本当に我が子なのか、と言われましても
「……貴方を愛することはない」
つい先ほど旦那様となった人がそう呟かれたのは、神に愛を誓った瞬間でした。神父様が驚きのあまり、固まってしまいます。
何を余計なことを仰っているのかと、私は頭が痛くなりました。
*
我がラッセル侯爵家は直系の子が私しかおりませんでした。
周囲から良い婿を期待されていたものの、愛想のない私の渾名は氷の姫君。舞踏会で踊る相手すらおりません。
黒髪赤眼。整った顔ながら、どことなく悪人面。そこに声をかけてきたのが、彼、エイダン・ボーモントだったのです。
ボーモントの家名には覚えがありました。犬を蹴飛ばし、領民には厳しい税収を取り立て、困った人に暴利で金を貸す。百年も経たずにただの平民から大商人となり、ついには伯爵位まで手にした、成り上がりの悪党貴族と有名でした。
彼は学園では孤立していましたし、身分の低い者を使用人のように扱っていました。周囲が想像するよい婿とは真逆です。
けれど、貴族の娘である私に選択肢などなく、私は彼の手を取りました。
婚姻とは家同士の契約です。全ては利益のために。
ですから、婚約を結んだ際に、契約通り生まれた長男をラッセル家の後継にさせていただければ、『貴方を愛することはない』と。
*
「……『貴方を愛することはない』とフレヤから言われた婚約の時は、片思いを覚悟したんだけどなぁ。こうして神に愛を誓えるとは」
事前に最低限の務めさえ果たしてくれれば愛人を作っても構わないという意味で伝えただけなのですが……。
────感極まった新郎が教会で号泣する結果になるとは。
敵が多いからと身内だけの結婚にして、本当に良かったです。
「本当に愛を誓ってくれて、結婚するのか。美しい……綺麗だ……前が見えない……」
旦那様の涙が滝のように流れて、下の方には虹すらかかっています。足元がびちゃびちゃです。これは見えないに決まっています。
それにしても、これはもしや、結婚式で誓う愛は本心しかないと思っているのでしょうか。政略結婚を、ご存じない?
侯爵家として顔色ひとつ変えませんが、我が家側の親族が引いています。悪党面でなぜか頷いているボーモント家は何を考えているのでしょうか。
これからの結婚生活がとても不安に思えた挙式でした。水分足でしおれた旦那様に水をかけて元に戻し、どうにか帰りました。
しかし、こんなのは序章に過ぎなかったのです。
……はじめて敷居を跨いだボーモント家では、犬がたくさん飼われていました。よく躾けられており、一族のものではない私に吠えてきます。しかし、まったく怖くありません。それよりも疑問がわきます。
「なぜ、これほどの数を……」
「フン。番犬なのもあるが、獣は裏切らないからな」
人なんて信じない、と言った具合に鼻を鳴らした旦那様に、呆れてものも言えません。
「なあ、モップ。今日もふわふわのいい毛並みだ」
「アゥゥゥ……アン!」
……どう考えても、ヨークシャー・テリアは番犬になりません。番犬として飼うならばブルドックやマスティフでしょう。侵入者をかみ殺すくらいの力と体躯が必要です。
「拾った時は酷い汚れ具合だったが、すっかり我が家に染まったな」
まさかの捨て犬でした。旦那様は外套のポケットからおやつ取り出し、おやつに気を取られている間にごく自然にブラッシングをします。毛が飛び散らないよう、抜け毛は袋に詰めています。
……今日って挙式でしたよね? 常に持ち歩いているのですか?
「ふん。そんな顔をしても二個目はやらんぞ。健康が一番だ。って、おい、蹴るな」
犬を蹴飛ばすのではなく、犬に蹴飛ばされるの間違いではありませんか。
私は呆れ返りました。これは絶対に、侵入者へ噛み付かせる練習などもしていません。どう考えても、警備が手薄です。守衛を増やさなければなりません。
「フレヤ、どうした?」
「いいえ、何も」
私の仕事は多そうです。
洋服が犬の毛だらけになった旦那様は、玄関の外で自ら洋服ブラシで払い、ランドリーメイドに渡します。義家族は怖い顔で「一緒にいたくないわ。しばらく留守にしますから」と仰いながら、部屋着やカップなどの新婚セット押し付けて、翌朝には避暑地に発つことを教えてくださいました。
何もかもに内心驚きながらも、いよいよ初夜というところで、部屋に入ってきた旦那様は至極真面目な顔で首を振りました。
「抱くつもりはない」
そうは言われましても、契約違反です。どんな理由であれ、こればかりは許されません。
私は静かに申し上げました。
「男児を設けなければならないのですが」
「今日は一日中気を張っていたはずだ。その上、ここはフレヤにとって嫁いだばかりの知らない部屋。初めての同室。どう考えても体を休めるべきだろう」
間髪の入れない返答に、何を甘いことを言っているのかと、気が遠くなりました。
私が何も言わなくなったからといって、旦那様はアロマを焚き、電気を落とします。リラックスして寝させようとする気しかない行動に、私は諦めました。
旦那様は案外寝相が悪く、就寝から一時間後には私を抱きしめていました。明け方には随分とはっきりした寝言で「フッハッハッハハ」と魔王も裸足で逃げ出す高笑いをなさり、その後むにゃむにゃと「芋煮がうまい」とよだれを垂らしていました。
私は侯爵家の一人娘ですのに、暗殺の気配すらありませんでした。
朝も普通に起き、屋敷内の鶏に「せいぜい丸々と太り、俺の糧となることだな」と餌をやり、朝食の卵の焼き方を褒め、仕事に励むのみ。
式からしばらく経っても、理解できないことだらけの日々でした。
「失礼いたします、フレヤです」
旦那様はたまに「……ククク」と悪い顔で笑いながらも、基本的にはずっと執務室にいらっしゃいます。
が、その日は非常に機嫌が悪く、資料はぐしゃぐしゃの状態で床に投げ捨ててありました。
「……チッ」
雑に外套を羽織り、苛立った足取りでどこかへ向かおうとする旦那様を引き留めます。
「私も行きます」
共に馬車に乗り込み、着いたのは領内の村でした。
「税収が悪い。これは一体どういうことなんだ?」
馬車から降りて、迎えに来た村長を問い詰めます。どうやら、不作が原因なようでした。
「不作だと……?」
旦那様の顔が険しくなります。不作であろうとなんだろうと、税収には関係ありません。
「なぜ俺に言わない!?」
……というのに、旦那様は変なところでお怒りになり、辺りを見回します。
こちらに気づかず農作業を続ける少年を前に、旦那様はクワを取りました。
「おい、ベンジャミン! 腰の入れ方がなってないぞ! 俺を見ろ!」
いそいそと高い革靴を脱いで、慣れた手つきで畑を耕しながら、淡々と説明します。
不作の原因は農法にもあり、やり方を変えるだけでどの程度収穫量が変わる見込みなのか。どうすれば税収を回復できるのか。
「ど、どこでそんな知識を……」
「税収の悪さで大変な思いをするのは俺だ。勉強したに決まっているだろう」
狼狽える農民に毅然と言い放ったものですから、私はこめかみを押さえました。
徴収できなければ責任者を罰し、無理やりどうにかするのが普通の貴族なのですが。
「……そもそも貴様ら、一体何をしているんだ」
「も、申し訳ございませんっ!!」
「農繁期とはいえ、この時間の子供は学舎に行っているはずだろう!」
ただの農民の子供に義務教育を課しているのは、世界でも我が家だけなのではないでしょうか。反乱やコスト、何より身分的に、本来は農民に学を身につけさせるべきではないのですから。
「そこの野菜はなんだ」
悍ましい見た目の野菜が木箱に詰まっていました。これでは売り物にはならないでしょう。
「それは……その……」
「はっ。犬の餌にでもしてやろう」
片方だけ釣り上がった悪い笑みで仰っても、
「だから見目が悪いくらい、なんてことはない。我が家への献上品はこれでいい」
単なる訳あり品を買い取ってくれる人です。
確かに他領と比べて厳しい税収です。けれど、それは額面だけの話。
稼いでいる額の割合で考えれば、随分と優しい。どこが悪党なのでしょうか。
「俺のために、これからもせいぜい励むといい」
旦那様は、妙な形の人参を手に馬車に乗りました。仕方がないので、私がいつまでに納税するのか約束させました。
人参を睨み、「おもしろい……ックク」とツボに入ってしまっている旦那様を横目に、馬車の窓に映る少し口角の上がっている自分と目が合いました。
とはいえその後も、旦那様の奇行は続きます。
ある時は対立していた伯爵家が我が家を訪ねてきました。どうやら事業で失敗した上に、本家である侯爵家には見限られ、羽振りの良くどこにも属していないボーモント家に金を借りに来たようでした。
「成り上がりの我が家を頼るとは、落ちたものだなぁ。借金が金貨100枚とは……貴様の一生で返せるとは到底思えん」
旦那様は伯爵の胸元を掴み、その紅い瞳で覗き込みます。恐怖で腰を抜かしたところで手を離し、伯爵は床に崩れ落ちました。
「せいぜい努力することだな」
ニヤリと嗤って、それだけ。旦那様はマントを翻して去ってしまい、私は唖然とします。
利子について、何も話していません。借用書にも書いてありません。それでは、単なるいい人です。十日に一割の利子を取るのが普通でしょう。
腰を抜かした伯爵に追加の誓約書にサインさせました。
またある時は男爵とその妻が訪ねてきました。彼らは学園で使用人のような扱いを受けていた下級貴族でした。
「おやおや、やっと我が家への借金を返し、使用人働きも終えたというのにわざわざご足労願えるとは、また金がなくなったのか。それとも多勢に無勢で反乱か?」
まさかの、使用人扱いではなく本当に使用人でした。さすがにここまでくればわかります。おそらく、借金を軽くするために名目上雇ったのでしょう。
「め、滅相もございません。ただ、その、無事に卒業でき、妻との間に子ができましたので、恐れ多くも恩人の貴方様にちなんだ名をつけさせていただけないかと……」
「…………ハッ。浅はかだな」
旦那様が蔑むように笑います。
「子供が育ってから、俺が由来であることのせいで虐げられるかもしれない。名前は、お前たちが愛を持って、どんな風に育ってほしいかを祈り、子に一番最初に贈るものだ」
それでは、ものすごく喜んだ上で、真面目に熟考しただけのいい人です。
男爵夫婦が涙ぐんでいます。もはや拝んでいます。
「後で祝いを送る。不調になる前に帰れ」
捨て台詞のように優しいことを伝え、旦那様はマントを靡かせて部屋から去りました。
追いかけるように執務室を訪ねれば、感極まって泣いていました。
「まったく……どこが、悪党貴族なのか」
ハンカチを渡し、跳ねた黒髪を撫でます。人を撫でたことなんて、撫でようと思ったことなんて、初めてです。
この人は何も知りません。
古くから重鎮を務めるラッセル家が、真の悪党貴族であることを。
突如として新勢力となりつつあるボーモント家を管理するために、家の命で嫁いだことを。
私は旦那様に恋したことがなければ、生まれて一度も愛なんて感じたこともないことを。
「ふふっ。おかしい人」
*
結婚から一年後に妊娠がわかり、それから十か月ほどには屋敷に赤子の産声が響きました。
ずっと廊下でうろついていたであろう人がドアを蹴破るように入ってきて、私と赤子の無事を確認してきます。
産んだ私よりも安心したと思えば、今度は赤子を見て目を見開き……
「本当に我が子なのか?」
なんて、世の中の出産を終えたばかりのご夫人が聞けば殺意の沸くようなことを仰います。
ですが、私は何とも思いません。私は知っています。
「こんなっっ……天使みたいな子がっっ」
赤子に負けないくらいに泣く目の前の人に、疲れも氷の姫君もどこかに行ってしまって。
「それ以外あり得ないでしょう、エイダン様」
笑ってそうお伝えしました。
ボーモント家の管理も、この人の妻も、私以外でもできることです。
なにより、生まれたのは、男児ではありませんでした。それでも私は嬉しくて、誇らしくて。
私は、この可笑しな愛しい人と、その子を、生涯観察し続ける所存です。
残念な悪党貴族が書きたかったんです(鳴き声)。読んでくださりありがとうございました。
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