おむつ天使
今朝、確かに俺の財布の中にいた偉人達は、どうもそこの居心地が気に入らなかったようで、太陽と同じように夜にはすっかり姿を消していた。
あああああああ〜終わった……
俺は心の中でそう叫ぶと、帰宅ラッシュで混み始めた駅前通りをとぼとぼと歩きだした。
二月前、ひょんなことでバイトを辞めてからパチンコ店に入り浸りの毎日。
最後の給料分しか無かった銀行の残高が、あっという間に給料半年分ほどに膨れ上がった。それでゆっくりと次のバイトを探せばいいと余裕をかましていたのだが……。
二週間前に登場した新台との相性が最高に悪く、周りはみんなドル箱積んでるのに俺の台だけ大ハマリなんて日が続いたもんで……、明日こそはと思っているうちに見る見る残高は減っていき、ついに今日で底をついたのだった。
じゃあサヨウナラ…
というのは冗談で死ぬ気はさらさらない。俺は実家暮らしで、家賃も食費も一切かからない。見事な寄生っぷりだが、どうにも仕方がない、高校卒業後に就職した会社が一年持たずに倒産。再就職しようとしたが中々上手くいかず、もうフリーター暦二年になる。ん、今はニートってやつか…
駅からだらだらと歩いて10分程で実家に着く。築二十年だったか、その割にはまだ綺麗な外観を保つ二階建ての家だ。何でも俺は三人兄弟の一番目として生まれたらしいのだが、両親の設計図通りに事は運ばなかったようで、俺には弟も妹もいない。なので二階には物置部屋が二つある。おまけに親父は五年前から単身赴任で海外に行ってるもんで家には二人きり。一階が母の生活スペース、二階は俺の聖域、そんな感じになっていた。
俺は玄関を開け、雑に靴を脱ぐと、ただいまも言わずに二階に上がった。それが普段と変わらぬ俺の帰宅姿。部屋で着替えたらリビングに降りる。そこで飯を食いながら多少会話をする。働け働けと急かされる訳でも無く、世間話をする。だがそれ以外で母と会話をすることはあまり無かった。
ミシッ、という十段目の板を踏むと必ず聴こえる音を耳にし、俺は二階に上がった。
二階には扉が三つ。一番手前が俺の部屋、何故かこの部屋が一番暖かいのだ。
いつものようにドアノブに手をかけ扉を開ける。すぐにそいつは俺の視界に映りこんだ。ベッドの上の異物。そう思ったのは俺が子供好きではないからだろう。何でか知らんが、そこには裸で白いオムツ姿のガキがいた。
さっきも言ったが、俺に兄弟はいない。思わずドアノブを引く。数秒待って押し開ける…
消えてはくれなかった。何かの間違いで俺の目に映りこんだ訳ではなさそうだ。奴はしっかり俺を見ていた。
ベッドの上のそいつは、オムツのCMに出てくるような可愛らしい赤ちゃんではなく、丸々太っていて宛らちびっ子相撲幼稚園部門の横綱。オムツのまわしをしめ、貫禄十分の顔で、腕を組みどっしり構えてやがる。
「おい…何だよ?」
俺はその異様な雰囲気にやや圧され気味になりながら訊いた。
「おいとは何だ僕は天使だぞ」
横綱は訳の分からない言葉を発したが、声だけは子供らしかった。
「は?天使?」
俺はそういってからベッドの側に腰を下ろした。
「うん、天使、君にお告げに来た」
自分を天使だというそいつは腕を組んだまま細い目で俺を見下ろしていた。
どっからどう見ても生意気なガキにしか見えなかったが、害は無さそうなので話だけ聞いてやることした。
「お告げって?」
俺がそう言うと、天使は一度深く頷いてから口を開いた。あまりにもどっしりと構えているので何だか大仏のようにも見えてきた…
「いいか一度しか言わないから、ちゃんと聴けよ。これが神からのお告げだ。明後日この家に来客がある。そいつは工場の経営者だ。お前はそいつの工場で働くのだ。そこで一年かけて100万を貯めるのだ。そして……」
そこで一瞬話が止まったが、天使は細い目をさらに細くしてから頷き、話を続けた。
「そして、一年後、来年の11月30日に駅前の宝くじ売り場で100万円分の宝くじを買いなさい。そうすれば運命が変わり三億円が当たる。以上」
はは、ありがたいお言葉――などとは言わず、正体のわからんガキに向かって俺は訊いた。
「ホントかよ…信じられないな、天使だっていう証拠見せてくれよ」
そいつは俺の言葉に動じることなく、また深々と頷きこういった。
「よし証拠を見せてやる、ついて来い」
そういうとそいつは立ち上がり、開いていた入り口から部屋の外にでた。
そうして俺は貫禄たっぷりの背中を見ながら階段を下りた。
本当に天使なのだろうか?たしか天使って羽が生えてなかったっけ……
天使は階段を下りるとリビングに入っていった。そこには母がいる。
俺がリビングに入ると、母はいつものように俺をチラッと見てからこういった。
「食べる?」
それはつまり温かい飯を用意してくれると言う事なのだが…
「そんなことより母さん、変な子供が見えるだろ?」
普段なら、あ〜とか、うんとか答えるのだが、今はこの答えしかない。目の前に見知らぬガキがいるのだ。
「え?何言ってるの?」
母はそういって首を傾げた。
「何って、ここにいるじゃないか、子供が…」
俺はそういって目の前のガキを指差す。
「そりゃ、あんたは私の息子ですけどね……、ここってどこよ?ちょっと、まさかあんた変なクスリとかやってるんじゃないでしょうね…」
母はマジな顔でそういった。
俺は首を横に振って答えるしかなかった。
「クスリなんてやるわけないだろ…」
「ほんと?大丈夫なんでしょうね?変なこと言わないでよ……、まあいいわご飯の用意するから」
そういって母はすぐ側のキッチンへ向かった。
気付くと天使が満足げな顔でこっちを見ていた。
「どう、僕は君にしか見えないんだ。分かったろ」
どうやら本当らしいが…
「おっと、時間が無い、僕も忙しいんでね、もう一つだけ言い事を教えてやる。母親に訊いてみな、『宝くじ当たったんだろ?』ってね、そうすれば小遣いが貰えるよ。それも神の贈り物さ、いいかい必ず神のお告げを実行するんだよ。そうすることで気の流れが変わって君は三億円を手にするんだから!」
そういうと、天使はあっという間に俺の横を通り抜け、裸足で玄関から出て行った。
俺はしばらく呆然としていたが、母が夕食の用意を終えテーブルに皿が並んだので、とりあえず席に着いた。そして首を傾げながらも飯を口に運び。側でテレビを見ている母に話しかけた。
「なあ、本当にさっきの見えなかったのか?」
「ちょっとまだ言ってるの?大丈夫?クスリなんてやってたら追い出すわよ!」
語尾は強めだった。事実を言ってるのに説教か…
「ならいいや、クスリはやってないよ…、ねえ母さん、宝くじ当たったんだろ?」
ついでだから訊いてみた。
「あら、何で知ってるのよ…、あんたもしかして戸棚に隠してたくじ見つけたの?」
とこんな方向に話は進み、しばらくして二階に上がった俺の手には一万円札が五枚握られていた。
何だか知らないがラッキー!これで明日あの台にリベンジを…
そんな軽い気持ちで俺は眠りにつき、翌日を向かえた。が、またしても家に帰ってきた俺の財布は空っぽになっていた。
今日こそは、と朝から並んだというのに……。俺は疲れ果てベッドに倒れこむとそのまま眠ってしまった。
目を覚ましたのは朝の10時頃、階下から母親の声がした。
「ヨシヒロ〜ちょっと来なさい」
ん?何か、呼んでる…
寝癖でボサボサの頭を掻きながら、俺は階段を降りていった。
するとリビングに作業着姿の男がいた。ん?まさか…
そのまさかで、その男は父の遠い親戚。最近ヒット商品が出たおかげで工場が大忙しだとか言った。それで、あの天使の言った通りになった。俺はそこで働かないかと誘われた。
寝起きで頭がボーっとしながらも、俺は考えた。ここまで本当になったのだから、ひょっとして…
おまけに面接も無ければ、条件もそれなりに良い。金も底をついたのだし……
そうして俺は、その工場で働き出した。電車で30分かかるが交通費は全額出た。おまけに週休二日で月二十万貰えた。バイトでそれだけ稼ぐのは中々大変だ。
次第に仕事にもなれると100万を貯めることが目標になった。
億万長者を夢見ている内に月日はあっという間に過ぎ、気付けばその日が目前に迫っていた。
100万はなんとか用意できた。これで明日、駅前の宝くじ売り場でくじを買えば……
その為だけに、明日は休みを貰ったのだ。明日の為に今日は早く寝よう。俺はそう思い眠りにつこうとした。
だが、そのとき、部屋の扉が開いた。そこには母がいた。
母が夜に二階に上がってくることなど、初めてではなかろうか。
「どうしたんだよ…」
俺は半身を起こし訊いた。
母はニコっと笑ってこういった。
「明日、宝くじ買うの?」
「何で知ってるんだよ…」
あれ以来天使の話をした覚えはない。
「ふふ、天使なんていないのよ〜、その調子でちゃんと貯蓄しなさいね〜」
母はそれだけいって扉を閉めた。
明日の予定は見事に吹っ飛んだ…
やはりあのガキはただの横綱だったのだ…
でもまあ、悪くないか、それなりの生活を手にしたし…
(了)
後半失速気味です…