第三話 強襲!黒サンタ空挺部隊
まだ陽の高い時間だった。突然、夜の帳が空を覆った。
青空を塗りつぶしたのは、見たこともない黒雲だった。
街の人々が不安そうな目で空を見上げていた。
「何?あれ」
少女が叫び指し示す方向に人々が視線を向ける。
雲上の光がわずかに漏れる黒い天井に小さく開いた穴。そこから、地上まで細い光が線を引いていた。
その光の道を奇妙な黒い影がゆっくりと降下してくるのが見えた。
それは風船にぶら下がった人間に見えた。
大きな丸い球体に人型の物がぶら下がっていた。
「サンタだ!おかあさん!あれ、サンタだよ!」
件の少女のはしゃぐ声が響く。
暗がりの薄い光の中、ゆっくりと舞い降りてくるその影は、浮力を持ったプレゼント袋にぶら下がったサンタの姿をしていた。
人々がそのサンタのような小さな人影を追っているうちに、黒く塗られた空に開いた光の穴が、一つ、また一つと数を増し、さながらプラネタリウムのように偽物の星空を形成していく。
その星明かりが射す一つ一つ光の道に、風船にぶら下がった人影があった。
サンタの軍団が舞い降りつつあった。
しかし、ぐんぐんと降下してくるそれが地上に近づいて来るに従い、その衣装が真っ黒であることが明らかになってきた。
サンタ軍団の降下に興奮して飛び跳ねていた少女の動きが止まる。満面の笑みが、それの異様さに固まる。
母親の手を握り、その表情を確かめようと見上げる少女。
サンタを見上げる母親は、口を半開きにしたまま、その心情は定かではない。
母親だけでなく、周辺の大人たちが、みな同じようにポカンと空を眺めていた。
「お母さん?」
掴んだ母親の手を、恐る恐る引っ張る少女。
ハッとした母親が、自分の手を引く娘を見下ろす。
他の大人たちも次々と我に返り、シンと静まり返っていた周囲が一気にざわつき始めた。
スマホをかざして撮影を試み始めた者も現れ始めた。
ざわつきはやがて喧噪に変わる。電話をかける者、あれは何かと隣人に問う者……。
その喧噪を切り裂くようにサイレンが響いた。
喧噪と切り替わるように、サイレンの音が響き渡る。
地上から照射された何本ものサーチライトの光が、黒いサンタクロースの全容を掴もうと、上空を交差し、走査する。
治安の悪い国だった。
弾痕が残った建物の壁は修復されることはなく放置されており、道路は所々大きくえぐれていた。
国境の向こうから跳んでくる砲弾が日に何度も着弾した。定期的に空爆も行われていた。
戦線の膠着状態は何年も続き、物流は止まり、経済は停滞していた。
同盟国からの援助は行きわたらず、人々は飢えていた。
そんな国の少女に歓喜を与えたサンタの幻影は、一転恐怖となって人々に襲い掛かった。
(敵襲?)
群衆が一斉に走り出す。
けたたましいセイレーンの絶叫。呼応するような人々の悲鳴、怒号。大地を揺らす人々の足音。
逃げる母親に抱えられた少女は、上下に揺れる視界の中で、未だその黒いサンタの姿を追っていた。
「ズシーン!」
ふわりと舞い降りるかのように思われたそれは、思いのほか大きな地響きを立てて着地した。
「ズシーン!」
「ズシーン!」
「ズシーン!」
黒いサンタが次々と着地する。
「ズシーン!」
「ズシーン!」
「ズシーン!」
鈍い地響きがあちらこちらから響く。
「ズシーン!」
「ズシーン!」
「ズシーン!」
風船のように浮かんでいた黒いプレゼント袋が、着地と同時に本来の自重を取り戻す。黒いサンタがその袋をがっしりと肩に担ぐ。
地面に半ば埋もれた足を引き抜き、最初に着地したサンタが第一歩を踏み出した。
「ズン!」
着地の衝撃程では無いにせよ、その一歩一歩は重く、歩を進める度に足元の地面を深く沈める。
それは顔中に白いひげを蓄えた温厚そうな老人だった。
それは、見慣れたサンタの衣装に身を包んでいた。その衣装の本来は赤い部分が黒いという色の違い以外は、まさしくサンタその物のいでたちだった。
「ズン!」
「ズン!」
地響きを立てて、無数のサンタが進軍する。
「ズン!」
「ズン!」
一歩一歩、歩を進めるごとに土煙が上がる。
「ズン!」
「ズン!」
バラバラに降り立ったサンタたちは集結をはじめ、次第に隊列を形成しつつあった。
「ホッホッホー」
サンタが笑う。
だが、その笑い声には感情が微塵も感じられなかった。
「ズズン!」
「ズズン!」
「ズズン!」
足並みを揃えたサンタ軍団が進む。
「ホッホッホー」
乾いたサンタの笑い声が響く。
「……はい、○○国首都××、昨日の現地時間13時頃の映像でした。放送予定を変更してスタジオから生放送でお送りしております。この映像の送信以降、現地スタッフとの連絡はできていません……△△さん、これはいったい何が起こっているのでしょう」
「敵対する□□国空挺部隊の強襲と思われますが……」
「サンタクロースの衣装に見えますね」
「このふざけた格好の意図するところは不明ですが……降下手段もどのような装備によるものか……見たことがありませんね……あんなもの」
画面下に軍事評論家△△のテロップ。
「ここ一年ほど、□□国は定期的な砲撃と断続的な空爆を○○国に行っていましたが、直接的な侵攻作戦は展開していませんでしたよね」
「ええ、実質嫌がらせの意味合いが強いものですね。○○国の支援国、特にA国との交渉を前提とした揺さぶりですね」
「ちょっと待ってください。○○国との中継が繋がったようです。特派員の**さん?」
画面左上にLIVEの文字。
ヘルメットをかぶった男性の姿が映る。
「はい。**です。まずは街の様子をごらんください」
マイクを握った現地レポーターの努めて冷静に伝えようとするその口調は、心なしか早口だった。
それは敵国の侵攻を受けた後の街の風景だとは思えない異様な光景だった。
最初に目を引いたのは、街一番の高層ビルだった。それには一面に見慣れたゲームのキャラクターである黄色い電気ネズミが壁面いっぱいに描かれていた。
カメラがズームインしていく。拡大されたビルの下から上にパンする。引きの絵では綺麗に描かれているように見えたそれは、かなり乱暴にペンキがぶちまけられたようだった。
ズームアウト。映像はビルの全体像から街の全景へと移る。
死傷者の類いは見当たらない。
昨日の出来事だ。収容された後だろうか。
だが、血痕の後や、街自体が破壊されている様子はなかった。
ただ、あのサンタ軍団が踏み固めただろう道路が、深くくぼんでいるのが認められた。
カメラが救急車両をとらえる。
ズームインする映像の先に、腰まで埋まった現地人を救助しようとする救急隊の姿が映し出される。
「あのように、地面に腰まで埋められた方が何人かいるようです」
「埋められたのですか?」
スタジオ軍事評論家の戸惑う声。
「はい。街の損壊によって埋まったのではなく、一人一人埋められたとのことです」
「死傷者は出ているのでしょうか」
「埋められた方々は軽傷、あるいは無傷だとのことです。それ以外で死傷者は確認されておりません。ただ、行方不明者が数十人か報告されています」
再び映像はズームアウトし、街の風景を見回すように、横にパンする。
先ほど大規模すぎる黄色電気ネズミのストリートアートに目を奪われてしまっていたが、その他の中小規模のビルにも、脈絡の無さそうな様々な絵が描かれているのが認められた。
白い手袋をした黒ネズミやセーラー服を着たアヒルが描かれたビルや、幾何学模様、単語になっていないアルファベットの羅列、漢字のような物、さまざまな物が建物の至る所に描かれていた。
それら無秩序なストリートアート群から、なんらかのメッセージ性を読み取ることはできなかった。
「あれはなんでしょう!」
映像に違和感を認めたスタジオのアナウンサーが、現地に呼びかける。
ゆっくりと横に流れていた映像が停止し、指摘されたものを探しに戻っていく。
「あ!それですそれ!動いているの!小さいの!」
カメラがその小さな影をズームアップする。
二本足で直立する小さなそれは、長い三角帽子をかぶったひげ面の老人に見えた。
「え?サンタ?」
画面に大きく映し出されたそれにざわつくスタジオ。
「いえ、現地の方の証言によりますと、あれはノームだそうです」
「ノームとはなんですか?あれは以前からそちらに居たものなのですか?」
「伝説上の精霊だそうです。説明くださった現地の方も見たのは初めてだそうです。昨日の出来事以来、そこら中で見られるようになったとのことです」
体長15センチメートル程のそれは、気配に気が付いたのか一瞬カメラのレンズを覗くように画面の向こうからこちらを見つめた。
そして次の瞬間、瓦礫に身を潜めてしまい、カメラがいくら探しても、再びその姿を捕えることはできなかった。
○
画面右下に『消音』の文字。
テレビは未だ現地での映像を映し続けているが、それ以上の追加情報はなさそうだった。
「あれってお前たちの仕業じゃないの?」
「シュラ君、私たちとあれは無関係だよ」
初老紳士ボディのライトが答える。
そして、小さな声で「なにが起こっているのか……」と、つぶやいた。
「なンか、面白いことが起こっているのだー」
陽子の膝の上で抱っこされている少女人形がニコニコしながら皆を見渡す。
「行方不明者が出ているっていうのに、面白いとか言うものではありませんよ」
陽子がレフトの頭を優しくポンポンと叩いた。
「むぅ~」
レフトがふくれる。
(ふくれるんだ!?)
木材だけで作られているというレフトの、そのプッと膨らませた頬っぺたを見て、いったいどうゆう構造なのだろうと思う。
それはともかく、謎の高い科学技術を持つと思われるサンタ集団が、ここのサンタを名乗る者たちと全く無関係とは思えない。
「彼らがそう名乗っているわけじゃないでしょ」
俺の疑問に陽子はそう答える。だが、あの衣装は名乗っているのも同じことのように思えた。
「ことを起こした集団からは、なんの声明も出ていないようだしな」
ライトが陽子の意見に同意する。
「そうですね、そして、映像を見る限り、彼らが残していった物にはなんのメッセージ性も感じられませんよね」
「むしろ、あえてメッセージ性を消しているようにも見えたな」
「特に、アルファベットの無意味な綴りとかは、かえって不自然ですよね」
「ノーム欲しい!」
陽子とライトの会話に割って入るように、膝の上のレフトが両足をバタバタさせながら叫ぶ。
「人形的な何かでしょうか」
「あんなものを放置していったら、そのうち捕獲されて分析されるだろう。あれだけのことをした後に遺留品も残さず撤退した者が、そんなリスクを残すか疑問だね」
「あえて、意図を隠すように無意味を演出して行ったのだとしたら、それは少し考えづらいですよね」
「意図といえば、サンタの衣装。そしてそれがあえて黒にしているあたりは、なんらかのメッセージ性が感じられるかな」
「私たちに対する?」
「未だ何もしていない我々に?」
「でも調査行動に対して妨害工作は何度もありましたよね」
「調査行動にどうして気が付いたのか不明だが、あの勢力と同一とは思えない。あれらは主に情報戦での妨害だったからね。物理的な活動としては、シュラ君の家を爆破したあの事例以外確認できていない……いや、あの事例は、もしかしたら黒サンタの勢力なのかも……。我々と敵対していた勢力とは別の何かか」
「私たちに対抗勢力がいると思っていたのは、実は1つではなく2つだった可能性が高いということですか」
「いずれにしろ、どちらにしろ、敵対勢力が何なのかはわからないままだ。黒サンタ勢に関していえば、我々に対して直接干渉してきたことはないと考えられる。我々の存在を捕捉しているかも怪しいだろう」
「今のところは、別勢力として分けて対応を考えたほうが良さそうですね」
「ただ、シュラ君のことを考えると、遠い国の出来事と楽観視もしていられないだろうな」
その時、陽子の膝の上で、リモコンを持ったレフトがテレビに向かった腕を伸ばした。
「○○国に現れたあの黒いサンタクロースが□□国に現れたようです!」
スタジオの緊張した空気がスピーカーから流れてくる。
すでに黒サンタ軍団は降下を完了し、進軍を始めているようだった。
先ほど○○国の中継をしていたのとは別のレポーターがカメラに軍団の方を指し示す。
「ズズン!」
「ズズン!」
「ズズン!」
足並みを揃えたサンタ軍団が進む。
「ホッホッホー」
乾いたサンタの笑い声が響く。
その重々しい足取りとは思えないほど、サンタ軍団の進軍速度は速いようだった。
土煙を挙げて、みるみるうちにレポーターに迫りくる。
「うわ!ちょ!」
逃げ腰になった。
瞬間。
映像が土煙に覆われた。
土煙しか見えない画面の向こう側で何かが蠢めいていた。
落下したカメラが、横になった地面を映し続けていた。
遠くから響く住民の悲鳴をカメラのマイクが拾っていたが、やがてその声も聞こえなくなり、重い進軍の足音だけが響き続けている。
画面右上の小窓に映し出されたスタジオは、アナウンサーが声を発することなくかたずをのんで画面を見つめている。
どれくらいの時間が過ぎただろう。
やがて薄れゆく土煙。
横になった映像に写る瓦礫。
と、地面から滲み出した白いものが上に向かって伸び始めた。
それは、高速再生されたキノコの成長過程にも思えた。
それは、10センチメートル程まで成長すると、ゆらゆらと左右に揺れ始めた。
それは、細長くてやわらかい白いソーセージのようにも見えた。
それは、上部に二つの眼球を形成した。
それは、胴体の左右に手のような五本の突起を生やした。
それは、それは……画面の中で次々と発生し、瞬く間に画面いっぱいに広がっていった。
「な、なんですか。あの白くてニョロニョロしたもの……」
スタジオのアナウンサーがつぶやいた瞬間「ブッ」という音と共に画面は暗転し。
中継は途切れた。