11 粗
わたしと藤森氏が一緒に市民ホールの中央階段を降りる。既に見聞し終えた死体を何となく眺めながら……。思った以上に憶えている顔が多く、不思議な気分になる。わたしは人間の顔を覚えるのが苦手だからだ。正確には、顔と名前の一致が苦手ということになるが……。
わたしには苦手が多過ぎる。運動も苦手だ。ウォーキングだけは続けているが、あれは運動といえるのかどうか。今の仕事も苦手……というか、得意ではない。わたしには得意なものが思いつかない。質を問わなければ小説を書けるくらいか。
小説の場合、一話を書き終えると、その先にあるのは真っ白な世界だ。何も構想されてもいない無の世界。単に白いwordのページ。それを見る度、わたしはいつでも途方に暮れる。が、何となく書き出せば先が浮かぶ。わたしが思う正しい書き方ではないが……。
先ず状況を作る、それが正しいわたしの方法だ。ついで、その状況に関わる人物を造形する。そうすれば物語は勝手に動く。
わたしはプロットを作るがストーリィは作らない。だから誰にも受けないのだろう。師匠の方法論とは正反対だ。
同人誌Bに書いていた初期のとき、わたしは師匠の方法を真似る。だから、あの頃書いた小説にはストーリィがある。その後、徐々に書く内容がメインストリーム寄りになり、ストーリィが消える。実際にはストーリィがないわけではないが書きながら紡がれる。最初にはない。
わたしが小説を書くときにすることは視点人物の状況変化を追うことだけ。例えば誰かが財布を落とし、違う者が拾い、その中に地図を見つけた、とする。その誰かを人生に疲れた老人とし、違う者を好奇心旺盛な女子中学生と設定すれば、それだけで物語は動くだろう。
つまりそういうことだが、外から見れば、わたしがやっているのは単なるプロットの詳細設計で完成した小説とは呼べない代物なのに違いない。新しい小説のタイプと呼べば、そうなのかもしれないが、大勢の見解とならなければ只の屑だ。自称小説家というのと変わりない。
……というようなことを考えながら、わたしが中央階段を一階まで降りる。藤森氏が何を考え、階段を下りたのか、わたしにはわからない。
この地に来て、わたしが最初に入った市民ホールのエントランスの反対側――つまり中央階段の下――に、もう一つの出入口がある。わたしと藤森氏はそこを抜け、第二の市民ホールに向かう。
「また死体の山なのでしょうかね」
「たとえそうでも、これで終わりです」
「この二つの市民ホールで、どの程度の地域を網羅しているのですかね」
「それは、わたしにもわかりません。ですが、ここは先生のご自宅から近いですよね」
「ええ……」
「だったら、先生がお茶目に遠くまで出かけていなければ、ここにいるはずです」
「なるほど」
けれども、わたしの師匠はお茶目だ。自ら、海の藻屑、を選んだ可能性もある。
「父はお茶目ですか」
「わたしには、そう見えました。それに本当に多くの方にも愛されていました」
「そう言っていただけると、ありがたいです」
「お世辞ではなく、事実です」
「わかっています」
そんな会話をしながら、わたしと藤森氏が第二の市民ホール内に入る。そこで二人して驚いたことは、
「死体が少ないですね」
「死体が少ないですね」
……という事実。それまでとは死体密度が異なったのだ。先の市民ホールの十分の一以下ではなかろうか。
それでも廊下に死体があるのだから頭が痛くなる。
「写真を撮りますか」
藤森氏が問い、
「撮らないと怒られます」
と、わたしが答える。ついで赤錆色の鞄からスマートフォンのカメラよりはマシなデジタルカメラをごそごそと取り出す。
「もしかして凄く重い鞄じゃありませんか」
「学生の頃から鞄は重いです」
それなりにプロらしく、わたしが廊下の写真を撮る。写真芸術的には、わたしは接写が得意だが、そのテクニックは今必要ない。
「先に全部屋を撮りますか」
「いえ、順にしましょう」
密度が下がった一階廊下の死体の中に師匠はいない。だから、やはりここにもいないのではないか、という想いが、わたしの中で大きくなる。
「さっぱり、いませんね」
「ええ、かくれんぼ、をしているのかもしれません」
「ここの死体が今一斉に全部隠れたと思うと怖いです」
「ああ、ゾンビ映画以上ですね」
すぐ近くに人はいなかったが、わたしと藤森氏が小声で話す。当然だろう。
第二の市民ホールで最初に入った部屋に師匠はいない。次の部屋も同じだ。が、これまでと異なる点もある。生きている人間の数が死体の数を上まわったのだ。
時刻は午後二時近くなっている。この先、生きている人間の数が増え続け、死体の数が減っていくという流れが始まるのだ。