でもあのときは早く来すぎたみたい。だから約束の時間まで祠の前で横になっていたら、いつの間にか寝ちゃってた。
チリンチリーン……。
軒先に吊るしてある風鈴が鳴った。
うっすらと目を開けると、足元の方から柔らかな光が入ってくるのが見えた。
いつの間にか寝ていたらしい。景色がぼんやりと写し出される。目の前にあるのは天井か。次第に思考が舞い戻ってくる。今は何時だろうか。
くるりとうつ伏せになり、重たい目をこすってゆっくりと起き上がる。
ーーちょっとフラフラするなぁ。
ふすまに掴まり壁伝いに歩いてゆく。奥の部屋に掛かっている古時計しか時間を教えてくれるものはなかった。
「ご、5時49分!!?」
目を疑った。約束の時間は6時だというのに。祭りが行われている神社まで歩いて15分かかる。走っていったって私の体力が持たないだろう。
ーーだけど。
「そ、蒼真が待っているんだから……」
支度もそこそこに、私は家を飛び出した。
家の鍵は閉めた。財布も持った。
走りながらポケットのなかを探る。
四角い角が指先に触れる。
……うん、ちゃんと持ってきた。
私には約束がある。去年も一昨年も蒼真はちゃんとそこにいた。焼きそばを片手に待っていた。あの、約束の場所で。
だから私は行かなくちゃいけない。お母さんから貰った焼きたてのカステラを持って。
あの石段を登ったところに、一番星を探している蒼真の姿が浮かぶ。
私は彼に向かって手を振る。
それに気づいてこちらを向いた蒼真は、にこりと微笑みで返してくれる。
どことなく、あどけなさを残した蒼真の笑顔が私は好きだ。彼の優しげな雰囲気に包まれたらとても安心する。
田んぼと田んぼの細い道を抜け、電柱を右に曲がり、蝉が鳴き散らす木の横を過ぎ、坂道を上る。
真っ青な空に白い絵の具で描いたような大きな大きな入道雲。そのすぐそばで傾きかけた太陽が皮膚を焼く。夏の暑さを強調するように蝉が一層声を張り上げた。
「…………え?」
「だから、あの時計前からおかしくてね。止まることがよくあるのよ」
ムッとした甘い湯気が私の顔を襲った。
たった今出来上がったカステラを袋に詰めながら母は言った。
周囲は既に祭りの雰囲気に馴染んでいて、浴衣を着た同年齢ぐらいの女の子達が歩いている。
「6時? ……そんなことないわよ。だって今、やっと5時になったところなのに」
店の奥に積み上げられた段ボール箱の上に小さな置時計が時刻を示していた。
「な、なぁんだ。それを早く言ってよ。ここまで急ぐ必要なかったんだ……」
荒い息を整えながら言葉を吐いた。
「つばめ、走っても大丈夫だったの?」
眉をひそめながら聞く母に、大丈夫だよ、と笑った。私は母から先程のカステラを貰うとあの石段に向かった。
やっぱり蒼真はいなかった。当たり前だ、約束の時間まであと1時間もあるのだから。彼は時間丁度までやってこないことはよく知っている。
石段の最上段、草が細々と生えている地面の上に寝転がり天井を見上げた。晴れた青空はいつの間にかオレンジ色に染まっている。
頭の上には古びた祠がある。ひび割れた木材の間から苔が顔を覗かせている。表面に取り付けられた観音扉は開きかけで、隙間からは何もない暗闇の小さな空間が見える。
「あ、そうだ」
ポケットから取り出したものを眺めてみた。うん、どこも折れてないし傷もついていない。その中で、去年の私達が笑っている。瞬間を切り取った四角い紙を、今年、蒼真に渡すと約束した。
「蒼真…………」
目を閉じると蒼真の顔が浮かぶ。祭りの明かりの中でゆらゆらと揺れるざわめきの波は、呼び込みの声も太鼓の響きも風がなびく音も飲み込んでゆく。
視界の中央にはいつも蒼真がいた。
くっきりとその姿が見える。はっきりとその声が聞こえる。
だから安心できた。何も怖いものなんて無かった。
蒼真の横に座る私は、それだけで幸せを感じていた。
ーー私は、蒼真の事が大好きだ。