フェイネルの気持ち
フェイネル視点
「それじゃあ明日は6時だよ。おやすみー」
小さく寝息が聞こえてきた。レベッカは私に手を振ってすぐに眠ったみたいだ。
今日から住むことになった王宮内の侍女室は私の部屋より少し小さいくらい。それにベッドがあるからその分狭く感じる。
「はあ…」
無意識に溜め息が出る。どうして私、こんな所にいるんだろう。セリーヌ様もレベッカも今日初めて会ったのに私によくしてくれる。だけど王宮なんてすぐ近くに彼がいると思うとすごく落ち着かない。
王女様付の侍女になった人はすぐに辞めていくと兄のライオネルが言っていた。王女様の御眼鏡に適う人がそういないんだろうと思っていた。だからどうせ私もすぐに辞めさせられると家を出発する時には思っていたんだ。ダリアにもすぐ戻ると言った。
だけど実際は思っていたのと違った。セリーヌ様は確かに周りを振り回しているようだけどただ好きな人に一番いい自分を見てほしいって思っているだけだ。…今回の場合は。でもさっきの様子と王妃様の話を考えるとセリーヌ様はやっぱり寂しがりなだけだと思う。寂しくてやけに周りに構ってもらいたくて我が儘を言うっていうのは当然のことじゃないかな。まだ10歳なわけだし。ダリアもうちに来た時そうだった。当時はこの子侍女としてやっていけるのか不安だったけどまあ…案の定って感じだわ。
とにかくすぐに家に帰ると思っていたけどこの感じだと長くいることになりそう。こんなことになるのなら断ればよかった。ちょっとした旅行気分でお父様の話を承諾したのは間違いだったわ。
それに、そうかもしれないとは思ってたけどすごくすごく視線が邪魔。なんでか知らないけどたまに行かざるを得ない社交界でも私が会場に入るだけで一斉にその場にいる人が私を見てくる。国王様と王妃様に挨拶をしてすぐに帰りたいのにいつもそうさせてくれない何十人もの殿方たち。彼らが入れ替わりダンスを申し込んでくるものだから結局長居してしまうんだ。しかもダンスの最中に交際も申し込んでくる人がほとんど。礼儀でダンスを断っていないだけでそのノリで交際も承諾してもらえるって思われているみたいでなんだか不快。もっと厄介なのがダンスが終わってもなかなか手を離してくれないこと。そういう時その人を睨むと良い、ライオネルに教えてもらった技は珍しく役に立った。私がそうするとそれまで強く掴まれていた手がすぐに離れるんだ。
私の家は侯爵家で先代から王家の主治医をしている。国王陛下からの信頼も厚いから、とか単純に財産目当てとかだと思うんだけどそういうので私に求婚してくる人が多い。あまり意味ないと思うんだけど。
えっと、だから人混みというか家とか地元の市場以外の場所に行くのが嫌いなんだ。それこそ自意識過剰かもしれないけど見られてるのってやっぱり気を遣うし疲れるから。
それにこれも重要かもしれないんだけど私昔から短気だとか口が悪いとか言われてるから印象が悪いみたい。だから社交界ではあまり口を開かないようにしてる。
目つきが悪いのと喋らないかならのかな、いつからか氷の女王だなんて言われるようになった。ライオネルが言ってた。ライオネルは私の5歳年上の今25歳なんだけど昔からかっこいいって言われて付け上がってる男だ。私が物心ついた時から必要以上に私に構ってきて鬱陶しかった。そのライオネルが騎士になるために家を出た時は嬉しかった。
この国では10歳になると騎士の訓練が受けられる。お父様が陛下と関わりが深いから王宮に来てすぐにエドワード王子を紹介されて仲良くなったって言ってた。それでも騎士としての実力を買ってもらえて今では陛下の直属の近衛騎士になったみたい。私が訊かなくても今では月に2回帰っていろんな話をしてくる。
ライオネルの話にはレインのことも出てくる。レインっていうのは私の幼馴染み。家が隣同士でいつも彼が騎士になるって家を出るまで毎日一緒にいた。レインのお父様は今は引退をしているけど国王の近衛騎士をしていたこの国で一番強いって言われていた人。だからって怖いかっていうと全然そんなんじゃなくてすごく優しい人。足を怪我してしまって若くして引退ということになってしまった彼は私に勉強を教えてくれた。普通は教えてもらえない語学の勉強から諸外国の勉強も見てくれた私だけの家庭教師だ。
レインはそんなお父様に憧れて小さい時から騎士になるって言ってた。けど実際に10歳になってレインが家を出ていく時は悲しかった。それはもう自分でも驚くほど泣いた。でも一生会えないってわけじゃないんだから私は私でレインに負けないように頑張ろうって思った。それであんまり利用機会のない10カ国語覚えてみたりもした。
だけど数か月後のある時私は気が付いたんだ。ライオネルは家に帰って来るのにレインは帰って来ないことに。気付いた時私はまだ落ち着いてた。だって約束したから。1番になって帰ってくる、レインはそう言った。
それが1年以上経つと私はそんな約束のことはすっかり忘れてレインに嫌われたと思った。そう思って間もなく私は部屋に閉じこもるようになった。11歳の私の初めての失恋だった。けど失恋の痛手も時間が経てばいくらかマシになる。12歳になっていた私はレインのいない生活とレインに嫌われた事実を冷静に受け止められた。大人になったんだ。久しぶりに外に出てミミズと遊ばなくなったし野菜を売ってるお喋りなおじさんの話を店先に座って耳を傾けることもなくなったしレインの家の執事に暇だから遊んでとせがむこともしなくなった。要は、なにもかもがつまらなくなった。小さい頃は憧れていた社交界だって面倒でしかないし。お転婆だった私の変化にお父様もお母様もレインのお父様、お母様、執事のフレッド、市場のおばちゃんおじちゃん、みんな最初は驚いていたみたいだけどなにも言わなかった。
15歳になった時うちにダリアが来た時に私は久しぶりに笑ったという気がした。なにをするにも失敗して市場に買い物に行って起きたなんでもないようなことを楽しそうに話す彼女が昔の自分にそっくりでなんだかおかしかった。
それから毎日ダリアと一緒に過ごしているうちにレインを思い出して憂鬱な気分になることは1日に1回程度になった。これでも進歩だ。10年経ってもレインは1度も家に帰って来ない。なんでだろう、そこで思い出したのがあの約束だった。つい先日のことだ。20歳になった私はあの約束をはっきり思い出してあの意味をよくよく考えるようになった。
“大切なものを守るために騎士になるんだ。――1番になって帰ってくる”
大切なものってなんだったんだろう。1番ってどうなること?どの地位を手に入れたら帰ってくるつもりだったんだろう。帰ってくるってどこに?家に?ただの隣人の私には会いに来てくれるの?
そんなことを考えるようになった矢先に侍女として王宮に来た。往生際が悪いかもしれないけど失恋しても私はずっとレインが好きだった。だから近くにレインがいるというのに冷静でいられるわけがない。今すぐにでもレインに会いたい。だけどライオネルの話によればレインは騎士団長という立派な地位にいる。それが1番でないはずがない。なのに帰ってこないのはどういうことか。あの約束は10年も経てば忘れられるものなのか。やっぱりレインは私に会いたくなくて私のことが嫌いだから帰って来ないんじゃないか。それなのに私が会いにいくなんて迷惑に思われるだろう。もしかしたらレインはもう私のことを覚えてないかもしれない。…と考えるとどんどん深みに嵌っていく。
とにかくレインに会わないようになにごともなく侍女の務めをして早く家に帰らせてもらおう。それが今私が望む1番の願いだ。
私は明かりを消して眠りについた。