手紙を書くように提案してくれたのは友達のお陰なんだ。彼には秘密があるの。
花柄の封筒は埃を被っていた。もうずっと前からそこにあったかのようだった。
手を伸ばして取ろうとする蒼真の目に、ぼんやりと光るものが映った。
光るものは人の姿をしていた。それも、少年。自分より年下のようだ。……それにしてもおかしい。祠の闇の中で車座をしている男の子など変だ。絶対に変だ。
闇に目が馴れてくると、ぼやぼやと光る少年の姿も次第にはっきりしてきた。
ーー下半身が透けている。
腰の辺りから次第に向こう側が見え、膝から下は完全に消えていたのだ。
ーー幽霊だ。
蒼真は確信した。
ーー事故で下半身を失ったのか、それとも……。
蒼真は目の前に見える幽霊の過去に思いを巡らせていた。
物心ついたときから普通の人には見えないものが見えた。悪さをする霊もいるし、ただそこに存在するだけの霊もいる。少年は後者の方だろうと思った。
だけれどもじっと見ているわけにはいかない。いくら悪さをしなくてもとり憑かれる可能性は十分にある。警戒をしなくては。
だけれども、少年は驚いた目でこちらを見ているようだった。それとも、怯えているのだろうか。真ん丸の目をさらに丸くして、口を小さく開けて。
少年は仰け反る姿勢で蒼真を見ている。ちょうど同じ高さの目線であった。
蒼真は暫くして慌てて目を逸らし、伸ばしかけていた手を埃だらけの封筒に被せた。
どうやら数十枚の便箋が入っているようだ。厚みがあるし、固形のものは入っていない。
蒼真はゆっくりとそれを取った。
少年はまだあのポーズのままでいたが、小さな口をモゴモゴと動かして言葉を発した。
「……き、君。……見える、の?」
それは途切れ途切れの音だった。声というより、音。脳内に直接響くような音でできた声だ。
蒼真は驚いた。今まで遭遇した霊の中でまともに対話できる者はおらず、あー、とか、うー、とか声にならない呻き声をあげたりしていた。
だからといって話して良いものではない。ばあちゃんが言ってたじゃないか。
「君も、僕のこと見えるんだ?」
すいっと顔を近づけてきた少年を観音扉で見えなくする。
「ねぇーー」
そこで少年の声は途切れた。蒼真は封筒だけを取って何事もなかったかのように祠を後にした。
「…………どうして」
どうして持ってきてしまったんだろう。別に放っておいても良いものじゃないか。
「……放ってた方が良かったんじゃないか、なぁ」
薄汚れた封筒は答えない。
でも、あそこに置いていてはいけないような感じがした。持っていってください、とでも言わんばかりに存在感を露にしていた。
「何なんだよ、この感じ」
前もこんな事があったような気がする。
「ーー既視感」
蒼真は口に出して言ってみたあと、手元にある封筒に目を戻す。
「あれ……開いてる」
今の今まで気がつかなかったが、三角形の口をしっかりと張り付け、それを引き剥がした痕がある。丁寧にゆっくりと開けようと思ったのだが思うようにいかず、強行突破したのだろうか。糊が付いていたと思われるところに紙の繊維が引っ付いている。
蒼真は中身をゆっくりと取り出してみた。
ーーそうだ、前にも誰かに手紙を貰った時もこんな風に緊張したんだ。それが誰かは覚えていないけれど。
折り畳まれた一枚目を開く。かくかくの大きな文字だった。その文字に見覚えはなかった。
二枚目、三枚目と束の後ろに回して見ていく。小学生の書いた文字だろう。習いたての平仮名はまだあっているものの、漢字になるとてんで駄目で極力使わないようにしているのが見え見えだ。その漢字も間違えているし。
『楽かった』とか『お祭』という言葉が目についた。
ーー『楽かった』って送り仮名間違えてる。
蒼真は文章中の間違いを修正しながら読んでいった。一体、誰が誰に宛てた手紙なのだろう。どうして祠の中に置いていたのだろう。そして何より、便箋の枚数が気になる。多すぎるのだ。普通なら、自分が誰かに書くとすれば多くても4、5枚が限界だろう。ところがこれは封筒からはみ出しそうな勢いだった。
漢字の間違いは相変わらずだが、次第にきれいな字になっていった。きれい、というか丁寧だ。それは10枚を読み始めた辺りから気がついた。
そして、20枚目を後ろに回したその瞬間、蒼真の目に飛び込んできたのは一行の文章。
『そうま、元気ですか。』
一枚の便箋に一枚の文章。そして何より自分の名前。
一瞬脳裏をかすめる記憶。
「……そうま!」
あの子は笑っていた。自分の隣で。
「……!」
汗がポタリと文字に落ちた。途端に広がる染み。
それが後ろに移らないように素早く避けた。
次の文字が見えた。
ーー嗚呼、思い出してはいけない。思い出してはいけないのに!
蒼真は心の中で叫んだ。ギュッと目を瞑った。
ーーあの子には忘れられて当然のはずなのに、何で、何で、何で。
震える手は止まらない。夏だというのに寒い。
ーー嫌だ。思い出したくないのに。
最後の便箋。もう一度、ちらりと目をやる。そこにはこう書いてあった。
『追伸:約束破りの君へ』
『覚えてる?』
そこから先は読めない。
怖くて、読めない。
「……っ」
でも、目は離れない。離れることができない。震える手のせいで何が書いているのか分からなくなっていた。