魔王様、お金がありません
メイドのリーゼが告げた、お金がもうない。
と言う事実に眉をひそめると魔王ジークは口を開いた。
「どういうことだ?
旅の路銀は十分にあるはずだろう?
まさか、盗まれたのか?」
「……いえ、通貨ならちゃんとあります、この通り」
リーゼはそう言うと、懐から金貨が入った袋を取り出す。
それは見るからに重そうで、ジャラジャラと音を鳴らす袋の中には、
金貨がたんまりと入っていることが伺えた。
魔王は怪訝な顔をして、リーゼから袋を受け取ると、
袋の中身を確認する。
――袋の中には金貨がたっぷりと入っていた、何の変哲もないものだ。
「金なら、大量にあるではないか?
これだけの金貨があれば1年は遊んで暮らせるぞ?
いや、節制すれば、2.3年………」
「いえ、私たちは正真正銘、"お金を一銭も持っていない"のです」
魔王の言葉を聞きながら、リーゼは悲しそうに言葉を返した。
しかし、魔王には理解できない。
なぜなら、今まさに己の手に溢れるほどの金貨が握られているのだ。
まさか偽物とすり替えられたのだろうか?
と魔王は思い立ち、袋から金貨を1枚取り出すと、押し曲げようとしたり、
魔力を通してみたりする。
――しかし、時間を掛けてみても特に怪しい点は見つからなかった。
益々、分からなくなった魔王は首をかしげながらリーゼに話しかけた。
「リーゼよ、どういうことだ?
金貨には特に怪しい点は………………」
「ジークトア様、その金貨には何の価値もないのです」
「………なにっ?」
最高級の金貨に価値がない?
どういうことだ? と魔王は言葉を返す。
リーゼは俯いたまま悲しそうな声で語り始めた。
「その金貨は正真正銘、最高級の金貨でございます
ですが、この人間界、いえ、すでにこの世界では
銅貨ほどの価値もない、ただのガラクタのようでございます」
「最初は、宿に泊まろうとした時に、
金貨で払おうとした時、怪訝な顔をされて、
冗談なら、他でやってくれ、明日には代金を払ってくれと
言われて、疑問に思っていたのですが………」
「饅頭を売っている露店の男性に聞いたところ
魔界の金貨は人間界の金の材質とはまったく違うもので出来ているようで、
こちらの世界ではまったく価値がないようなのです。
正確に言うと、魔界が滅んでいなかった時は
それなりに価値があったようなのですが、今は………………」
「もう言うな、リーゼ。結構だ」
魔王ジークは悲しそうに語るリーゼの声を途中で遮ると、
リーゼの肩を抱いた。
申し訳ありません………。と小さく呻くリーゼの背中を軽く叩きながら
魔王は、摘まんでいる金貨をじっくりと見た。
金貨には製造された魔界歴が記される文字と、
先代魔王の顔をモチーフにした肖像画が描かれている。
魔界の金貨には、魔王が変わるたびに、
金貨の肖像画も変わるという決まりがあった。
もちろん、それまでに製造された金貨の価値が下がることはない。
魔界の民の中には、この金貨を熱心に集めているコレクターも居たらしい。
魔王ジークは己の姿が彫られることはなかった
金貨を指でなぞると、ポツリと呟いた。
「………これが国が滅ぶと言うことか
つらいな、リーゼベルよ」
魔王の言葉には、すすり泣くリーゼの声が返された。
リーゼこと、リーゼベル・アウレルテは、ジークに仕える前は
先代魔王を陰で支えていた人物だ。
予想外の方向から、魔界が既に滅んだことを叩きつけられ、
その悲しみは、現魔王のジークよりも大きいかもしれない。
魔王はリーゼが落ち着くのを待つと言った。
「リーゼよ、今日は日も遅い
宿に戻り、これからのことは、また明日考えるとしよう」
――◇◇◇◇◇――
「よく来たな!!!
さて、何を食べる? 最高級の肉がおススメだぞ!!!
何っ、そんな金はない? ならば、帰れ貧乏人がっ!!!」
リーゼの、魔界の通貨には価値がない。という
衝撃的な事実を知って、数日が経った。
結論から言うと、魔王ジークとリーゼは街を出ることなく、
路銀を稼ぐために街で働くことになったのだが………。
「ばかやろぉぉぉ!!!
客に、そんな口を聞くやつがいるかっ!!!」
「しかし、店主よ
やつは最高級の肉を食べてはくれなさそうだったぞ
安い肉を売るより、高い肉を売った方が良いではないか?」
「こんのっ、大ばかやろぅがっ!!!
売れなくてもな、リピーターってものが付くんだよ!!!
それに、悪い噂が広まって、客が来なくなったらどうする!!!」
「………噂で来なくなった客と言うのは、
この店を心から愛していない者だろう?
別に、良いではないか?
しかし、りぴーたー? とやらはなんだ店主よ説明を」
「だあぁぁぁぁぁぁ!!!
お前は首だ! 首!!!
こんなめんどくさいバイトは初めてだ!!!出て行けっ!!!」
「………店主よ
ばいと? と言うのはどういう」
「出て行けえぇええぇぇぇえぇぇぇえぇぇっッ!!!!!!」
摘まみ出され、ピシャリと魔王の前で店の扉が閉まる。
その様子に首をかしげながら、
融通が利かない人間だな………と、魔王は呟くのだった。
――◇◇◇◇◇――
「ということで、首になった、らしい」
「それはまた………
"何度目"ですか………」
所変わって、魔王とリーゼは街を二人で歩いていた。
あれからすっかり、リーゼの様子も元に戻り、
今では飲食店の仕事をして、路銀を稼いでいる様子だ。
当然のことながら、魔王より手際は良く、給料も良かったので、
次々と仕事を首になる魔王と一緒ながらも、
どうにか宿を追い出されずに済んでいた。
魔王は最近覚えた、両方の手の平を肩に上げ、お手上げだ。
という意味のポーズをすると、
人間の仕事は難しい。と言った。
その様子を見て、リーゼはまた、ため息を付いた。
リーゼとしては、魔王の行動で自分達が魔界の民だと
露見することだけが心配だったのだが、
どうやら、それ以前の問題だったらしい。
リーゼは魔王を諦めたような目で見ると、言い放った。
「どうしますか、ジーク様
今はどうにか宿を追い出されずに済んでいますが
路銀は減るばかり………このままでは食事にも困る始末です」
そう、魔王とリーゼは
"宿を追い出されずに済んでいる"だけなのだ。
実は、二人分の料金を宿に払うのが精一杯で、
この数日分の食事は、リーゼが働いている店の
まかない料理(1食分のみ)で補っているのが現状だった。
身体は丈夫な魔界の民と言っても、正直限界はある。
そろそろ決断を迫らないといけなかった。
「今、思えば、我らが身を隠していた廃墟の屋敷に
食料を届けてくれていた
獣人の一族は相当無理をしていたのだな………」
「彼らは先代魔王様に恩義を感じていたようですからね
我々のために尽力してくれていたのでしょう」
しみじみと屋敷の暮らしを振り返る二人。
屋敷の食料調達は、魔王城が健在だった頃と同じように、
獣人のキャラバンから取り寄せて居たのだが、今思えば
「何の価値もない魔界の金貨」で支払えていたのは
獣人たちの気の良さによる所が大きいと思えた。
――そんなことを思い出しながら、二人が歩いていると、
青色のボールが少し先の道で跳ねているのが見えた。
「………むっ?」
そして、栗色の髪をした子供が道に飛び出すと、
通行人の悲鳴が響き渡った。
子供の目の前に、二頭の馬が引いた馬車が迫っていたからだ、
馬車は急いでいたのか、かなりの速度を出しており
このままでは、地面に赤色の染みが出来てしまうのも時間の問題だと思えた
子供と馬車を操る御者に驚愕の表情が映る。
魔王はその様子を見て、リーゼにちょっと行ってくる。と言うと、
リーゼの行ってらっしゃいませと言う声に合わせて、
空を飛ぶように跳躍し、小さな男の子の目の前に立つと、
右手を馬車の前に突き出し言った。
「時は金なり、と言うらしいが
それも時と場合による、と言うことだな、ふむ」
魔王の右手から、黄金色の光が舞い出て、馬車を包み込むと
ふわり、と馬車が魔王と子供。
そして、後ろに居た、リーゼを超えて空を跳躍し、
音を立てることなくストンと地面に無事着地した。
――少し経ってから、慌てた様に馬を引いていた御者が降りてきて
魔王に駆け寄ると言った。
「す、すまない急いでいて………
魔法使いの兄さん、助かったよ」
「気にするな、謝るなら我ではなく、子供に謝ると良い」
御者は魔王の言葉にうなずくと
悪かった、大丈夫かと子供に話しかける。
男の子は大丈夫と返すと、キラキラした目で魔王を見て言った。
「ありがとう、魔法使いさん!!」
「いや、礼は良い。なぜなら民を守るのは我が務めだからな」
魔王が胸を張ると、その立ち居振る舞いに
興奮した様子で男の子は言葉を続ける。
「もしかして、お兄さんが「白銀の魔術師」さんですか?」
「………なんだそれは?」
「「白銀の魔術師」は勇者のパーティーメンバーの一人だよ
坊や、この人は白銀の魔術師ではないよ」
御者の言葉に見るからにガッカリと子供は俯く。
子供の素直な反応を見て、御者は苦笑いすると魔王に向けて言った。
「それはそうと、あんたの二つ名はなんて言うんだい?
後でギルドに報告しておくよ」
「二つ名………なんだそれは?」
怪訝な顔で言葉を返す魔王に御者は驚くと言った。
「驚いたな、アンタは冒険者じゃないのか!!
あれだけの魔法を使うからてっきり名のある人物かと思ったよ」
「魔法を使うものは冒険者なのか?」
「そうだね、大体は冒険者かな
お金も稼げるし、市民のためにもなるからね
アンタほどの腕前なら引く手数多だと思うよ
おっと、それじゃ、俺は急いでるから、
坊主、ごめんな、これで飴でも買ってくれ」
御者の男はそう言うと、馬車に戻り馬車は走り出した。
子供は急いで駆け付けてきた、母親と思われる女性に、手を繋がれ去っていった。
去り際、何度も魔王に向けて頭が下げられた。
御者と子供が去ってからも、何かを考えている様に魔王は立ち止まったままだ。
事の成り行きを見守っていたリーゼは嫌な予感を胸に抱きながら、
おそるおそる魔王に話しかけた。
「………魔王様」
「リーゼよ、我は冒険者になろうと思う」
「………………………はい?」