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第3幕 『転んだ人の話』

この物語は声劇台本の形をしております。

通常の小説とは異なりますのでご注意ください。



【登場人物】


輿水律子コシミズ リツコ

演劇部4年 演劇部のムードメーカー&トラブルメーカー


井口祐司イグチ ユウジ

演劇部3年(4回生) 部のまとめ役だが可愛い女の子に目が無い


藤岡菜月フジオカ ナツキ

演劇部3年 周囲に振り回される心配性で苦労性な部長


藍田アイダなぎさ♀

演劇部3年 無愛想でクールなツッコミ役


黒田拓海クロダ タクミ

演劇部新入部員 お淑やかなゴスロリ少女に女装するが中身は意地っ張り


渡辺麻友子ワタナベ マユコ

演劇部新入部員 何かと大騒ぎする天然美少女


篠宮杏子シノミヤ キョウコ

サークル自治会副会長 自治会長の大内を補佐する切れ者


同僚ドウリョウ

なぎさのバイトの同僚 都内の私立大学に通うナルシスト


ナレーション・ト書き


第3幕 『転んだ人の話』


ナレ「東京の北のはずれ、赤羽。この町に荒川大学はある。

   今年は梅雨入りが早い。

   6月に入って早々、天気予報は東京の梅雨入りを宣言した。

   部室の窓から見上げる赤羽の空も、低い雲が垂れ込めている。

   いつもなら新幹線の線路の先に見えるスカイツリーも、今日は雲の中に霞んでいた。

   演劇部は月末に迫った春の定期公演に向けて、最後の追い込みに入っていた。

   部員が少ないこともあり、今回は他の大学から客演を招いての公演である。

   役者の人数不足を解消する為の手段だったが、逆に準備は複雑を極め、

   部内にもピリピリしたムードが漂っている…はずだった」



第1場【大学体育館】


【演劇部のメンバー 二人ずつペアになり、基礎トレをしている】


菜月「腹筋50回、2セット目!いくよー!」

一同「はいっ!」

菜月「1!2!3!4!…24!25!…」

麻友「はひっ!ふへっ!ほぉっ!」

菜月「…45!46!47!…」

麻友「あがっ!いぎっ!うぐっ!」

菜月「…48!」

麻友「ふんぐぅぉ…」

菜月「49!」

麻友「んぬぅぐぅ…」

菜月「50!」

麻友「あんぎゅぉぉぉぉ…」

律子「おぉぉぉぉ!!きたぁぁぁ!!」

井口「50回2セット、ついに、出来た…」

拓海「長かったっすねぇ」

菜月「渡辺さん、お疲れ様ぁ!!」

麻友「ぜはぁぁぁ…ぜはぁぁぁ…ぜはぁぁぁ…」

律子「よく頑張った!感動した!」

井口「よし、休憩入ろうか」

菜月「お水、飲みすぎちゃダメだよ」

拓海「こいつ鼻水垂らしてますよ」

麻友「ありがどぉございまずぅ」


律子「いやぁ、人間って出来るようになるんだねぇ」

菜月「なんか感慨深いものがあるよね」

拓海「すっげぇ顔してたすけどね」

麻友「えへへへぇ」

井口「でも、これでやっとスタートラインに立ったか」

律子「ここからガンガン鍛えていくからね」

麻友「ひえぇ…ホントですか?」

なぎ「あの、みんな渡辺さんに甘すぎません?」

麻友「えっ?」

律子「はぁっ?」

菜月「まぁ、そうかもだけどさぁ。やっぱり初心者だし」

律子「出来なかったことが出来たんだから、喜んであげたって良いじゃん?」

拓海「初日なんか2回すよ!2回!」

なぎ「入部して2ヶ月ですよ。

   それでやっと基礎トレのメニュー出来るようになるって、

   言い換えれば2ヶ月何もしてないのと一緒じゃないですか」

麻友「ふぐっ!」

菜月「そうは言ってもさぁ」

律子「体力なんて個人差あるんだから仕方ねーじゃん!」

井口「入部の時に基準設けてる訳じゃないからね」

なぎ「1年生は春公演に出ないにしても、黒田は本格的な稽古に混じってるじゃないですか。

   彼女、本読みだって動きだって、まだ全然出来てない状態ですよ?」

拓海「そりゃ、ボクは一応経験者っすからねぇ。比べられても困るって言うか…」

律子「良いじゃん!良いじゃん!!これから上達してけばさ」

菜月「秋の学祭公演か冬の新人公演で初舞台が目標だよね、現実的に」

井口「これから秋まで、しごいてやるって」

麻友「あの、麻友子、ホントに頑張りますから」

なぎ「……」

律子「ねぇ?なぎさは何が不満なの?」

なぎ「別に…」

律子「言いたいことあるなら言いなよ」

なぎ「別に無いです」

律子「はぁっ?あんた『別に無い』って顔、全然してないんだけど!」

麻友「輿水先輩…」

菜月「ちょっと律姉!やめよう?」

井口「俺も、言いたいことあるなら言った方が良いと思うよ。

   それが麻友子ちゃんの上達に繋がることなら尚更ね」

拓海「うんうん。課題の共有は、解決の初歩すからねぇ」


なぎ「じゃあ言いますけど…彼女に対して、みんな甘すぎません?」

拓海「それ、さっきも言いませんでした?」

菜月「黒田、茶化さないで」

拓海「え?あ、スンマセン」

井口「なぎさ、続けて」

なぎ「彼女が入部して2ヶ月ですよ。春公演まで1ヶ月無いんですよ。

   いくら役貰えてないからって、あまりに何も出来なさ過ぎませんか?

   もし公演までに何か役者にあった時、代役は彼女で勤まるんですか?」

菜月「代役って、そりゃ今のレベルじゃ無理だろうけど。でもそれを期待するのもねぇ」

律子「そもそも役もらってるあんたが、それ言っちゃいけないだろうが」

井口「確かに他の部員の2ヶ月目に比べりゃ、渡辺さんは劣ってるかもしれない…

   でも、彼女が真面目にやってるのも確かだと思うよ」

なぎ「じゃあ、なんで井口さんと律子さんは、あの時あんなことしたんですか!?」

拓海「あの時?あんなこと?って何すか?」

菜月「しーっ!」

なぎ「ダラダラと馴れ合いみたいな部活は嫌だ、レベルの高いお芝居がしたいって、

   そう思ったんじゃないんですか?

   ウチはそう思ったから2人について来たんですよ!」

菜月「なぎさ…」

なぎ「なのに、今の状況は何ですか?

   何も出来ない1年生をチヤホヤして、すっかり馴れ合いじゃないですか。

   レベルの低い芝居なんかしたくないですよ!下手な部員なんかいりませんよ!」

井口「おい、なぎさ。言葉は選べよ」

麻友「あ、あのっ!」

菜月「渡辺さん?」

麻友「え、えっと…その、色々とご迷惑お掛けして、スイマセンでしたっ!」

菜月「えっ!?あっ!渡辺さんっ!?ちょっと!待って!」


【麻友子 その場から走り去る】


拓海「あーぁ、出て行っちゃいましたね」

菜月「あー!もぉ、なぎさ!今の言い方は酷すぎっ!」

井口「なぎさだって、入部した時は初心者だっただろ」

なぎ「そうですけど…だからって、何時までも下手で良いわけ無いじゃないですか」

菜月「何時までも下手って何?ちゃんと腹筋も出来る様になってるじゃない!

   それは成長とは言わないわけ?」

なぎ「……。今日は帰ります」

菜月「ちょっと!なぎさっ!なぎさってば!!」


【なぎさ 体育館から出て行く】


律子「はぁ…じゃあ、ちょっくら麻友子ちゃん探しに行ってくるわ」

拓海「でも、どこ行ったかなんて…」

井口「大丈夫。財布も携帯も置きっぱなしだから、そんな遠くまで行ってないでしょ」

拓海「あぁ、じゃあ僕も探してくるっす!」

井口「やれやれ。俺も行ってくるかな、コンビニまでタバコ買いに」

菜月「え、コンビニ?タバコ?

   ちょっと!私は?ねぇ、私はどうしたら良い?」

井口「菜月は部室で留守番。麻友子ちゃんが戻ってくるかもしれないし」

菜月「はぁーい…」


第2場【大学近くの神社】


【麻友子 境内のベンチに座り込んでいる】


麻友「はぁ…やっぱり麻友子にお芝居は無理でした。

   麻友子みたいなトロいのは、何をやってもダメですね。

   あ、新幹線だ!あれに乗ったらおうちに帰れるかなぁ」

律子「あれは新潟行きの新幹線だから、終点まで乗っても山口には着かないぞ」

麻友「ほわぁぁぁ!!」

律子「やっぱりここだったか」

麻友「輿水先輩!」


【律子 物陰から現れて、麻友子の隣に腰を下ろす】


律子「ここ良いよね。人目につかないし、静かで落ち着くし、眺めは良いし。

   やっぱり人は落ち込むと、見晴らしの良い場所に行きたくなるのかねぇ」

麻友「なんで、ここに居るって分かったんですか?」

律子「実は毎年さ、先輩のダメ出しに落ち込んだり、自分の力の無さを実感した部員はね、

   なぜか決まってこの神社の境内に辿り着くのよ。別に申し送りがある訳でもないのにね」

麻友「そうなんですか?」

律子「うん。井口も1年の時は先輩に思い切りダメ出しされると、よくここに逃げて来てたなぁ」

麻友「へぇ」

律子「なぎさも思う様に芝居が出来なくて、ここで自主練してるの見たことあるよ」

麻友「藍田先輩が?」

律子「あの子も大学から芝居を始めたクチだからさ。

   最初の頃は出来ないことばっかりで、色々と悔しい思いしてたみたい」

麻友「そうなんですか」

律子「まぁ、本人は黒歴史にしたいと思ってるだろうけどね」


律子「ねぇ、麻友子ちゃんはなぎさが怖い?」

麻友「え?いや、その、怖いって言うか…」

律子「やっぱり怖いか」

麻友「そ、そんなことは無いですけど、あの、そのぉ、ちょっと…だけ」

律子「だよなぁ。あれを本気で怒らせたら、あたしでも怖いもんな」

麻友「でも、藍田先輩が怒るのは、その、麻友子が上手く出来ないからで。

   演劇部は厳しいって藤岡先輩も最初に言ってたし、

   付いていけなくて辞めた人とか居るって言うぐらいで…」

律子「うーん」

麻友「きっと噂になってるような、虐めとかシゴキじゃないって…思いたいです」

律子「はぁっ?虐め?シゴキ? 何それ、噂になってんの?」

麻友「え?輿水先輩、知らなかったですか?」

律子「おぅ!初めて聞いた。それちょっと詳しく聞かせてごらん」

麻友「えっと、麻友子が演劇部に入った話を学科の友達にしたら教えてくれて。

   その子はサークルの先輩に聞いたらしいですけど」

律子「何て教えてくれたの?」

麻友「去年演劇部は虐めとかシゴキがあって、部員の半分以上が辞めたって。

   麻友子も気をつけた方が良いよって」

律子「なんじゃそりゃ!!」

麻友「そうですよ…ね?

   先輩は良い人だし、その時々ちょっと厳しいけど…

   でも虐めとかシゴキとかは無いですよね?」

律子「いや、うーん…」

麻友「え?違うんですか?」

律子「えーっと、その、なんて言うかさ。

   昨年度に部員の半分以上が辞めたっての、それは実際にあったことなんだ」

麻友「えぇぇぇ!!やっぱり虐めとかシゴキとか…」

律子「いや、それは無い。うん、そんなことは間違いなく無かったよ」

麻友「じゃあ何で辞めちゃったんですか?」

律子「方向性の違いって言うのかなぁ」

麻友「方向性の違い…ですか?」

律子「さっき、なぎさが口走ったけどさ。

   それまでの演劇部って、馴れ合いと言うか凄くダラダラした雰囲気でね。

   あたしや井口は、もっと真剣にレベルの高い芝居がしたいってずっと思ってたんだ」

麻友「藍田先輩も言ってましたね」

律子「うん。それで、菜月やなぎさと一緒に部活の雰囲気を変えようとしてさ。

   でもなかなか上手くは変わらなくて、結局半分以上の部員が辞めちゃった。

   それが去年に起こった出来事」

麻友「そうだったんですか」


律子「今ね、なぎさは責任を感じて焦ってるんだよ」

麻友「焦ってるんですか?」

律子「自分達が部活を変えることを望んで、それでいっぱい部員が居なくなって。

   なのに結果が出せませんでしたとか、レベルの低いままでしたとか、

   そう言う訳にはいかないって」

麻友「あぁ、そっか」

律子「でも、その矛先を麻友子ちゃんに向けるのは、間違ってると思うけどね」

麻友「……」

律子「ん?どうした?」

麻友「あの、輿水先輩」

律子「なに?」

麻友「やっぱり麻友子は演劇部に居られないです」

律子「え?ちょっと待て!ちょっと待て!」

麻友「麻友子、演劇部辞めさせてください」


【麻友子 勢い余って立ち上がる】


律子「おいおいおい!どうしてそうなるよ!」

麻友「だって、麻友子は皆の脚引っ張ってます。

   麻友子も上手くなりたいけど、一生懸命に頑張ってるつもりだけど…

   でも麻友子はトロいから!」

律子「いやいや、待てって」

麻友「トロい麻友子が居たら、いつまで経っても演劇部のレベルは上がらないです!

   麻友子は演劇部の迷惑じゃないですかっ!!」

律子「まぁ、座れ!な?ほれ、落ち着け!」

麻友「麻友子は演劇部に居ちゃいけないんです!

   麻友子が居たら藍田先輩はずっと悩んじゃいますっ!!」

律子「あー!もうめんどくせーなぁ!!ごちゃごちゃぬかすんじゃねーよ!!」


【律子も立ち上がり、麻友子を睨みつける】


麻友「あ、ごめんなさい…」

律子「芝居ってのはそんな簡単なもんじゃないわ!

   始めて1カ月や2カ月で上手くなったりしねーしっ!

   最初の1年なんか、下手でド下手でお荷物で当然なんだよ!芝居をナメんなっ!!」

麻友「……」

律子「あ、悪い。ちょっと興奮した」

麻友「いや、その、大丈夫です」


【麻友子と律子 並んで腰を下ろす】


律子「まぁ、そのなんだ。

   麻友子ちゃんは、少なくとも去年までダラダラやってたヤツらより、

   ずっと真剣に取り組んでると思うよ」

麻友「ホントですか?」

律子「うん、ホント。

   だから今は下手かも知れないけど、このまま真面目に成長していってさ。

   1年とか2年とか経って、その時に、

   今のあたし達よりレベルの高い芝居が出来るようになってれば、それで良いんだよ」

麻友「でも、それだとやっぱり藍田先輩は、ずっと悩んだままです」

律子「じゃあ、努力して早く上手くなろう?

   さっき麻友子ちゃん、自分で『上手くなりたい』って言ったじゃない」

麻友「はい、上手くなりたいです」

律子「それなら毎日を大切にして、なぎさが求めるレベルに少しでも早く到達しよう。

   それでなぎさの悩みを少しでも軽くしてやれば良いさ」

麻友「それで、大丈夫ですか?」

律子「なぎさと麻友子ちゃんはさ、上手くなりたい良い芝居がしたいって部分は一緒だから、

   絶対に大丈夫だよ」

麻友「はい」

律子「でもさぁ、麻友子ちゃんがそんな風に思ってるなんて、菜月が知ったら大喜びするぞ」

麻友「え?藤岡先輩が、ですか?」

律子「うん。今度みんなに教えてやろうっと」

麻友「えぇー!それはちょっと恥ずかしいですよぉ」

律子「良いんだよ。こう言うのは皆に知ってもらってこそ、意味があるんだから!」

麻友「うーん…そうなのかなぁ?」

律子「そうそう!間違いない!

   さて、そろそろ戻ろうか。ちょっと天気も怪しくなってきたしね」

麻友「あの、輿水先輩!」

律子「なに?」

麻友「麻友子にお芝居が上手になる方法、教えてくれませんか?」

律子「んー、それはなぎさに聞いてごらん」

麻友「藍田先輩に、ですか?」

律子「なぎさは麻友子ちゃんと同じで、大学から芝居始めてさ。

   そこから必死に努力して、ウチの自慢の役者に育った子だから。

   きっと色んなことを教えられると思うんだよね」

麻友「うん、はい。分かりました!」

律子「よし、良い返事だ。じゃあお姉さんが、ちょいと部室で秘策を授けてやろう」



第3場【なぎさバイト先(学習塾)】


【なぎさ バイトを終えて帰り支度をしている】


同僚「なぁなぁ、藍田!これからちょっと飲みに行かねぇ?

   一番街の奥の『GOLD』ってバー、知ってる?

   これがなかなか落ち着いた店でさ、なんて言うの大人な感じ?

   まぁ、荒大の学生じゃちょっと入りにくそうな所でさ。

   俺ぐらいだとちょうど良いかなってふいんきなんだけど…」

なぎ「スイマセン、明日も早いんで失礼します」

同僚「あっ…」


【なぎさが建物から出ると細かい雨が降っており、カバンから折り畳み傘を出して開く】

【麻友子 突然物陰から飛び出してくる】


麻友「藍田先輩!麻友子にお芝居が上手くなる方法、教えて下さいっ!」

なぎ「……」

麻友「麻友子、上手くなりたいんです!

   少しでも早く、藍田先輩が目指してるレベルになりたいんですっ!」

なぎ「……」

麻友「お願いします!絶対に諦めないで頑張りますから!お願いします!!」

なぎ「なんで居るの?」

麻友「え?えっと、藍田先輩のこと待ってました!」

なぎ「いつから?」

麻友「夕方からです」

なぎ「雨の中で?傘ぐらい無いの?」

麻友「あの、今日、傘持ってくるの忘れて。

   それで、取りに行ってる間に帰っちゃうかも知れないし」

なぎ「それで、ずっとそこに居たの?」

麻友「はい、そうです…」

なぎ「はぁ…」

麻友「ダメですか?教えてもらえませんか?」

なぎ「あのね…」

麻友「は、はいっ」

なぎ「上手くなる方法って、そんな魔法みたいなもんある訳無いでしょ」

麻友「無い…ですか」

なぎ「そんな方法があるなら誰だって実践して、とっくに上手くなってるに決まってるじゃない」

麻友「そう…ですよね」

なぎ「ウチが教えられるのは、せいぜい効率良く練習できる方法ぐらいだけど」

麻友「えっ?」

なぎ「それでも良い?」

麻友「あ、はい!ぜひお願いします!!」


【麻友子 なぎさの傘に入れてもらいながら歩く】


なぎ「あのさ、ホントにずっと待ってたの?」

麻友「はい!」

なぎ「明日にしようとか思わなかったわけ?」

麻友「だって輿水先輩が…あっ!」

なぎ「律子さん?」

麻友「これ内緒って言われたんでした」

なぎ「律子さんに、ずっと待ってろって言われたのね」

麻友「は、はい。あと井口先輩も…」

なぎ「井口さんも?」

麻友「演出こそが心を動かすとか言って…」

なぎ「雨に濡れても、そのままで居ろって?」

麻友「そうです…」

なぎ「あの2人、ホンマに…」

麻友「あの、麻友子がバラしたって言わないで下さいね!」

なぎ「はいはい」

麻友「絶対ですよ!約束ですからね!」



第4場【演劇部部室】


【なぎさを除く部員が集まって雑談をしている】


菜月「ちょっと!学食の食器を持ち込んだの誰?」

律子「井口に決まってんじゃん」

菜月「祐兄!ちゃんと返しておいてよ!」

井口「へいへい、3限出るついでに返しますよ」

律子「え?井口、3限出ちゃうの?」

井口「おい、それはどう言う意味だ?」

律子「だって、井口が真面目に講義出るなんて珍しいじゃん?明日の天気は大雪だな!」

井口「こら待て!俺だって、たまには講義ぐらい出るんだよ!」

拓海「『たまには』なんすね…」

律子「止めとけ、止めとけ!真面目に講義受けるなんてキャラじゃないし」

井口「じゃあ、もう3限出ねーよ!

   今日は部会終わったら、そのままパチンコでも行ってやるよ!」

菜月「何を訳の分からないこと言ってんの!

   部会始めるから取り合えず食器どかして!あと、必ず3限は出なさい!!」

麻友「まだ藍田先輩が来てません!」

菜月「え?なぎさ、まだ来てないの?」

律子「どうせ寝坊だろ?低血圧だし」

麻友「藍田先輩って低血圧なんですか?麻友子とお揃いです!」

井口「まさか2限も出てないって事は無いよな。出席あいつに頼んだのに」

拓海「2限もサボってたんすか?」

菜月「ちょっと!また留年とか絶対にやめてよ!」

井口「まだ6月だし楽勝!」

律子「それ去年も言ってなかった?」

井口「あ、そう言えば言ってたかも」


【なぎさが扉を開けて入ってくる】


なぎ「遅れてすいません」

律子「来た!来た!」

菜月「なぎさ!おそーーー…い?」

井口「あれ?」

麻友「それって…」

拓海「松葉杖…っすか?」


【なぎさ 松葉杖を突きながら不自由そうに椅子に座る】


麻友「藍田先輩、大丈夫ですか?」

なぎ「平気平気、たいしたこと無いから」

井口「で、どうしたのよ、その脚」

なぎ「昨日、転びました」

拓海「マジっすか!?ダッサ!」

菜月「黒田っ!」

拓海「あっ、すんません」

井口「どこで転んだ?」

なぎ「駅の、ロータリー出るとこの階段です」

井口「1人?転んだの?」

なぎ「はい。1人です」

井口「…そっか。1人か」

なぎ「はい」

拓海「輿水さん、なに怖い顔してんすか?」

麻友「おでこに皺が出てますよ」

律子「え?あぁ、ゴメンゴメン」


菜月「そのさ、結構、重症なの?」

なぎ「病院も行ったし、すぐ治るって」

菜月「それなら良いけど…」

井口「ギプスはしてないけど、結構腫れてるみたいだし。全治3週間ってとこか?」

菜月「えっ!?3週間?」

拓海「公演まで2週間しかないっすよ?」

麻友「それじゃ間に合いませんっ!!」

なぎ「大丈夫です!やれます」

菜月「なぎさ…」

なぎ「もう痛みもたいして無いから、動こうと思えば動けますし」

拓海「え?じゃあ、それなら?」

麻友「大丈夫なんじゃ…」

なぎ「全然余裕ですから。ほら」


【なぎさ 松葉杖を置いて立ち上がる】


律子「なぎさ、こっち向け」

なぎ「え?」


【律子が振り向いたなぎさの胸を突くと、簡単によろけて椅子に崩れ落ちる】


なぎ「あっ!いったっ!」

菜月「ちょっ!律姉!?」

麻友「輿水先輩っ!」

律子「軽く小突いたくらいで立ってられないやつが、何を言ってんだっ!!」

なぎ「でもっ!!」

律子「『でも』も『ヘチマ』もあるかっ!!黙って大人しくしとけっ!!」


井口「ほれ、菜月。どうすんだ、部長?」

菜月「あっ、えっと…」

なぎ「菜月、ウチ…」

菜月「なぎさは、降板」

なぎ「待って」

井口「代役は?輿水?」

律子「だいたい台詞と動きは入ってるから、明日には合わせてやるよ」

拓海「え?すっげぇ…」

菜月「代役は、律姉…には頼まない」

律子「ほげっ?」

なぎ「えっ?」

菜月「代役は、渡辺さん」

拓海「えぇぇぇ!!」

麻友「ままま麻友子でひゅかっ!?麻友子が、麻友子が藍田先輩の代わりでひゅか?」

拓海「さすがに渡辺じゃ無理っすよ!」

菜月「私は無理だとは思わない。

   そもそも無理かどうかなんて、やる前から決めることじゃないもの」

拓海「それはそうっすけど」

なぎ「やっぱりウチ大丈夫だから」

菜月「なぎさは黙ってて」

なぎ「でも…」

井口「ホントに、それで良いんだな?」

菜月「うん。あたしは、お芝居が上手くなりたいって言った、渡辺さんの気持ちに懸ける。

   それに答えようと思ったなぎさの気持ちも信じてる」

麻友「藤岡先輩…」

なぎ「菜月…」

菜月「渡辺さん。なぎさの代役、お願いします」

麻友「…は、はいっ」


拓海「あの、でも何で輿水さんじゃダメなんすか?」

菜月「そりゃ律姉の方が、すぐに合わせられると思う。

   けど、今が就活の一番大事な時期だもん」

律子「いやいや、公演終わってからだって、いくらでも就活は間に合うって」

菜月「律姉、公演の初日に大事な面接があるって言ってたじゃない」

律子「でもあれは、その、別にそんな入りたい会社って訳でも…」

菜月「書類審査が通った時、凄く喜んでたじゃない?」

律子「ぐっ!まぁ、それは何て言うか…」

菜月「だからさ。今は全力で就活に取り組んで」

律子「全力で就活に?」

菜月「うん」

律子「……。井口…」

井口「分かってるよ」

律子「よし。じゃあ、任せた!」


菜月「祐兄、客演先と裏方さんに配役の変更を連絡!」

井口「了解」

菜月「なぎさ、渡辺さんに一週間で台詞を叩き込ませて!」

なぎ「……」

菜月「なぎさ!」

なぎ「…ごめん。渡辺さん、ごめん」

拓海「藍田先輩!?」

麻友「ま、麻友子は、その、だだだ大丈夫でひゅかりゃ!!」

なぎ「みんなも、本当にごめんなさい。

   あれだけ偉そうなこと言ったのに、こんな様でウチ役者失格だ」

菜月「なぎさ…」

麻友「麻友子、藍田先輩のぶんも一生懸命頑張ります!」

律子「別になぎさが全部悪いわけじゃねーだろ」

拓海「そっすよ!こう言うのは誰にでも起こりうることっすから」

菜月「うん、起こっちゃった事は仕方ないじゃない」

井口「失敗した時は、菜月が全部の責任被るってさ」

菜月「え?私!?」

井口「部長は菜月だし、いま代役を決めたのもお前だろ?」

菜月「まぁ、そう言われればそうなんだけど」

なぎ「菜月、ごめんね」

井口「そこは謝るところじゃないな」

律子「そうそう。あたしなんか、何もしないことになったんだから!

   あたしに謝る必要はどこにも無い!」

井口「輿水は何もしないんだから、面接受かったら俺たちに飯を奢れよ」

律子「え?普通は逆だろ?」

井口「あ、落ちたら奢れって言うべきだった?」

律子「そこじゃねーよ!!」

拓海「酒もつけろって言えば良いんじゃないっすか?」

律子「おい、黒田!調子に乗るな!」

菜月「あたしも律姉に奢られたいなぁ」

麻友「麻友子にもパフェごちそうしてくださーい!」

拓海「そうっすよ!初舞台の渡辺には奢られる権利があると思うんすよ!」

麻友「はっ!そそそそうでした・・・麻友子、藍田先輩の代役でででで」

菜月「あー!もうせっかく渡辺さん忘れてたのに!」

拓海「すんません…」

井口「なぁ!なぎさも輿水には奢ってもらいたいだろ?」

なぎ「そうですね、さっきの出来たら奢ってもらおうっと。

   渡辺さんに台詞を一週間で叩き込めば良いんだっけ?菜月?」

菜月「え?さっき、あたし何て言ったっけ?」

井口「うわぁ、締まらねぇなぁ菜月は」

律子「珍しく格好良い仕切りだと思ったのに」

菜月「えー!ごめん!じゃあもう1回!!」

井口「はいはい。ビシッと決めてくれよ」

菜月「じゃあ行きますよ!

   なぎさは、渡辺さんに一週間で台詞を叩き込ませる!」

なぎ「任せて」

菜月「祐兄は、客演先と裏方さんに配役の変更を連絡!」

井口「了解」

菜月「黒田は、告知関係に修正かけるように!」

拓海「イエスマム!」

菜月「律姉は、面接に向かって集中!」

律子「奢れよお前ら!」

菜月「渡辺さんは、みんなに全力で付いて来ること!」

麻友「ががが頑張りまひゅ!」

菜月「よーし!あと2週間、みんな全力でいくからねっ!!

   せーのっ!えいえいおー…い!」

一同「……」

菜月「ねぇ、何で誰も一緒にやってくれないの?ねぇ?ねぇってばぁぁぁぁ!!」



第5場【春公演の行われる劇場】


【春公演初日 井口が劇場の喫煙所で外を眺めている】


井口「あーぁ…雨、朝より強くなってるよなぁ。

   演出的には完全に不穏な空気って感じじゃん。

   これだと客入りも伸びそうにないな。

   あ、でも麻友子ちゃんにプレッシャーが掛からないって意味では、少ない方が良い?

   でも、初舞台の緊張って、客入りとか全然関係無いしなぁ」

篠宮「何をブツブツ呟いてるんですか?」

井口「あ、篠宮」

篠宮「ヘルプのスタッフさんへの説明やっておきました。

   届いたフラワースタンドは受付横に設置済みです。

   技術さんには休憩に入ってもらってますよ」

井口「毎度毎度、本当に助かります。関係ないウチの部のために」

篠宮「別に、演劇部のためにやってる訳じゃありませんから。

   それと受付は黒田くんで良いんですね?」

井口「うん。いま役者と一緒にメイクと着替えやらせてる」

篠宮「女装させるんですか?」

井口「男の格好で座ってるより、よっぽど華やかだろ?」

篠宮「それは検討する余地もありませんね」

井口「なぎさでも良いかと思ったんだけど、あいつ今日は、それどころじゃないだろうし」

篠宮「そう言えば配役ですけど…

   いきなり一年生を抜擢なんて大丈夫なのか?って心配の声も上がってますが」

井口「まぁ、こればっかりは、始まってみないと何とも言えないよね。

   一応やれるだけはやってみたけどさ」

篠宮「客の入りも重要な要素ですからね。

   演劇初心者の一年生で実験するような余裕は、あまり無いと思いますよ」

井口「別に好きで配役変えたりしてねーよ」

篠宮「私は事情を知ってますけど、実際評価されるのは数字って事です」

井口「そこら辺は痛いぐらい分かってるって。俺だけじゃなくて全員が。

   ここで結果出しておかないと、色々と苦しいだろうってさ」

篠宮「あの話、他の部員にも話したんですか?」

井口「いや、あの話はまだ輿水だけ。

   ただ、あれを知らない菜月やなぎさも、今回の公演が正念場だと思ってるさ」

篠宮「そう言うことですか」

井口「あっ、そう言えば、この前頼んだ調査は何か分かった?」

篠宮「色々と伝手を使って、聞き込みしたり防犯ビデオ見たりしたんですけどね。

   残念ながら、井口さんの予想を裏付ける情報は掴めませんでした。

   藍田さんが自分から言わない限り、真相は分からないと思います」

井口「そっか。でもなぎさは言わないだろうからなぁ。となると、このままか」

篠宮「全部話しちゃえば良いんじゃないですか?そしたら藍田さんも…」

井口「いや、やっぱりこれは、俺と輿水でケリつけたいんだよね。

   特に1年生なんか何も関係ないだろ?

   そこを巻き込むことにはしたくないんだ」

篠宮「そんなに上手くいきますか?」

井口「まぁ、やれる所までやってみるさ」



第6場【劇場楽屋】


【本番に備えて役者がメイクをしている】


拓海「すいませーん!ボクのウィッグ知りません?」

菜月「ウィッグ?」

拓海「さっきここに置いたんすけど、トイレから戻ったら見当たらなくて」

菜月「えー!誰かの小道具と混ざったんじゃないの?」

拓海「早く受付に来いって、井口さんに言われてるんすよー!参ったなぁ」

菜月「こっちは忙しいんだから、ちょっと自分で探して!

   舞台に上がる訳じゃないんだから、最悪無くても良いじゃない」

なぎ「いや、さすがにゴスロリ着て、髪の毛そのままってマズいでしょ」

拓海「そうっすよねぇ… あっ、渡辺!ちょっとそれ!」

麻友「へっ?ななな何ですかっ?」

なぎ「あったの?」

拓海「どいて!ケツどかして! こいつボクのウィッグ、ケツで踏み潰したー!」

麻友「あ、あの、その、ご、ご、ご、ごめんなさいっ!」

菜月「こら!渡辺さんにプレッシャーかけないで!」

麻友「すいませんっ!」

なぎ「いや、あんたが怒られてないから」

拓海「これ一番のお気に入りなんすからね。変な痕がついたらどうしてくれんすか!」

菜月「もう黒田はとっとと受付に行って!」


なぎ「ほら、渡辺さん。メイクの続きやるよ」

麻友「は、はいっ!」

なぎ「右向いて」

麻友「……」

なぎ「それ、左」

麻友「あわわわ!すいませんっ!」

なぎ「…よし。じゃあ左」

麻友「は、はいっ!」

なぎ「…うん、できた。じゃあ目を大きく開いてみて」

麻友「……」

なぎ「口は開けなくて良いから」

麻友「はっ!すいません…」

なぎ「汗、すごいね」

麻友「おしっこ行きたくなっちゃうから、なるべく飲まないようにしてたんですけど」

なぎ「良い心掛けだと思うよ」

麻友「でも、またおしっこしたくなっちゃいました…」



第7場【舞台袖】


【開演を知らせるブザーが鳴る】


麻友「はうっ!」

井口「さぁ、いよいよだぞ」

麻友「藍田先輩…」

なぎ「大丈夫。絶対に上手くいくよ」

麻友「そ、そうですか…?」

なぎ「うん、大丈夫。出来る事は全部やったし大丈夫」

麻友「でも、そのもし失敗したら…」

なぎ「絶対に上手くいくから。出来る事は全部やったんだし」

麻友「でも、麻友子がもっと早くに台詞や動きを覚えたり、体力があったりしたら…」

なぎ「大丈夫。心配しなくても上手くいくよ」

麻友「でも今、脚が凄い震えてて…」

なぎ「絶対に上手くいくから大丈夫だよ」

井口「なぎさ…?」

なぎ「大丈夫ですよね、井口さん?出来る事は全部やったし、上手くいきますよね?」

井口「うん、俺もそう思うよ。この2週間、全員がやれることやったって」

麻友「そ、そうですか…?でも、もし失敗したら…」

井口「それは、もう考えても仕方ないことさ」

なぎ「大丈夫、絶対に上手くいく。絶対に大丈夫…」


【拓海と律子が舞台袖に駆けこんでくる】


律子「井口っ!」

拓海「井口さん!渡辺は?」

麻友「輿水先輩と黒田くん?」

井口「輿水、面接は?黒田も受付どうした?」

律子「ちゃんと受けてからタクシーで直行してきた」

拓海「篠宮さんに代わってもらったんで、受付も問題ありません」

井口「こっちは次の暗転で出るから、あと数分かな」

律子「よし、ギリで間に合ったな!」

拓海「良いか、渡辺!舞台に出たら自分を神様だと思えよ!

   お前は、この舞台で一番偉い神様だ!全てはお前の思い通りになる。

   ミスなんかしないし、緊張も感じないし、お前のやる事こそが正しい!

   誰にも邪魔されることの無い神だ!」

麻友「か、神様でひゅか!?」

律子「ちげーよ!!あのね、麻友子ちゃん。

   観客は全部カボチャだと思えば良いから。畑の真ん中に転がってるカボチャ。

   何も見えてないから、こっちが失敗しても緊張しても怖くない。

   あいつらは感情も感覚も無いカボチャだからな!」

麻友「カボチャ?お客さんはカボチャでひゅか?」

拓海「違いますって!神ですよ、神!良いな、自分を神だと信じろ!」

律子「カボチャだよ、バカ!あいつらは全員役立たずのドテカボチャだ!」

麻友「えっ!えっと、その…」

井口「もうどっちも黙れ! さぁ、この菜月の台詞が終わったら暗転して出るからな」

麻友「はははは、はひっ!」

拓海「やれる!ぜってぇお前ならやれる!」

律子「ミスをビビるな!ミスったって良いんだ!」

麻友「はひぃぃぃぃ!!」

律子「なぎさ、お前も何か言ってやれ!」

拓海「藍田さん、一発気合入れてやって下さいよ!」

なぎ「渡辺さん…」

麻友「な、なんでひょう?」

なぎ「お願い、この部を助けて。この演劇部を守って。お願い…します」

律子「なぎさ…」

拓海「藍田さん…」

麻友「……」

井口「さぁ、出るぞ!麻友子ちゃん!」

麻友「……」

律子「麻友子…ちゃん?」

拓海「おい!渡辺…」

麻友「大丈夫ですよ、藍田先輩。

   麻友子は…麻友子は、お姉ちゃんですからね」


【麻友子 スッキリした顔で前だけ向いて舞台に出て行く】

【後に残された4人は呆然と見送る】


拓海「あの、いま渡辺、お姉ちゃんって言いませんでした?」

井口「やっぱり?確かにお姉ちゃんって聞こえたよな?」

拓海「どう言う意味なんですかね?」

井口「さぁ、なんだろうね?後で聞いてみるか?」

律子「黙れ、2人とも。

   見なよ、舞台にエラい堂々とした役者が居るぜ」

なぎ「律子さん…ウチ、鳥肌が立ってます」

律子「気が合うね、なぎさ。私もさっきから鳥肌が立ちっぱなしなんだ。

   もっともアンタみたく号泣はしてないけどね」

なぎ「えっ!嘘っ?いやっ、これは…」

拓海「え?号泣?藍田さんが?」

井口「あぁぁぁっ!!」

なぎ「あぁっ!渡辺さんっ!」

拓海「えっ?何すか?

   あっ、マジ?渡辺、お前…」

律子「あーぁ…あのバカ、舞台の真ん中でコケやがった…」



第8場【赤羽駅西口『スタバ』店内】


【菜月となぎさが公演のアンケート集計をしている】


菜月「ホントに普通のラテで良かったの?私の奢りだから、好きなもの頼んで良いのに」

なぎ「いや、別に遠慮とかしてないし。菜月こそ、よくそんな甘いの飲めるね」

菜月「これ美味しいんだよ!

   ホワイトモカフラペチーノにバニラシロップとデンジャラスホイップ追加して、

   チョコソースとチョコチップをエクストリームトッピングするの」

なぎ「うわぁ、聞いてるだけで胸焼けしてきた」

菜月「えー!そんなこと無いのになぁ」


なぎ「そう言えば律子さん、こないだの面接コケたんだって?」

菜月「あ、うん。結構本気で頑張ってたから、受かって欲しかったんだけど」

なぎ「律子さんと会った?」

菜月「昨日部室で会ったけど、思ってたより元気だったよ」

なぎ「ふーん…」

菜月「でもね、しばらく就活に力入れたいって」

なぎ「じゃあ、部活は…」

菜月「内定出るまでは休ませて欲しいって頼まれた」

なぎ「そっか」

菜月「ちょっとやり繰り大変だけど、こればっかりは仕方ないよね」

なぎ「もう4年生だから、本来なら引退してるはずだしね」

菜月「そうなんだよなぁ。何となく、律姉が居ることが当たり前みたくなってるけどさ」

なぎ「まぁ、役者の数が足りないから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど」

菜月「でも、なぎさのお陰で渡辺さんにも目処が立ったし、

   律姉が帰って来た時に備えて夏の間にレベルアップしとかなきゃね」

なぎ「あれを目処が立ったって、言って良いのか分からないけど」

菜月「凄かったのは、あの出だしだけで、コケた後は見事にグダグダだったもんね」

なぎ「その後の2日間も結局グダグダのままだったし。

   むしろ回を追うごとに酷くなってたからね」

菜月「まぁねぇ、祐兄は最終日に見たOBから、配役ミスだの演出の力不足だの、

   かなり非難浴びたみたいだし」

なぎ「あのインパクトは凄かったんだけどね」

菜月「ね!舞台に上がってきた時、私も別人かと思ったもん。

   一瞬、完全に呑まれたって言うかさ…

   なぎさなんて泣いてたんでしょ?」

なぎ「えっ!ちょっ!その話、誰から?」

菜月「律姉が教えてくれたもーん!

   渡辺さんのお芝居見て、鳥肌立てながら号泣してたって」

なぎ「…もう今日は帰る」

菜月「待って!嘘!いや、嘘じゃないけど!

   ごめん!帰らないで!!なぎさ!なぎささーん!!」

なぎ「はぁ…公共の場で芝居仕込みの大声出さない」

菜月「あ、スイマセン…」


菜月「そう言えば、足の具合も結構良くなってきてるんでしょ?」

なぎ「もう来週には復帰できるよ」

菜月「よし、じゃあ学祭公演に向けて、みんなで頑張っていきますか?」

なぎ「そうだね。ただ…」

菜月「ん?何かある?」

なぎ「これは誰にも言ってない事なんだけど、実は気に掛かってることがあって…」

菜月「なに?なに?」

なぎ「あのさ、ウチが怪我した時に、1人で転んだって言ったじゃない?」

菜月「あー、駅前の階段でね」

なぎ「あれ、本当は突き飛ばされて転んだんだ」

菜月「えぇっ!!誰に!?」

なぎ「ちょっと!声!」

菜月「あ、ごめん。でも、誰に?」

なぎ「はっきり誰か…まで分からないけど、

   あの日、何度か元部員を見てさ。いま思うと、後をつけられてたのかな…って」

菜月「元部員って誰?」

なぎ「水野とか椎名とか」

菜月「それって…」

なぎ「うん。演劇同好会に参加してるやつら」

菜月「じゃあ、突き飛ばしたのは同好会のメンバーってこと?」

なぎ「はっきりとした証拠は無いんだけど、その可能性は高い気がする」

菜月「そっか… でも、なんでなぎさは突き飛ばされたって言わなかったの?」

なぎ「それはさ、ウチも含めて、みんなアレは終わったことって認識だったでしょ?

   なのに今になって不安にさせたくなかったし…

   何よりあの時は、居たのを見ただけで突き飛ばされたかどうか確証も無かったから」

菜月「あぁ、なるほどね。うん、確かにそうだよなぁ。

   私も、今なぎさの話を聞くまで、部を辞めた人間のことは頭に無かったもんなぁ」

なぎ「でしょ?」

菜月「うん。あっ、この話は律姉や祐兄にした?」

なぎ「ううん、言ってない。けど、井口さんは何か心当たりがあるんだと思う。

   怪我した時の状況の聞き方が、何か含んだ感じだったし」

菜月「となると、律姉も何か知ってるよね」

なぎ「たぶんね。けど、2人が何も言い出さないってことは…」

菜月「今は、まだ動くタイミングじゃない…」

なぎ「ってことだろうね」

菜月「けど、なんで同好会のメンバーは、そんなことするんだろう?

   私たちが芝居を続けてることが羨ましいとか?」

なぎ「でも同好会を立ち上げて、好き勝手にやってる訳でしょ?

   こっちと日程被せて公演もやったみたいだし」

菜月「じゃあ単純に、部を追い出されたことへの逆恨みかなぁ?

   あれは手段としては、なかなか過激な追い出し方だったからね」

なぎ「あいつらが由佳にしたことと比べれば、それほどじゃ無いよ」

菜月「まぁ、あれと比べたらそうかもしれないけどさぁ」

なぎ「ともかく、ウチを突き飛ばしたのが同好会のやつらだとすれば、

   次は菜月の可能性が高いと思う」

菜月「え?私?祐兄や律姉じゃなくて?」

なぎ「もし動機が追い出された恨みなら、

   そもそもウチの前に井口さんや律子さんを狙うと思わない?」

菜月「あっ、確かに。あの時、中心で動いてたのは祐兄と律姉だもんね」

なぎ「そう。ウチらも賛同したけど、いわゆる首謀者はあの2人でしょ?」

菜月「なのに2人じゃなくて、先になぎさを狙ったとしたら、その目的は…」

なぎ「ウチらを個別に怪我させることじゃなくて、

   演劇部の公演や活動そのものに被害を出すことじゃないかと思うんだ」

菜月「確かに、公演の二週間前って時期を考えても、その可能性は高いかもしれない!」

なぎ「だとすれば、しばらく就活で部活を休む律子さんは、ターゲットから外れる」

菜月「あっ!」

なぎ「そして、怪我した時の影響を考えると、脚本と演出の井口さんは優先順位が下がる」

菜月「確かにそうだね!

   役者の怪我は公演に大きく影響するけど、脚本や演出ならそこまで響かないもんね」

なぎ「そう。そしてそれは、春公演で役が貰えなかった黒田や、

   OBからダメ出しされるレベルの渡辺さんも同じことが言える」

菜月「となれば、次に狙われる可能性があるのは、私だ…」

なぎ「そう言うこと。だから菜月も、なるべく気をつけて」


ナレ「なぎさの忠告を受け、その日から菜月は、緊張した毎日を過ごすことになった。

   だが予想に反し、驚くほど何事も無い日々が続く。

   そして7月に入り、大学はテスト期間を迎えた。

   この間は部活も活動を休止し、その後は夏休みに入る。

   そのため、テスト期間に入ったタイミングを持って、菜月の緊張も少し和らぐこととなった。

   だが、これが終わりでは無いだろうと言うことを、菜月は強く感じていた。

   さぁ、次回の荒大演劇部は…」


菜月「皆さん、こんにちは。荒大演劇部3年、部長の藤岡菜月です。

   『部長の』藤岡菜月ですよ。大事なことなので2回言いました!

   本日は『走れ!荒大演劇部 第3幕 転んだ人の話』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。

   今回は、私も頼りがいのある部長っぽい所をお見せできたと自負しておりますが、

   いかがだったでしょうか?

   えっ?そんな場面あったっけ?

   あったでしょ!どこ見てたのよ!

   結局グダグダになってた?

   そんなこと無いもん!あったもん!絶対にあったもん!!

   もぉ、みんな私のこと馬鹿にして!!

   次回は何も言わせないぐらい格好良いところ、見せてやるんだからっ!

   と言うことで、次回『走れ!荒大演劇部 第4幕 』を楽しみにお待ち下さい!

   あぁ!もう!みんなが虐めるからスタバ行ってやる!

   ホワイトモカフラペチーノにバニラシロップとクレイジーホイップ追加して、

   チョコソースとチョコチップをアンビリーバボートッピングして飲んでやるもんねっ!」


第三幕 了



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