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名前のない気持ち

 私と皆守先輩の攻防はついに図書室を飛び出した。


「今度練習見に来ないか?」

「なんでですか、私部外者ですよ」


 試合中の姿からは想像もつかないが、皆守先輩は典型的なわんこタイプであった。

 気に入られてしまったらしく、毎日昼休みになると約束もしてないのに教室に会いに来るのだ。


「見て見て、皆守先輩だよ」

「なんで紫穂ちゃんといるのかな?」


 嫌だ、クラスで噂になってる。もー、こうなるから学校の人気者とは関わりたくなかったのに!

 そんな私の心のうちなど、皆守先輩が気付くはずもなく、笑顔でキャッキャと話し続けている。

 ……可愛くない。断じて可愛いなどと思っていない。


「たっくん、ヘルプミー」

「いいじゃん、先輩の言う通り見に来ればさ」

「裏切者ー」


 バスケ部員なら、先輩の行動を制限してくれると思ったのに。あっさり先輩に付きやがった。


「見に来いって、紫穂ちゃん。アドバイスとかしてくれよ」

「どんだけ買い被ってるんですか。見ての通りの勉強オタの私を捕まえて」

「あれ? でも中川って確か中学の時……」

「たっくんっ!」

「あ……わりぃ」


 たっくんがうっかり言いそうになった。私がバスケ経験者だって。

 大した秘密ではないが、私が中学の時にバスケやってたなんて皆守先輩にバレて、あの時のことを思い出されでもしたら、めんどくさい。この大型わんこは今よりすごい勢いで懐いてきそうだ。勘弁してくれ。


「なんか面白くないな。2人だけの秘密かよー」


 ぶぅぶぅ言う先輩を前に、たっくんは居心地悪そうだった。ごめんね、たっくん隠し事の共犯にさせて。


「いいよなー、新井田はさー。たっくんなんて呼ばれちゃって」

「クラスメイトなんだから、それくらい普通ですよ」

「じゃあ俺のことも」

「呼びませんよ」


 先回りして答えると、先輩は頬を膨らませた。 ……ヤバイ、ちょっと本気で可愛いかもしれない。


「陸だからりっくんと呼んでくれ」

「先輩、それ自分で言ってて恥ずかしくないんですか?」


 私だったら恥ずかしいから絶対言わない。


「先輩命令が聞けないのか?」

「もうすでに一つ聞いてるじゃないですか」

「ん? ……あ!」


 友達になる、という私にとっては迷惑極まりない命令を、先輩はどうやら忘れていたらしい。しかしその忘れ方は止めてくれ。どうして「命令した」という事実を忘れて、「友達になった」という結果だけ覚えてるんだ。それじゃあ先輩の中では、正しい手順を踏んだ友達ということになっていたのか?

 しばらく談笑を続けて、予鈴が鳴ったら名残惜しそうに、皆守先輩は自分の教室へと帰っていった。


「皆守先輩ぐいぐい来るな」

「ほんとだよー」

「そして中川は恐ろしいほど塩対応。同じ男として、先輩が可哀想になってくる」

「なんでー? 可哀想なのは私の方じゃない。毎日毎日、先輩の暇つぶしに付き合わされてさ」

「暇つぶしっ?」


 たっくんが目を瞠って驚く。


「それマジで言ってる?」

「えー、なにかおかしいかなー? あ、もしかしてこれって新手の嫌がらせ?」


 確かに最初に失礼な態度とったからね。その報復ってことかもしれない。態度にトゲがないから気付かなかったけど、私は時間を奪われてるし。そういう作戦なのかも。


「……い、嫌がらせ……」

「どうしたの、たっくん。そんな疲れたような顔して。まだ午後の授業残ってるよ」

「い、いやー、俺今すげー先輩に同情してる」


 なんだか意味の分からないことを言いながら、たっくんは机に突っ伏した。

 そしてそのまま午後の授業に突入し、先生の雷が落とされたのだった。




 こんなことって本当にあるんだね。


「あんたが中川紫穂?」

「陸くんにまとわりついてる女っていうから、どんなのかと思えば……地味子じゃん」


 下着が見えそうな程大きくあいた胸元に、紺のリボンをぶら下げた女子生徒に囲まれました。……全部皆守先輩のせいだ!

 ファンの多い先輩がところかまわず私に話しかけてくるせいで、女子生徒の嫉妬の対象になってしまったらしい。

 想像はしてた。ありうるかも、とも思ってた。けど、実際に呼び出されてみると怖い怖い。

 友達と離れたわずかな隙に取り囲まれて、あれよあれよと体育館裏へGO! 手際の良さが半端じゃない。絶対に計画的だ。

 しかもなにを間違えているのか、私が「まとわりついてる」らしい。違う。「まとわりつかれてる」んだ!


「話し合いがしたかっただけよ。んな怖がらなくて平気だから」

「そ、そ。あたしたちの言うこと聞いとけばなにも怖くないからさ~」


 嘘だー。じゃあなんで、そんな好戦的な顔してるの? 目の中ギラギラ光ってんぞ。鏡で顔見て来いよー。


「陸くんにこれ以上近づかないで」

「ですよねー。その話ですよねー」

「分かってんなら話は早いよ。ね、約束してよ」

「私だってできるならそうしたいんですよー。でも皆守先輩の方から近づいて来るんですもん」

「はぁ? 調子こいたこと言ってんじゃねーぞ」


 早くも剥がれる化けの皮。


「なにそれ、まるで陸くんから好かれてるって言いたいみたいじゃん」

「ざけんな、ドブス!」


 ドン、と壁に背中を押し付けられる。


「口で言っても分からないなら……」

「え……」


 それはない、それはない。女子生徒の一人が取り出したのははさみだった。

 さ、刺されるっ!


「やめっ……」


 固く、固く目を閉じる。痛みはいっこうにやってこなかった。


「あれ……」


 目を開くと、そこには歪んだ笑みを浮かべる女子生徒。


「くっはは、いい格好じゃん」

「あたしだったら、その髪で人前歩けねーよ」


 えっ、えっ。

 周りを見ると、地面に髪が散らばっている。

 慌てて髪に手をやる……やったのに、空をかいただけだった。

 頭を撫でて分かる。髪の毛は、私の胸まであった髪の毛は、肩にも届かないほどの長さになっていた。


「あ」


 そんなに悲しいはずがない。髪なんか時間が経てばすぐ伸びる。そんなこと分かっているのに、涙があふれて止まらなかった。


「ははは、これに懲りたら、陸くんに二度と近づかないでよね」


 それはそれは嬉しそうに、彼女たちは去っていく。

 残されたのは、うなだれて泣く私と、地面を覆う黒髪だけだった。




 どれくらいの時間が経ったのかな。下校する生徒たちの声がちらほら聞こえるから、多分もう放課後なんだろうな。


「授業をサボってしまった……」


 私はいまだ、体育館裏から出られない。どうなってるのか分からないけど、中途半端なことになっている髪、そして泣いて重たくなった目。こんな姿を積極的に人前にさらしたくない。

 一般生徒たちが下校した後から部活が終わる前が、行き交う生徒の減る時間になる。


「……それまでここに居るか」


 膝を抱えてぼーっとしていると、体育館の中からボールの跳ねる音が聞こえ始めた。


「いいなー、ボールの音」


 ドンッ、ドンッ、と健康的で力強い音が、弱った私の心に心地よく響く。


「いたいた、紫穂ちゃん!」

「……っ!」


 うっとりとボールの音に耳を傾けていた私に、突如冷や水が浴びせられた。あまりに突然の出来事に、心臓が口から出てきそうだったじゃないか。

 声のした方を向くと、数メートル先で、体育館裏を覗き込むようにして皆守先輩が立っていた。


「体育館の下の窓から、紫穂ちゃんのケータイのキーホルダーが見えたから……来たんだ……けど」


 楽し気に話しかけてきた先輩の顔が、近づくたびに強張っていく。そして私の隣に来て、状況を見下ろすと、口を閉じた。

 気まずい。あと、どうしてこうなったのか説明するのが億劫だ。


「先輩に見られたくありませんでした」


 誰相手でも、きっと一から説明するのはめんどくさいし、嫌だ。先輩だとそれにプラスして、内容の気まずさがある。ある意味先輩のせいだから、「先輩のファンにやられました」と事実を淡々と説明するわけにもいかないでしょ。


「なにがあったんだ、紫穂ちゃん」

「別に……」


 うわぁ、なんて説明しよう。

 上手な説明を考える時間を先輩は与えてくれなかった。

 視線を合わせるようにしゃがみこんだ先輩は、私の顔の横に手を置いて、厳しい顔で問い詰めてくる。


「髪、切られたのか? 誰にやられた?」

「えーっと、ですねー」

「隠し立てしないで、答えろ!」

「……なんで私こんなに責められてるんでしょう?」


 おかしい。被害者である私が責められるいわれがない。それは皆守先輩も言われて気付いたらしく、口を引き結んで黙り込んだ。

 黙ってても、顔が責めてきてるんだけど……。鋭い視線がグッサグッサ、刺さる、刺さる。


「なにがあったか教えてくれよ。……それとも、俺には言えないか?」

「そうですね。できれば先輩には話したくありません。…………なんでそんな泣きそうな顔するんですか」

「先輩には、ってことは俺以外なら話しても良いと思ってんだろ」

「……まぁ、そうですね」


 だって皆守先輩って準当事者って感じだし。こんなに心配されたら、かえって話しづらい。


「なんでだ! 友達だろ!」

「わお、ついにキレた。あ、ヤバ……声に出ちゃった」

「もっと信用しろよ。もっと頼れよ。俺にできることがあれば、協力するからよ……」

「協力ねぇ……」

「なんでも、言ってくれ」


 ここまで言わせて、隠し通すのは……うん、そっちの方が失礼な気がしてきた。


「分かりました。説明します。どう言ったら良いのか……んー、まぁ端的に言えば先輩のファンが、先輩の最近の私への態度に嫉妬して髪を切ったんです」

「俺の、ファン?」

「はい。いつも先輩のこと応援している女子生徒が大勢いるでしょう? その中の人たちだと思いますよ」

「人たち、って複数っ? 一人じゃないのか……」

「まぁ、ああいうタイプの人たちは一人では行動を選択できないですからね……って、え、先輩なにするんですかっ?」

「怖かったよな……」


 えぇー、えぇー……。お、驚いて声も出ないとはこういう時のことか。

 私は先輩に抱きしめられていた。プチパニック。

 意味が、分からない。


「先輩、なにを……」

「悪かった。俺のせいだ」

「え、いや、先輩が直接悪いわけでは」

「いいや、俺が悪い。もっと周り見て行動するべきだったんだ。それができてなかったばっかりに、紫穂ちゃんを傷つけた」


 途中で切れた髪が撫でられる。


「もったいないことしたな、綺麗な髪だったのによ」

「先輩……」


 なんだ、なんだ、なんだ? 心臓がドキドキするんだけど。

 先輩は「悪かった」ともう一度だけ言って離れていった。……良かった、あれ以上くっつかれてたら、心臓が壊れてた気がする。


「相手のヤツ、どんな特徴だった?」

「探しに行く気ですかっ?」

「ったりまえだろ。探し出してぶん殴る」

「やめて下さい! 今がどんな時期だか分かってるんですかっ?」


 今にも走って行ってしまいそうな先輩の腕を掴み、首を振る。


「試合控えてるのに、そんなことして……問題になったらどうするんですかっ!」

「……っ! でも! じゃあ! このまま黙ってろって言うのか?」

「……髪はまた伸びます」

「無理するな」

「いえ、本心から言ってますけど」

「嘘だ」

「なにを根拠に……っ!」


 目元をそっと指で撫でられた。あ、そうだ泣いたんだった。


「もう、泣かせたくないんだ」

「けどもし、先輩が問題起こして、バスケ部謹慎なんてことになったら、それこそ私泣きますからね」

「厳しいこと言うよな……」


 先輩が微苦笑した。


「そうだな……謹慎の心配も、紫穂ちゃんの心配もしなくて良い方法が一つだけある……」


 目をすぅーっと細めて先輩は笑った。それがなんとも言えない悲し気な笑い方に見えて、胸が絞られるように痛む。


「さよならだ、紫穂ちゃん」

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