8 索
「ところで藤森さん、賭け事はなさいますか」
わたしが話題をぐるりと変える
「ないですね、精々、宝くじを買うくらいです。でも、それが何か……」
「虱潰し派か、そうではないか、ということです」
「岸田さんは、次にまわるのは隣の部屋にはしたくない、と……」
「正解ですが、今回は藤森さんに合わせます」
「岸田さんとはもっとお話をしていたいのですが、手分けして探した方が時間が節約できるとは思いませんか」
「ああ、それには考えが及びませんでした」
「どうですか」
「賛成です」
「では番号の交換を……」
藤森氏がいうので、スマートフォン番号を交換する。わたしは個人ではスマートフォンを持っていない。が、今回は会社の仕事で出張して来たので会社のスマートフォンを持っている。
「部屋の名称を報告し合いましょう」
「そうですね。同じ部屋を二度探すかもしれませんから……」
「ここは、『大ホール』です」
「隣は『1‐1』ですね」
「廊下の場合はどうしましょうか」
「前にある部屋の廊下と名付けては……」
「普通は左右に部屋がありますよ」
「では右手側で……。わたしは確実に隣の『1‐1』から進みます」
「では、わたしは階段を上がって……階段の名前はどうしましょう」
「どうやら、市民ホールの案内図を見た方が良いようですね」
……ということで、わたしと藤森氏が市民ホールのエントランスに向かう。途中の死体を見分しながら……。
幸い、廊下の死体密度は室内ほどではないので、通り過ぎるだけで数列が確認できる。
「この案内によると、幅の広い階段は中央の、つまりエントランス奥の階段だけみたいです」
「……となれば、一階から二階へと至る階段は『1→2』でどうですか」
「ええ、それで良いと思います」
「では、藤森さん、グッドラック……」
「岸田さんもグッドラック……」
互いを鼓舞し、わたしと藤森氏が別の部屋へと死体見分に向かう。言葉通り、藤森氏が『1‐1』へと旅立って行く。
わたしは何故か、藤森氏から永遠の別れを告げられたかのように感じてしまう。わたしが何故、そう感じたかというと、藤森氏がわたしに振り返らなかったからだ。別れの挨拶は済ませたので、藤森氏が振り向かなくても可笑しくはない。が、大抵の場合、人はこういったときに一度は相手に振り向くのではないか。
本人自ら口にしたように、誠実そうな見かけとは異なり、藤森氏はクールな人間なのかもしれない。……と思ってすぐ、誠実とクールは矛盾しないな、と考え直す。
わたしは首を振り振り、階段『1→2』に向かう。するとすぐ、わたしのスマートフォンが音を立てる。
「わかってはいると思いすが、一応、ご連絡を……」
藤森氏は几帳面な人だ。
「これから、わたしは『1‐1』に入ります」
「わたしは『1→2』に向かいます。その前に『廊下エントランス』を通りますが……」
「数回往復しそうですね」
「最初に来たとき一部を確認していますから回数はやや少ないです」
「では頑張って……」
「ええ、藤森さんも……」
そんなふうに通話を終え、わたしがスマートフォンを鞄に仕舞う。赤い鞄だ。血の色には似ていない。どちらかというと鉄錆の色に近い。
結局、三回半行っては帰り、また行き、わたしが『1→2』を昇り始める。廊下エントランス』に師匠はいない。この先、本当に師匠に出会えるのかどうか、わたしは段々と不安になる。
階段を二階まで昇りながら、藤森氏と別れた効果を考える。歩みが相当早くなっていたからだ。藤森氏はわたしにとって一緒にいて少しも緊張しない人間だ。それで、ついつい会話が弾み、歩みが亀レベルになっていたのかもしれない。
「階段『1→2』にはいませんでした。これから部屋『2‐1』に入ります」
「わたしの方は『1‐3』に向かいます」
互いに連絡を交わし、死体見分を続ける。
「二階は終わりました。結局、わたしもシーケンシャルになりました。いなかったです」
「一階にはいませんでした。岸田さん、次は何回へ……」
「じゃ、四階に行こうかな」
「では、わたしは三階を……」
二階分の階段にも師匠の姿はない。それを藤森氏に報告し、『4‐1』に進む前に四階の廊下を片付ける。初めて師匠に似た体形と顔つきの死体を見つけるが、残念ながら師匠ではない。わたしは何故か、ほっとしてしまう。
行方不明ではあるものの、この市民ホールで発見できなければ、師匠の生存に期待しても良いのではなかろうか、とわたしが信じそうになる。自分自身で甘い考えだ、と思うが、希望を持つこと自体、悪いことではない。が、師匠の死体を見つけたときの絶望感が大きくなる可能性を孕む。けれども、最初から諦めていれば、それはない。わたしはどうすれば良いのだろうか。
「三階の廊下にはいませんでした」
藤森氏も、わたしと同じ見分方式を選んだようだ。
「こちらもです。四階の廊下にはいませんでした」
互いの見分階が終われば残すは二階だ。この調子ならば、あと一時間もかからないで終わるかもしれない。
……とすれば、これまでの亀の歩みが嘘のようだ。