第6話 嫌いなこと 『暇』
「ちょっと待っててね」
その子の入院している部屋の前まで来ると、栄子さんに少し待つように指示をされた。
女の子なのだから、色々とあるのだろう。
俺にはわからないが。
「いちごちゃん、来たわよ、例の人」
イチゴちゃん?
……まぁ、最近は自分の子供にとんでもない名前を付ける親もいるんだし、それに比べたらいちごって名前は普通だよな。
「え……と。どうぞ、と伝えてください」
えらく緊張した様子で俺の登場を待つイチゴと言う名の少女。
「どうぞだって、拾人君」
病室の中から頭だけをひょこりと覗かせた栄子さんに言われるがまま、足を進めていく。
最初の一言はなんと言えばいいのだろう?
シンプルに『はじめまして』で行こうか……それともピースを取り出して簡潔に『これ、返すよ』とかのが言いのだろうか……。
最初の一言に様々な思考を巡らせながら病室の中に入ると、そこに少女の姿はなく、四枚のカーテンが左右に二つずつ、陣地を隠すように引いてある。
「あれ?」
予想外の展開に頭の中に思い描いていた思考の全て吹き飛んでいく。そして残ったのは『部屋を間違えた?』と言う疑問だけ。
「こっちこっち、窓側の拾人君から見て左のカーテン」
言われたほうに目を向けると、そこに人の出入りができる程度の隙間があった。
部屋の入口からでは中までは確認できないようにできており、足を進める他ない。
一歩ずつ一歩ずつ、カーテンの向こう側が見える位置が徐々に近付いていき、そのカーテンの端に奇妙な汚れらしきものを確認した時、俺は重大なことに気付いた。
ここは俺が三回目の入院を過ごした病室だ。
気付いた頃には、すでに俺の身体はカーテンの奥側が見えるラインを超えており、少女の姿が目に入った。
可愛らしいパジャマ姿で病院のベットに腰かけている少女。
子供らしい丸みを帯びた顔のライン。クリッとした瞳。あどけない頬。人形のような小さな手。
なにより目を見張ったのは、小さな身体に見合わない腰まで伸びきった長髪。そしてその色。少女の長髪は、遠目から見た時と劣らずに白く輝いている。
そう、目の前にいる少女の正体は、公園で見た『光髪の少女』その人だった。
「あ……」
俺と光髪の少女の声が重なり、見つめ合っていた目を互いに背けてしまう。
信じられなかった。
あれ程、俺を苦しめるだけ苦しめた光髪の少女が、今こうして俺の目の前にいる。
悩み苦しみ続けた俺の目の前に、さも当然のように現れたことは、まるであの公園での出来事が、神の導きであったのではないかと考えてしまうほどに、奇跡的確率であった。
「それじゃあ……あたしはこれで」
エヘへと女性にしてはだらしないと指摘をされそうな笑いを浮かべると、栄子さんは足早にカーテンの端を掴み、俺と光髪の少女を取り残すように消えていった。
「あ……と」
予想できるはずのないことが当たり前のように目の前で起き、俺の頭はどんな会話をするべきかの判断もつかなくなっていた。
「あ……あの! 拾人さん!」
「は、はい!」
まるで年上と会話をするような返事をしてしまう。
「…………」
光髪の少女は喉元で言葉を詰まらせると、俯いてしまった。
「…………」
あ、嫌な沈黙が訪れた……。
この子は言葉を詰まらせ、俺はその言葉が出るのをひたすらに待つ、待ち続ける。待ち続けなければならない。
普通なら。
「えと、イチゴちゃん。だよね?」
「はい……」
だけど俺はそうはしなかった。
あれこれ理由を付けることもできるが、一番の理由はあの重い空気が嫌いだからだ。ああなるくらいなら雰囲気をぶち壊しにしてでも言葉を続けたい。
幸いにも、光髪の少女は喉元まで込み上げていたものを遮られたことにそれほど不快感を感じてはいないようだ。
「いい名前だな」
出来る限り自然に思いついた言葉を繋いでいくが、光髪の少女――イチゴはどこか困ったように言葉を詰まらせ、今度ははっきりと口にした。
「あの……私の名前はイチゴじゃないんです……」
「え? いやいや、栄子さんだって君だって『イチゴ』って……」
光髪の少女は申し訳なさそうに頭を下げると、こう言った。
「み……美夏です。『苺 美夏』」
いちごみかん?
違う違う、この子が言いたいのは苗字が『苺』であって、名前が『美夏』ってことだ。
「なるほど……軽率な発言だったみたいだ、ごめんな」
「いえ……よく間違えられますから、あまり気にはしてません。それよりも……拾人さんの苗字を、教えてくれませんか?」
「俺の?」
意外だな……俺の苗字なんかに興味があるだなんて。
それでも、質問されたのなら答えないわけにはいかないのが、広見拾人って人間なんだよな。
「俺はだな……広見だ、『広見 拾人』。好きな食べ物は駄菓子で、嫌いな食べ物は病院食のトマト。あの生温かさと言ったら形容できないほど不味い。趣味はゴミ拾いだろ。あとは……そうだ! 眼が良い。俺の眼はかなり遠くに落ちているゴミだって見落とさないくらい、眼が良いんだ」
次々と飛び出す不必要な俺の個人情報に、美夏は呆け、そして笑ってくれた。
「ありがとうございます」
「……?」
何に対しての感謝なのかわからず、首を傾げていると、美夏はその光髪を揺らしながらベットから降りた。
「お……おい、ベットから降りて大丈夫なのか?」
自分の患った病気は、歩行するのに少々手間を取るものだった。そのため、どこぞへ行こうとする美夏を見ると、つい心配になる。
「はい。外を少しの間、眺める程度なら」
ベットから数歩歩き、栄子さんが余計に閉めていったカーテンを少しだけ開くと、その奥には空が映し出された。
あの時見た積乱雲も、それを栄えるために存在している広大な青空も、全てが一望できる。
「ここから、飛んでいったんです。私の大切な物が……」
その言葉を聞き、なぜ俺がここにいるのか、思い出した。
「それを集めることこそが俺に課せられた使命だ」
「使命……」
かっこよく決めたところで、満面の笑みを披露する。
「なんつってな、そんな大層なもんじゃないさ。ただただ、暇だからだ」
「えぇ……」
失望――いや、呆れるようにこちらをジトリと見つめてくる美夏。
「悪いか?」
「い、いえ……」
明らかに不満ありげな眼を向けられる。
「いいか美夏……は馴れ馴れしいな、イチゴちゃんだな、うん」
気を取り直し。
「いいかイチゴちゃん、俺は人生の多くを『暇』に費やしてきた。三度の入院と手術を繰り返し、ここみたいな病室で幾度となく小学校のチャイムを耳にしてきた。そのたびに『暇』が俺を襲う。だから、俺はどんな面倒そうなお願い事もできる限り『安請け合い』するようになった。一つ返事で引き受けたお願いは、フタを開ければ大体が面倒事だ、だけど『暇』じゃなかった。『暇』じゃないから忙しい。だけど、確かな充実感がそこにあった。だから俺は『安請け合い』をする」
渾身の力説を唱えた後で、顔から炎が飛び出るほど恥ずかしくなった。穴があったらそれをさらに掘り進めてしまうほどに。
「そう……ですね」
美夏の反応を見る限り、あまり心が動いた様子も見られない。
どうやら、完全に滑ったらしい。
あまりの恥ずかしさに、つい窓の向こうに目を逸らしてしまう。
その先に見えるものは大きく分けて三つ。
上に青空。前に――正確にはその左端に銀掘小学校。真下には銀掘公園。
真下に広がる風景を目にしていると、早朝の出来事が脳裏を過る。
俺はゴミを拾っていた……そして見つけた……。
思い出すほどのことですらない疑問を思い出し、ポケットに腕を入れる。
「そうやって安請け合いをして結果、俺は忙しさ意外にもある物を得た。それは……」
そこで言葉を切り、ポケットからある物を差し出す。
「ピース……なんで拾人さんが?」
「なんでって……栄子さんに頼まれたんだよ、『ピースを集めて』って。聞いたなかったのか?」
美夏はなにも言わずに、恐る恐るピースに腕を伸ばした。
「そんな怖がるなよ。これはお前の大切な物なんだろ?」
「はい……はい!」
ピースを置いている俺の掌に、美夏の掌が重なり、少しの間、二人から距離感が存在しなくなった。
「ありがとうございます!」
「いいってことよ」
先ほどのなに対してかわからない感謝ではなく、ちゃんとした意味がある感謝を表すように美夏は微笑み、俺はそれに対する喜びに笑った。
この笑顔こそが、俺が得たある物だった。
「一つだけ誓わせてくれ、イチゴちゃん」
「……はい?」
「俺は今日から暇になる予定だった。だがお前がそれを破ってくれた。だから、その恩返しとして、俺が全部のピースを集めてやる、だから……」
「だから……?」
美夏の肩に触れ、優しく告げる。
「早くベットで休んだ方が良い。気付いてないかもしれないが、今のお前はフラフラだぞ?」
肩に置いた腕に軽く力を入れ、負担が掛からぬよう、ゆっくりと美夏をベットまで誘導する。
「すいません、気遣わせてしまって……」
「ガキなんだから、年上に気遣ってもらうのは当然だろ。んじゃ、また今度にでも、ピースを集めてやらからさ、それまで病気になんか負けんなよ」
励ますため、元気の象徴である笑顔を一点の曇りもなく見せる。
「じゃあな」
そのまま振り返り、駆け足混じりカーテンの向こう側へと消えに行く。