直前、その背を打った鋭い制止の声に女王の動きが止まる。いくぶん早足で現れたのは、女王の側近である宰相だった。宰相の厳しく残酷な声音がさらに女王を打つ。
「あなたは、王なのです! 陛下!!」
動けず、伸ばされながら触れることのできない女王の手に、ミラは手を重ねてそっと下ろした。女王が呆然とミラを見つめる。ミラはかすれた小さな声で言った。
「ありがとう。うれしかった」
女王の目から涙がこぼれる。ミラはトラックを振り返り、短く言った。
「行こう」
女王もまた、強引に宰相に手を掴まれ、城へと引き戻されていく。トラックの返事を待たずにミラは歩き始めた。ミラと女王は互いに背を向け歩いていく。距離が、離れていく。トラック達はミラを追い、その横に並んだ。振り返ることも横を向くこともなく、前を見たままでミラはトラックに「ねぇ」と呼びかける。
「トラックは、一緒にいてくれる?」
当たり前だ、とばかりに、トラックはプァンとクラクションを返した。ミラはトラックを振り向いて微笑む。それは年相応には程遠い、ひどく大人びて、哀しい笑顔だった。トラックは周囲に聞こえないような小さな、決意を込めたクラクションを鳴らした。押し殺したすすり泣きの声が、トラック達の背を追うようにずっと響いていた。
宰相は最近何もないところでよくつまずくので、転ぶのが怖くて、女王を走って追いかけなかったらしいですよ。




