呪いを超えて
冥王は泣き続け、おばちゃんは冥王をあやすように抱きしめる。やがて冥王が泣き止むと、タイミングを計ったようにおばちゃんの身体が淡い光に包まれた。スキル【キッチンカー】の効果が切れようとしているのだ。冥王が目を見開く。おばちゃんは冥王を解放すると、苦笑気味に言った。
「そんな顔するんじゃないよ。もういつだって会えるだろう? あたしたちは」
冥王は手の甲で涙を拭うと、悲しみを無理やりに押し込めた笑顔を作った。お別れは辛い。でも、別れるときは、笑顔で。よくできました、とうなずき、おばちゃんは冥王の頭を乱暴に撫でると、立ち上がってトラックに近付いた。
「あんたにはデカい借りができちまったね。この恩は必ず返させてもらうよ」
トラックはプァンとクラクションを返す。少し呆れ気味に笑って、おばちゃんは空気に溶けるようにその姿を消した。トラックの荷台の調理設備もすうっと消え、いつものアルミバンに戻った。冥王はおばちゃんの消えた場所を見つめ、鼻をすすった。
「……みっともないところを、見せてしまったな」
気恥ずかしそうに冥王が言った。うん、みっともない、というとやや語弊があるんだけど、何というか、冥王の見なくていい一面を見てしまった感じ。冥王、とか呼ばれる存在にさ、こういうエピソードいらなくない? 冷酷無比でさ、トラック達は戦うんだけどボロボロに負けて、でも「なかなかやるではないか」とか言われて認められて、みたいなさ。そういうのが良くない? 冥王に何があったのかは分からないけど、恩人と思わぬ再会を果たして炒飯作って和解するっていうのは冥王じゃなくない? あれほど濃くわだかまっていた瘴気はきれいに消え去り、むしろ清々しい空気が廃坑のドームを満たしている。
「会うことはできないと思っていた。合わせる顔がないと。こういう機会がなければ、私は永遠に、おかみさんと会うことはなかっただろう。礼を言わせてくれ。ありがとう」
冥王は憑き物が落ちたように素直にトラック達に頭を下げた。いえいえ頭を上げてと言いながらセシリアがパタパタと手を振る。冥王という強大な存在と戦う、と、ある種の悲壮な覚悟を決めていたであろうセシリアとセテスは、ただただ戸惑うばかりのようだ。村長も呆然と冥王を見つめている。
「恩には報いねばならんな」
顔を上げた冥王がそうつぶやき、立ち上がって軽く両腕を広げた。廃坑の壁に露出していた冥王銀の冷たい光が尾を曳いて冥王の前に集まっていく。光はやがて両手に乗るほどの大きさの、淡く輝きを放つ銀の真球へと変わった。
「お前たちが欲しいのはこれだろう?」
球は空中を滑るように移動し、セシリアの前で動きを止める。セシリアは杖を手放し、両手で球を受け取って「ありがとうございます」と言った。うーむ、さすが冥王、ということだろうか。こちらの意図などお見通しということだ。
「冥王銀の呪いについては知っているな?」
セシリアは冥王の問いにうなずきを返す。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。冥王は首を横に振る。
「呪いを消せば冥王銀はただの銀に戻る。私がそう呪ったのでな。呪いだけを除くことは呪いをかけた私にもできん」
そ、そうなのか。冥王だから呪いだけ解いてくれるとか、そういうわけにもいかないのね。トラックがプォンと残念そうなクラクションを鳴らした。冥王の顔に笑みが浮かぶ。
「物分かりが良すぎることは美徳とは限らぬ。どんなものにもやりようはあるものだ」
冥王は、今度は地面に座り込んでいる村長に目を向ける。
「ドワーフであれば耳にしたことがあろう。『霊王銀』の名を」
村長がハッとしたように息を飲む。セテスが怪訝そうに「霊王銀……?」とつぶやいた。村長は興奮気味に顔を紅潮させる。
「神話の時代の英雄たちが携えた武具の材料となったとされる金属じゃ! 刃となれば鉄を紙の如く切り裂き、盾となればいかなる槍も貫くこと叶わぬという! じゃが、実在したと聞いたことは……」
村長の顔が不安に曇る。しかし冥王は確信をもって告げた。
「お前たちの持つ星は望む運命を引き寄せよう。ただ諦めぬこと。それだけで未来は繋がるものだ。必ずな」
おお、なんかめっちゃ励まされた。実は冥王、ちょういいひと? 冥王の輪郭が徐々にゆらめき、身体は闇色に染まっていく。『王大人』ではない、本来の姿に戻ろうとしているのだ。
『陽金石を探せ。陽金石は冥王銀の呪いを昇華する。お前たちの望みが叶うことを願っているぞ』
廃坑の闇に溶けるように、冥王は姿を消した。陽金石、ってまた新しいアイテムが出てきたよ。セシリア、セテス、そして村長が一斉に大きく息を吐いた。あまりの急展開に思考が追いついていないらしい。まあ、確かに、こんな展開をあらかじめ予想できる奴はこの世にはいないだろう。セシリアは手の上にある冥王銀の球を見つめた。冥王銀は自ら蒼く冷たい光を放っている。
「陽金石、というものに心当たりは?」
セテスが村長に問いかける。村長はヒゲを撫でながら難しい顔でうつむいた。
「太陽光の結晶と言われる、これも伝説級の宝石じゃ。もっともこちらは、実物を見たことはあるがの。小指の爪ほどの大きさで小国が一つ買えると言われておるよ。竜が好むとかで、その巣から稀に見つかることもあるというが……」
村長が続きを言い淀む。竜の巣に必ずあるわけでもないし、今から手当たり次第に竜を討伐するわけにもいなかい。そもそも、竜はそんなにほいほい討伐できるものでもない。つまり、陽金石を手に入れる方法が思いつかない、ということだろう。
「一度戻りましょう。冥王銀は手に入れました。陽金石なるものを手に入れられなくても、当初の予定通り冥王銀で『核』は作れるはずです」
セシリアの言葉に村長とセテスはうなずく。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、両側の扉を開いた。
冥王銀を携えてドワーフ村に戻ったトラック達は、村長の家でジンを交えて今後の方針を話し合った。陽金石を探すべきか、呪いを承知で冥王銀を使うべきか。陽金石を探すのは確率の極めて低い賭け、しかし冥王銀を使えば確実に誰かを犠牲にする。セテスは自分で呪いを引き受けると言ったが、本当にそんなことが可能なのかについて確証はないだろう。冥王銀の呪いは最悪のタイミングで最悪の結果をもたらすという。その最悪のタイミングというのがいつなのか、誰も分かりはしないのだ。
ジンとトラックは陽金石を探すことを主張し、セテスは冥王銀で『核』の作成に着手すべきだと言った。時間の猶予はない、とはいえ、今日明日、というほど切迫してもいない。残りの時間をどう評価するか――まだある、と見るか、もうない、と見るか――が、そのまま両者の立場を隔てている。
「……『核』を作るのに必要な時間はどのくらいですか?」
黙ってトラック達の話を聞いていたセシリアが、村長にそう質問を投げた。村長は一瞬だけ思案げな顔を作ると、すぐに答える。
「冥王銀の加工は一日でやってみせよう。精霊力の付与はどうじゃ?」
村長はセテスに顔を向ける。セテスは自信ありげに言った。
「半日あれば充分」
プァン、と今度はトラックが村長にクラクションを鳴らした。村長は難しい顔でヒゲを撫でる。
「それは、やってみねばわからん。冥王銀と陽金石からどうやって霊王銀を作るのか、それもこれから調べねばならんくらいじゃて」
村長とセテスの答えを吟味するようにセシリアは目を閉じる。少しの時間の後、セシリアは慎重に口を開いた。
「……三日」
皆がセシリアに注目する。セシリアは目を開き、皆を見渡して言った。
「おそらく、彼女の『核』の限界はあと一週間といったところでしょう。『核』の加工に一日、精霊力の付与に半日として、霊王銀を作るために必要な時間が不明なら、多く見積もっても陽金石の探索に使えるのは三日が限界です」
それはほぼ不可能、と言っているに等しい宣告だった。ジンが力なく目を伏せ、セテスが覚悟を決めたように表情を引き締める。村長は目を閉じ、深く息を吐いた。そして――
――プァン
トラックの鳴らしたクラクションに、皆は目を丸くしてトラックを見つめる。セシリアがふっと微笑みを浮かべ、
「……はい。よろしくお願いします」
と言った。ジンが気恥ずかしそうに笑い、村長とセテスは顔を見合わせて表情を緩める。セテスが肩の力を抜いた様子で村長に言った。
「ならば私は、『核』への精霊力の付与を確実にできるよう準備しておこう。村長殿、申し訳ないがお付き合いいただきたい」
「承知した。ならばワシはセテス殿の手伝いと、『核』の加工の準備と、霊王銀の作成方法の調査じゃな」
村長はセテスにうなずきを返すと、ジンを振り返る。
「……ジン。お前にも、残ってワシを手伝ってもらいたい。お前にゴーレム技師の技術を、継いでほしいのじゃ」
えっ、と思わず驚きの声を上げて、ジンはまじまじと村長を見つめた。村長からそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。村長はほんの少し前までジンを「柔らかい鉄」と呼び、失望を隠そうともしていなかったのだ。村長の声にはどこか緊張したような響きがある。自らも病を得て、あるいはジンが村を出たことで、村長も変わったのだろうか。少なくともこれは、以前では考えられなかったような言葉だった。
「僕は……」
ジンは戸惑ったようにセシリアを見た。セシリアは優しく答える。
「構いませんよ。ご自分のしたいように」
その言葉に後押しされたか、ジンは真剣な表情で村長を見つめると、はっきりとした口調で言った。
「やります。やらせてください!」
強張った雰囲気が消え、村長は胸をなでおろしたように息を吐く。セシリアもどこか嬉しそうな表情になった。
「ただし、決して無理はしないように。倒れてしまっては意味がありませんよ。私も残って様子を見させてもらいますから、そのつもりで」
ジンは慌てたように口を開きかけ、言おうとした言葉を飲み込むと、「ありがとうございます」とセシリアに言った。セシリアはジンに微笑みかけると、リスギツネと遊んでいるミラに視線を向ける。
「そうなると、彼女もここにいたほうが都合がいいでしょうね。トラックさんにはおひとりでケテルに戻っていただくことに――」
セシリアの言葉の終わりを待たず、ミラはリスギツネを胸に抱きかかえると、パタパタと小走りにトラックの横に移動し、ぴとっとキャビンに抱き着いた。あれ? この反応は新しいな。急にトラックに甘え始めたの? 手を離されたリスギツネが器用にミラの頭の上に登る。セテスが戸惑い気味にミラに話しかけた。
「ミラ様。トラックはこれからケテルに戻り、陽金石を探さねばなりません。どうか我らと共にここでお待ちください」
しかしミラはふるふると首を横に振り、トラックに抱き着いた腕に力を込めた。セテスがショックを受けたように身体をよろめかせる。ミラの頑なな態度はセテスの説得も、セシリアやジンの説得でも変わることはなく、皆は困った様子で顔を見合わせた。トラックが見かねたようにクラクションを鳴らす。セシリアが渋い表情でトラックに答えた。
「……確かに、トラックさんと一緒にいれば滅多なことはないでしょうが……」
トラックがさらにクラクションを重ねる。仕方ない、というようにため息を吐いて、セシリアは少し厳しい表情を作って言った。
「わずかでも異変を感じたらすぐにここに連れてきてください。いいですね?」
「待て! それでいいのか!?」
セシリアの言葉にセテスが慌てて割って入る。セシリアは決して本意ではない、というように首を横に振った。
「できればここにいてほしいと思います。しかし――」
一度言葉を切り、セシリアはミラを振り向く。セテスも釣られたようにミラに顔を向けた。
「――彼女がはっきりと意思を示した。そのことは、大切なことではありませんか? 彼女にとって、とても」
セテスは反論の言葉に詰まり、やがてあきらめたように下を向いた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ミラはキャビンに抱き着いたまま。トラックをじっと見上げていた。
トラックはミラを連れ、セシリアたちと別れてケテルへと戻った。冒険者ギルドでイヌカやマスターに、商人ギルドではコメルに陽金石のことを聞いて回っていたが、芳しい成果は得られなかったようだ。一日が過ぎ、二日目が過ぎて、三日目の朝が来た。ミラは離れることが不安であるかのようにトラックのそばにいて、片時も離れることはなかった。ケテルに戻って一日目も、二日目も、ミラがトラックの前から姿を消すことは一度もなかった。
三日目の朝、まぶしい朝日を浴びながら、トラックはふとあることに気付きました。
「そういや二週間以上剣士の姿を見てないな」




