デートに誘う勇気
月見里神社を出た私は、この前と同じ場所で同じように想太朗さんを待っていました。
地べたに寝転んだりせず、空を飛んでいった飛行機の数を数えたり、想太朗さんの事を考えたりしてずっと待っていました。
今日中に会えるかどうかわかりませんけど、私は森田さんの帰りを待ち続け、時間がどんどん過ぎていきます。
しかしその待ち時間の中で、私はあることに気付きました。
先程坂井さんが言っていた、正に名言の事です。
あの名言はまとめて言うと、坂井さんは「好きという想いには嘘も非もない。だから相手に知られてもいいじゃないか」という事でした。
しかし私は、その想いを知られる事に嘘も非もないのですが、羞恥があるという事に気付いたのです。
今更私は、気持ちを知られる事の恥ずかしさを思い出したのです。
その事に気付いて坂井さんの洗脳が解けると、私はやっぱり想太朗さんをデートに誘う事を止めようかと迷い始めました。
誘う為のお金を神社で稼いだというのに、頓挫しようとしていたのです。
「あれ、ミオさんじゃないか」
「?!」
そう思っていた矢先、私は森田さんと会ってしまいました。私は驚いて、恥ずかしくて赤くなってしまいました。
「こんなところでどうしたの? 誰かを待ってたとか?」
「う……」
もうデートに誘う事は止めようと思っていたのに、どうしてこのタイミングで会ってしまうんでしょうか……。
想太朗さんは全く悪くありませんから責める気はないのですが、自分の運に悲しくなってきます……神様の悪戯ってものでしょうか……。
「あれ……ミオさん、顔赤くなってるよ? 大丈夫?」
「あ……」
想太朗さんは私のおでこに手を当てて熱を計り始めました。
いきなり想太朗さんにスキンシップされてしまったので、私はまた驚いて更に顔を赤くしてしまいました。
運は悪かったですが、やはり森田さんと会えてよかったと思います。
嬉しいですし、私の胸は今とてもドキドキしています。これからももっと森田さんと会いたいですし、もっと森田さんの側に居たいです。
そう思う気持ちが強くなり、私は再び想太朗さんをデートに誘う事に決めました。
まずはどこかの喫茶店に入って、落ち着いて話をしたいです。
「森田さん、私は大丈夫です。風邪引いてませんよ。それよりも私、今日は森田さんを待ってたんです……」
「えっ、僕を?」
「はい……その、お暇ならこの前みたいに喫茶店で話したいのですが……」
「いいよ。今日は暇なんだ」
「本当ですか?!」
思わず満面の笑顔が溢れます。
しかし露骨に喜んでしまうと、想太朗さんに私の気持ちを知られてしまうと気付き、私はハッと笑顔をやめました。
一度咳払いしてから私は言い直します。
「そ、それなら行きましょうか……。どこがいいですか?」
「そうだね……場所も近くだし、この前の喫茶店にまた行きたいな。そこでもいいかい?」
私ははい、と微笑んで答えました。森田さんも快く笑ってくれます。
「じゃあ行こうか。歩けるよね?」
「はい、大丈夫です」
想太朗さんは私を気遣いながら歩き出しました。
想太朗さんの後をゆっくり追います。優しくて穏やかで、私の胸はやはりドキドキと高鳴っています。
本当はドラマみたいに手と手を繋いで歩きたいのですが、そんな勇気は私にはありません。
こうやって森田さんを誘う事にさえこんなに勇気を出しているのですから。
それにこうして森田さんとお話しするだけでも私は十分でした。
他愛のない話ですが、それだけでも幸せを感じられるのです。
そして私は思い出しました。今のような、想太朗さんと会う機会が欲しくて私はデートに誘おうと思っているのだと。
私達はこの前訪れた喫茶店「ひなた」に着くと、二人がけのテーブルに座りました。
相変わらず店内は木製を中心とした作りになっていて、洋風のおしゃれな雰囲気が漂っています。
お客さんは相変わらず私達だけでしたから潰れてしまわないか心配でしたが、それが逆に静かで、私達にとってはちょうど良い店内です。
「私はまたクリームシチューにしようかな。それとカフェオレも」
「僕もクリームシチューと、アイスコーヒーを」
「かしこまりました。それでは少々お待ちください」
私達の注文を取ったマスターが厨房に入っていきます。
相変わらずマスターは如何にもマスター、という風貌の人でした。
目が細くて白髪と口髭という特徴が、マスターという印象からそのまま出てきたみたいです。
「それで、ミオさんが話したい事って何?」
「あっ……はい、そのですね……」
私はまたそこで躊躇ってしまいますが、もうここまで来たのです。
止める事はもうできないでしょう。
まだ羞恥や拒否の恐れを捨て切る事はできませんが、ここは勇気を出すべきです。
だから私は、俯いて頬を染めながらも話を切り出しました。
「その……今度私と、どこかに遊びに行きませんか……?」
「えっ」
本当に私は照れていました。
「デートしよう」とは言えませんでしたが、今までで感じた事がないくらい恥ずかしくて、鏡を見なくてもそれがわかるくらい熱くなっています。
なんとかして「デートに誘うと気持ちが知られる」という事を忘れて言ったのですが、それでも顔がこんなに熱くなるほどに恥ずかしいのです。
「奇偶だね美尾さん、実は僕も君とどこかに出掛けたいと思ってたんだ」
「えっ……」
想太朗さんは私にとって心が弾むくらいに嬉しい言葉を言ってくれましたが、次に想太朗さんが言った事は私が予想していなかった事でした。
「それでどこかに遊びに行きたいんだけど、他にも人を誘った方がいいかい?」
「えぇっ?!」
私はデートのつもりで誘いましたから、勿論他に人を呼んで欲しくはありませんでした。
しかし素直にそう言う事は私にとってとても難しい事です。どうしても羞恥心が邪魔をします。
「ねぇ、ミオさん、どうしたらいい?」
想太朗さんは静かに笑いながら尋ねてきます。
しかし、私は想太朗さんが私の気持ちを試しているんじゃないかという気がしていました。
私が想太朗さんの事を好きかどうかを確かめているように思えるのです。
つまり、今ここで「二人で行きたい」と言う事は「あなたが好きです」と告白する事と同じかもしれないのです。
そう考えると、私はしばらく口が動きませんでした。私達の間に沈黙が流れます。
しかし私はこの沈黙の中、ある不安が私の中に生じてきました。
このままでは想太朗さんに嫌われてしまうかもしれないという不安です。
自分の気持ちもはっきり言えない人だと思われて嫌われてしまうかもしれないという考えが生じてきたのです。
その想いから、私の口はぼそぼそと言葉を紡ぎ始めます。
「二人で……遊びに行きたいです……」
「えっ?」
「想太朗さんと、二人で行きたいです……」
言わずもがな、私の顔は真っ赤になっていました。
想太朗さんの顔も真っ直ぐに見られずに、目を伏せて俯く事しかできません。
「わかったよ美尾さん。僕と一緒にデートに行こうね」
デートという単語に私は驚き、想太朗さんの方を見ると、彼は私に腕を伸ばしていました。
何をするのかと思うと、想太朗さんは私の頭を撫でたのです。
「ミオさんって、可愛いね」
私の心を包み込むような、とても優しい笑顔をしながらそう言うと、私の心臓は壊れてしまいそうなくらいに激しく鼓動を打ち始めました。
胸に手を当てなくても鼓動が伝わっている感覚があるほどです。
その所為か、私はぽーっとして惚けてしまいました。
本当なら、デートに誘う事に成功して喜ぶ場面というのに、我を忘れてしまったみたいに動かなくなってしまいました。
「お待たせしました。注文の品でございます」
そうして固まっていると、マスターが注文した料理を持ってきました。
木製のテーブルにクリームシチューとカフェオレとアイスコーヒーが並べられていきます。
マスターがキッチンに戻っていくと、想太朗さんはスプーンを取ってクリームシチューを食べ始めました。
「うん……やっぱりこのクリームシチュー美味しいよ。ミオさん、食べないの?」
「あっ……食べます」
食べてみると、相変わらずクリームシチューは美味しかったです。
まろやかで温かいスープの味が口の中で広がり、飲み込むとお腹に温かさが広がります。
しかし今回はその味に隠し味が隠されていました。クリームシチューを一層引き立てる為の隠し味です。
「美味しいですね、想太朗さん」
「うん、美味しいね」
それから私達は微笑みながらクリームシチューを食べていました。クリームシチューを頂きながらデートの事を話し合い、互いの色々なお話も沢山しました。
そして、一週間後のお昼、駅前に集合して遊園地に行くという約束をして別れ、私はまた公園で猫の姿に戻ってルンルン気分で想太朗さんの家に帰ったのでした。
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ルンルン気分で帰ったので、私は森田さんよりも遅く家に帰る事になってしまいました。
遅く帰ると、森田さんは外に出た私を洗わなくてはいけなくなります。
でも本当は私は猫叉だから体を洗う必要はないのです。
だから森田さんの迷惑にならないように、彼よりも早く家に帰らなければいけなかったのですが、どうやら浮かれたばかりに遅れてしまったようです。
あぁ、なんたる失敗!
森田さんをデートに誘えた嬉しさに浮かれるのはいいですが、ちゃんとメリハリをつけて帰らなければいけませんでした。
猛省しなければいけません。
いやまさか、森田さんに洗われたいからわざと遅く帰ったなんて事は決して考えていません!
森田さんに迷惑をかけてしまうというのに、そんな図々しい事なんて私は考えられませんよ。
それにこうして森田さんの手で体を洗われていて嬉しいなんて事もないです!
それこそ阿呆です!
失敗しているのに悦に入るなど、以ての外です!
こうして自分を甘やかしているから図々しい事を覚え、心が汚れていくんですよ。
でもこうして体を洗われていて、不快な気分ではありません……。
決して嫌な訳ではないし、それに森田さんの手、やっぱり気持ちが良いです……。
しゃかしゃかと私の体を包み込む泡。
体を温めていくお湯。
そして私の体を撫でていく森田さんの手。
あぁ、なんて幸せなんでしょう。
はっ! いけません、悦に入っています!
それに図々しい事を考えてました! 私はなんて事を考えていたのでしょう!
しかも人間化した私と森田さんを重ねるなんて……。
私はなんて不埒な事を考えていたのでしょう!
いくら私が想いを寄せているからと言っても、こんな事許されるはずがありません!
猛省します! 猛省します!
猛省しますからどうか神様! 私を見捨てはしないでください!
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あれ……なんでしょうか、デジャビュでしょうか……。
昨日も私はこうしてリビングの絨毯の上で寝ていた気がします。
軽くのぼせてしまって動く事ができず、純粋の上で寝転がっていた気がします。
「ほら、美尾。君の為にこれを買ってきたよ」
私は森田さんに迷惑をかけたというのに、森田さんはニコニコと微笑みながら何かを持ってきました。
森田さんはそれを私の首に装着します。
「はいできた。これで正式に僕の飼い猫だよ」
なんだろうと自分の首元を見てみると、そこには赤いデニム生地の首輪が付けられていました。
私は驚きました。
私は首輪が飼い猫の証であって大事なものだって知っていましたから、首輪がどんなに大事なものかを知っていたのです。
だから私はなんだか嬉しくて、鏡を見たくて、森田さんにニャーニャー鳴いていました。
でも鏡で自分の姿を見ていたら、さすがに普通の猫ではないと思われるでしょうか。
「あはは、いいんだよ。動物を飼うには当たり前の事だし」
私の頭を優しく撫でると、森田さんは棚から手鏡を取り出して私に向けてくれました。
私の姿が鏡に映り、その首元に赤い首輪が堂々と付けられています。
私はその首輪に惚れ惚れし、しばらく鏡を見入ってしまいました。
「美尾、気に入ってくれたのかい?」
「にゃー」
答えるように鳴くと、森田さんは満面の笑みで「良かった」と胸を撫で下ろしました。
その笑顔を見て私は微笑ましい気持ちになり、なんだか幸せな気分になりました。
森田さんが笑っている。
それだけで私は何故か嬉しく思えたのです。
しかし私は気付きました。
これではきっと、森田さんに私が鏡を理解している事が知られます。
そしてもしかすると、猫の私が人語を理解しているんじゃないかという事まで感付かれてしまったのではないでしょうか。
森田さんの問いには毎回鳴き声で返していますし、そろそろそう思われてもおかしくないはずです。
あぁ、また反省しなければならない事が増えました……。
あくまでまだ憶測の段階ですけど、これからはもっと気を付けないと……。
「じゃあ美尾、今日はもう寝ようか。ほらおいで」
森田さんは両手を出して胸を開きました。
こっちにおいでというポーズです。
これは昨日と同じで、森田さんは「僕と一緒に寝よう」と言っているのでしょうか。
正直に言うと嬉しいです。
喜ばしい事なのですけど、色々な事を失敗して反省しなければならない私はなんだか申し訳なくなってしまいました。
森田さんの元へ歩いていきましたけど、自分が失敗しているにも上手くいきすぎている事に恐くなったのです。
でも森田さんが好き、という気持ちに嘘ではなく、正真正銘の純粋な私の気持ちでした。
こうして森田さんの体に触れて寝息を聞きながら眠れる事は、胸が高鳴るくらいに嬉しくて幸せな事です。
……今日は迷惑をかけてごめんなさい。
明日はできるだけ迷惑がかからないように頑張ります。
それと神様……明日からはもっと猫叉だとバレないように頑張ります。
だからどうか私を森田さんの傍に居させてください。
私はそんな想いで、森田さんの頬にキス……をしたつもりでした。
猫叉だと気付かれないように、寝惚けて口をくっつけたと思わせるようにキスしました。
そうして猫の私は瞳を閉じて眠り、今日一日を終えたのでした。
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次の日の朝、森田さんを玄関から見送った後、私は昨日と同じようにして外に出ました。
キッチンの小窓から出て、庭へと着地してから門へと向かいます。
昨日は森田さんに迷惑をかけてしまったので、これからは早めに帰らないといけません。
そう思いながら庭を歩いていると、一匹の猫に出会いました。
「森田美尾さんだね」
白と黒の毛色を有している若い猫は、猫語でそう訊いてきました。
猫ですからこの家の敷地に居てもおかしくはないでしょうけど、警戒する必要はあります。
「誰ですか?」
少し身構えて訊くと、猫は鼻で笑ってから答えました。
「まだわからないかぁ。猫叉は妖力とオーラを感じ取って互いを見分けるんだけどな……」
「え……」
そう言われてみると、その猫はどこか見たことがあるような気がしました。
白黒の毛色と彼の顔付きをしている猫は見たことがありませんけど、外見以外の何かを見たことがある。そんな気がしたのです。
そしてもしかするとですけど、この感じ、まさか……。
「小向さんですか?」
「そうだよ。よかった、わかってくれて」
なんだ……小向さんなんですか。
見た目が若いからよもやと思いましたけど、やっぱり小向さんだったんですね。
しかし、私はやはり小向さんの本当の姿が気になりました。
小向さん、本当は若いのでしょうか? やはり、あの頭のハゲているおじさんの姿の方が変装なのでしょうか?
「あはは、そんな驚かなくても。それよりも美尾さん、今日は用があって来たんだ」
「えっ?」
「美尾さんが変化の修行をした秘密の場所があるだろう? あの場所で猫叉同士の会議があるんだ。美尾さんにも聞いておいてほしい会議だから、今から月見里神社に来てくれないかな?」
猫叉の会議? そんなものがあるんですか。
でも私に聞いておいてほしい会議って、どんな議題で話し合うのでしょう。
「わかりました。行きましょう」
私はよくわかりませんでしたが、今日は神社の助勤の後、特に予定はないので了承する事にしました。
猫又の会議はどうやら、あの月見里神社の秘密の部屋で行われるようです。
以前私が変化の特訓に使用した部屋です。
その部屋に向かう為、私達は月見里神社にある小向さんの家で人間化しました。
小向さんに案内されながら、人払いしてある階段を下りて秘密の場所に行くと、そこには私達の他に一人の人(?)がいました。
この場所は人間に知られてはいけない秘密の場所のはず。
それなのにどうしてこの場所に人がいるのかと思いましたが、妖力を頼りにその人を見てみると、なんとかその人が猫叉だということに気がつきました。
その猫叉は女性の姿をしていました。長く癖がなく、さらさらとして艶のある黒髪。
対照的に、白く絹のような柔肌。大きくてパッチリとした瞳、少しく紅潮している頬。
彼女はそのような外見を持っており、彼女がまとっている雰囲気を含め、麗しい姿をしていました。
しかし彼女は、私達が来るとこちらを睨み付けるように見てきました。怒っているのか、何かが憎いのか、私達に敵意を孕んだ眼で見てきました。