Alva-1.0-"起点"
いくら世界が繁栄しようとも、夜は来る。
「夜は嫌いだよ、本当に」
夜は、汚いものを隠すのに便利だ。だからだろう、夜というのは悪が暗躍し、私達をこうも困らせてくれる。昔誰かが言っていた、警察なんて暇な方が良いと。当時私はその言葉をどう思ったかな?いや、多分何とも思わなかったと思う。ただなんとなく、その言葉の真意を汲み取ろうともせず、ただ聞き流していただけだろう。
今正に、私は自分の事のようにそれを痛感している最中なのだが。
「なぁ、聞いているのかい?君に言っているんだよ、まったく」
満点の星空の下、だというのに月の光も遮られる高層ビル群の隙間、天気も気候もコントロールされているはずなのに他より空気が湿っているようにすら感じるこのひっどい路地裏で、私は対峙している男に問いかける。
しかし腹立たしいことに男は口を開かず、ただ私と対峙している。この男は現在私から逃走中、というのも私は有り体に言ってしまえば警察、彼は犯人という訳だ。そりゃ逃げられるし追い詰めれば対峙するし、しかも今にも私に襲いかかってきそうな雰囲気まで醸し出しているときた。
いや、実際には私は警察という立場ではないのだけれど、まぁ今それを言及する必要はないだろう。
「ん?」
私と相対してからずっと寡黙だったこの男が、私という存在を舐めるように見回してから初めて音を発した。
「お前もしかして、人間か?」
彼は自分でそう発すると、改めて私を見定めるように眺め、そして確信したように口角を吊り上げた。
「あぁ、間違いない、人間だ。珍しい、これは実に珍しいな」
警戒を解いたわけではないが、彼から伝わる緊張というか、こういう追い詰められた時に発する独特な雰囲気が抜けた。彼にとって、私は恐れるに足りない存在だと気づかれてしまったのだろう。
「そうだよ、私は人間だ。それで君が犯してしまった罪が消える訳ではないがね?」
一方の私は残念ながら気を抜くことができない。生物というのはとても臆病で、自分より相手の方が強いと本能が認識してしまえば最後、腰が引ける。断言しよう、目の前にいる男は私より強い。性別や身長差ではない、所謂種族的問題でだ。
ライオンという動物がいるらしい。彼らは動物界でもトップに君臨し、向かう所敵無しだったその姿は"百獣の王"と称される程だ。
そしてその"百獣の王"は捕食者として存在していたとか。
つまり目の前にいる男はライオン、私はそうだな……小さな犬程度の存在でしかない。まぁ最も、ライオンと犬が同じ環境で暮らしていたかどうか、私は知らないのだけどね。
「いやはや、俺は実にラッキーらしい」
勝ちを確信した男は、私の方へ向かって歩き出す。
「止まりたまえよ、痛い目に遭う前に大人しく捕まった方が良いと思うよ?もっとも、君が痛いことが大好きな変態……マゾヒスト、だったかな?それなら話は別だが」
挑発してみる。弱者と決めつけた相手からの煽りは、効果が大きく出るか全く出ないかの両極端だから博打を打っている気分だ。因みに私は博打という行為が大嫌いだ、こういう致し方ない時は除くが。
「よく吠えるな、お前も他の奴らと同じ目に合わせてやろうか?」
やっすい挑発だったが、見事に乗ってきた。
彼の人となりは事前に調べさせてもらったから、多分乗ってきてくれるとは思ったが、ここまでうまくいくと面白さすらある。あとは彼の神経を逆撫でし、逆上し、冷静さを欠いたところを御用。
と、トントン拍子で事が運べば幸いだったのだが、突如男から槍のような物が発射された。
先述したマゾヒスト、痛みによって悦を得る特殊性癖を生憎私は持ち合わせていない。おそらく人間が持てる最高の危機管理能力と共にその槍を脇で避ける。
「遅いぞ人間!」
あぁ知っているとも、君が放つ槍のような物が囮として飛んできたことも、それに合わせて走り一気に私との距離を詰めることも、その驚異の足の速さに私の反応速度が追いつかないことも。
あっという間に私は男に胸ぐらを掴まれ、そのまま持ち上げられてしまった。
「く、これはよく見る光景だが実際されると首が締まって苦しいね?」
嘘を吐いた、実際には今にも逝ってしまうんではないかと思うくらい空気が吸えない。
だが、これで良い。
「人間は弱いなぁ、たったこれだけでダメになってしまうのか?」
男は、私の衰弱していく様に笑う。血の気が引いていくのが分かる、あの世が猛ダッシュでこちらへ向かってきているのが嫌なほど分かる。だがまだだ、まだ……
不意に男の目が私から逸れた。男としては、その手に掲げる人間1匹はもはや存在しないものでしかないのだ。そしたら退避経路を確認する瞬間が生まれる。
私は懐から円盤状のデバイスを素早く取り出し、ワンタッチで起動する。
「何!?」
男は血相を変え私から手を離し、ヨロヨロと後ずさる。
「ゲホ!ゴホ!全く、レディの扱いを知らないのかい童貞め」
地に落とされた私は、空気が一気に肺に流れ込んでくる慣れない感覚に困らされながら立ち上がる。
この男が最後の最後まで警戒をしていたことには気がついていた。だからこのリーサルウェポンを取り出した瞬間に弾かれたら一巻の終わり、相手の意識が完全に逸れなければ意味がないとも。
「安心したまえ、これは君の立っている感覚やそもそもの身体の感覚……あーっと、あれだ、固有覚といったかな?それを奪う"代行魔術装置"を使用したに過ぎないから」
男は立っていることすらままならず、その場で膝から崩れ落ち、尚藻掻くこともできず地に伏した。
対象の固有覚を一時的に奪うこの"代行魔術装置"、便利なのは良いがどうしてこう、有効範囲が狭すぎるのだろうかね。おかげで私は危うく顔すら見たことない祖父祖母と感動の顔合わせを果たすところだったよ。
「くそ、人間め!」
地に伏し、何やら腰をピクつかせている男に近づく。アレ多分立ち上がりたいんだろうが、手足がどこに行ってしまったのか分からないなりの全力の抵抗なのだろう。滑稽に見えてきた。因みに私にそのような弱者を愛でる趣味はない。
「連続強盗、何件かの傷害の罪が出ているのでね、捕まってくれたまえよ。あぁたった今君は新しく公務執行妨害も追加されるから、これは結構大罪じゃないか。やったな、ネットニュースくらいにはなるぞ?」
私は、哀れにもピクつきながら何やら音を発し続けている男に優しく手錠を掛けてあげ、仲間に連絡を取ることにした。
しばらくしたらこの男を回収する部隊がやってくる。私はそれを見送ったら無事お仕事終了だ。
やぁ、精神的にとても疲弊したからこのまま直帰を許して欲しいものだね。