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私は白猫である。  作者: 堀河竜
私は黒猫である
11/63

正体を明かせない辛さ



琢磨さんとの生活が過ぎ、私達は共に年を取っていった。

子猫だった私は成長し、若かった琢磨さんは三十路を過ぎた。

その頃には露店のある商店街も人通りが少なくなり、段々とシャッター街と化していった。

都会へと上京する人が多くなり、町も少しずつ廃れていった。

 

そうなってくると、商店街に露店を開いていた琢磨さんに影響が出てくる。

油絵が売れなくなり、生活が苦しくなる。

バイトで生活費を稼いでいるものの、絵を描く事が金銭的にも時間的にも厳しくなってきたのだ。

 

琢磨さんの貯めていたお金も段々と減っていき、やがて通帳が彼の預金を使い果たした事を示した。

 

私は描画を辞めて画家の夢を諦めるしかないと思った。

絵を描く事を辞めてほしくなかったが、生きる為ならそれも諦めてアルバイトへ時間を回さないといけないと思っていた。

 

しかし、琢磨さんはどうしても辞められなかったのだろう。

彼は諦めたりせず、そのまま借金してまで絵を描き続けた。

 

有名な画家になる。幼い頃からそんな夢を持っていた。

だから琢磨さんは夢を諦めず、絵を描き続け、売り続けたのだ。

 

私は琢磨さんが借金する度に固唾を呑んだ。

琢磨さんの事が心配で仕方なくなり、のんびりと眠る事さえもできなくなった。

話す事ができない猫の姿のままでは、絵を描いている琢磨さんの背中をじっと見ている事しかできなかったのである。


私は猫又の正体を現せない事を何度も疎ましく思った。

このままでは琢磨さんの未来から光が失われ、底の見えない穴へと落ちて行ってしまうと絶えず焦っていた。

 

そして遂に現在、遂一昨日の事である。


「お前いい加減にせえよ。いつまで金返さん気や!」

 

琢磨さんの借金は膨らみ続け、遂に借金取りが家に現れるようになっていた。

電気を消して居留守を続けていたが、それも欺瞞とバレてもう使えなくなっている。

それで借金取りは今、家に乗り込んできて鬼のように罵声をあげているのだ。


「すいません、払いたいんですが稼ぎが少なくて……」

「そんな事はわかってんねん! どうしてそんな稼げないかって訊いてんねん!」

「いやぁ……俺も頑張ってるですけど……」

「嘘付け! バイトの時間削って絵を描いてんの知ってんやぞ!」

「……」

 

私は琢磨さんの隣から借金取りの低い怒鳴り声を聞いていた。

借金取りの声はアパートの暗い部屋に響き渡り、薄い壁の向こうにまで響くほどだ。


「いい加減画家になる夢なんて諦めてもっとバイトしろや! 絵なんて描いてるから金返せんのやろ!」

 

そう言って、借金取りは琢磨さんの画板やキャンバスの置いてある方へ向かっていく。

何をするつもりだ? まさか……。


「俺が諦めさせてやらあ! お前に画家なんてできっこなかったんや!」

 

借金取りは私が思った通り、琢磨さんの道具を壊し始めた。

画板を蹴って倒し、絵筆や絵の具を投げ散らかし始める。


「ちょっと何してるんですか!」

「言ったやろ! お前に画家なんて無理だから諦めさせて大人しくバイトさせるんや!」

「ダメです! 俺には画家の道しかないんです!」

「だから無理だって言ってるやろ! お前には才能がないんや!」

 

琢磨さんはどうにかして借金取りを止めようと足にしがみついていたが、腕で頬を殴られて弾かれてしまった。

口に血を流し、憎々しく借金取りを見つめる琢磨さん。

 

私も彼の絵道具を荒らされて、琢磨さんを殴られて、黙っている事はできなかった。

爪を立て、牙を剥き、借金取りに向かって威嚇した。


「なんやこいつ……猫の癖に人間様に楯突く気か……?」


借金取りは冷酷な目で見ていたが、構わず私は借金取りに向かって飛び掛かり、頬を私の爪で引っ掻いた。


借金取りは頬を抑えて仰け反り、私は床に着地する。

振り返って借金取りを見てみると、借金取りの頬には綺麗に傷ができていた。

三本の引っ掻き傷が入り、そこから血が垂れている。

 

私は借金取りに仕返しができて少し清々していたが、借金取りは私を怒りの念を浮かべて見つめていた。どうやら借金取りを本当に怒らせてしまったようだ。


「何いい気になっとんや! クソ猫が!」

 

借金取りはそう怒鳴った。鬼の表情で私のところまで走ってきて、そのまま足を振り上げる。

どうやら借金取りは私を蹴り飛ばすつもりみたいだ。

 

しかし俊敏な猫なら、その蹴りを避ける事もできただろう。

借金取りの足の軌道は見えている訳だし、左右に避ければいいのだ。

 

ところが次の瞬間、私が思っていた事とは違う事が起きた。琢磨さんが私の前に飛び込んできたのだ。

私の壁になるように、借金取りから私を庇うように入ってきたのだ。

 

そして鈍い音が私の耳に入ってくる。

借金取りの足が琢磨さんの背中を蹴る音が入ってくる。それは大きめの音で、大きさだけでもう痛みが伝わってくるほどの音だった。


「お前、なに猫庇ってんねん! アホちゃうか?!」

「美鈴は! 美鈴だけはやめてくれ! 俺の大切な猫なんだ!」

 

琢磨さんは私を抱き抱え、床にうずくまりながらそう叫んだ。

涙を流し、震えている声。

その声はとても悲しみに満ちていて、懇願の意が込められていた。


「いいや! この猫ももう殺すべきや! こんだけ借金抱えてるやつがどうして猫飼ってんねん! そんな金あるんやったら金返せや!」

「美鈴だけは! 美鈴だけは勘弁してください!」

 

借金取りはそう言いながら琢磨さんの背中を蹴り続け、琢磨さんは私を抱えながら借金取りに訴え続けた。

何度も鈍い音が部屋に響き、琢磨さんに守られている私にも軽い衝撃が伝わってくる。

 

私は動く事ができなかった。

琢磨さんに抱えられているからという理由もあるが、私は琢磨さんに心打たれしまい、体がどうしても動かす事ができなかったのだ。

 

ただ私はずっと琢磨さんと借金取りのやり取りを聞いていた。

琢磨さんの懇願の声、借金取りの罵倒する声。

そして部屋に鳴り続ける鈍い音。それらをずっと聞いていた。

借金取りの気が済んで、ようやく家から帰るまで私はジッと聞いていた。

 

そうして借金取りが帰った後、琢磨さんは弱々しい手つきで私を離した。

私の安全を確認すると、琢磨さんの目から涙が溢れ出す。

 

私は心配して、ニャーと鳴いて琢磨さんに擦り寄ると、琢磨さんは泣きながら私の頭を撫でた。

その手は微かに震えていて、琢磨さんの心情が伝えてくる。

 

とても傷付いている。

そして、夢を諦めるべきか否かを迷っている。

彼のその感情を読み取るには、妖力を使わなくても容易だった。


「美鈴……俺はもう夢を諦めないといけないのかな……生きる為に夢を諦めてバイトしないといけないのかな……」

 

私は琢磨さんの前に立ってジッと話を聞いていた。

琢磨さんには画家になって夢を叶えて欲しかったが、生きる為に諦めるとなると想いは変わってくる。

琢磨さんに飢え死にしてほしくないし、もっと生きて私と一緒に居てほしい。

 

そう考えていたが、どうにかして琢磨さんに夢を追い続けさせる事はできないのだろうか?

もう夢を諦めるしか方法はないのだろうか?

 

いや、まだ私はやれる事がある。

正体を明かして、琢磨さんの代わりにアルバイトをするのだ。

猫にはできないが人間ならそれができ、生活費や借金を返す代金を稼げるのだ。

 

正体を明かしたい……。

猫叉だとバレてしまえば他の猫叉にも迷惑をかけてしまうかもしれないが、どうしても私は正体を明かして琢磨さんを助けたい。

明かせば琢磨さんが私を恐れるようになってしまう可能性もあるが、この琢磨さんの悲痛の姿を黙って見ていろというのか?

いや、私にはそんな薄情な真似はできない。

私はただの猫ではなく、人間と同じように厚い感情を持つ猫叉なのだ。

 

だから、正体を明かそう。

私は猫叉であるという事を、琢磨さんを救う為に明かすのだ。

 

そう意を決した私は、琢磨さんから離れ、「ニャー」と鳴いて琢磨さんの注意を引き付けた。

そして琢磨さんが不思議がって見ているその状態で、私はわざと人間へと化した。

 

明かりの灯っていない暗い部屋に目映い光が広がる。

ライトブルーの光に包まれて、光を放っている私のシークレットは猫から人の形へと変えた。

 

変化の途中、私は琢磨さんが人間となった私を見て、どんな顔をするだろうかと考えた。

もちろん琢磨さんからすれば、私が今見せている光景は怪異だし、普通ではない事だ。

 

だから変身を終えた後に、琢磨さんはどんな顔をしているか、どんな反応をするか気になって仕方がなかった。

 

変化が終わり、暗闇に戻った部屋に座り込む琢磨さんを見ると、彼は思ったよりも冷静な顔をしていた。

目を丸くしていたが、私はもっと驚いて慌てると思っていたのだ。


「美鈴…なのか……?」

「そうです……」

 

私は初めて人間の姿で琢磨さんと口を利いた。

緊張して、私も恐る恐る質問する。


「恐がりますか……?」

「……いや、驚いたけど、恐怖はないよ。今まで飼ってた俺の猫だからね……」

「そうですか……」

 

良かった……琢磨さんは私を警戒してない……。

一番恐れていた事は免れたみたいだ……。


「それで琢磨さん、私は琢磨さんの力になりたくて正体を明かしたんです。

何年もお世話になってきた恩を返したいのです」

「……」

「私はただの猫ではなく猫叉です。だから琢磨さん、私に何か手伝わせてください。琢磨さんの代わりにアルバイトをしたり、油絵の宣伝をしたりします」

 

私が床に正座して頼むと琢磨さんは少しばかり悩んでいたが、その後はコクリと頷いて微笑んでくれた。

それが嬉しくて、私も自然と笑顔になる。

互いに笑い合い、それから私達は暗い部屋の中で互いの事とこれからの事を話し合ったのだった。

そうして私は琢磨さんに正体を明かし、"猫の手を貸す"日々が始まった。

勿論琢磨さんには猫叉の存在を公言しないようにお願いしたから、猫叉の仲間達に迷惑がかかる事はない。

仲間達に迷惑をかけず、琢磨さんに猫叉の存在を受け入れられる。

 

一先ず、私の望んだ通りだ。これで私は琢磨さんの力になる事ができる。

これから猫として世話になるだけじゃなく、人間として琢磨さんの力になっていこう。

 

そしていつかは琢磨さんの夢を叶えてあげるのだ。私はそんな希望に満ちた未来を想像し、琢磨さんの幸せを願っていた。



----------------------------------------------------------



 私達は話を終え、喫茶店「ひなた」から出ました。

美鈴さんの話を十分聞くことができましたし、私は満足です。

 

美鈴さんも話を終えて、また努力しようと思い直したのか、表情にやる気が満ちています。


「今日は話をしてよかったよ、美尾さん。私も頑張らなければって改めて思うことができたから」

「それなら良かったです。私も話が聞けて良かったですよ」

 

私が微笑みを浮かべながらそう言うと、美鈴さんもまた微笑みました。

私達はなんとなく二人で見つめ合い、笑い合います。


「美尾さんも主人に正体を明かしたいと願っていると聞いたが、そうなのか? 美尾さんにも守りたい人が?」

 

私は想太朗さんの事を浮かべます。何度か私を助けてくれた、優しい人。


「そうです。今は明かす必要もなく、ただ私が明かしたいと願っているだけなんですけどね……」

「願っている? それはどうしてだ?」

 

美鈴さんに質問され、私は理由を述べようか迷ってしまいましたが、美鈴さんは私に話を聞かせてくれたんです。

恥ずかしかったですけど、嘘偽りはありません。

堂々として理由を述べました。


「愛しているからです」

 

美鈴さんは私の言葉を聞いて、意外そうに目を丸くしていましたが、笑って納得してくれました。


「でも、やっぱり正体を明かす訳にはいきません。それにこの理由は自分の都合にしかなっていません」

「……そうだな。でも、私は美尾さんの幸せを応援したいと思ったよ」

「ありがとうございます。私も美鈴さんと琢磨さんの幸せを応援してます」

 

私達はまた笑い合いました。

そう言ってくれるだけでも私は嬉しくて、有り難かったのです。

 

私は誤解していたようです。初め、美鈴さんは恐い人だと思っていましたが、それほど恐い人ではなくとても良い人でした。

自分の事よりも他人を優先して考える事は、悪い人にはできません。

全く無関係の人を巻き込んでしまうのが今回の失敗ですけど……それでも、私は美鈴さんを立派だと思いました。


「それじゃあ私は帰るよ。頑張ってね、美尾さん」

「はい。美尾さんも頑張って……」

 

そう言って美鈴さんは帰路に向かい始めました。私は美尾さんに手を振って見送ります。

 

しかし、私はまだ美鈴さんに言っておきたい事がありました。今まで言おうかどうか迷っていて、まだ胸に抱えているものです。


「あ、あの! 美鈴さん!」

 

迷っていましたが、居ても立ってもいられなくなり、私は美鈴さんを呼び止めました。

美鈴さんはいきなり呼び止められて、驚いてこちらを見ています。

 

私は美鈴さんを呼び止めて未だ迷い続けていました。

思うところありますが、実行するにはまだ躊躇いがある。

私の優柔不断という欠点が現れていました。

 

しかし、ここではっきり決めましょう。

美鈴さんを呼び止めたという事は、それほど想いが大きかったという事と割りきって。


「美鈴さん、私に美鈴さんと琢磨さんを手伝わせてください」

 

割りきって、私はそう言いました。

それが私の言いたかった事です。

心に残っていた言葉です。


「美鈴さんの話を聞いて、純粋に二人を助けたいと思いました。借金取りに怒鳴られても夢を追い続ける琢磨さん。それを自分の身を体して支える美鈴さん。二人の姿に感動して、私は少しでも力になりたいと思ったんです」

「しかし、美尾さんに迷惑が掛かってしまうかもしれない。借金取りは何をするかわからない人なんだ」

「それも考慮の上です。それで私は迷っていたんです。でも私は手伝うと決めました。だから私に手伝わせてください、美鈴さん」

 

美鈴さんは私に頼み込まれて少し困った表情をしていましたが、すぐに口元を弛めて笑いました。仕方がない、という風に苦笑していました。



----------------------------------------------------------



「それで美鈴さんを手伝う事になったのか」

 

私は美鈴さんと別れた後、再び月見里神社に訪れました。

客間の座布団の上に座り、机越しの小向さんに、美鈴さんと琢磨さんを手伝う事にした事を話します。

 

しかし、小向さんはあまり芳しく思っていないのか、苦笑いを浮かべています。


「美尾さん、それ大丈夫かい?」

「何がですか?」

「琢磨さんの夢は簡単なものじゃないし、君の安全も危ぶまれる。いいのかい?」

「いいんです。美鈴さんの要望で借金を返し終えるまでという約束をしましたし、危険は覚悟の上です」

「そうか……」

 

小向さんは呟くように言い、自分で淹れたお茶を飲みました。

ズズ……と啜り、ゆっくりと机の上にお茶を置きます。

 

私は黙って目を伏せ、考え事をしながら意味もなくお茶の上の茶柱を見つめていました。

二人とも言葉がなくなり、しばらく客間に静かな時間が流れています。

 

そんなゆっくりとした空間の中、私もお茶を飲み、小向さんにズバリ言いました。


「小向さん、私が想太朗さんの家に住む事、教えてませんでしたが知ってますね?」

「……どうしてそう思ったんだい?」

「美鈴さんが正体を明かした事をこんなに早く知っている訳ですから、私の事も知っているはずです」

「まぁね」

 

小向さんはにこにこと微笑みを浮かべて答えました。

秘密を追求する事は本人にとってあまりしてほしくない事だと思っていましたけど……。


「どうして人のプライベートを知ることができるんですか?」

「それは秘密」

 

あぁ、やっぱり秘密にしとくべき事は明かさないんですね。気になりますけど仕方がありません。


「美尾さんが言いたい事は大体わかるよ。プライベートを覗かないでとか、やめた方がいいじゃないかとかさ。でも、これが僕の役割なんだ。ストーカーみたいだけど、猫叉たちがどうしてるか、知って治めなければならないんだ」

「わかっています。理解してます」

「ただ安心しなよ。僕は変なところまで覗かない。覗くのはそれぞれの行動だけだよ」

「それは小向さんの日頃の行いを見ると、信頼できない言葉ですが」

 

そう苦笑して言うと、小向さんは軽やかに笑いました。

少しは詫びてほしいと思いましたけど、黙って苦笑いを浮かべます。

 

しかし、小向さんの言葉は何故か信用できます。

根拠はあまりありませんが、なんとなくフィーリングでそう思うのです。

私はお茶がやっと冷めた事を確認すると、両手でお茶碗を持って飲みました。一息つき、私の今の現実と未来の事を考えます。

 

私の望む未来。それを阻んでいる現実の事を。


「……小向さん」

「なんだい?」

「……正体を明かしては、いけないんですよね?」

「…そうだな」

 

私は小向さんが美鈴さんを叱った時の言葉を思い出していました。

猫叉の仲間達を危険に晒してはいけない。

正体を明かす事で誤解を生むかもしれない。

 

それらの言葉が私の心を縛り付けていました。

まるで美鈴さんに言ったはずの言葉が私へ向けられた言葉のように。

 

想太朗さん……。

 

私はもう想太朗さんに恋をしてしまいました。

私と想太朗さんは、一生結ばれないのでしょうか。

猫叉と人間が結ばれる事は、許されないのでしょうか。

私は人間だと嘘をつき続けて結ぶ事はできますが、やはりそれは避けるべきなのでしょうか。

 

叶わぬ恋……。そう思うと、私の胸は酷く痛みました。

今度想太朗さんとデートしますが、それさえも止した方が良かったのでしょうか。

 

私は目を伏せながら、そんな事を考えていました。胸が潰れそうな想いで想太朗さんの事を考えているのでした。


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