意思
あきらめるから。あきらめて。そう言ったミラの身体は、しかしその言葉とは裏腹に強く震えていた。怯えているのだ、見捨てられることに。ハイエルフたちに、実の母である女王に拒まれた彼女に、トラックを失った後の居場所はない。それでもミラは言った。怯える心を打ち払い、見捨てよと。トラックを死なせないために。
なぁ、トラック。お前、子供にこんなこと言わせて、黙って引き下がるわけないよな? 今ここで一ミリでも退いたら、もう取り戻せないって分かってるよな? ここが正念場、失敗したら全部終わりだぞ。分かってるよな、トラック。
――プァン
トラックは穏やかにクラクションを鳴らした。ミラは胸の前で握る手に力を込める。
「でも――」
――プァン!
言葉を募るミラの声に、トラックは力強いクラクションを重ねる。ミラは大きく目を見開く。魔法使いがこらえきれないとでも言うように吹き出した。
「今、助ける? そんなボロボロの姿でどの口が言う! これだから愚か者は度し難いというのだ!」
魔法使いの嘲笑が岩壁に反響する。ミラは半円の縁へと駆けた。
「トラック!」
しかし彼女の身体は不可視の壁に遮られる。ミラは唇を噛み、悔しそうに中空を叩いた。スキルウィンドウが無慈悲に【魔力障壁】の発動を告げている。トラックはじっとミラを見上げているようだった。リアクションを得られなかった魔法使いが不快そうに鼻を鳴らした。
「何をしている、我が人形たちよ! 早くその愚者を叩き潰せ!」
魔法使いの言葉を合図にゴーレムたちが再び動き出す。トラックは身構えるようにエンジン音を立てた。しかし、何だろう、ゴーレムたちの動きはさっきより妙にぎこちなく、動かない体を無理やり動かすような軋みを上げていた。虚ろなその瞳の奥に小さな光が灯っている。そしてゴーレムたちは、もう何度も繰り返したのと同じに、トラックに一斉に襲い掛かった。
――ガツッ
鈍い音を立てて、ストーンゴーレムの一体がトラックのアルミバンに強く額を打ち付けた。アルミバンがへこみを作り、ストーンゴーレムの額にも小さな傷が付く。するとストーンゴーレムの動きが硬直し、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
――ガツッ
別のアイアンゴーレムがトラックに額を振り下ろす。トラックのキャビンのフレームがゆがみ、アイアンゴーレムの額に傷を作った。ガシャン、と音を立ててアイアンゴーレムの身体がバラバラに地面に落ちる。魔法使いが思わずといった風情で席を立った。
「何をしている! 自分から額を傷付けるなど!」
ゴーレムの額には『真理』を表す古代文字が刻まれ、その文字は一部を消すと『死』を表す古代文字に変わる。額の文字を『死』に変えるとゴーレムの全身に巡る魔力の供給が止まり、自壊する。つまり二体のゴーレムは自分で自分の額の文字を『死』に変え、自滅したということだ。ハッと何かに気付いたようにトラックが鋭くクラクションを鳴らした。
――ガツッ
しかしゴーレムたちは次々とトラックに額を打ち付け、自滅していく。ゴーレムたちから距離を取ろうとバックしたトラックの後輪が自壊したウッドゴーレムの残骸を巻き込み、トラックの後退を阻んだ。トラックが焦ったようなクラクションを鳴らした。
――ガツッ
あっという間にニ十体いたゴーレムは最後の一体になった。一番小柄だったウッドゴーレムがトラックの正面に立つ。トラックは【念動力】でウッドゴーレムを抑えようとしたが、【念動力】ではゴーレムのパワーを抑え込むことはできなかった。トラックの悲痛なクラクションが響く。ウッドゴーレムは身をのけぞらせ、その額をトラックに叩きつけた。鈍く亀裂が額に走り、ウッドゴーレムはどこか満足そうに自壊して地面に転がる。役割を終えたようにトラックの後輪に挟まっていたウッドゴーレムの残骸が砕けた。トラックは呆然と立ち尽くし、ミラもまたゴーレムたちの残骸を見つめる。
「な、なんという無様な! どれもこれも何の役にも立たぬ失敗作ではないか! 額で攻撃すれば自壊することも理解しておらぬとは! そのようなものは要らぬ! まとめて壊れてせいせいするわ!」
魔法使いは怒りと侮蔑をわめき散らした。この男は何も理解していないのだ。ゴーレムたちは額が傷付けば自壊することを知らずに頭突きして結果的に自壊したわけではない。ゴーレムたちは主を見限ったのだ。この男の命令を聞くよりも自壊することを自らが選んだ。今、この場にいて『無様』と呼ばれるにふさわしいのは、自分の作ったゴーレムに見限られ、それに気付くこともできない哀れなこの男一人だけだ。
――プァン
トラックが静かにクラクションを鳴らす。見えない壁に張り付き、ミラがトラックを見つめた。魔法使いがトラックをにらみつける。
「役立たずのゴーレムがいなくなったところで、貴様が私を傷一つ付けることができぬことに変わりはない。見よ! 高みから見下ろす私と、地面に這いつくばって私を見上げるお前の、この高低差がそのまま我らの差だ! 貴様はここまで来ることさえできんのだ!」
魔法使いのわめき声を無視して、トラックの周囲を風が逆巻き始めた。トラックはまっすぐにミラだけを見ている。トラックがアクセルを踏み込み、そして――
飛んだーーーーっ!!!
トラック空飛んだーーーーっっ!!!
緊張感を削ぐ音がして、スキルウィンドウが空中に染み出してくる。
『スキルゲット!
アクティブスキル(レア)【フライ・ハイ】
僕たちはいつだって、高く飛べる』
トラックはほぼ垂直に浮上し、魔法使いを見下ろす位置で静止した。
「そ、空を飛んだところで状況は変わらん! この【魔力障壁】がある限り、貴様は私に近付くことさえできんのだ!!」
トラックを見上げ、魔法使いは動揺を隠すように大声を上げた。ミラが祈るように顔の前で両手を握る。トラックは覚悟を決めるようなエンジン音を鳴らすと、【魔力障壁】に向かってアクセルを踏み込んだ!
『スキルゲット!
アクティブスキル(ベリーレア)【突撃一番星】
一等星の輝きを身に宿し、阻む万象の一切を無慈悲に滅砕する流星となれ!』
トラックの車体がまばゆい光に包まれ、急加速して【魔力障壁】に突っ込む! トラックの光と【魔力障壁】が接触し、金属を切断するような高音のノイズが響いた。白い火花を散らし、トラックがジリジリと【魔力障壁】を削っていく。魔法使いの顔が恐怖に引きつった。そして――
――ガシャンッ!!
分厚いガラスが砕ける音がして【魔力障壁】に穴が開く。しかし同時に、力尽きたようにトラックから輝きが消えた。トラックは車体の半ば辺りまで【魔力障壁】を突き抜け、不安定に揺れたまま空中に浮かんでいる。【魔力障壁】を穿ちながら、突破することはかなわなかったのだ。トラックはもがくようにウィングを持ち上げる。わずかな、ひとが一人通れるかどうかという隙間を作ったところで、ウィングは何かに引っかかったように動きを止めた。
「……ふ、ふはは、ふははははははっ!!」
恐怖から解放され、魔法使いは安堵したように笑い声を上げた。
「まさか【魔力障壁】に穴を開けるとは、苔の一念とはよく言ったものだ! だが残念だったな! 所詮貴様にできるのはそこまでだ! 貴様はこの私に、手を触れることさえできんのだ!!」
魔法使いは耳障りにはしゃいでいる。ミラがトラックを見上げ、そして固く目を閉じた。魔法使いは馬鹿にしたようにトラックを指さして言った。
「己の領分も弁えずこの私に刃向かった結果がこれだ! あまりにも無様ではないか! 目的を果たすこともなく、己の愚かさをただ呪いながら死ぬのが貴様の運命なのだからな!」
「いや、そうでもないぜ?」
少しだけ開いたウィングの隙間から一つの影が飛び出し、腰の剣を抜いて魔法使いに斬りかかる! 影――それはずっとトラックの荷台に潜み、魔法使いを奇襲する機会を待っていた剣士の姿だった。剣士の剣が光の弧を描いて魔法使いを襲う!
――ガギンッ!!
あり得ぬ硬質な金属音が鳴り、魔法使いの身体を切り裂くはずの刃はその左腕に弾かれた。魔法使いの着ていたローブの袖が裂け、その肌が露出する。いや、そこに見えていたのは肌というより装甲、あるいは金属製の籠手とでも言うべきものだった。想定外の事態に剣士の動きが一瞬止まる。魔法使いは一歩踏み込んで剣士の懐に入ると、右の拳を剣士の左わき腹に叩き込んだ!
「がはっ!」
剣士の身体が軽々と吹き飛び【魔力障壁】に叩きつけられる。剣士はそのままずるずると崩れ落ちた。えぇ!? 魔法使い、まさかの武闘派? 魔法使いは着ていたローブを自ら引き裂き、上半身を顕わにした。その身体はぬらりと金属の光沢を帯びている。こ、これって、もしかしてサイボーグ?
「私が貧弱な魔法使いだと思っていたなら残念だったな。ゴーレムの研究を重ねて得たあらゆる知識を使い、私は私の肉体の一部をゴーレム化することに成功したのだ! 生き人形のように生身を素体とするのではなく、人体の一部をゴーレムに置換することで肉体は大幅に強化される! この私こそが最高傑作! 貴様たちがどうあがこうと、私を傷付けることもできんのだ!」
勝ち誇る見下した瞳を受けて、剣士は苦笑いと共につぶやく。
「……いいとこ持っていこうとしてもダメだったか。ま、仕方ないな」
魔法使いが怪訝そうに剣士を見た。剣士はにやりと口の端を上げる。
「主役は、俺じゃない」
剣士に目を向ける魔法使いの背後の空間がゆがみ、染み出すように一つの影が姿を現す。それはじっとトラックの荷台に潜み、剣士を囮にして魔法使いの背後に回り込んで奇襲の機会を窺っていたイヌカだった。イヌカは無防備な魔法使いの背にカトラスを振り下ろす! しかしその斬撃はまたも無慈悲な金属音を以て弾かれた。魔法使いは振り向きざまに回し蹴りを放ち、それを横腹に喰らったイヌカは身体を不自然に折り曲げて吹き飛ぶ。岩壁に叩きつけられ、イヌカは壁に沿ってずるずると崩れ落ちた。
「背後を取ったところで無意味! 私に死角はないのだ! 残念だったな、切り札が無駄に終わったぞ!」
魔法使いの嘲笑を受けてイヌカは苦笑いを浮かべる。
「……とっとと決着をつけてやろうと思ったが、そう簡単にゃいかねぇか」
魔法使いが怪訝そうにイヌカを見た。イヌカはにやりと口の端を上げる。
「オレが切り札なわけねぇだろ?」
その言葉を合図に、トラックのキャビンから一つの影が躍り出る! それはじっとトラックの荷台に潜み、剣士とイヌカが稼いだ時間で戦いの体勢を整えたギルドマスター、グレゴリの姿だった。高く跳躍し、マスターは鉄をも貫く鋼棍を魔法使いに向かって突き出した!
「甘いわっ!」
しかし魔法使いは振り向きざまに突き出された鋼棍を握り、マスターの勢いを利用してそのまま後方にぶん投げた! マスターは岩壁にぶつかり、そのまま地面に落下する。その顔に苦笑いが浮かんだ。
「年は取りたくねぇなぁ。やっぱ」
マスターはにやりと口の端を上げた。
「決着は若いもんに譲るわ」
マスターの言葉を受けて、トラックの運転席と助手席から二つの影が雷光の如き鋭さで魔法使いに迫る! それは、それは――
――なんか知らんひと出てきたーーーーっ!!
素浪人のような紺の着流し姿で一人は打刀を、もう一人は大太刀を手にしており、細く引き締まった筋肉が服の隙間から見える。身長は二メートルほどだろうか、二人とも見事な禿頭で、そしてその顔は鏡写しのようにそっくりだった。あれ? 禿頭の双子って、どこかで見たことがあるような……
「うっとおしいわっ!!」
しかし二人の斬撃が届く前に、魔法使いが両腕を大きく振って大気を打ち、衝撃波を放って二人を吹き飛ばした! 【魔力障壁】でしたたかに背を打ち、二人が同時に呻き声を上げた。トラックがプォンと申し訳なさそうなクラクションを鳴らす。二人は驚愕の表情を浮かべた。
「誰、とは無体なお言葉! あなたに命を救われて幾星霜、今こそご恩に報いる時と馳せ参じたというのに!」
「お忘れとあらば今一度、その記憶に刻んでいただこう! 我が名はナカロノフ! そしてこちらは我が弟、ヨシネン! 人は我らを、畏怖と尊敬と青春の甘酸っぱさを込めてこう呼ぶ!」
兄と弟は互いに顔を見合わせて力強く頷くと、シャキーンとポーズを決めて叫んだ。
「ナカヨシ兄弟と!」
お、おお、ナカヨシ兄弟! 獣人売買の時の用心棒! うわ、懐かしい。でもあれ、なんか雰囲気変わってない? あのときはもっと、体型が鏡餅ふうじゃなかった? そして全体的に世紀末的ヒャッハーさんじゃなかった? トラックが首を傾げるようにプォンとクラクションを鳴らした。
「うむ。我ら兄弟、あなたに敗れて己の未熟さを痛感してな。諸国を巡って鍛え直し、更なる力を求めて己を研ぎ澄ませた結果――」
兄弟は同時に天を仰ぐ。
「――【脂肪装甲】を失ってしまったよ……」
そしてナカヨシ兄弟は力尽きたように座り込んだ。決めポーズに最後の力を振り絞ったんだな。何に命を懸けてんだ。っていうかね、そもそもの話ね、
切り札的存在多すぎやろうがぁーーーっ!
こういうのせいぜい二回で終わりやろうがぁーーーっ!
どういうこと!? 剣士がイヌカの奇襲のための囮、ってのはまあ分かるよ? でもイヌカはさらにマスターの囮で、さらにそのマスターも囮で? そんでもって最後に出てきたのがナカヨシ兄弟て。体型変わって誰かもパッと分からないナカヨシ兄弟て。実力もよく分からんから最後の切り札にふさわしいのかすらこっちで判断できんやろうがぁーーーっ!! 一体何目的の編成だよ!!
「えぇい、ナカヨシだの不仲だの知ったことか! 貴様らのことなどどうでもよい!」
魔法使いが苛だった様子で叫んだ。相変わらず自分が無視されることが許せないようだ。ナカヨシ兄弟はショックを受けたように目を見開き、口を開けた。お前らも慣れろ。前の時もルルにどうでもいいって言われてショック受けてたろうが。
「小細工など無駄だと理解したか? 貴様らの切り札、奥の手、すべて無意味だ! 私の、人を超えたこの私の力の前ではな! 私に盾突いた愚かさを後悔しながら死んでいけ!」
魔法使いがヒステリックな笑い声を上げる。【魔力障壁】を破られ、奇襲を受けた動揺の意趣返しのような大声だった。剣士、イヌカ、マスター、ナカヨシ兄弟が一様にうつむき、魔法使いから目を逸らせた。トラックは何も答えない。ミラが魔法使いを怒りを込めた瞳でにらみつけた。
「……なんだその目は」
魔法使いは不快そうにミラをにらみ返す。しかしその顔はすぐに嘲笑へと変わった。
「お前に意思などいらん。さあ、こっちへおいで、私の可愛い人形」
ふっ、とミラの目から感情が消える。全身に満ちていた怒りが消える。これはあの時、魔法使いにさらわれたときと同じだ。あの時もミラは魔法使いの言葉を契機に、意思も感情も見えない操り人形のようになった。ミラはぎこちない動きで魔法使いに向かって歩きだし――
――プァン!!
トラックの強いクラクションがミラに呼びかける。ミラの足が、止まった。
「どうした、はやく来い! 私の可愛い人形よ!」
自分の思い通りにならないことにはすぐに声を荒らげるところが、この魔法使いの人格と品格を証明している。ミラは立ち止まったままだ。トラックの荷台から小さな影が飛び出した。その影はミラに素早く駆け寄ると、器用に身体を伝ってミラの肩に乗り、クルルと鳴いた。ミラは肩のリスギツネを優しく撫でる。そして、正面から魔法使いを見据えた。
「私は、お前の人形じゃ、ない!」
ミラの目は明確な意志を光を宿し、魔法使いに拒絶を伝える。その光はまっすぐに魔法使いを射抜いた。いや、射抜いたっていうか、
ビーム出たーーーーっ!!
ミラの目からビーム出たーーーーっ!!!
細く伸びた光の束が魔法使いを直撃し、大爆発を起こす。爆風が広がり煙と土埃を舞い上げ、視界が遮られた。焦げ臭いにおいが辺りに充満する。こ、これは、もしかして、自己解決した?
「……もう、よい」
煙の中に佇む影から抑えた怒りと共につぶやきが聞こえる。視界を遮る煙と土埃はすぐに晴れた。魔法使いのローブは焼け落ちてほぼ原形を留めず、ゴーレム化した全身をトラック達の前に晒していた。魔法使いはすでに、首から上の部分を除いて体の全てをゴーレム化しているようだった。ミラのビームは魔法使いの身体の表面をわずかに焼いた程度で、ほとんどダメージはないようだ。魔法使いは激しい憎悪に顔をゆがませ、ミラをにらみつけていた。
「私の命を聞かぬ人形などいらぬ! お前もここにいる者どもと同様、この場で始末して――」
――リーーーン
激昂する魔法使いの叫びを遮り、澄んだ鈴の音が部屋の中に響き渡った。
「な、ナガヨシ兄弟です! ナカヨシ兄弟のそっくり芸人、ナガヨシ兄弟が今、若者たちの前に現れました!」
ナガヨシ兄弟は圧巻のパフォーマンスで若者たちを魅了し、代々木公園は興奮と熱狂に包まれました。そしてこの日のことは、後に『伝説の代々木ライブ』として後世に長く伝えられることになったのです。




