第5話 体型 『瘠せノッポ』
空が蒼い。
体感的なだけかもしれないが、真夏の空は他の季節に比べて、その蒼さを増しているんじゃないかと、俺は毎年思う。
病院の前まで来た俺は、すでに栄子さんが辺りのゴミを掃き終わり、院内に戻っているのを確認し、自動ドアの奥へと進んだ。
そこで受付の方に栄子さんについて尋ね、「お呼びしますので、お掛けになってお待ち下さい」と言われ、こうして待合室のソファーに腰を下ろしながら、天井に設置された天窓を眺めているわけだ。
一瞬、受付の方から手慣れた手付きで『健康診断シート』なるものを出されかけた気もするが……今回ばかりは入院ではないのです。と、言わんばかりに話を進めたことにより、なんとかそれを貰うまでには至らなかった。
しかし空が蒼い。まるで晴天だな。
こうも空が青々しいと、ついつい雲かなにか、青以外のものを探したくなるのが人の性。
眼を凝らし、辺り一帯の風景を見回そうとするのだが……天窓では広大な空の全てを照らすことなどできるわけもなく、小さな四角形の空には、雲など一握りも存在しない。
映し出されているのは、ただただ蒼い空。
仕方なく、待つことにした。
暇を潰すために空を眺めていたはずが、今ではどこかで浮遊している雲が、天窓に映る範囲まで流れるてくるのを待っていた。
そんな、一見矛盾している事柄に意味もなく一笑していると、空の端から白色の物体が漂ってきた。
「お!」
願っていたことがあまりにもすんなりと叶い、思わず声が漏れてしまい、慌てて口を塞いだ。
二十四時間、三百六十五日、休むことなく働いている病院の待合室に、俺一人しか居ないなんてことはまずあり得ない。
辺りの様子を確認し、数名の患者さんたちがこちらに見向きもしていないことにホッと胸を撫で下ろす。
再び目線を天窓に戻すと、頭一個分ほどしか出していなかった白雲が、天窓の半分を覆うほどに成長していた。
更に待ち、白雲が天窓の九割を占拠した時、ようやく気付いた。
この白雲は積乱雲だ。
何重にも折り重なって出来た雲。空に聳え立つ雲の山。夏の象徴とも入れる存在。
とにかく広大で、天窓の全てが積乱雲に支配された時、彼は太陽の光をいっぱいに吸収し、白く光っていた。
例えるならそう……。
「あの子の光髪だ……」
いや今のはおかしいだろ!
なんであの子が出てくるんだよ!?
自分自身にツッコミを入れつつ、気付けの勢いで自分の頬をぶん殴る俺。
痛い……。
なんだろな、なんだか変だぞ俺……。
なぜ自分が、繋がるはずのないあのタイミングで光髪の少女を思い浮かべてしまったのかと、自問自答を繰り返す。
偶然なのだろうか?
はたまた、あの子になにかしらの思い入れがあるのだろうか?
それはマズイ、社会的にも精神的にも。
どれほどサバを読んだとしても、あの子は小学生。この銀掘病院から北に五分ばかり歩いた所に小学校が建てられているのだから、あの子が小学生である可能性は十二分にある。
いや……そんなことはどうでもいい。
本当に問題なのは、俺自身があの子にどんな感情を抱いているかだ。
俺が少女に恋い焦がれているだと? あり得ないな。
と、叫びたいのは山々だが、今現在こんなことを考えている時点で『絶対』はない。
頭を抱え込みながら葛藤している俺の姿は、他人からしてみれば重度の病を宣告された患者だろう。
まさにそうだ。
今の俺は深刻な精神病と闘っているのだ。
病の名は『ロリコン病』。
「拾人君?」
天使と悪魔による、誘惑と現実の激戦に水を差すように、栄子さんの声が耳に入った。
「ああ……栄子さんですか……」
覇気のない返事を返すと、栄子さんは苦笑気味に言った。
「元気ないわね~。朝見た時よりも更に痩せて見えるわよ?」
「どうせ俺の瘠せノッポ型ですよ……好きで痩せてるわけじゃないのに……」
昔から食っても太らないタイプだった俺は、今では少し胸を張るだけでアバラ骨がむき出しになるほどに瘠せている。
明確な体重は……悲しくなるので言いたくない。
「ゴメンゴメン、それが拾人君のチャームポイントだもんね」
謝る気などさらさらないのか、片手だけを前に出し、言い訳がましい謝罪をしてくる。
「ハァ……」
重苦しいため息を吐きながら、ポケットからある物を探る。
「持ってきましたよ、栄子さんに言われてたジグゾー――」
「ああ! 待った!」
そう言うと、栄子さんはポケットを探っていた俺の腕を鋭く制止した。
「せっかくだし、直接渡してくれないかな?」
「渡すって、誰に?」
「このピースの持ち主よ」
「昨日は強い風が吹いてたでしょ?」
ピースの持ち主がいる病室を目指し、俺と栄子さんはせっせと階段を登っていた。
病人でもなんでもないのだから、エレベーターを使わないのは一見当たり前に思えるが、実際に目の前の楽なエレベーターを素通りし、面倒な階段を目指した栄子さんに、少しばかり感心していた。
「はい、台風になりかけたへっぽこ低気圧ですよね?」
「へっぽこ低気圧……フフ、面白いネーミングね」
アレの名付け親は父さんなんだけどな……。
「へっぽこ低気圧が銀掘町を襲ってた時、ちょうど部屋の窓を開けっ放しにしてリハビリ室に出かけてた子がいるのよ。同室の人たちも何人かいたんだけど、皆ちょうど部屋を開けてて、結局その部屋には誰もいなかったの」
「ふむふむ」
なるほど、大方その時に色々と吹き飛ばされたんだろうな……。
「それに気付いた看護婦が大急ぎで窓を閉めたんだけど……すでに部屋の中はめちゃくちゃで、ある子の大切な物がどこを探してもなかったのよ」
「それがこのピース?」
「ご明察」
それで俺にピース集めを依頼したのか……。
しっかし、何百枚あるかわからないピースが全部、町内に散らばったんだよな? いくらゴミ拾いが趣味って言われてる俺でも、全部集められる自身はないぞ。
「その日はあたしがその子の担当だったってこともあるし、何よりあの子が一生懸命に描いてた絵が、バラバラになって二度と集まらないと思うと……」
「なんとかなりますよ、てか俺がなんとかします」
安請け合い……。
俺の良いとこであり、悪いとこでもある安請け合いがまたも出てしまった。
「ほんと!? ありがとね~、あたしもできる限りの協力はするから」
満面の笑みを浮かべ、階段を二段飛ばしで駆け上がる栄子さん。
「ところで……その子って――」
こちらも二段飛ばしで追いかけつつ、少しだけ疑問に思っていたことを聞こうとした。だが、二段飛ばしで駆け上がっていた栄子さんが急に足を止めたせいで、つい言葉を飲み込んでしまった。
「こっちよ、ほら」
階段を登り終わり、どうやら例の子が入院しているフロアに来たようだ。
辺りを見回してみて、ここは俺が三度目の入院で訪れたフロアであることに気が付いた。
「四階か……」
壁に描かれた案内を見ながら呟いていると、すでに曲がり角まで辿りついていた栄子さんが急かすように手招きをしてくる。
小走り気味に近付き、歩みを再開し始めた栄子さんに再度尋ねる。
「どんな子なんですか? ピースの持ち主って」
「会えばわかるわ」
今知りたいから聞いたんだけどな……。
「せめて男の子か女の子かぐらい教えて下さいよ。こっちだって色々と準備が……」
ん? 準備ってなんのことだ? そもそもなんで俺は『子』って付けたんだ? まるで……まるで……。
「あらあら? もしかして気になっちゃったりしちゃうの?」
とてつもなくいやらしい笑みでこっちの顔色を窺ってくる栄子さん。
いや、俺は普通だろ。
だって栄子さんが『その子』って呼んでたんだ。普通子供って考えるだろ。
それにジグゾーパズルに絵を描いてたんだ。少なくとも高校生はそんなことしない。
じゃあ、準備ってなんだ? 俺はなんの準備をしようとしたんだ?
心の準備か? 子供に会うのに心の準備がいるのか? いや、いらないだろ。
「い……いや、別に」
どんな断り方だよ俺、恥じらい意味がないだろ!
おかしいぞ。俺の身体が言うことを聞かない。
いくら心で平常心を保っていても、身体が――口が自分のものじゃないみたいに勝手な事ばっかりを言ってしまう。
「女の子よ。とっても可愛い女の子」
光髪が浮かび、そして悟った。
なんで俺が『子』を付けたのか、そして準備を必要としたのか。
全部、光髪の少女を見たからだ。
遠く離れてたけどこの目で。あの子の顔を。あの子の髪を。
「そっか……」
まるで安堵でもするかのような返事。
ニヤけると言うよりも、ホッと一息をついているような表情に、栄子さんはただ笑った。
「もしかして……拾人君ってロリコン?」
「違いますよ!」
院内ではご法度である大声を上げてしまい、申し訳ないように周りの患者さんに頭を下げながら、拒否できる自分の口に少しだけ感嘆していた。