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私は白猫である。  作者: 堀河竜
私は美尾である
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雨の日





その日は雨が降っていました。

大きい粒の雨が音を立てて降り注ぎ、森上町の大地を濡らします。

久しぶりに降る雨はそれまでの渇きを癒すかのように染み渡り、木々の葉の先から雨粒が溢れ、道には水たまりができました。


そんな日でも、私はいつものごとく、あの喫茶店に出掛けていました。

クリームシチューを食べ終わり、お手拭きで口元を拭います。


今日も胸の痛みが一杯に募っていましたが、シチューを食べる事によって少し軽くなっていました。

何度か食べていますが、未だにこのシチューは不思議です。


しかし、やはりこのシチューを食べても心の穴が完全に満たされる事はありません。

食事が済むと、再び寂しさを思い出し、空虚感に包まれるのです。


私は、ふと大向さんに頂いた瑠璃色の石を思い出しました。

ポケットにしまっていた石を取り出し、改めてその石を見つめます。


まるで宝石のようなその石は、見れば見るほど綺麗な石でした。

不純物なども一切見られず、青色に透き通っています。

光を反射して輝いていますが、実際にも僅かに光を放っていて、暗い場所では少しだけ周囲を照らす事もできました。


この石を、大向さんは私に持っておくように言いました。

私がどうしても想太朗くんに会いたくなった時に、この石に妖力を流し込むように言ったのです。


しかし、やはり私には、大向さんの考えている事がわかりませんでした。

想太朗くんに会いたいと心から願っていても、自分の正体を知られてはいけないのなら、会うべきではないのです。

どうしても会いたくなった時と言われても、私はその時も堪えなければならないのです。


なのにどうして大向さんはこの石だけを私に託したのでしょうか。

いつか使うべき時が来ると言っていましたが、本当にその時はやってくるのでしょうか。


私は疑問ばかり浮かび、戸惑うしかありません。

言われた通り、ただこの石を大切にポケットに仕舞いながら、いつも通り日々を過ごすしかありませんでした。



私は店の勘定を済ませて外に出る事にしました。

外に出ると雨はまだ降っていて、森上町の木々に霧が掛かっています。


私は傘立てに入れていた薄紅色の傘を取って開きました。

しとしとと降る雨に傘を差し、神社への帰路を歩き始めます。


気分はあまり優れませんでした。

雨が嫌いな訳ではなくむしろ私は雨が好きだったはずなのですが、寂しさと空しさが相まって、胸が痛みが増していました。


シチューを食べたおかげで、喫茶店に向かう時よりは幾分楽なのですが、やはり今日は普段よりも胸が痛みます。

雨が私の寂しさに募った心を急かし、涙を流させようと誘うのです。


そんな雨の中、私はなんとか悲しみに堪えながら、歩を進めていました。

雨に感傷しながらも神社に向かいます。


その時、向こう側から誰かが歩いてくるのが見えました。

通行人が少ない道なので、人一人歩いてくるだけでも、僅かながら新鮮さを感じます。


その人は中肉中背の男の人で、眼鏡を掛けていました。

紺色の折りたたみ傘を差していて、荷物で膨らんだ鞄を提げています。

傘で顔がよく見えないので誰だかわかりませんでしたが、きっと他人でしょう。


なので、私はあまり意識もせずに通り過ぎようとしました。

別の事を考えながら歩だけを進め、自然とその人との距離が縮まります。

雨が降る音だけが頻りに響く中、私達はすれ違いました。


しかしそのすれ違う瞬間、私は傘の影によく知る人物の顔を垣間見ました。

見えたのは一瞬ですが、私と目が合ったその顔は、忘れもしない森田想太朗くんの顔だったのです。


「待ってください!」


私はその人に声を掛けられました。

声までも想太朗くんそのもので、私は混乱してその場に立ち尽くします。

頭の中が真っ白になり、降っているはずの雨の音が全く耳に入らなくなります。


「人違いだったらすみません。森田美尾さんじゃないですか?」


彼は焦燥しきった声で尋ねます。


しかし私は彼に背を向けたまま答える事ができません。

本当に彼は想太朗くんなのか、どうしてこの場所に想太朗くんがいるのかと、頭の中でぐるぐる考える私は、どう答えればいいのか知るよしもなかったのです。


それどころか、私の中では本能と理性が争いを始めていました。

想太朗くんに再会できて喜んでいる本能と、会ってはいけないのに会ってしまったと嘆く理性が、私を混乱させていたのです。


そのまま沈黙が流れました。

彼は尋ねたまま何も言わず、ただ私の答えを待っていました。


それでも、私は混乱したままずっと彼に背を向けていました。

状況を把握して、雨の音が聞こえるようになるまで、随分と長い時間を過ごしました。


その時間を経て、ようやく私は彼に振り返りました。

顔を傘で隠し、私が美尾だと知られないようにしながら、向かい合います。


そして私は、普段の自分の声を妖力で変えて、彼の質問に答えました。


「いいえ、私は森田美尾ではありません」


その答えは、猫叉の掟に従って吐いた嘘でした。

森田美尾だと告白して彼を抱き締めたい本能を抑えて、猫叉の正体を隠さなければいけないと思う理性に従った結果なのです。


しかし、それは彼にとって納得のいかない答えだったでしょう。

先程の沈黙は何だったのかと疑問に思わずにはいられなかったでしょう。


現に、彼は何か言いたそうな様子で押し黙っていました。

傘で隠れ、唇しか見えなくても私にはわかりました。


それでも、彼は小さい声で答えます。


「わかりました」


彼はそう言って、私に背を向けて歩み始めます。

先程私が歩いて来た道を歩き始め、ゆっくりとした足取りで帰っていきました。


私はその背中を見ながら、彼の心情を推し量ります。


彼はきっと私の心を察してくれたんだと思います。

私が自分を美尾だと明かさない理由を察して、追求しないでくれたのです。


きっと彼も私と会いたいと思ってくれているのでしょう。

この森上町に訪れた理由は、きっと私を探す為だったのでしょう。


それでも追求しなかった理由は、私の気持ちを大切にしたかったからかもしれません。

自分よりも私の気持ちを考えてくれたのかもしれないのです。


私は降り頻る雨の中、一人彼の背中を見つめ続けていました。


一瞬しか見る事ができなかった顔と、私の胸をくすぐる声、そして私を想ってくれる気持ちを考えて、やはり彼は森田想太朗くん本人だったのだと、私は至ったのでした。






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