剣士の受難
三日目、陽金石の捜索期限の日を迎え、トラックは早朝からコメルのいる商人ギルドに向かった。コメルには情報が入り次第教えてくれるよう伝えてあるが、トラックはその連絡を待ちきれないようだ。小指の爪ほどの大きさで小国が買えるという宝石が市場に出れば噂にならないことはまずないだろうが、コメルの許にも情報は全く入っていないようだった。まあそもそも市場に出たとしてもそれを買い取るだけの資金がトラックには無いのだが。すまなさそうに謝るコメルにプァンとクラクションを返し、トラックはギルドへと戻った。
「……よう」
ギルドに戻ったトラックを迎えたのは、ロビーの椅子でぐったりと疲れた顔をしている剣士だった。おや、なんか久しぶり。そういえば二週間くらい前に、当面の生活費を稼ぐとか言って出稼ぎに行ったまま全然姿を見てなかったけど、ようやく帰ってきたということなんだろうか? なんか妙に疲れているようで、顔色もあんまりよくない。なんかあったの仕事先で? トラックがプァンとクラクションを鳴らした。
「……ああ、聞いてくれるか? この俺に起こった理不尽な現実を」
そして剣士はこの二週間にあった出来事を陰鬱な口調で話し始めた。
二週間前に剣士が引き受けたのは、幾つかの簡単な魔物退治の依頼だった。すべてがDかCランクで、失敗するはずもない、せいぜい二、三日で終わる仕事。そのはずだった。しかしそのうちのひとつの依頼がくせ者だった。
「近くの山に魔物が棲みついたらしく、家畜が怯えている。退治して欲しい」
魔物の具体的な種類は不明で、数も定かではない。しかし現状実質的な被害は出ておらず、ギルドの査定では危険度は低いと判定されていた。実のところギルドに寄せられる討伐依頼は魔物の種類がはっきりしないものがほとんどで、今回のような依頼も特に珍しいものではない。一般人がそんなに魔物について詳しく知っているわけではないからだ。魔物の種類が分からなければ依頼は受けられません、では仕事にならないので、ギルドはそういうあいまいな情報でも被害状況や魔物の特徴などを勘案したうえでとりあえず受け付けるらしい。そういう依頼には『未確認』のマークが付けられ、ギルドは引き受けた冒険者に討伐遂行義務を課さないことになっている。冒険者は最低限、魔物の種類を特定する情報を得て戻ればよい。そうでなければランク付けが適切でない場合に、冒険者を無駄死にさせることになってしまうからだ。
この依頼もそんなありふれたケースのひとつ。最悪、魔物の種類を特定してギルドに報告すれば、多少の報酬もギルドから支払われる。剣士はそう考えていたらしい。
依頼主である地方領主から魔物がいるであろう山の洞窟の場所を聞き、山を登ること二時間弱。剣士はようやくそれらしい洞窟に辿り着いた。洞窟の中からはひんやりとした空気が漂ってくる。剣士は慎重に洞窟の中に踏み込んだ。そして、知ることになる。自らのあまりの認識の甘さに。
それと正面から対峙したとき、剣士の全身から冷や汗が噴き出した。圧倒的な、そして絶望的な『力』の塊。我知らず身体が震える。そこにいたのは大空の覇者、死と破壊の代名詞、魔物の王とも呼ばれる魔物、すなわち、竜――しかも、その中でも極めて希少、かつ最強とも呼ばれる伝説の種だった。
「天、龍……」
剣士がかすれた声でつぶやく。天龍がにやりと笑った気がした。
剣士は腰の剣を抜き、天龍に向かって正眼に構えた。息を強く吐き、自らの中の恐怖を強引に抑え込む。魔物の種類を特定してギルドに報告、などという甘い考えは簡単に打ち砕かれた。天龍を目の前にしてここから逃げることこそ至難。生き残る可能性は攻め続けた先にしかない。それがほんのわずかな可能性であっても、諦めるわけにはいかなかった。天龍の目が感心したように剣士を見据える。
『我に挑むか。小さき人の子よ』
もはや軽口を叩く余裕もなく、剣士は大きく息を吸い、気合の声と共に天龍に斬りかかった。しかし――
「――隙が、ない」
肩で息をしながら、剣士がだらんと両腕を下げた。袈裟懸け、横薙ぎ、二段突き。剣士の繰り出したあらゆる攻撃はことごとく天龍の輝く鱗に阻まれ、天龍を傷付けるどころか、立ち位置を変えさせることさえ出来ていなかった。天龍は最初から一歩も動かず、攻撃を避ける素振りもない。剣士は自嘲気味に口の端を上げた。
「俺の剣は避ける価値もないってことか」
『それは違うぞ、人の子よ』
天龍は真剣な目で剣士を見つめる。そこに侮りはなく、むしろ称賛に似た光があった。
『お前は強い。腕はまだまだ未熟、なれどその心にしっかりとした軸がある。久方ぶりにお前のような人間に会えて、我は今、とても気分が良い。我が攻撃を避けぬはお前を侮るが故ではない。我のこだわりなのだ。許せ』
その言葉の通り、天龍は少し高揚しているようだった。剣士は怪訝そうに問い返す。
「こだわり?」
天龍は大きくうなずいた。
『相手の攻撃を受け、受けきって、勝つ。それこそが最強の名にふさわしい』
どこか子供のように純粋な天龍の佇まいに、剣士は苦笑いを浮かべた。
「……なるほど。最強だ」
賛同を得られたことが嬉しかったのか、天龍は妙に愛嬌のある顔でニカッと笑った。しかしすぐに表情を引き締めると、
『そろそろ、こちらからいくぞ』
その言葉は死刑宣告のように洞窟内に広がる。剣士が天龍を強くにらんだ。もはや体力は底を突き、剣士にはにらむ以外にできることはなかった。天龍は一瞬で彼我の距離を詰めると、棒立ちの剣士の頭を左脇に抱え、そのまま後ろへ倒れ込んで地面に叩きつける! それは一切の妥協なき、芸術のようなDDT――そして剣士の意識はそこで途切れた。
目を覚ました時、剣士は洞窟の地面に大の字に倒れていた。首を動かして周囲を確認すると、こちらを見ている天龍と視線がぶつかる。天龍は少しホッとしたように言った。
『いつまで寝ている。目を覚ましたのなら早く出て行ってもらいたいのだがな』
生きている、そのことが信じられないように、剣士は天龍をぼんやりと見上げた。これ以上ないほどに完璧に負けたのだ。生きていることに違和感を覚えるほどに。剣士の心の内を見透かしたのか、天龍はぶっきらぼうに言った。
『お前は惜しい。ゆえに生かした。それだけのことだ』
それは天龍に認められたということだろうか? 不思議といい気分で剣士は体を起こした。痛みはどこにもなく、疲労さえ消えている。天龍が何かしたのだろう。何から何まで敵わない。剣士は自分の未熟さを痛感していた。
『受け取れ』
天龍が手に持っていた拳よりも少し小さいくらいの大きさの石を投げてよこした。剣士はパシッと右手で受け取る。それは自らほのかに光を放つとても美しい宝石だった。握るとじんわりと温かい。
「これは?」
『陽金石と呼ばれる宝石だ。竜族はそれに目がなくてな。我もいくつか持っている』
陽金石、というものに心当たりはなかったが、高価なものなのだろう。天龍の意図を測りかね、剣士は戸惑いの視線を天龍に向けた。
「どうして」
天龍はふいっと剣士から視線を逸らせた。おそらくは照れているのだ。ことさらに厳めしい顔を作り、天龍は剣士の疑問に答える。
『陽金石は竜族の至宝。とはいえ、いかなるものよりも価値があるわけではない』
そして天龍は剣士に向き直り、豪快に笑った。
『いい、ファイトだった』
剣士はうなずきを返すと、
「それじゃ、遠慮なく」
陽金石を掲げ、天龍に頭を下げた。
その後剣士は、天龍の存在が家畜を怯えさせていることを伝え、天龍はより山深くに棲み処を移すことを約束した。そもそも人里に迷惑を掛けるつもりはなく、手ごろな修行の場を探しているだけだったようだ。いつかの再戦を約束し、剣士は天龍と別れた。
剣士は下山し、依頼主である地方領主に事の顛末を報告した。討伐ということではなくなってしまったが、天龍がいなくなってくれたことは事実で、領主は大変喜んでくれたようだ。すでに日没は過ぎ、領主は剣士に今日は館に泊まるよう勧めた。剣士はその申し出を受けた。それが、天龍と戦う以上の厄介ごとの始まりとは知らずに。
翌日になり、館を辞そうとした剣士は朝食を勧められる。断るのも失礼に当たると考えそれを受けた剣士は、なぜかその場で領主の三人の娘を紹介された。領主の子に男子はおらず、婿を迎えて後を継がせたいがなかなかいい相手がいないのだという。はぁ、と無関心に相づちを打ち、剣士は朝食を平らげた。朝食が終わり、報酬の支払いの話をしようとした剣士に、領主の三人の娘が「冒険のお話を聞かせてください」と集まってくる。冒険者という職業に何か幻想を抱いている彼女たちの前で金の話を切り出せず、また依頼人の娘を無下に扱うのも得策でなく、結局昼を過ぎる時間まで、剣士は今までに経験した仕事の話を、面白おかしく誇張して披露する羽目になった。
娘たちはようやく満足し、にこやかな笑顔で礼を言って立ち去った。しゃべりっぱなしだった剣士を労い、領主夫人は昼食を勧める。剣士は領主たちの態度に違和感を感じ始めていた。領主にとって冒険者など、仕事が終われば一刻も早く遠ざけてしまいたいような存在のはずだ。出自も定かではなく教養もないならず者予備軍。それが彼らの認識する冒険者像なのだから。働きの労いに一夜の宿を、というならともかく、まるで引き留めるかのような態度は不可解だった。まさか、報酬を踏み倒す気だろうか。難癖をつけて報酬を払わない、あるいは値切るというのは、意外と地方の権力者に多いことだった。しかしその割には、領主たちの態度は少なくとも見かけ上は好意的だ。
剣士は夫人の昼食の申し出を受けた。可能性としては少ないがただのもてなし好き、ということもないわけではない。昼食の場にも領主の家族が揃い、娘たちがちらちらと剣士の様子を窺っていた。
昼食が終わり、剣士は今度こそ支払の話を切り出した。娘たちの前で、と難色を示す領主の態度に剣士は支払いを渋っていることを確信した。剣士が遠回しに「支払の意思はないのか」と問うと、領主は慌てて首を横に振り、
「今、用意させているが、少し時間が掛かっている。用意でき次第お渡しするので、もう少しだけ部屋でおくつろぎいただきたい」
と答えた。Cランクの報酬を領主がすぐに用意できない、というのは極めて不自然だったが、家族の前で恥をかかせるわけにもいかず、剣士は渋々了承の意思を伝えた。食堂を出て案内されたのは昨夜泊まったのとは別の部屋。執事に「こちらでお待ちください」と言われて部屋に入った剣士は、すぐにそのおかしさに気付いた。窓がひどく小さく、しかも嵌め殺しになっている。調度類こそ客室にふさわしいものだったが、窓から見える見事な庭園に出て行くこともできない。つまり、この部屋の客には自分の意思で部屋を出入りする自由が認められていない。剣士が入り口を振り返ると同時に、ガチャリと鍵が掛かる音が重く響いた。内側から扉の鍵を解除する術はない。
「何のつもりだ!」
扉を叩き叫ぶ剣士に、執事は冷淡な声で告げる。
「しばしの間我慢なさい。時が来ればお出しいたしましょう。これは決してあなたにとって悪い話ではない」
コツコツと靴音が遠ざかる。剣士はもう一度強く扉を叩き、「くそっ!」と悪態をついた。扉も、そして壁も簡単に破壊できるようなものではなさそうだ。おそらくは軟禁のための部屋なのだろう。脱出の機会すらなく、剣士は無為に時間を過ごした。そして一週間がたったころ、部屋に意外な訪問者が現れた。それは、わずかに頬を染めてはにかむ、領主の長女だった。彼女は驚くべき事実を剣士に告げる。
「……結婚!?」
領主は剣士と長女の結婚を画策し、着々とその準備を進めているのだという。朝食の場に剣士を同席させたのは、言わば顔合わせだった。領主も人の親、嫌がる娘を冒険者と無理やり結婚させるつもりはなかったのだろう。しかし娘たちの反応は思った以上に好感触だった。特に長女は年齢的にも釣り合っており、何より、幸か不幸か、剣士を一目見て気に入ったようだった。
剣士は領主の意図にようやく気付き、渋い顔で呻いた。領主の狙いは『竜殺し』の名声だったのだ。地方領主にとって領民からの支持は死活問題だ。領主は剣士を人気取りの道具として婿に迎えるつもりなのだろう。
長女は上気した顔で剣士に語る。本当は会うことを禁じられているのに来てしまったこと。仕立てている途中のドレスのこと。結婚を承諾してくれて嬉しいこと。あなたを、好きだということ。最初は弾むように話していた長女の声が、剣士の険しい表情に気付いてから徐々に重く沈んでいく。剣士は長女に告げる。結婚を承諾していないこと、そして自分は帰らなければならないことを。
「私に任せてください」
虚勢めいた笑顔で長女は胸を張った。近いうちに、剣士が結婚式で着る衣装の採寸のために部屋を出されるはず。そのときを捉えて剣士を館の外に逃がすと、長女は請け負った。他に良い手段もなく、剣士はその提案に乗る。そして三日後、その日はやって来た。
早朝、剣士は縄を掛けられ、両脇を兵士に固められて部屋を出た。おおよそ花婿を扱う態度ではなかったが、剣士は大人しく従う。連れていかれた部屋には数人の針子と、そして長女の姿があった。未来の伴侶の姿を見たいと、強引に部屋に押し入ったようだ。
兵士たちが離れ、針子が剣士を囲む。針子の一人が剣士の腹囲を測る、振りをして、剣士を捕らえる縄を断ち切った。
「今です!」
長女が叫び、剣士は針子を押しのけて窓を蹴破って庭へと身を躍らせる。慌てて剣士を追いかけようとした兵士を、長女は身を挺して遮った。庭を駆ける剣士は一度だけ振り返る。長女もまた剣士を見ていた。その顔を大粒の涙で濡らして。「すまん」とつぶやき、剣士は庭を駆け抜けた。あらかじめ指示されていた場所に着くと、そこには馬を用意して待つ執事の姿があった。
「あなた様なら、お嬢様を託すにふさわしいと思っておりましたのに」
手綱を渡しながら執事が恨めしげにつぶやいた。ひらりと馬に乗り、剣士は答える。
「誰かを幸せにする自信がないのさ」
馬の腹を蹴り、剣士はようやく領主の館から脱出したのだった。
語り終え、剣士は大きく深いため息を吐いた。なんか、すっごい濃密な二週間でしたね。竜と戦って認められ、さらには切ないロマンスまで。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。剣士は顔をしかめた。
「冗談じゃない。貴人の相手は充分懲りてる」
剣士は懐から石を取り出し、日に透かした。
「結局報酬はもらえずじまい。俺が二週間でやったのは、この石を手に入れたことと、女を一人泣かせたことだけだったってことだ」
剣士が美しく光を放つ石をぼんやりと見つめる。その石が天龍に認められた証、陽金石なのだろう。と、いうことはつまり――
陽金石あったーーーっ!!
剣士が手に入れとったーーーっ!!!
トラックがプァンプァンと興奮気味にクラクションを鳴らした。剣士が怪訝そうにトラックを見る。
「……これが? ミラに必要なのか?」
プァン! とトラックはさらにクラクションを重ねた。剣士は軽く目を見張り、そして小さく笑った。
「天龍は、それを見越していたのかもしれないな」
よし、と気合を入れて剣士が立ち上がる。疲れたような表情は消えていた。きっとこの二週間を自分の中に意味付けられたのだろう。陽金石を懐にしまい、剣士はトラックに言った。
「セシリアたちに届けよう。これで、ミラが救える」
うなずくようにクラクションを返し、トラックは運転席側の扉を開けた。
ツンドラのときといい、今回の領主の娘といい、剣士は意外と女泣かせですよね。




