命の光
――リーーーン
場違いにきれいなその音色は、魔法使いの顔色を蒼白に変えた。魔法使いは知っているのだ。この鈴の音が聞こえることの意味を。
「ば、ばかな……」
魔法使いの乾いた唇がかすれ震えた声を上げる。
――リーーーン
虚空から魔法使いに向かってまっすぐに光の道が現れる。魔法使いの足元に青白く魔法円が浮かび上がった。魔法使いは恐怖に怯え、動けずにいる。すでに囚われているのだ。もう、逃げられない。
「ありえぬ! 不可能だ! できるはずがない!!」
恐慌をきたした魔法使いが大きく目を見開いた。
――リーーーン
光の道を辿り、純白のローブに身を包んだ男とも女とも分からぬ『何か』が姿を現した。右手の人差し指と親指でつまむように金のベルを持ち、それを振りながらゆっくりと魔法使いに向かって歩みを進めている。深くフードを被り、フードの奥は闇に覆われて何も見えない。あるいは何もないのかもしれない。
「高位の魔術師が数人で半日は掛かる儀式魔術だ! しかも視認できる距離まで近づかねばならん! 机上の、理論魔術の最たるもの! 実戦で使える代物ではない!!」
理不尽をなじるように魔法使いは首を激しく横に振った。
――リーーーン
白いローブの『それ』は先触れの使者。控えよ、ひれ伏せ。光の道の先にいる囚人に『それ』は無言でそう伝えている。『それ』は次々に現れ、ついには四体が道に並ぶ。そして最初の一体が魔法使いの前までたどり着いたとき、『それ』らは道を譲るように左右に分かれた。左右に二体ずつ、光の道を挟んで向かい合い、一定間隔でベルを鳴らす。その音色に導かれるように、一つの大きな影が虚空を引き裂いて姿を現した。
「……奢侈王の執行人――」
魔法使いがカタカタと身体を震わせる。漆黒の法衣に身を包み、白い仮面を着けた奢侈王の執行人は、無言のまま魔法使いの前に立つ。
ベルの音が、止んだ。
「ま、待ってくれ! 私には奢侈王様に敵対する意思はない! 私は――」
哀願する魔法使いを執行人は無慈悲に見下ろしている。仮面の奥で二つの赤い光が揺らめいていた。執行人は裁判官ではない。哀願も弁明も意味はないのだ。すでに罪は確定している。執行人はただ、定められた罰を執行するのみだ。
「――私は、何もしていない! 奢侈王様に対して私は何の罪もないはずだ! どうか今一度」
「オ前ノ罪ハ」
なおも言葉を募る魔法使いを遮り、どこか不自然な、機械が人の言葉をまねたような響きを帯びて、奢侈王の執行人は無感情に言った。
「タダ、ソノ醜悪な魂」
――ジャラン!
執行人が右手をかざすと、重たげな金属音を立てて、魔法使いの足元の魔法円から腕の太さほどもある幾条もの金の鎖が勢いよく飛び出した。魔法使いは「ひっ」と悲鳴を上げる。金鎖は魔法使いの身長と同じ辺りまで伸びて直立し、右回りに魔法使いの身体を絡めとる。スキルウィンドウが厳かに刑の執行を告げた。
『アクティブスキル(ユニーク)【奢侈王の金鎖】
地獄の六王の一柱、奢侈王の力を具現化した純金の鎖。
この鎖に捕らわれた者は死の瞬間まで、
魔力を奢侈王に献上し続ける』
役割を終え、執行人は形を失い、ただの闇となって消えた。先触れの使者たちの白いローブがぱさりと地面に落ち、光の道が粒となって散る。魔法使いの足元の魔法円も消え、金鎖も徐々に透けて見えなくなった。しかし魔法使いは不自然に直立したまま動かない。おそらく金鎖は見えなくなっただけで、魔法使いを拘束し続けているのだろう。
「【奢侈王の金鎖】に捕らわれることの意味を、理解できぬほど愚かではないでしょう?」
ひどく冷たい声と共に、トラックの荷台からセシリアが姿を現した。同時に【魔力障壁】が消滅し、トラックが落下――することなく、ふわりと地面に降り立った。セシリアが魔法で車体を支えたのだ。セシリアは一片の感情もなく魔法使いを見据える。
「き、きさま、きさまが……!」
憎しみを込めて魔法使いがセシリアを見返し、身を震わせる。セシリアは傲然と言い放った。
「もはやお前は二度と魔法を操ること叶わぬ。他者を見下し、弄ぶその傲慢の、これが報いと知れ」
顔を紅潮させ、魔法使いは、いや元魔法使いは屈辱に身を震わせている。【奢侈王の金鎖】に捕らわれ魔力を吸われ続けるということは、身体の大半をゴーレム化したこの男にとってもはや一人では動くこともままならないということだ。自ら人を超えたと豪語する根拠を砕かれ、見下していたはずの他者の力を借りる以外に生きる術はない。セシリアは戦いの前に「一撃で仕留める」と言ったが、それは命を奪うという意味ではなく、この男の傲慢の根幹を成す魔力を奪うことでこの男の人生を否定するという意味だったのだろう。おそらくこの男にとって死よりも厳しいこの手段を選んだ事実が、セシリアの怒りの深さを物語っていた。
剣士とイヌカが男の左右に回り、その身体に縄を打つ。マスターが厳かに告げた。
「ケテルの冒険者ギルドはお前を拘束する。洗いざらいしゃべってもらうぞ」
マスターの迫力に運命を悟り、男はがっくりとうなだれた。セシリアがミラを振り返る。
「ミラ……」
セシリアはミラに駆け寄り、地面に膝をついて、その身体を強く抱きしめた。ミラは目を見開く。そして、泣いた。大きな声で、八歳の子供の顔で。泣き声が反響する地下の部屋で、トラックは静かに二人を見守っていた。
屋敷を出たトラックたちを出迎えたのは、やや苦々しい顔をしたイャートだった。周囲は騒然として、衛士隊やギルドの冒険者たちが忙しなく行き来している。屋敷の壁の一部が破壊されて大きな穴が開いていた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。
「……ゴーレムが一体、壁をぶち抜いて逃走したんだ。追跡中だが、見つけたところで確保できるかどうか」
そう言えば、玄関にいたはずのドラムカンガー7号がいなくなってたな。灰マントたち四人も姿がなかった。もしかしてドラムカンガー7号と一緒に逃げたんだろうか? イャートは気持ちを切り替えるように息を吐くと、トラックを鋭く見据えた。
「借りを返してもらおうか。首謀者を引き渡せ、トラック」
トラックは考えるようにカチカチとハザードを焚いた。セシリアたちがイャートを見る。ミラは助手席に隠されるように座っていた。ちなみにトラックはセシリアの魔法ですでに全快である。あんなにボロボロだったのに、一瞬ですよ。卑怯なほどのこの修理力。トラックの隣にいたマスターがイャートの居丈高な物言いに顔をしかめる。
「ちょっと待て。リスクを負ったのはこちらだ。横から獲物をかっさらおうってんなら筋が違うぜ」
「情報を提供したのはこちらだ。冒険者ギルドの調査部はここを特定できていなかったろう? 本来、わざわざそちらに話を通す必要はこちらにはない」
イャートとマスターが厳しくにらみ合う。イャートからすればまさに首謀者を捕えるためにトラック達に情報をリークしたのだから、ここは退けないところなのだろう。しかしマスターとしてもそう簡単に引き渡せるものではない。トランジ商会につながるか細い糸をようやく手繰り寄せたのだ。それは冒険者ギルドにとって商人ギルド、ひいてはケテル評議会に対する有効なカードになりうる。
「それともこの場で全員拘束しようか? 商人ギルドの構成員の別邸に押し入り、住人を不当に拘禁した。君たちの行為は弁解の余地なく違法だ」
「そいつが可能だと、本当に思っているわけじゃあるまい?」
イャートの挑発的な態度にマスターの声が低く物騒な響きを帯びた。イャートの後ろにいた衛士隊の面々が身構える。セシリアたちはいつでも動けるように気配を探っているようだ。一触即発の空気がピリピリと肌を刺す。その張り詰めた雰囲気を壊したのは、どこか気の抜けたトラックのクラクションだった。
――プァン
同時にトラックは右のウィングを上げ、【念動力】で男を運ぶ。首の後ろを掴まれて運ばれる猫(まあそんなに可愛いものではないが)みたいな扱いになっとる。身動きの取れない男はされるがままだ。イャートもマスターたちも、一斉にトラックを振りむいた。トラックは滑るように男をイャートのほうに移動さ
――ぶん投げたーーーっ!!
男はまっすぐに森に向かって飛んでいく。イャートは男の姿を追って振り返り、慌てたように叫ぶ。
「な、なにしてる!?」
イャートの注意が逸れたこの一瞬を捉え、トラックは一気にアクセルを踏む。【念動力】で剣士とセシリアを回収し、トラックは衛士隊の面々を振り切った。
「待て! 君たちにも聞かなきゃならないことが――」
あとは任せた、と言わんばかりのクラクションを残し、イャートの言葉を背にして、トラックはその場を後にした。残されたマスターとイヌカが苦笑いと共に肩をすくめ、ナカヨシ兄弟はあきれ顔で顔を見合わせた。
空は徐々に藍色へと移ろい、星々は姿を消しつつある。もうすぐ夜明けが訪れるのだろう。まだ肌を刺す夜気を切り裂き、トラックは限界ギリギリのスピードでドワーフ村へと向かっていた。
ミラが涙を流した、ということは、もはや暴走がいつ起きても不思議ではないことを示している。かつて生き人形の少女を救おうとした魔法使いは、少女の涙を見てドワーフたちを遠ざけ、最終的には自らを犠牲にして暴走の被害を食い止めた。実際に少女が涙を流してから暴走までにどれだけの時間があったのかは分からないが、一刻の猶予もないことはミラの様子を見ても明らかだった。ミラは助手席で辛そうに浅い呼吸を繰り返している。運転席に座るセシリアがミラの手を取り強く握っていた。
新たに覚えたスキル【フライ・ハイ】で森を飛び越え、大きく距離を縮めることに成功したトラックは、ほどなくドワーフ村に降り立った。剣士がミラを抱え、村長の家に駆けこむ。セシリアと【ダウンサイジング】したトラックが後に続いた。夜明け前の村にバタバタを慌ただしい空気が広がった。
「村長!」
姿を捜して剣士が叫ぶ。すると気配を察したのだろう、村長が奥から姿を見せた。村長は剣士に抱えられたミラの姿を認めて息を飲んだ。
「もう時間がありません!」
セシリアが切迫した状況を端的に伝える。村長はうなずき、しかし皆を安心させるように微笑んだ。
「『核』は、完成しておる」
剣士とセシリアの表情に希望の光が灯る。村長は表情を引き締めると、
「地下の工房に運んでくれ! すぐに処置を始める!」
そう言って奥へと身を翻した。トラック達は村長の後を追う。家の奥には地下へと続く階段があった。村長と剣士が飛び込むように階段を降り、トラックは【ダウンサイジング】でミニカーレベルまで小さくなってセシリアに運ばれ、工房に入った。
地下の工房には赤々と明かりが灯り、床には無数の工具と金属くずが散乱していた。部屋の奥には炉や金床が据えられた土間があるが、今は炉の火は落とされていた。ぐったりした様子で椅子に座っていたセテスが階段を振りむき、ミラの様子に思わず立ち上がる。
「ミラ様!」
剣士に抱えられたまま、ミラはセテスに微笑みかけた。セテスが喜びと焦りが混ざり合った複雑な表情を浮かべる。ミラが感情を表すことの意味を知っているのだ。
「『核』は!?」
剣士の叫びに応え、セテスは机の上に置かれていた球体を手に取り、皆に向かって掲げた。
「これが、四元の力のすべてを宿す新しい『核』だ」
手のひらほどの大きさの『核』は、透けるほどに薄い球の表面に電子回路のような複雑な幾何学模様が刻まれ、時折その溝に沿って光が走っている。右上、右下、左上、左下には直径二センチほどの円形の突起があり、他にも小さい突起がところどころに見えた。『核』の中では土の力が底を支え、風が循環して水を巻き上げ流れを作り、そして中心には炎が浮かんでいる。四元の力が均衡を保って放つ光は、命の光そのものだった。冥王銀の塊からこれを削り出し、精霊力を注ぎ込んで『核』を作った、と言ってしまえば一言だが、実際に『核』を目の前にすると、その神秘的な輝きに圧倒される。村長もセテスも、奇跡のようなことをやってのけたのだ。
「『霊王銀』が、できたのですか?」
『核』の美しさに半ば見惚れながらセシリアが問うた。村長の顔が強張り、セテスが力なく首を振る。
「……いや、そちらは間に合わなかった。これは『冥王銀』の『核』だ」
つまり、この『核』は『冥王銀』の呪いを持ったまま、ということだ。『冥王銀』の呪いは所有者を裏切る呪い。そのひとの最も重要な場面、最悪のタイミングで予想もしない出来事を引き起こす。それがいつなのかは誰にもわからない。
「……このまま死なせるよりマシだ! すぐに処置を――」
慌てたようなバタバタとした足音が剣士の叫びを遮る。皆が音の方向――階段の上を振り返る。足音はどんどん大きくなり、やがて転がるように足をもつれさせながらジンが降りてくる。勢い余ってこけそうになるジンの身体をトラックの【念動力】が支えた。ジンは息を乱しながら右手に持っていたノートを掲げ、興奮気味に声を張り上げた。
「見つけました! 『冥王銀』と『陽金石』の融合方法を!」
その言葉は残っていた最後の懸念を吹き飛ばし、工房の中を希望で満たした。
ちなみにナカヨシ兄弟は、今はCランク冒険者です。




