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私は白猫である。  作者: 堀河竜
私は美尾である
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瑠璃色に光る石






気付けば、クリームシチューが名物の喫茶店に、通うようになっていました。

今週だけでもう4回も足を運んでいて、店員さんにも顔を覚えられてしまっています。

想太朗さんに会えない悲しみが募ると気付けばあのシチューを求めていて、歩を進めてしまっているのです。


どうしてそこまであの店のシチューに固執しているのでしょうか。

店内はいつも空いていて、テーブルや椅子も傷んでいるのに、何故他でもなくあのシチューなのか、私にはわかりませんでした。


ただ、あのシチューを食べると、その時まで張り詰めた苦しみが和らぐのです。

ずっと側に居るはずだったものと会えない悲しみと空しさを、埋め合わせるように落ち着いていくのです。


そのシチューのおかげで、ようやく私は巫女の助勤を続けられていました。

あのシチューがなければ、きっと誰とも顔を合わさずに部屋に篭っていたと思います。

偶然見付けたクリームシチューに、私は何とか自身を保っていられたのです。



そのシチューを食べて、神社へと帰った時の事でした。

太陽は既に水平線の向こうにあり、空が西側まで暗くなり始めています。

お風呂に入って、早めに寝てしまおうと考えていました。


その時に、私は大向さんに声を掛けられたのです。


「美尾さん。今、時間はあるかい?」

「ありますが、どうしたのですか?」

「少し話をしないか。本殿で月でも眺めながらどうだい?」


私は突然誘われて怪訝に思いますが、時間を持て余していたので、話をする事にしました。

悲しみも少し紛れるかもしれません。


「わかりました。少しおしゃべりしましょう」


私達は本殿に向かい、靴を脱いで畳に上がりました。

外から見える月を眺めながら、大向さんの隣に座ります。


「それにしても、何の話をするのですか? 助勤の事ですか?」

「いや、そうではないよ。美尾さんは街を出てきて辛いはずなのに、よく働いてくれていると思っているからね」


では、何の話をしようと言うのでしょうか。

私は疑問を感じながら大向さんを見つめます。


「ふむ。雑談を交えながら聞こうと思ったが、直球に尋ねよう。この街に来て一ヶ月が経ったが、調子はどうだ? 悲しみに潰れそうになってはいないか?」


その質問で、私は大向さんが彼なりに心配してくれているのだとわかりました。

私は普段笑顔を作って話をしていましたが、彼は心の奥にある悲しみを見抜いたのかもしれません。


「私の事を気にかける必要はない。辛いのなら辛いと言っていい。今日は美尾さんの本音を知りたいんだ」


そう言われても、私は戸惑うばかりでした。

今まで迷惑を掛けまいと心の内を隠してきたのです。

すぐに本音を話す事なんてできません。


しかし、大向さんはきっと私が本音を話すまで納得しないでしょう。

大向さんは私の気持ちを聞くまで引き下がらない覚悟だったのです。


なので、私は少しだけ腹の内を割る事にしました。

甘えるようですが、少し話を聞いてもらうだけです。


「それはやっぱり辛いですよ。特にこの街が嫌いな訳ではないのに、むしろ居心地がいいくらいなのに、少し寂しいんです」


大向さんは静かに耳を傾けています。

私は平静を装って話し続けます。


「生まれ育った街を初めて出た訳ですから、ホームシックになるのは仕方ないんです。引っ越した場所には慣れない事が多いんですから」


大向さんは私を見つめたまま話を聞いています。

なんとか笑顔を作って私は続けます。


「それでも、きっと時間が経てば忘れちゃいますよ。上伝馬町に住んでる人と会いたい気持ちも、想太朗くんに会いたい気持ちも、思い出と一緒に少しずつ忘れていくんです。だから……」


気が付けば、私の目から一筋の涙が頬にこぼれていました。

自分で口にした言葉が頭の中でリフレインし、目頭が熱くなってしまったのです。


私は両手で顔を抑えて涙を隠しました。

大向さんに見られないように、涙を止めようとします。


しかし、想太朗くんとの思い出も忘れてしまうと思うと、悲しみは止まりませんでした。

大向さんに私の心の内を晒してしまったのです。


「やはり、君は今まで強がっていたんだね」


もう否定する事はできなくなっていました。

私が悲しみに堪えている事は、誰が見ても明らかでした。

大向さんに迷惑を掛けてしまう事は逃れなくなってしまったのです。


「私の事は気にする事はない。先程言った通り、私は君を助けたかったんだからね。ただ……」


言いかけて口を閉ざす大向さんに、私は伏せていた顔を上げました。

その言葉の続きに耳を傾けます。


「一つ聞かせてくれ。美尾さんは猫叉に生まれてよかったと思うかい? 人間に生まれた方が、幸福だったと思うかい?」


大向さんに聞かれて、私はその質問に疑問を感じつつも、自分自身に尋ねてみました。

今までの事を振り返りながら、猫叉か人間かを選択します。


しかし、その問いにはすぐに答えられませんでした。

想太朗くんと会って幸せに暮らしたいのなら、人間に生まれたかったと答えるべきなのですが、そうと言い切る事ができないのです。


なぜなら、私は猫のように生きて人間のように生きてきました。

好きな時に猫になり、好きな時に人になって暮らしてきました。


それが猫叉の生き方で、私の道だったのです。

猫叉として想太朗くんの傍にいる事が本当の幸せだったのです。


それに、私は今まで猫叉の力で美鈴さんやジャスティンさん、想太朗くんを助けてきたのです。

人間に生まれていたのなら実現できなかった事を、私は成し遂げてきたのです。


人間にしかできない事がありますが、猫叉の私にしかできない事もある。

それを私は理解し始めました。

盲目になって見えなかった状況が、ようやく見えてきた気がしたのです。


そして、大向さんが私に伝えたい事にも、気が付きます。


「自分自身の力を――妖力を使って解決しなさいと、大向さんは言いたいのですか?」

「さあ、それはどうだか」


彼は微笑みを浮かべて誤魔化します。

肝心な部分を誤魔化されて、私は釈然としません。


しかし、先程の質問への答えるべき事が見えてきたように思えました。

想太朗くんの事を考えれば答えは揺らぎそうになりますが、私の答えは決しました。


「大向さん」


私は涙を指で拭き取り、彼の名前を呼んで答えます。


「私、猫叉として生まれてよかったです」


大向さんは驚いて私を見つめましたが、すぐに微笑みを浮かべました。


「それなら、これを持っていくといい」


そう言って大向さんは私の手を取って、何かを包み込ませました。

大切そうに両手で握らせます。


「どうしても想太朗に会いたくなった時、これに妖力を流し込むんだ」


握らせられた手を開いて中を見てみると、そこには瑠璃色に輝く石が入っていました。

まるで宝石のように光を反射していて、とても綺麗な石です。


しかし、私は戸惑うばかりでした。

想太朗くんと会ったとしても、猫叉の掟を破る訳にはいかないからです。


「ま、待ってください。想太朗くんと会ったとしても、猫叉の正体を明かす訳にはいきません。このようなものを頂いても……」


大向さんは私の言葉を遮って言います。


「今は使わずとも、いつか使うべき時がくる。それまで持っておくんだ」


そう言って、大向さんは立ち上がりました。

話は済んだようで、私を残して去っていきます。


しかし、私は納得いかないままでした。

正体を明かしてはいけないというのに、想太朗くんと会う機会など設けるべきではありません。

想太朗くんと結ばれないなら、彼への想いは忘れてしまうべきなのです。

それなら、この石が使われる事はないのでしょうか。


「今日の夜は冷える。美尾さんも早く寝てしまった方がいい」


そう言って大向さんは本殿を後にしました。

残された私は、疑問を抱えたまま、渡された石を見詰めるばかりでした。


果たして本当にこの石が使われる時がくるのでしょうか。

答えが出る事はまだありませんでした。





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