駆け引き
空に無数の星が瞬く。空気が澄んでいるのか、それとも夜の闇が深いのか、この世界の空を彩る星々の輝きは俺が知っているどんな夜空よりもきれいだった。知っている星座がひとつも見当たらないことが寂しい。ここは俺の知っている世界じゃないと、そう言われているような気がする。空の中心には、星々を従えるように金色の月が浮かんでいて、ああ、この世界にも月はあるんだと、少しだけ安心する。
月と星が見守る明るい闇の中を、トラックは疾走していた。
宿に戻ったトラック達は、準備のために一度解散した。軽めの食事を取った剣士とセシリアは、各自の部屋に戻って着替えと戦いの準備をしていたようだ。あ、言っておくけど、覗いてませんから。ちゃんと良識ある大人ですから。ちなみにトラックは特に準備もないらしく、馬小屋の横の定位置で大人しくしていた。
深夜、町が寝静まる時間、宿の裏手の道に一つの人影があった。人影は小石を拾い、剣士の部屋の窓をカツンと叩いた。剣士は窓を開け、身を乗り出して人影を確認すると、窓を閉めて部屋に引っ込む。ほどなくして剣士はセシリアと一緒に宿を出てきた。昼間と違い、剣士は革鎧に長剣を帯び、セシリアは魔術師然としたローブに身を包んでねじくれた杖を持っている。
「あんたが使いか?」
剣士は人影に声を掛ける。小柄でひどく痩せた、目ばかりがギョロギョロと目立つ四十がらみの男だ。男は無言でうなずくと、じっと剣士を見つめ、ぼそりと聞き取りにくい声で言った。
「猫はどこに?」
セシリアはさりげなく剣士に視線を向ける。剣士は動じた様子もなく、男に向かってついてこいというような仕草をして歩き出した。男は、少なくとも表面的には大人しく剣士の後をついていく。歩幅の違いか、セシリアはやや小走り気味に剣士を追いかけた。剣士は馬小屋の横にいるトラックの傍まで来ると、使いの男を振り返って言った。
「猫はここだ」
トラックがエンジンをかけ、ヘッドライトを灯す。使いの男がギョッとした顔で少し後ずさった。
「見たことのない種族だ」
使いの男はそう言って、気味の悪そうな目でトラックを見ている。セシリアは男の態度に一瞬だけムッとした顔をしたが、すぐにそれと悟られないよう表情を改めた。剣士はトラックに手を当てると、なぜかちょっと自慢げに言った。
「こいつの腹は便利でね。いろんなものを貯め込んでおける」
剣士の言葉に男は動揺したのか、身を乗り出して言った。
「く、喰ったのか? 大丈夫なのか?」
「心配するな。外にいるより安全なくらいだ」
トラックをポンポンと叩きながら、苦笑気味に剣士が言葉を返す。動揺してしまったことが恥ずかしいのか、使いの男は殊更不快そうに鼻を鳴らした。そして仕切り直しとばかり剣士に鋭い視線を向けると、強い口調で言った。
「猫を確認させてもらいたい」
セシリアが不安げに両手で杖を握る。剣士はもちろん、というように大げさにうなずいた。
「いいぜ。その代り、こっちも金を確認させてもらう」
使いの男の眉がピクリと動いた。苛立っているのだろう。剣士の要求した金額を考えれば、男が金を持っていないことは見ればわかる。それを承知でのあの物言いは、バカにしていると捉えられても仕方がない。
「金はここにはない」
「だったら猫は見せられない。持ち逃げされたら困るんでね」
軽く肩をすくめて剣士が答えた。そんなことをわざわざ言わなければ分からないのかと、小ばかにしたような薄笑いを浮かべている。使いの男は顔を引きつらせて言った。
「そんなことはしない」
「それを信じろってのは無理な話だ。お互い、真っ当な生き方をしちゃいないんだから」
「信頼が無ければ取引は成立しない」
「その『信頼』ってのは一方的なもんじゃないだろ? 俺たちの立場は対等のはずだ。こっちに猫を持ち逃げされるリスクを負わせるなら、そっちも金を奪われるリスクを負うべきだ。猫を見たけりゃ金を見せろ。それが対等ってことだ」
剣士がやけに『対等』を強調するのはたぶん、使いの男が剣士たちを対等だと見なしていないことを知っているからだ。剣士たちがこの取引を対等だと思っている、と男に思わせて、侮るように仕向けているのだ。対等に交渉できると思っているバカを後ろから刺すのは容易い、そう思わせておかなければならないということだろう。
「それともご破算にするかい? こっちはそれでも構わない。猫の引き取り先は無理にあんたたちでなくてもいいんだぜ?」
使いっぱしりが独断で取引を潰していいのか? と言外に剣士は使いの男を脅している。使いの男は事前に猫の姿を確認しろと言われているかもしれないが、確認できなければ取引を止めていいとは言われていないのだろう。歯ぎしりが聞こえてきそうな顔で、使いの男は剣士を睨んだ。おそらく使いの男は内心でこう思っているはずだ。「せいぜい調子に乗っていろ。猫さえ手に入れば、お前ら全員始末されるんだ」と。そしてその内心の優越感が判断を誤らせる。『金が目当ての』『自分ではうまくやっていると思っている若造が』『取引の場に猫を持ってこない理由はない』。
剣士たちの目的は『取引場所に行くこと』だ。その場に現れた相手を捕らえ、情報を引きだそうとしている。使いの男の目的は『剣士たちを取引場所に連れていくこと』だ。そこで猫を受け取り、剣士たちを始末しようとしている。つまり、両者の目的はすでに一致している。
「……よく舌の回る男だ」
苦々しい顔で吐き捨てるように、使いの男は呟いた。剣士は満面の笑みで使いの男に近付き、その肩をポンポンと叩いた。
「納得してもらえて何よりだ」
剣士のふてぶてしい態度に、使いの男はいろいろな感情を無理やり抑えたような複雑な笑顔を浮かべた。目だけが血走って剣士を凝視しているが、剣士はその視線をさらりと無視してトラックを振り返る。
「じゃあ、行こうか。こいつに乗ればすぐに着く」
剣士の言葉にトラックがクラクションで応える。使いの男はどうにも慣れないようで、どこか腰が引けた様子でトラックを見た。トラックは助手席側のドアを開けてセシリアを乗せると、
「お?」
「な、なんだ!?」
スキル【念動力】を発動して、使いの男と剣士の身体を空中に持ち上げた。急に地面から引き離され、二人はうろたえながら手足をバタバタと動かしている。あ、リアクションがほぼ同じだ。似た者同士さんだな。トラックはそのまま二人を、空中を滑らせるように移動させると、自身のキャビンの上に並んで腰掛けさせた。一応説明すると、キャビンっていうのはトラックの運転席がある部分のことね。身体を預ける場所を得て、二人が同時に安どのため息を吐いた。
「行き先を指示してくれ。そうすりゃ勝手に連れてってくれる」
「わ、わかった」
剣士の言葉に頷き、つばを飲み込んで、深呼吸すると、使いの男はややうわずった声で言った。
「取引場所は南東街区、貧民街の外れの空き地だ」
承知した、とばかりにトラックがクラクションを鳴らし、ゆっくりと前進を始める。動き始めの揺れに驚き、二人が「うわっ」と声を上げる。トラックは徐々に速度を増し、そして――
一気にトップスピードまで加速した!
「ひ、ひぃぃぃーーーーっ!!」
風圧で顔がゆがみ、二人の顔が面白いことになっている。薄くなり始めた使いの男の髪の毛が風に踊った。
「落ち、落ちる、落ちるぅ!!!」
剣士が必死の形相で叫ぶ。トラックのキャビンの屋根につかまるような場所はなく、落下しないように祈る以外にできることはないらしい。体を強張らせ、半泣きで屋根にしがみつく二人の男を乗せ、トラックは夜の町を疾走する。
空には満天の星。満月から少し欠けたくらいの月が、闇に眠る町を穏やかに包んでいる。しかし本来あるはずのシンとした静寂は、今日この日だけは、
「助けてえーーーーーーーーーーっっっ!!!!!」
二人の男の悲鳴によって引き裂かれたのだった。
「なんで俺までーーーーーーーーっ!?」
人目を忍んで深夜に取引する意味ないじゃん。
犯人は「剣士のドヤ顔が不快だった」と供述しており、警察は引き続き動機の解明を進めていく方針です。




