【漢字一文字】わたしをみつけて 〜掌編「双子リメイク」〜
掌編「双子」を再度リメイクしたものです。
双子ちゃんたち。
うんと小さい頃、私と哲生は同じ団地のママたちからよくまとめてそう呼ばれていた。
「双子って不思議なとこあるのよ。哲生が怪我をしたら雪子も同じところを痛がるの」
「嘘でしょ?」
「ほんとほんと。自分の怪我みたいに痛がるんだから、びっくりするわよぉ。卵の間ずっと一つだったからかしらね……卵の記憶? みたいな」
「双子ちゃんたち、案外繋がってるのかもね、見えない糸で」
何度も世間話にのぼったエピソード。
同じ卵だなんて、私達は二卵性なのに。
たまたま同じ時、同じ腹にいただけなのに、全然違う私たちを簡単にひとまとめにして。
思い返すと大人のくせに本当にとんちんかんなことを言ってたなって思う。
「雪子。哲生とシンクロしちゃうことってある?」
一緒に弁当を食べるために机を寄せてきた可南子が尋ねた。
「あ、昨日やってた双子特集見たんでしょ。あたしも雪子のこと考えた。いいなぁ神秘体験。憧れる〜」
「なに目を輝かせてんの。ないない。雪子が、あの哲生とシンクロなんかするわけないじゃん。双子っていったって月とスッポン。天使と悪魔。全〜然似てない。そもそも二卵性なんだし」
可南子の話に食いつく萌美の言葉を、花梨が一蹴する。
そうね、と口を開こうとすると、突然隣の席の足立が吹き出した。
「なによ」
「だってあの哲生とだろ? 」
花梨が仁王立ちし睨み付けると、足立はニヤリと笑って私を盗み見た。
「雪子をバカにしたら許さないよ」
「何だよ。あの哲生ってお前が最初に言ったんじゃねーか。ってか神秘体験とか……バカじゃん。小学生かよ」
「バカはあんたよ。ちょっとは雪子の気持ちも考えなさいよね。ニヤニヤして、いやらしい」
「はぁっ? 誰が……」
いやらしいなんて言われて、カチンときたのだろう。
花梨の言葉に足立が顔色を変える。
「哲生のことなんて何もわからないよ!」
足立の鼻息荒く反論しようとする声にかぶせて叫ぶように言った。
視線が私に注がれる。
「わかれば、哲生の助けになれるかも知れないのにね。みんなにも迷惑かけずにすむし」
目を伏せて続ける私を見て申し訳ない気持ちになったのだろう。
足立も花梨たちもしんと黙り込む。
「あ、ごめん。気を遣わせちゃったよね。お弁当食べよっ!」
「……ほんと雪子って天使! 雪子は何も悪くないんだから、気にすることないよ。哲生が何を考えてるかなんて、双子だろうが友達だろうが誰にもわかりっこないんだもん」
「変な話題振ってごめんね、雪子」
「私もごめん」
ほほえみを返すと可南子たちが私におべっかを使い出し、気を削がれた足立は弁当を手にそそくさと席を離れた。
本当はみんな双子の話や哲生のことなんてどうでもいい。
誰も何も悪いことなんか言ってない。
ただ話題が欲しかっただけなんだ。
可南子たちも、足立も。
話がデリケートな方へ向かってしまったのは、私の双子の兄が学校の問題児でみんなに嫌われているから。
哲生のせいだ。
「ずいぶん健気なことを言うな。哲生を助けようとしたことなんかないくせに」
窓の外を眺めていた紗霧が、和みかけていた空気を裂くようにため息混じりに吐き捨てた。
哲生を責める気持ちを見透かされたようでひやっとする。
「何それ。あんた、哲生の事でこれまで雪子がどれだけ辛い思いしてきたか、考えて言ってんの」
「どうかな。私にはそうは思えないけど。むしろ、ねぇ……」
紗霧は花梨の言葉にくすりと笑って席を立ち、可南子たちの追従笑いとは異質の、不敵な笑みを私に向けた。
私を取り巻いていたぬるい空気が冷め、急に自分が真っ裸だったことに気づいたような、落ち着かない気持ちになる。
粘るような視線を飛ばしたかと思えばあっさり逸らし、紗霧はそのまま教室を後にした。
「なにあれ。雪子、気にすることないからね」
「そうだよ」
私をかばう花梨の声が空々しく聞こえる。
頷く可南子の視線が揺れる。
同意する萌子の声にためらいが混じって思える。
誰の視線もふわふわ風に揺れる風船みたいに頼りなく、風向きを注視しているように感じる。
どんなにいい子でいても、私にはあの哲生の双子の妹と言うフィルターが付きまとう。
「紗霧の言う通りだ。私、何もしてあげられてない。何もしていないなら、私もいじめているのと同じだよね。兄妹なのに」
雪子は天使みたいに優しいから。
哲生とは違うわよね。
相手の中に映る私への期待を利用して、いい子を演じる。
それでもまだ、いつか私も弾かれるかもしれないなんて不安が消えない。
紗霧が見ていたものを確認したくて、窓へ寄り外を眺める。
「全然違うよ。哲生がやられるのは自分で引き金を引いてるから。あいつ自身が変わんなきゃどうにもなんないことなんだって。兄妹だからってなんでも雪子が背負い込む必要ないよ」
憂いでみせる私の背中を花梨が抱きしめ、フォローしてくれる。
哲生が嫌われていることは、私には関係ない。
もちろん哲生がどんなに傷つこうと私は痛くも痒くもない。
私と哲生は違うから。
運動場では同じ学年カラーの体操服を来た人たちがボールの入ったコンテナを片付けていた。
哲生のクラスの人たちだ。
コンテナを押しているのは女の子たち。
男子たちは、その後ろで一人の子に向かって一斉にボールを投げつけて笑っているのがわかる。
至近距離から思い切り。
ぶつけられているのは、哲生だ。
運動場には哲生をいじめているか、それも風景の一つだと言わんばかりに我関せずな人しかいない。
「ちょっと男子、やめなさいよぉ!」
花梨が大声で注意して、すぐさま得意げな顔で私を振り返る。
パフォーマンスだ。
花梨は本気で哲生を助けようとなんて思ってない。
声が運動場の連中に届いていないことだって、きっとわかっている。
花梨は哲生のことなんかどうだっていいんだ。
私にいい顔ができれば。
「花梨、ありがとう。勇気あるね」
「全然! ほんと男子ってバカ〜」
「哲生もムキになってやりかえすから面白がられるんだよ。ほら」
「助けようにも本人がアレじゃあね」
花梨の後ろから可南子も萌美も私の味方だってアピールする。
哲生がいじめられるのは、私にはドウシヨウモナイコトなんだって。
ホンニンノモンダイだって。
そういえば私が楽になれるから、私の望んでいる言葉をかけてくれる。
本当の気持ちは、わからない。
ふわふわ風船のような私たちの心の本当は、どこにあるんだろう。
5時間目は生物だった。
選択科目でシャッフルされて、私が哲生の教室でいっしょに授業を受ける唯一の時間だ。
哲生の座席は普段と同じ教卓の前。
別のクラスから移動してきた私は廊下側の一番後ろだ。
「くそっ、誰が破いたんだよ! お前か。……お前だろ!!」
授業が始まるやいなや哲生は叫び、席を立った。
周囲の机を払うようにして一人の男子の前まで進み、表紙もなくなったボロボロの教科書を、思い切り顔にめがけて投げつける。
悲鳴と机のガタつく音。
「は? 知らねーし。お前いきなり授業妨害かよ」
「どっちが!! あんたがこんなことしなければ」
「何だよ。証拠でもあんのか?」
「……んのやろ」
「暴力は、やめなさい!」
哲生が拳を振り上げると、先生はそれを後ろから掴み上げた。
教室のそこここで嘲笑するのが聞こえる。
騒動など全く無視するようにノートに向かっている人。
祭りが始まったとばかりに視線を交わし合う人。
誰も哲生を助けようとするものなど、いない。
「……なんで、悪者はいつも俺なんだよっ」
「今お前が手を出してるからだろう。……こら、どこへ行く!」
哲生が教室を飛び出し、先生が呼び止める。
もちろん哲生は止まらない。
「呼び戻してきま〜す」
「俺も!」
「こら、待ちなさい! 教室に戻って」
「私も! センセ、哲生は何するかわからないから、急がないとやばいかもですよぉ?」
「それは先生がなんとかするから、みんなは教室に……」
「飛び降りたりして! 責任問題ですよセンセ」
とうもろこしの粒が抜けるように悪乗りした生徒たちが次々と席を立ち、教室を飛び出していく。
哲生に振り切られるような頼りない生物教師がいくら声を裏返してももう誰も止まらない。
追いかけるみんなの足音とざわつくいくつかの声が校舎に響く。
みんな退屈でたまらないんだ。
火に油を注いで、炎上するのが見たい。
騒動に頭を抱えているのは先生と、哲生だけだ。
教室は我関せずな数人を残し、ほとんど空になってしまった。
席を立ち、床に転がった哲生の教科書を拾い机へ戻してやる。
目を閉じると浮かんでくる。
哲生が自分のカラダを脱ぎ捨てていくような勢いで走っているのが。
窓に頭を打ち付けて叫び、いくつもの手に押さえつけられるのが。
哲生を中心に少し距離を開けて蟻地獄の巣のような人だかりの円ができて、それから……。
「犯人は犯行現場に、なんてよく言うよね。破いたのあんたなんでしょ、雪子。一緒に住んでるんだから、哲生のものをいじるのなんて簡単だよね」
振り返ると紗霧が扉の向こうからこちらを伺っていた。
皆の後ろをついて一旦教室を出て、そこから私の様子をじっと見ていたらしい。
刺激的なセリフに教室で自習をしていた人の手が止まる。
「ひどい、どうしてそんな言いがかり……」
「生物の教科書を選んだのは、哲生がどんな反応するか自分の目で確認したかったから? 生物じゃないと直接は見られないもんね」
大丈夫。
根拠は希薄。
証拠はなにもない。
それでも私が怪しいなんて話を聞いたら、みんなの見方がふわりと傾くだろうか?
風に揺れる風船みたいに。
視線が気になる。
「ちがう。私じゃない」
「やばいよ! 哲生が手首切った。窓ガラスを殴って、割れたガラスが刺さったんだって。先生が救急車呼んでる……きゃあ、雪子? ちょっとどうしよう」
可南子が教室に飛び込んできて叫ぶ声を聞いて、急にくらりとした。
背中から倒れるのを、紗霧が慌てて駆け寄って抱きとめる。
机にぶつかり引きずられる音。
血の気が引いて、ひどいめまいがする。
頭が痛い。
痛い。
「そんな演技したってダメなんだから、雪子、しっかりしなよ。雪子?」
目の前が真っ暗になる。
目を開けると白い天井が見えた。
保健室だ。
「哲生は」
「病院だよ。哲生には親がついてるから、心配するな」
勢いよく身を起こしてカーテンを引くと、養護の先生が書類から顔を上げた。
「急に動くな。またクラっとくるぞ。顔色は良さそうだが」
「もう大丈夫です」
倒れたなんてウソみたいに平気だった。
身が軽くなったくらいだ。
倒れたなんて自分でも信じられないくらい元気だ。
誰も信じないくらい元気。
「回復したのはいいが、せっかくだからもう少しゆっくりしてろ。哲生の治療が終わったら車で迎えに来てくれるって話になっているから」
「母さんが……哲生もいるのに」
「学校は、突然意識がなくなった人間を一人で帰すわけには行かないんだよ。病院で確認してもらってこい」
昔、やんちゃだった哲生は階段から落ちたり滑り台で転んだり何度も縫うほどの怪我をした。
哲生が大怪我をすると、どうしてだか私も同じように痛みを感じた。
痛くて痛くて泣きじゃくった。
そして痛みは突然、何のきっかけだか知らないけれど今みたいにケロッとなくなってしまう。
自分でもびっくりするくらいあっさりと行ってしまう。
演技、ウソ。
異常はない。
哲生のついでに医者にかかったときなど、目の前で甘えたいだけ、かまってほしいんですよなんて呆れられたこともある。
悔しくて、恥ずかしくて、結局どこにも怪我などないのに哲生と同じように包帯を巻いてもらうまで泣き続けたんだっけ。
「すみません二人共がお世話になって……」
「お待ちしてました。……ほら、迎えだ」
「母さんゴメン。哲生は?」
「車で待ってる」
養護の先生から家の人と話があるから教室で帰る支度をしてくるように言われ保健室を出された。
哲生の分と二人分を取りに行く。
すでに放課後でどの教室もがら空きだった。
誰もいない。
哲生のクラスに入りロッカーを探す。
鞄が残っているのは哲生のロッカーだけだからすぐにわかった。
それでなくても何がどうしたらこうなるのかってくらいぐちゃぐちゃなロッカーだ。
「ゴメンね哲生」
机の中から教科書を引き出し哲生の鞄に詰めながらつぶやいた。
落書きだらけでボロボロの教科書、ノート、真っ黒な筆箱。
順番に詰めていく。
生物の教科書を破いたのは私だ。
哲生のせいで嫌な思いをしてきたんだから、これくらいの仕返しはしてもいいと思った。
どうせ私がやらなくても誰かがやる。
哲生が暴れれば暴れるほど、胸がすいた。
私のポジションがくっきりと際立つから、見てくれるから。
ーー甘えたいだけ、かまってほしいんですよーー
いつかの医師の言うとおり、人に私を振り返ってほしかった。
私は哲生の影。
哲生が燃えれば燃えるほど比較された私がくっきりと際立つ。
でもそれは学校だけのことだ。
家では私がいくら痛がろうと泣こうとどんないたずらをしたときだって、注目はいっときだけだった。
自然と問題を起こしてしまう哲生の吸引力は良くも悪くも絶大で私のつけ入る隙はどこにもないから。
きっと今も母の頭の中は哲生のことでいっぱいだ。
「お待たせ。話はもう、終わったの?」
保健室の前に出て母は一人で待っていた。
声に反応して振り返った顔がひどく疲れて見える。
「すぐ終わった。学校で、大変だったんだね。大丈夫?」
「ゴメンね、心配したよね。母さんこそ大丈夫? 疲れたんじゃない?」
天使の振る舞いを意識して母を気遣ってみせる。
振り向いてほしいから、好きになってほしいから。
私を見てほしいから。
「大丈夫よ。ありがと。ゴメンね、雪子」
母の手が降りてきて頭を撫でる。
瞬間、胸が凍りついた。
私はこの手に受け止められていい存在じゃない。
ずっとこの手が欲しかったはずなのに、私だけのものにしたかったはずなのに、今は私の心が自分でそれを拒んでいる。
ちょっと涙が出そうになって、でももう泣けなかった。
どうしても泣けなかったんだ。
純粋な悪人を語り手に。
「雪子」というキャラクターをつかもうと思って描いたものです。
なかなか掴みきれません……。