もういいよ
屋敷に押し入ったトラックは、しかしすぐに急ブレーキを踏んだ。玄関ホールの床にブレーキ痕を刻んでトラックが止まる。玄関ホールは吹き抜けになっており天井が高く、そしてあるべきものが何もなかった。本来あったであろう調度も絨毯も壁も柱もすべて取っ払って、ただぽっかりと空間が広がっている。それはおそらく、今トラックの目の前にいるもの――一体のアイアンゴーレムのために用意された舞台なのだ。アイアンゴーレムは片膝をつき、傅くようにうずくまっている。
侵入者を感知したのだろう、アイアンゴーレムの目が赤く光り、ブン、とかすかな音が響くと同時にホールにまばゆいばかりの魔法の光が灯る。その重たい身体をゆっくりと持ち上げ、鉄の巨人がうなりを上げた。
『ま゛っ!』
お、おう。想像してたうなりと違った。なんかもっと歯車の軋む感じを想像してた。立ち上がったアイアンゴーレムがトラックを無表情に見据える。全高およそ八メートルといったところか。立ち上がってみるとよく分かるけど、何だか足が妙に細くて短いな。身体は何だか大小のドラム缶を組み合わせたような感じで、とってもバランス悪そう。言うなれば、小学生の夏休みの自由工作を巨大にしたっぽい造形だった。
「侵入者か!?」
慌てた声を上げ、ホールの奥の扉から四人の男が飛び出してきた。何となく見覚えがあるな。こいつらは確か、ミラをこの町に連れてきた灰マントたちだ。おそらく寝ていたのだろう、四人は頭に天使のキャラがプリントされたピンク色のナイトキャップを被っていた。まあ夜だもんね。寝ていたことを責めはできまい。
「貴様! どうやってここを嗅ぎつけた!?」
トラックを鋭くにらみ、灰マントたちが腰の剣を一斉に抜……こうとしたのだが、四人のうちの一人は剣を提げておらず、枕を抱えていた。ナイトキャップと柄がお揃いだ。好きなのね、そのキャラが。そいつは焦ったようにおろおろしていたが、開き直ったのか枕を構えて戦闘態勢を取った。
「おい、なにやってんだバカ!」
「だ、だって、リーダーが急かすから!」
灰マントたちがこそこそと顔を突き合わせて揉め始める。しかし彼らはすぐに、互いの頭を見て驚愕の表情を浮かべ、押し黙った。ナイトキャップを被っていることにようやく気付いたんだな。灰マントのリーダーが気まずそうに咳払いをする。そしてナイトキャップを自然な動きで外し、懐にしまうと、何事もなかったようにアイアンゴーレムに言った。
「行け! ドラムカンガー7号! 侵入者を破壊しろ!」
『ま゛っ!』
命令を受けたアイアンゴーレムが任せておけとばかりにうなった。
……ああ、コイツ、ドラムカンガー7号っていう名前なんだ。できればも少しいい名前付けたげて。本当にドラム缶で造ったわけじゃないんだからさ。
ドラムカンガー7号は鈍重な動きでトラックに向かって一歩を踏み出す。ズシン、という音と共に建物が揺れ、床が重さに耐えかねてひび割れた。すごい重量感。もしコイツに踏みつけられでもしたらトラックはひとたまりもないだろう。トラックは迎撃態勢を整えるようにぶぉんとエンジン音を鳴らした。
ずん、とさらにドラムカンガー7号はトラックとの距離を詰める。そして弓を引き絞るように右手を引き、拳を握った。全体重を拳に乗せ、ドラムカンガー7号は必殺のストレートを放つ! しかしトラックは一気にアクセルを踏み、急加速してドラムカンガー7号の左足に体当たりした! 全力で拳を放っていたドラムカンガー7号は足をすくわれ、見事に半回転して転倒する。重量に耐えられず床が砕け、砂埃が舞った。ドラムカンガー7号の背から這い出した手加減が軽くせき込み顔をしかめた。
「ド、ドラムカンガー7号!?」
灰マントたちが悲鳴を上げる。ドラムカンガー7号は仰向けに倒れた身体を起こそうと床に手を突き――なんか、ジタバタしている。
「おのれ卑怯な! ドラムカンガー7号は倒れたら自力で起き上がれないんだぞ! 重すぎて!!」
灰マント(枕持ち)が悔しそうに叫んだ。でもそれこっちのせいじゃないじゃん。そっちの設計ミスじゃん。トラックがプァンとはっきりしたクラクションを鳴らす。痛いところを突かれた、というように灰マントたちは奥歯を噛み締め、トラックから視線を逸らした。
「……こうなれば我々だけでやるぞ! 侵入者の一匹に後れを取る我らではない!」
若干うわずった声でリーダーが叫び、残りの三人がうなずく。トラックが灰マントたちのほうを向き、ぶぉんとエンジンを鳴らした。灰マントたちは一斉にトラックに襲い掛かり――
轢かれたーーーーーっっ!!
吹っ飛んだーーーーーっっ!!
気絶したーーーーーっっ!!
トラック圧勝。まさに瞬殺。いや、死んでないけど。今日も手加減はわずかのミスもない素晴らしい仕事ぶりである。灰マントたちは仲良く床に転がり、枕持ってる奴はきちんと枕に頭を乗せている。いい夢見ろよ。トラックは灰マントたちに構っている暇はないとでもいうように、奥へと続く扉をくぐった。
屋敷の中は、まあ狭いわけでもないのだがすごく広いわけでもない。客間や厨房、主の部屋に召使の部屋が幾つか。トラックはそれらを回り、そして最後に食堂に辿り着いた。食堂が妙に広くて豪華なのは、元々は商人が客と会食をするためだろう。しかし今は食堂とは名ばかりで、そこには机も椅子もない。その代わり、本来机があったであろう部屋の中央には、ぽっかりとあいた大きな穴があった。どうやら地下へと続く通路のようだ。スロープ状になったその通路は、先の見えぬ闇の向こうに姿を消している。今まで見た部屋にミラはいなかった。つまりミラは、そしてあの魔法使いも、この先にいるということだ。トラックは迷いの欠片さえ見せずに、勢いよく地下へと下っていく。
スロープは螺旋を描きながら緩やかに下る。壁にはぽつりぽつりと魔法の明かりが灯り、トラックの進む先を頼りなく照らしていた。ところどころに小さな段差があり、それを越えるたびにトラックの車体がガタンと揺れた。おそらくは滑り止めだろう。人が通るには広い道幅から見ても、この道はたぶん資材の搬入路だ。本来は荷車に資材を乗せて地下まで運ぶために使われるのだ。もっとも今は夜中なので、トラック以外に誰かの気配はなかった。トラックの走行音だけが通路に響いている。
おおよそ50メートルほど下っただろうか、トラックの前に大きな鉄の扉が姿を現した。扉には精緻な、というよりはごちゃごちゃとした意匠が施され、前に立つ者を威圧している。自分のセンスに絶対の自信があり、それを理解せぬ者はすなわち芸術を解さぬ者であると言わんばかりの傲慢さが扉から滲む。私が正しい、私に反する者は誤りである、という製作者の主張を、この扉のデザインは余すところなく伝えていた。トラックは念動力で扉を開ける。キィ、と甲高い音を立て、鉄にしては思いのほか軽く扉が開いた。
「招かれざる客が来たか」
まばゆいばかりの光が扉の向こうから射し込み、トラックはまぶしげにハザードを焚いた。薄明りしかなかった通路と違い、部屋の中は過剰なほどに灯りが配置されている。地下の分厚い岩盤を円筒形にくりぬいたようなその部屋は、ちょうど半ば辺りにある六メートルほどの段差で仕切られていた。トラックが入ってきた側の半円が低く、トラックから見て奥側の半円が高い。手前の半円にはあちらこちらにゴーレムの残骸が転がり、そして、奥の半円にはまるでVIPのように、装飾過多の豪奢な椅子に座ってこちらを見下ろす魔法使いと、その隣で無表情に佇むミラの姿があった。
――プァン!
トラックが部屋の中に進み出て、ミラに呼びかけるようなクラクションを鳴らした。しかしミラはまるで反応を示さず、視線をトラックに向けようとさえしなかった。自分が無視されたことが気に入らなかったのだろう、魔法使いが不快そうにトラックをにらんだ。
「どうやってここを嗅ぎつけたか知らんが、たったひとりでご苦労なことだ。ゴーレムに関して素人のお前がこれにこだわる理由がどこにある? まったく、愚か者の思考というものは理解に苦しむ」
魔法使いの目に嘲りの色が浮かぶ。明確に意図した侮蔑を乗せて、魔法使いはトラックに言った。
「お前には知る由もないことだろうがな。生き人形は定期的に土の精霊力を補充せねば自壊するのだ。あのままお前と共にいればこれは数日もせぬうちに自壊していただろう。そんなことも知らぬお前がこれを奪ってどうするというのだ?」
うっさいわ! そんなのとっくに知っとるわ! ドヤ顔で今更なこと言ってんじゃねぇよ! ……って、ちょっと待て! まさか、ミラに土の精霊力を補充したのか!?
――プァン!!
トラックが鋭く怒りを込めたクラクションを魔法使いに放った。魔法使いは馬鹿にした目でトラックを嘲笑する。
「当然だろう。これは大事な実験体だ。自壊するのを指を咥えて見ているはずもない」
……なんてこった。それでミラはトラックに全然反応しなくなったのか。ミラの心は再び土の壁に閉じ込められてしまった。そして、土の精霊力の日々の減衰量が今までよりもさらに不安定になるはずだ。くそっ、こちとらそれをしないように今まで頑張って来たってのに、全部パァだよバカヤロウ! ミラは目は開いていても何も見ていない様子でただ立っている。トラックが歯噛みするようにハザードを焚いた。
「さて、せっかくここまで来たのだ。何もしないままお引き取り願おう、とは言わん。私の役に立っていけ」
魔法使いがパチンと指を鳴らす。するとトラックのちょうど正面、円筒を仕切る断崖の中央の壁面が音もなくスライドし、中からぞろぞろと人型のゴーレムが姿を現した。その数はおよそ二十。材質は様々、木もいれば石も、鉄もいるが、大きさは素材別におおよそ統一されていた。木が一番小さく、次が石、一番大きいのが鉄だ。おそらく自重に耐えて動ける限界が素材によってある程度決まっているのだろう。共通しているのはその目、意思もなく何も映していないような虚ろな瞳だけだ。
「ここはゴーレムの性能試験場でな。普段はゴーレム同士を戦わせているのだが、それではデータに偏りが出る。そろそろまったく別種の相手と戦わせたいと思っていたのだよ」
ご自慢のおもちゃを披露するような子供じみた自己顕示欲が、魔法使いの笑みをより醜悪に彩る。遥か高みからトラックを見下ろし、魔法使いがうれしそうに叫んだ。
「我が人形たちよ、その男を殺せっ!」
ブン、と小さな音を立て、ゴーレムたちの目に赤い光が灯る。感情も、意思も、殺意さえない瞳がトラックを見つめている。トラックはぶぉんとエンジン音を鳴らした。それが合図のように、ゴーレムたちは一斉にトラックに襲い掛かった!
――ズガァン!!
トラックの体当たりがゴーレムたちを吹き飛ばす。吹き飛ばされた奴らは壁に激突し、ずるずると滑り落ちた。しかしすぐにゴーレムたちは身を起こし、何事もなかったように再びトラックに襲い掛かる。戦闘開始から十分が経過し、ゴーレムたちにはほとんど傷の一つもない。
「いったい何のつもりか知らんが、手加減してくれるというならありがたいことだ。より長くデータが採れる」
魔法使いがニヤニヤと嗤っている。手加減がじっとトラックを見つめる。ミラの瞳に、小さな光が揺れた。
――グワン!
鈍い金属音が響き、トラックのアルミバンに拳の跡が刻まれる。トラックは回し蹴りで群がるゴーレムたちをまとめて吹き散らした。一番大きなアイアンゴーレムでさえトラックの回し蹴りをまともに受ければ宙を舞う。本来ならばそれで終わりのはずなのだ。トラックが手加減さえしなければ。戦いはすでに三十分を過ぎ、ゴーレムはニ十体すべてが健在だった。
手加減の仕事に妥協はなく、トラックの意思に応えてゴーレムたちを完璧にダメージから守っている。しかし手加減の顔は痛みに耐えるように歪み、強く奥歯を噛んでいた。吹き飛ばされたゴーレムたちはまたものそりと身を起こす。
「よく頑張るものだ。何のこだわりか知らんが、呆れるを通り越して感動するよ。愚かも突き詰めれば人の心を動かすということかな?」
魔法使いは飽きもせずトラックを見下している。ミラが一歩、前に踏み出した。
――バキャッ
アイアンゴーレムが割れた助手席の窓から手を突っ込み、抱え込むようにしてドアを引きちぎった。トラックはアクセルを踏み込んでアイアンゴーレムを振り払う。正面にいた別のゴーレムをはね飛ばし、かろうじて敵の追撃をかわした。すでにフロントガラスも運転席側の窓も砕け散り、サイドミラーは吹き飛び、バックミラーは折れてプラプラとぶら下がっている。バンパーは脱落し、キャビンのフレームが歪んでもなお、トラックは手加減を止めなかった。戦闘開始から一時間、トラックは一方的に傷を増やすばかりで、ゴーレムたちは表面が擦れた程度の傷しかない。
「……いい加減にしたらどうだ? そのしぶとさは驚嘆に値するが、同じことの繰り返しではそろそろ興も醒めるというものだ」
魔法使いはアームレストに頬杖をついてつまらなさそうに言った。アルミバンが小さくバンと音を立てる。まだだ、と言わんばかりにトラックは鋭いクラクションを鳴らすと、襲い掛かってくるゴーレムたちを回し蹴りで吹き散らした。魔法使いはふん、と不快そうに鼻を鳴らす。吹き散らされたゴーレムたちが起き上がった。手加減がたまりかねたようにトラックのキャビンを叩く。このままではやられるぞ。やりきれない瞳で手加減はそう訴えている。しかしトラックは何も答えようとはしなかった。
トラックは生きているもの、命あるものに対して決して、手加減なしに攻撃を加えることはない。なぜなら、トラックは誰かを傷付けるために存在するものではないからだ。トラックは荷物と幸せを運ぶためにある。それはトラックの矜持であり、決して譲れぬ一線でもある。だからトラックはゴーレムたちに対しても手加減を止めない。ゴーレムたちに手加減をしないということは、ゴーレムを命だと見なさないということ。そしてそれはすなわち、ミラを命だと見なさないということだ。ミラは命だと、守るべき大切な命なのだと言うために、トラックは絶対に手加減を止めないのだ。
「もう充分にデータも採れた。これ以上は無駄というものだ。そろそろ終わりにしよう。我が人形たちよ、その哀れな男に引導を渡してやれ!」
ゴーレムたちの目の赤い光がその強さを増した。自らを鼓舞するようにトラックが強くエンジン音を鳴らす。ゴーレムたちがジリジリと包囲を縮め――
「もう、いいよ!」
ミラの少しかすれた叫びが部屋に響いた。ミラは両手を胸の前で握り、震えながらトラックを見ていた。その両目いっぱいに涙を溜めて。
「もういいよ、トラック。わたし、あきらめるから。ちゃんと、あきらめるから。だからトラックも、わたしを、見捨てて」
魔法使いが驚いたようにミラを見つめる。ゴーレムたちもまた、なぜかその動きを止めた。トラックは呆然としたように停車している。戦いが支配するこの場所に、奇妙な静寂が訪れた。
「……しなないで――」
ミラの涙声のつぶやきが部屋に広がる。こらえきれない雫が一つ、ミラの頬を伝い落ちた。
こちら、現場の田崎です!
代々木公園では今、若者たちがプラカードを掲げて『ナカヨシ兄弟詐欺は許さない!』『早く本人を出せ!』とシュプレヒコールを上げています。周囲を警戒する機動隊の皆さんの表情にも強い緊張感が見て取れます。
……あ、どうやら今、何か動きがあったようです! 警察車両に護られた一台のリムジンが代々木公園に到着した模様です。今、扉が開き、中から誰か出てきました!
「待たせたな、みんな!」




