決断
「……これは――」
夜が明けてケテルの町が動き出す時間。トラックの時計は午前八時半を示している。西部街区の施療院の診察室で定例の精霊力測定を終え、セシリアはその結果に動揺を漏らした。ジンとセテスも苦しげに顔をゆがませる。どうやら結果は思わしくないようだ。
「……急がなきゃ」
ジンが唇を噛み、つぶやくようにそう言った。
リスギツネを取り戻し、トラックはミラを連れてそのまま西部街区へと向かった。コメルは事後処理のためにその場に残り、荷物の運びだしやら傘下に収めた商人たちの処遇やらを差配するようだ。別れ際、プァンと礼を言うトラックにコメルは首を横に振った。
「実は、ずっと機会を伺っていたのですよ。あなたにお礼をする機会を」
トラックは不思議そうなクラクションを返す。コメルはやや説教口調で答えた。
「ダメですよ。自分の行動がもたらす影響に無自覚ではよい商人にはなれません」
トラックはちょっと残念そうにプォンと鳴らした。コメルが首を横に振る。
「ゴブリンたちとの交易もそう。ドワーフたちを救ったこともそう。あなたはご自身が思うよりずっと、世界に影響を与えていますよ。ケテルは他種族に寛容だと言われていますが、それは建前です。商売相手として他種族を大切にする、というだけのことに過ぎなかった。ケテルの人口の九割以上が人間だということがその証明です。見た目が違う、習慣が違う、文化が、言葉が違う。そんな相手を隣人とするのは難しい。とてもね。でも――」
コメルが表情を改めた。真剣な眼差しがトラックを捉える。
「あなたはそんなものを軽々と越えてしまう。人も、エルフもドワーフも獣人も、ゴブリンやゴーレムだって、あなたの注ぐ眼差しは平等だ。あなたを起点にして、ケテルは真に他種族との共存を実現し始めている。これはまだただの勘に過ぎないが、トラックさん、私はね」
コメルは一度言葉を切った。じっとトラックを見つめ、充分に間を取って、コメルは再び口を開く。
「あなたがいつか、世界を救うと思っているんですよ」
トラックは戸惑いのクラクションを鳴らした。コメルがふっと表情を和らげる。今はここまで、そう言っているみたいに。
「私の勘は、結構当たるんですよ」
そう言うコメルの顔は、自らの目利きに対する自信にあふれていた。
「そもそも、だ」
セテスが眉間にシワを寄せて腕を組む。セシリアとジンがセテスに顔を向けた。決して広くない診療室の中でエルフ、ドワーフ、人間の三人が話し合いをする様は、コメルの言うように『他種族との共存』が単なるお題目でない証明かもしれない。それがトラックのお陰かと言われると、どうだろう、とは思うけど。
「なぜゴーレムの『核』に大量の土の精霊力が必要なのだ。土の精霊力が心を閉じ込め、暴走を招く原因なのだろう?」
さっき行った精霊力測定の結果は、セシリアたちの予測を上回る土の精霊力の減衰を示していた。昨日から今朝までの、灰マントの襲撃やリスギツネの奪還に係るもろもろの場面で、ミラの心は大きく揺れたのだろう。実際、ルーグに灰マントが剣を向けたときにミラは「やめて」と言っていたし、イヌカに怒られてしょんぼりもしていた。そして、リスギツネが戻って来た時には、わずかであれ笑った、ような気がする。心が外に出たがっている。想いを表現したい、その表れが今回の予想を上回る土の精霊力の減衰なのだろう。
ミラは測定を終え、今は診療室の床でリスギツネと遊んでいる。お座り、お手、おかわり、ジャンプ、ハイタッチ。完璧じゃん。リスギツネ賢いな。ミラが頭を撫でるとリスギツネは気持ちよさそうにクルルと鳴いた。リスギツネの鳴き声に反応したのか、セテスがミラたちに視線を向け、複雑な表情を浮かべる。セテスとしてはリスギツネが無事に帰ってきたことに安堵しつつも、ミラのことを優先してリスギツネのことを後回しにしてしまった自分自身に対して忸怩たるものがあるようだ。ちなみにトラックは【ダウンサイジング】で邪魔にならないように小さくなった上で、ミラたちの様子をじっと見守っていた。
まだ表情も乏しく言葉も少ないが、ミラは最初に会った時よりはるかに行動的になっている。それはミラ本人にとって好ましい変化であるとともに、終わりの時間が着実に近づいている合図でもあった。ドワーフ村の村長が言っていた、『決断』の時は迫っている。
「土の精霊力で『核』を構成する理由は二つあります。一つは『核』の基材が鉄であること。鉄は土以外の精霊力と非常に相性が悪いですから」
ジンが自分の知識を確認するようにゆっくりとした口調でセテスに説明する。『核』とはゴーレム技師が造った球状の鉄細工に土の精霊力を付与して作るらしい。『核』の機能はゴーレムの全身に魔力を行き渡らせること。文字通りゴーレムの心臓だ。魔力を行き渡らせる、という機能自体は土の精霊力でなくても実現可能だが、鉄で『核』を作ろうとすると土以外の精霊力では相性が悪くて上手くいかないんだって。
ちなみに額の『真理』の古代文字は『核』の機能のオンオフスイッチなのだとか。ゴーレムは本来、製作者の命令に忠実に従うべき存在であり、意に染まぬ動きをした時にゴーレムを強制終了させるための手段として額の文字が使われる、らしい。
「もう一つは?」
「土の精霊力が四元の力の中で最も安定していて制御しやすいからです。他の三つはいずれも不定形で出力が安定させづらい」
今度はセシリアがセテスに答える。火は瞬間的に大きな力を生み出すには向くが、継続的に同じ大きさの力を生み出し続けるには向かない。水は低い場所に溜まってしまって、対流させるような別の仕組みがないとすぐに力を生み出すことができなくなる。風が一番ダメで、そもそも『核』にとどめておくことが難しい。風は本質的に流れゆくもの。ひとつ所に閉じ込めておくことはできないのだ。
「土以外で考えれば水、ということになるのでしょうが……そもそも水の精霊力は、機能を保証するほどの量を『核』に付与できないのです。鉄が保持できる水の精霊力は土に比べてとても少ない」
「ならば鉄を使わねばよいではないか? なぜ『核』を鉄で造ることにこだわる?」
いまいち納得のいかないセテスの疑問に、ジンが「え?」と声を上げた。
「それは……確か、安価だから、だったような……」
自信なさげな様子のジンの言葉の後をセシリアが引き取り、説明を続ける。
「耐久性の問題もあります。木や石の『核』では長期に渡る使用に耐えられない。金や銀などの貴金属という選択肢もありますが、土以外の精霊力と相性が悪いという意味では鉄と大差ありません」
「ならば精霊銀を使えばよかろう」
なぜそれをしないのか、まったく理解できない顔でセテスは首を傾げる。今度はセシリアが「え?」と虚を突かれた顔になった。
精霊銀とは、別名『魔法銀』あるいは『妖精の金属』と呼ばれ、魔法の力と非常に親和性の高い金属だそうだ。通常の金属は多かれ少なかれ魔法の力を弱める働きをするのだが、精霊銀はそういった魔法に対するマイナスの影響がなく、むしろ力を増幅したりする効果もあるらしい。一説によれば、銀鉱脈が何らかの理由で妖精界と繋がり、その影響を受けて精霊銀は生まれるのだとか。エルフは生成の過程で大量の木材や水を使う金属を忌避しているが、精霊銀はエルフたちが使用する唯一の金属だという。エルフたちは魔法の力で精霊銀を作るのだ。
「精霊銀ならば精霊力の種類による親和性に差異はない。鉄を使用することが問題を引き起こすなら、鉄よりも適した素材を探すのが当然ではないか」
セシリアは「たし、かに」と言って言葉に詰まった。おっと、説得されちゃった。あれ、もしかして解決? 精霊銀を使えばオールオッケー?
「い、いえ、待ってください!」
思わず説得されかかった空気を遮り、ジンが慌てたように声を上げた。肌身離さず持っている魔法使いの研究ノートをパラパラとめくり、すばやく目を走らせる。
「百年前にも、精霊銀の使用は検討されていました。しかしうまくはいかなかったんです。その、理由は、確か――あ、あった!」
ページをめくる手が止まり、ジンは記載箇所に指を当て、なぞりながら読み始めた。
「――精霊銀を『核』の基材とすることは諦めざるを得ない。精霊銀は精霊力の感受性が強すぎるのだ。精霊力はいたるところに自然に存在する。精霊力を『核』に付与する時、精霊銀は自然に存在する周囲の精霊力をもまとめて取り込んでしまう。意図しない精霊力の取込はノイズとなって『核』の機能を不安定にした。今の我々の技術では、必要な種類の精霊力を必要な量だけ精霊銀に付与することは困難だ」
えーっと、なんかはっきりとは分かんないんだけど、俺の大胆な推測を交えたたとえ話で説明すると、ラーメンのスープを作るのに豚骨を煮込んだはいいけど、うまく濾すことができずに雑味が残っちゃったよ、みたいな? あるいは、豚骨を煮込む前に余分な部位をあらかじめ取っておくといいんだけど、それは技術的に無理だよ、と。ラーメンのスープって繊細だから。そんな、一朝一夕で出来ないから。作ったことないけど。
まあ細かい理屈はともかく、精霊銀で『核』を作るには繊細な精霊力の制御技術が必要で、百年前にはその技術がなかった、ということなのだろう。ジンがノートを読み終えて顔を上げる。しかしセテスの表情は、ジンがノートを読む前と変わっていなかった。
「百年前、彼らの仲間にハイエルフはいたか?」
セテスの質問がピンとこなかったのか、ジンは自分の答えに自信がなさそうに「いなかった、です、けど」と答えた。セテスがともすれば傲慢と捉えられかねないような笑みを浮かべる。
「人間に不可能だったからといって、それは不可能であることの証明ではない。精霊力の制御において我らハイエルフに勝る種は他にあるまい。そして――」
セテスはジンとセシリアを見渡すと、いささかも揺るがぬ自信に満ちた態度で断言した。
「今、ここに私がいる。百年前にできなかったことが、今はできる」
セテスの言葉が波紋のように診療室に広がる。ジンとセシリアは驚きに目を見開いた。
「……精霊銀で、新たな『核』を作る、と?」
「そうだ」
セシリアのつぶやきのような言葉に、セテスは力強くうなずいた。二人の表情が徐々に変わっていく。ミラがケテルに来てから二週間以上が経ち、決定的な解決策を見いだせずに閉塞していた感情が、今初めて、希望を見出したのだ。おそらくセテスは知っているのだろう。今必要なのが断言なのだと。その傲慢に思える態度も、自信に満ちた表情も、ジンとセシリアの目を未来に向けるためなのだ。
おお、なんていうか、セテス、大人な。考えてみればジンもセシリアも十代ですよ。悩んで迷って前に進む年齢ですよ。正解のない問いを前にする若者を揺るがぬ大人が支えるっていうのは、結構重要なことだと思うのね。大人がしっかりしてくれてるから、若者は安心して挑戦できるっていうかさ。でもごめん。さっき俺が変なたとえ話しちゃったもんだから、今はセテスが、スープの味が決まらなくて悩む弟子を指導する伝説のラーメン職人にしか見えくなってるんだ。師匠って呼びたくなってるんだ。ほんとごめん。これは完全に俺の責任です。
「精霊銀の調達は私がしよう。我々に残された時間は少ない。もう動く時だ。可能性がそこにあるなら挑むべきなのだ」
ダメ押しのようにセテスは二人に言った。精霊銀を使うことですべてが解決するとは限らない。やってみたら別の問題が出てくるかもしれない。しかし、それらはやらない言い訳にはならないのだ。だから今すべきは、覚悟を決めること。残された少ない時間を費やし、この可能性に賭けると決断することだ。
ジンとセシリアが顔を見合わせる。残りの時間を考えれば、精霊銀の『核』という可能性に賭けるということは別の可能性を捨てるということでもある。二人が同時にうなずき、そしてセテスを振り返ってまっすぐに見つめた。セテスもまた、満足そうに二人にうなずきを返す。
「僕の村に行きましょう。村に精霊銀はあるはずですし、精霊銀で新たな『核』を作るなら経験豊富なゴーレム技師の協力が不可欠です」
ジンの提案にセテスは「それは話が早い」と返した。精霊銀の調達に時間を奪われずに済むのは非常にありがたいところだろう。セシリアが「院長に話をしてきます」と言って診療室を出て行った。セシリアも今日はドワーフ村に同行するつもりで、不在になることを院長に伝えに言ったのだろう。
「ミラ様」
セテスは床で静かにリスギツネと遊んでいるミラに声を掛ける。ミラはリスギツネを抱えると、セテスを見上げた。
「貴女は必ず我々がお救い致します。どうか我々を信じてくださいませ」
ミラは表情を変えぬまま、じっとセテスを見つめる。そして、ミラはセテスに向かって小さくうなずいた。
そして二週間後、ケテルの片隅に一軒の小さなラーメン屋がオープンしました。
ハイエルフとドワーフと人間が経営するその奇妙な店は、豚骨と魚介の合わせだしを用いた濃厚でありながらさっぱりとしたスープが大人気を博し、やがてケテルに空前のラーメンブームを起こすことになるのです。




