ノスタルジー
私は電車の席に座っていました。
新幹線の切符を買い、グリーン席を取って、二人掛けの席に一人座っています。
電車はいつも乗るものとは大分速さが違い、窓から見える景色も電車が動くにつれて流れるように変わっていきました。
慣れ親しんだ街からどんどん離れていくのがわかります。
その流れる景色を見ながら、私は色々な事を思い出していました。
想太朗くんの事。
美鈴さん、坂井さん、小向さん達の事。
遊園地や水族館に行った事や、月見里神社や魚屋さんで働いていた事など、沢山の事を思い出していました。
生まれ育った場所を離れるのですから、今までの記憶を思い出さずにはいられません。
やはり想太朗くんの事を多く思い出していましたが、最後に美鈴さん達と話した事も多く思い出していました。
あの後、想太朗くんの家を出て、あの街を去る前に月見里神社に行っていたのです。
私は早くもノスタルジーに浸っていました。
がたんごとんと揺れる電車の中、街で過ごした最後の事を思い出していました。
生まれ育った街で過ごす最後の日は、普段と違って人に変化する必要がありませんでした。
以前の私なら、人の姿のまま眠ってしまうと、変化が解けて猫の姿に戻ってしまっていましたが、それも妖術の訓練により解ける事はありません。
小向さんに訓練してもらったお陰で、私の妖術も向上しているのです。
その小向さんにお礼を言う為にも、私は小向さん達に会いに行っていました。
私はもう想太朗くんと会う事はできないので、この街で多くの時間を使う訳にはいきませんが、少しだけでも最後に話をしたかったのです。
神社に着くと、普段のように事務所に向かいました。
扉を開けて入ると、坂井さんと美鈴さんが話をしています。
「二人とも、どうもおはようございます」
「美尾さん!」
「昨日はどうだったの?!」
二人は私を見て、目を丸くしながら尋ねてきます。
二人は私が想太朗くんと出掛けた事を知っているので、昨日の事を訊きたくなるのも無理はありません。
しかし、私は昨日の事を思い出して、話をする事ができませんでした。
想太朗くんに抱き締められた事を話せず、顔を真っ赤にして俯いてしまいます。
「あれ、美尾。そんなに顔を赤くしてどうしたんだ?」
美鈴さんが私の様子に気付いて気に掛けてくれます。
私を心配してくれて、心優しい気遣いが嬉しいです。
しかし私はやはり返事をする事ができず、顔も合わせる事ができません。
「美尾、大丈夫か? 調子悪そうだが」
「いや、調子は大丈夫みたいだよ。ただ、昨日何かあったみたいね……」
坂井さんに言い淀んでいる事をすばり言い当てられ、私は更に俯いてしまいました。
坂井さんは照れている私を見なが ら、にやにやと楽しそうに笑っています。
さすが坂井さん、鋭いです。
「まぁ、気にしなくても大丈夫みたいよ美鈴さん。悪い事じゃなくて良い事があったみたいだから」
「そうか。それなら大丈夫だな」
含み笑いを浮かべる坂井さんに、私は顔を上げる事はできませんでした。
昨日の事を話す事は避けられたのですが、あられもない事を想像されている気がして、私はこの上ない恥ずかしさ故に顔を上げられませんでした。
「そういえば今日、美尾さんの仕事は休みだったはずだけど、どうかしたの?」
坂井さんは思い出したように尋ねます。
確かに今日は巫女の助勤は休みで、事務所に来る必要はありません。
しかし私はその巫女の勤めについて話をしに来ていました。
私は羞恥により火照った顔を上げて
本題に入ります。
「実は、今日引っ越す事になりました。突然で申し訳ありませんが、仕事も辞めなくてはいけません」
単刀直入に告げると、二人は目を丸くして驚きます。
しかし、私があまりに突然な話をしているので、驚くのも無理はありません。
以前は小向さんとの交渉を成功させる決意もあったので、事前には言わなかったのです。
「この街からもいなくなっちゃうの?」
私は申し訳ない気持ちで、坂井さんの問いにゆっくりと頷きました。
二人は残念そうな表情を浮かべて押し黙ります。
まだ美鈴さんは何か言いたそうでしたが、話せずに口を動かす事しかできませんでした。
私の話に納得できず、諦め切れないのでしょう。
しかし、私が今日二人に伝えるべき事は以上でした。
まだいつものようにおしゃべりしていたかったのですが、後はさようならと言って去るだけです。
この街で時間を使う訳にはいきませんし、小向さんにも挨拶しなければいけません。
なので、私は二人に今までのお礼を告げて帰ろうと思いました。
一人ずつ、最後の言葉を残して去るのです。
「あの、坂井さん」
名前を呼ぶと、坂井さんは伏せていた顔を上げました。
よく見ると目から涙が溢れそうになっていましたが、坂井さんはすぐに指で拭いてしまいました。
「な、泣いてないから」
目を赤くして言う坂井さんに、私は少し笑ってしまいました。
気の強い坂井さんらしい最後です。
「坂井さん、今まで有り難う御座います。坂井さんは頼り甲斐があって、私のお姉さんみたいでした。坂井さんから離れると思うと、少し心配になってしまうくらいです」
恥ずかしいですが、不思議と坂井さんの顔を真っ直ぐ向いて話せました。
逆に坂井さんが顔を反らしてしまっています。
「そう。それは嬉しいかな」
珍しく顔を紅潮させる坂井さんに、私は顔を綻ばせずにいられませんでした。
「それと、美鈴さん」
美鈴さんを呼ぶと、彼女は坂井さんと違って涙をぽろぽろと溢していました。
目から溢れて頬にまで伝っています。
実は美鈴さんが一番涙を流さないと思っていたので、意外です。
「美鈴さんはクールで格好良いですが、時々天然なところもあって可愛い人だと思っていました。私の事をよく気に掛けてくれて、とても良い友達です」
美鈴さんは顔を強ばらせて、泣きながら聞いていました。
話が終わると、頷いて涙を拭きます。
しかし、私が伝えた事と心にある事は、少しだけ違っていました。
私は美鈴さんを友達だと言いましたが、本当はそれ以上の存在で、親友とまで思っていました。
私と美鈴さんは白猫と黒猫で対極となる存在でしたが、気が合ったり似ているところもあって、仲良くなれたと思っていたのです。
最後なのではっきりと親友と言えばよかったでしょうか。
心残りがありましたが、私は別れの言葉を口にします。
「それでは、時間も押しているので私は行きますね」
言うと、坂井さんが名残惜しそうに微笑んでくれました。
これでもう会えなくなるのだと思うと、私も目に涙が滲んでしまいます。
さようなら。
そう言って私が手を振ると、坂井さんも手を振って送り出してくれました。
私は事務所の扉を開けて出ていこうとします。
「美尾、また会えるよな?」
扉を閉めようとすると、美鈴さんの声が聞こえました。
見ると美鈴さんは、涙を目に溜めながら切羽詰まった表情をしていました。
やはりまだこの別れに納得できないのでしょう。
いつかまた会いたいと、思ってくれているのでしょう。
さらによく見ると、美鈴さんの手は小刻みに震えていました。
私の「会えない」という答えを恐れて、震えているのです。
私はそんな美鈴さんを見て、とてもその答えを告げる事はできませんでした。
この二人とも会えなくなってしまう私は、本当の答えを言えなくなってしまったのです。
その私は少し言葉に詰まった後、笑みを浮かべながらこう答えてしまいました。
「はい。いつかまた」
そうして私は扉を閉じ、事務所を後にしました。
微笑みを浮かべながら手を振ったのです。
不思議と罪悪感はありませんでした。
その嘘がただの有り触れた嘘とは思えず、私の希望や願いのように思えたのです。
私はその気持ちと感傷を胸に、小向さんの元へ向かいました。
本殿の隣にある家へと歩いていきました。
今回から次回まで回想がほとんどになります。
前回は美尾が想太朗の元を離れて街を去る話だったのに、今回坂井さんと美鈴と会う話は違和感があるなと思って回想という体で話を進めています。
本当は小向さんの話までまとめて一話にしたかったのですが、よく考えたらボリュームが大きかったです。




