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私は白猫である。  作者: 堀河竜
私は美尾である
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僕達は変わってゆく




最近、帰り道に僕の家が近くなると、足が自然と早歩きになる。

家で待っている美尾と会いたくて気が付けば足取りが軽くなっている。

美尾が僕の家に住み始めて一ヶ月が経ち、大向さんに町を案内したり、小鳥遊さんや坂井さんに改めて挨拶しに行ったりしたけど、美尾への想いは全く変わらない。

まだたったの一ヶ月だけど、あの時美尾を抱き締めた時の気持ちは少しも弱まる事はなく、それどころか何年経っても色褪せる事なく、どこまでも続いていきそうだった。


猫叉との暮らしは予想していたほど大変ではなかった。

人間の姿をしているとはいえ美尾は猫叉なのだから、普通とは少し変わった生活になる。

美尾の為ならその予想しうる困難も堪えるつもりでいたが、困る事はほぼ皆無だった。

むしろ良い事が多くて、僕も少しだけ美尾の力に助けてもらう事がある。

この間は、棚の上にあって土台がなければ届かない荷物を、美尾が妖術で下ろしてくれた。

指をちょいちょいと振るだけでこなしてしまったので、僕は惚れ惚れしながらその様子を見ていたのをよく覚えている。


そんな美尾に、僕は先日携帯電話を買ってあげた。

今までは美尾と連絡を取る術がなかったから、ようやく声が聞きたい時も電話ができるようになった。

だけど、美尾は説明書を読んでも操作がわからず、タッチパネルを指で叩きながら難しい顔をしていた。

電話を掛ける方法は覚えたようだけど、メールを送信する方法はまだわからないようだった。


思い返せば、僕がパソコンを扱っている時も美尾は隣で物珍しいものを見る表情をしていた気がする。

猫叉がそうなのか美尾がそうなのかわからないけど、電子機器に疎い事が美尾との日常で気付いた事だった。


そう、美尾との日常で気付いた事と言えば、他にもいくつかある。

美尾の朝は猫の割には早い事。

猫叉の使う妖術は妖力というものを使う事。

それが足りなくなると猫の姿に戻ってしまう事。

以前僕が家の庭で会った、母さんの最期の姿は、美尾さんが変化した姿だという事。


僕の他にも猫叉の存在を知る人がいる事。

その人は小鳥遊琢磨さんという人で、美鈴という黒猫と一緒に暮らしている事。

画家になる夢を今も尚追いかけていて、美鈴はそのサポートをしている事。


妖術は本当に便利なものらしくて、空も自由に飛べる事。

猫は勿論、犬やイルカなどの動物とも話せる事。

イルカにもちゃんと個性があって、優しくて穏やかなイルカがいれば、大雑把でワイルドなイルカもいるという事。

稀にイルカは人に恋をするという事。


美尾は淑やかでとても魅力的だけど、実はおっちょこちょいだという事。

一緒に暮らす前はわからなかった欠点が少しだけあるという事。

できれば暮らす前に知りたかったと思うところがあるという事。

そういうところも含めて僕は美尾を好きになり始めてている事。

やっぱり美尾が大好きで、美尾はかけがえのない存在だという事。

そして、僕と美尾は改めて似ているんだという事。


美尾と暮らした一ヶ月で本当に沢山の事に気が付いたし、沢山の事を教えられた。

これからも美尾と色々な事を話してわかる事があるだろうし、そして変化しながら一緒に日常を過ごしていく。

そうして美尾との日常は僕の一部になっていくんだ。


そして今日もこうして僕は美尾との時間が待ち遠しくて帰路を急いでいた。

僕の家が近くなると、自然と足が早歩きになる。

美尾が愛らしい笑顔で「おかえり」と出迎えてくれる時が待ち遠しかった。


僕は駆け足で門を潜って玄関を開けた。

「ただいまー」と元気よく美尾を呼ぶ。


ところが、僕は家の中が何やら焦げた臭いが漂っている事に気が付いた。

家に広がる空気が僕に不穏な予感をさせていると、美尾が困惑した表情で玄関にやってくる。


「おかえりなさい想太朗くん。それとあのね、話があるんだけど……」


美尾は見るからに話しづらそうに俯く。

その様子で何かを察した僕は、美尾と一緒にキッチンに向かった。


そこには僕が察した通り、白いお皿の上に黒く焦げたものが乗っていた。

臭いを放っていた原因も、この何かを作ろうとして失敗したものだ。


「ごめんね。晩御飯の用意をしようと思ってハンバーグを作っていたんだけど、料理をするのは初めてだったから……」


美尾の手をふと見ると、今朝には貼られていなかった絆創膏が巻かれていた。

右手に一枚、左手に二枚貼られていて、傷が見えなくとも痛々しかった。


僕は苦し紛れに言う。


「初めてだったら仕方ないよ。僕が教えてあげるから、一緒に作り直そう」


美尾は僕と同じように、苦しい表情をしながら頷いた。


焦げたハンバーグを片付けて、僕達は玉ねぎを切るところから始めた。

まずは僕が玉ねぎを調理して見せようと思い、皮を向いてみじん切りにする。

包丁が玉ねぎを切っていく音がリズミカルに響いていく。


「改めて見るとやっぱり、器用なものだね。今日は想太朗くんが一段と格好良く見えるよ」


美尾は僕が玉ねぎを切る様子を横からまじまじと見つめる。

そんなに見られると何だか恥ずかしくて手元が狂ってしまいそうだが、何とか気にしないようにして玉ねぎを切り終えた。


「はい、こんな感じ」


美尾は「おおー」と言いながら手をぱちぱちと叩いた。

手を叩かれる程の事をやったつもりはないのだけれど、こうして拍手されるのは嫌な気分ではなかった。


「ねぇ、想太朗くん」


美尾は改まって僕の名前を呼んだ。

神妙な表情から美尾の真剣さを感じ、僕は「どうしたの?」と尋ねた。


「今日は失敗しちゃったけど、これから料理を覚えて夕ご飯の支度もできるように頑張ろうと思うの」

「そうなんだ。それは楽しみだな。僕も美尾の手料理も食べてみたいからね」


僕はどうして美尾が突然料理を勉強すると考えるようになったか、明確ではないけれどわかった気がした。

僕が学校に出掛けている間、美尾は僕の為に何かをしてあげたいと思ってくれているんだ。


僕としては、美尾は月見里神社で巫女をやっているから気にする事なんてないと思うけど、本人は僕が考えているよりもずっと躍起になっているようだった。


「本当に頑張るからね。まずは想太朗くんから教えてもらって、作れるメニューを増やしていって、やがてはシェフ顔負けの料理を作って見せるからね」

「あはは、随分とやる気だね」


美尾のやる気は僕が止めようと思っても止められない程の勢いがあった。

「僕に気を使う必要はないんだよ」と言っても、ちゃんとした理由で止めない限り、美尾は料理を勉強する気だった。


だから、僕は美尾の好意を有り難く頂く事にした。

これから美尾に料理を教えていって、やがてはキッチンに立ってもらおうと思う。

まだ任せられそうにはないけど、いつかキッチンで朝ごはんを作っている美尾の姿を見られると思うと、何だかとても微笑ましかった。


「それじゃあさっき僕が見せたみたいに、玉ねぎを切ってみて」


僕は美尾にまな板の前に立たせる。

包丁の持ち方と手の添え方を教えて、美尾に包丁と玉ねぎを握らせた。


「こうかな?」

「その添え方だと左手が危ないから、こうやって――」


慣れない手付きでまな板の前に立つ美尾。

後ろから彼女の両手を握りながら玉ねぎを切る僕。


これも美尾との日常で、やがては思い出として過去になっていく。

変化しながら僕の一部となっていく時間を、これからも大事に過ごしていこう。


僕は心の中でそう思い留めながら、意外と不器用な白猫に、まずは料理の基本である「猫の手」から教え始めるのだった。









この話で「私は白猫である。」は完結です。

ここまで僕の小説を読んで頂いて本当にありがとうございます。

しかし書き終えた今、心にあるのは、このシリーズをちゃんとまとめられる事ができたのか、読者を納得させる事ができる終わり方ができたのかという不安です。

以前書いた小説で、「終わり方が腑に落ちない」と指摘を受けた事があるので、前回からその事を不安に思いながら書いてました。


それでも不安の他に達成感もあります。

本当なら一年で書き終えるはずだった小説ですが、三年近く掛かってようやく完結しましたからね。

知らず知らずのうちにどんどん長くなってました。

でもこうして美尾の物語を書いていて僕自身楽しかったです。

またこの小説のように猫に関する小説を書いてみたいと思っています。




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