王女と初対面
フェイネルが扉の前に来た時、部屋の中からなにやら甲高い声が聞こえてきた。
フェイネルは扉を軽くノックしてみたが聞こえるわけがないのを納得し扉を開けた。
「失礼します。本日付で王女様付の侍女を任されることになりました、フェイネル=ターナー=ブレインと申します」
部屋の中にいたのは3人。誰もフェイネルに気付かず言い合いを続けていた。
フェイネルはその様子に一つ溜め息をついて彼女たちに近づいた。
「どうなさったのですか?」
「それがセリーヌさ…え?」
「本日付でセリーヌ王女の侍女になることを仰せつかったフェイネル=ターナー=ブレインと申します」
「あ、え?」
侍女2人がフェイネルを上から下までぼうっと眺めているのを彼女はいつものことだ、と思った。だがこれでは話が進まない。
フェイネルはどうしたのかともう一度聞いた。
「あ、それがセリーヌ様が本日着るために用意していたドレスを着たくないと仰ってて…」
ベッドにむすっとした顔でこちらを睨んでいる小さな王女様がフェイネルが今日から仕えることになったセリーヌ王女だった。ブロンドヘアーに金色の瞳、綺麗にカールしている睫毛、まさに絵本から飛び出してきたような王女に人はうっとりするだろう。このフェイネルを除いて。
フェイネルは侍女の一人が持っていた淡いピンク色のフリルがふんだんに使われたドレスを受け取ってセリーヌに向かい合った。
「ピンクが嫌なのですか?」
無表情で尋ねるフェイネルにセリーヌはそうよ、とだけ答えた。
「では違うものにしたらいいじゃない、それだけでしょ」
「フリルも嫌」
「フリルがついていないピンク以外のドレスを用意したらいいでしょ」
「それが先ほどご用意した橙色も駄目だと仰って」
その前は黄色も、と言う侍女の言葉を無視してフェイネルはその侍女に尋ねた。
「今日はなにか予定があるの?まさか毎日毎日こんな低レベルなやりとりをしているの?」
「低レベ…。あなた私を誰だとお思いになっているの?」
「セリーヌ王女様」
「口の利き方がそれでいいと思っているの?」
「私はそこの侍女に話しかけたつもりです」
そのやりとりを恐々と見ていた侍女がフェイネルにそっと言った。
「本日はエドワード王子とのお茶会がございます」
それを聞いたフェイネルは目線を侍女からセリーヌに向けた。
「な、なによ。そうよ。お兄様と久しぶりのお茶会なの」
「わかりました。衣裳部屋はどこ?」
「あ、案内するわ」
呆気にとらわれているセリーヌを放ってフェイネルはセリーヌの予定を耳打ちしてくれた侍女の後を追う。
そして戻って来た彼女の腕には白と赤のドレスを持っていた。切り替えしがあって胸から下が赤のシンプルなデザインのものだ。
フェイネルはセリーヌの前でそのドレスを広げた。
「要は大人っぽいドレスを着て大好きなお兄様に見てほしかったのですよね?」
そう言うとセリーヌはドレス以上に真っ赤になってベッドからすぐに立ち上がった。
「早く着替えをさせてちょうだい」
フェイネルは侍女と2人でセリーヌの着替えを始め、もう1人の侍女はセリーヌの準備がようやく進んだことを伝えに部屋を出ていった。その後フェイネルはセリーヌの髪を編み込みアップスタイルした。
「ねえ、あなた」
「なんでしょう?」
「…あなたにだけ特別にその口の利き方を許すわ」
「はあ」
「だから――」
「え?なんですか?」
「もうっ!!辞めないでよねっ」
「…かしこまりました、セリーヌ様」
「むー。馬鹿にしてるでしょ」
「なぜですか?普通です」
その2人の様子は不思議でちぐはぐでほっとするようだった。
「それじゃあ行くわよ」
フェイネルは思った。エドワード王子ってことは…。知らない振りをしよう、と。
10歳のセリーヌに何十人もの騎士がついて移動する。ここでは当然の光景にフェイネルはかなり引いた。それを隣で見たセリーヌは笑う。
「可笑しいでしょ。この平和な宮殿でなにを警戒するのかしらね」
「突然槍がぶっ飛んでくるのかと思いました」
「ふふ。そんな試しないわよ」
「邪魔ですね。鬱陶しくならないのですか?」
「慣れちゃった。もう当然のことだもの」
「そうですか」
打ち解けたらしい2人の様子は騎士たちを動揺させた。だがしかし騎士たちは思っていただろう。なぜ氷の女王が王女の世話をしていたのかと。
フェイネルは積極的に社交界の場に出ようとはしなかったがそれでも陛下主催の強制参加の場合は仕方なく行く。そして何人もの殿方とダンスをしてへとへとになって帰るのだった。
そういうことでフェイネルのことは社交界に出る貴族なら誰もが知っていた。騎士の中にもそういった社交の場に行く者は大勢いる。だからこそ今この状態に唖然としている。
ついた先にはすでにエドワードとその護衛たちが到着していた。真っ白な椅子に座る王子の姿は誇張ではなくまさにこの国のプリンスだ。金髪碧眼の優しい笑みを浮かべた青年は立ち上がって王女たちを歓迎した。
「お兄様、お久しぶりでございます。遠征お疲れさまでした」
「セリーヌ、なんだか前に見た時よりも大人になったようだよ。年はいくつだい?」
「お兄様、年は変わっておりませんわ、10ですわよ」
「ああ、そうかそうか」
エドワードに数回軽く頭を叩かれただけでセリーヌは耳まで赤くなった。
セリーヌは実の兄エドワードが大好きなのだ。要するにブラコンである。
フェイネルは考える。自分は兄のことを好いてはいないが仮にブラコンだとして耳まで赤くなるものだろうか。ちらりとエドワードのすぐ後ろに控える騎士を見て、ないなと首を振る。
エドワードの向かいにセリーヌが座り、侍女がお茶とお菓子を持って来た。
「それにしても、今日はいつもより1時間も早く支度が終わったんだね」
視察や事務の作業で忙しいエドワードの予定は月に1度セリーヌのために空けることになっている。どちらかに急な用事でも入って中止になってしまえばセリーヌの機嫌は最低最悪だ。エドワードに会うために日ごろは1時間かかる支度がその何倍にもなる。お茶会の日は朝ごはん抜きのセリーヌに侍女たちも一緒に付き合う、というのが常だった。
それが1時間でも短縮できただけでエドワードにとって不思議な出来事なのだ。
「フェイネルのおかげよ。フェイ…フェイでいいわね。フェイ」
呼ばれたフェイネルは後ろの騎士たちの目が鬱陶しくて早く家に帰りたいと思っていた。自分が呼ばれているとはつゆ知らず。
「フェイ!!」
「…はい?」
「まったくもう。お兄様、彼女が新しい侍女なの」
「そうだね。妹を頼むね、フェイネル嬢」
「ああ、はい」
「お兄様フェイを知ってるの?」
当然侯爵令嬢として一応挨拶をするためフェイネルとエドワードは顔見知りだ。
セリーヌの誕生会はまだ身内だけで執り行い社交の場には訪れない。だから彼女はフェイネルのことは知らなかった。
「フェイネル嬢は有名な氷の女王さ」
「ただの侯爵令嬢です」
「氷の女王…?」
「ああそうさ。怖いんだよ、フェイネル嬢は」
終始笑顔のエドワードにフェイネルは不快感を露わにする。それを見るセリーヌはそうね、確かに怖いわと言った。
「あれ?けどフェイってライオネルに似ているわ」
「それはそうさ。兄妹だからね」
「あら、そうなの?」
エドワードは右手を挙げて後ろに控えていた騎士を呼んだ。この期に及んで知らない振りをしようとするフェイネルをセリーヌが隣に引っ張った。
「子供のくせに強い力ですね」
「悪かったわね。せっかくだから4人でお話ししましょうよ。ね、ライオネルもいいでしょ?」
「仰せのままに」
兜を外したその騎士は銀髪の長さが違うだけでフェイネルに瓜二つだった。ライオネルが兜を外した瞬間その場にいた侍女たちは思わず溜め息をついた。彼はそれにウインクで返す。
「やめて。妹であることが恥ずかしい」
「酷いよフェイ。そんなに俺のことを独り占めしたいのかい?」
「勘違いよ、そんなことこれっぽっちも思ってないわ。自意識過剰」
「ああ、今日も辛辣だね。ぐっときちゃう」
「変態」
この2人のやり取りはエドワードの知るところであって日常茶飯事だ。エドワードはこの兄妹の言い合いに慣れているのかただ空気が読めないだけなのか、割り込んでフェイネルに話しかける。
「ところで君を侍女に推薦したのがライオネルだって知ってた?」
「そうなの?」
「みんな喜んでくれたよ」
「みんなって誰よ」
「殿下と陛下と王妃、それから父さん母さん」
「私が知ったの今朝なんだけど」
「そうなの?いやー、俺も昨日言ったんだよ。話が早いね」
いつもいつもライオネルはこの調子だ。この暢気な性格がまたフェイネルを苛立たせる。
話を振るだけ振ってエドワードはセリーヌとお喋りを楽しんでいた。同じテーブルを囲んでエドワードとセリーヌ、ライオネルとフェイネルは極端な雰囲気を醸し出していた。もっとも、この場で眉間に皺を寄せているのはフェイネルだけだった。
途中から4人は会話を共有し、傍から見ると美男美女たちが楽しく談笑しているようだろうがフェイネルはこの自分勝手な3人の暴走に面倒だと思いながら突っ込んだり呆れたり――忙しかった。
話がキリのいいところで終えられ、お茶会はお開きになった。別れ際にライオネルはフェイネルを呼んだ。
「なに?」
「騎士団の宿舎はあそこだ」
「…は?」
「じゃあね。愛しのわが妹よ」
ライオネルの去り際のウインクを見ずに振り返ってセリーヌの傍に向かった。ライオネルは酷いと嘆きながらも嬉しそうだ。顔のにやにやが止まらずエドワードは彼に兜を被せた。